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名球会コラム しごとの風景 - 職業としての野球

第3回 土井正博 「明暗を分ける最後の鍵は「運」」

―昭和36年、大阪の大鉄高校の4番バッターだった土井氏は、当時、パシフィック・リーグで下位に低迷していた近鉄バファローズから入団の誘いを受ける。


高校の近くに近鉄の藤井寺球場があって、野球部ではよくそこを借りて試合を行っていました。で、たまたまその試合の模様を近鉄のスカウトだった根本陸夫さん(後に広島カープ、クラウンライター、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスの監督を歴任)が見ていて、「君、近鉄に来ないか」と声をかけられたんですね。
まあ最初は半信半疑ですよ。確かにボールを遠くに飛ばす力はあったんですが、まだ高校2年生になったばかり。とうていプロでは通用するはずもない。根本さんは声をかけて励ましてくれたんだと、そう思って家に帰ったんです。そうしたらお袋が「今日、近鉄の根本さんという方が挨拶に来られたよ」と。
それで、すぐに学校を中退して近鉄に入団したんですが、監督の千葉茂さんは、僕のようにバットをブンブン振り回すタイプのバッターは嫌いだったんです。コツコツとライトヒッティングを心がけるような選手が好きで、1回も使ってもらえなかった。結局、36年のシーズンはそのままファーム暮らしで、しかもシーズン終了後には整理リストに名前を載せられてしまった。もう来シーズンは契約しない、お前はお払い箱だというわけですよ。
まあ実家が本屋だったので家業を継げばいいやと、そう腹をくくった矢先でしたね。監督が千葉さんから別当薫さんに替わって、整理リストに載った連中を呼び戻せということになった。自分の目で選手全員を見直して、改めてチーム編成を考えるということだったんでしょうね。で、別当さんにバッティングを見てもらって残留、再契約ということになったんです。


―翌37年のシーズン、土井氏はその長距離打者としての素質を見込まれて、一躍4番バッターに抜擢される。プロ野球史上初の「18歳の4番打者」の誕生だった。


当時、近鉄は毎年最下位で、パ・リーグのお荷物といわれていたんです。監督に就任した別当さんも何かファンにアピールするものをつくりたかったと思うんですが、残留が決まった直後に別当さんから手紙をもらったんです。来シーズンは開幕から君を4番に据えるから、オフの間に身体をつくってこいということで、素振り、ランニングなどの練習メニューを細かく書いて送ってくれたんです。
4番に据えてくれるといっても、本人は嬉しくとも何ともないですよ。入団2年目で実績は何もない。もう不安で不安でしょうがないわけですね。だから別当さんが書いてくれた練習メニューを毎日、必死になってこなしていくしかない。だけど、そのオフの猛練習のおかげで、子どもの身体から大人の身体へと自分を変えていくことができたんです。
それで37年のシーズンは、実際に開幕から4番打者としてフル出場を果たしたんですが、あのころは南海の杉浦忠さん、西鉄の稲尾和久さん、それから東映の尾崎行雄さんといった、もの凄いピッチャーがゴロゴロいた時代で、どんなに頑張っても打たしてくれないという感じだったですね。これはダメだという時期が何回もあって、で、監督さんに、もう外してくださいとお願いに行ったんですよ。そうしたら別当さん怒りましてね。「打てないお前より、使っている俺のほうが苦しいんじゃ、グチャグチャいう前に素振りをせい」と。
結局、そのシーズンは2割3分1厘、5ホームランと、4番打者としては物足りない成績で終わってしまったんです。ただ自分としては、シーズンをフルに出場したこと、それから自分の打撃が曲がりなりにもプロの世界で通用したことが大きかったですね。
あの稲尾さんのボールを俺は打てたやないか、18歳の俺が1年間、プロの世界で戦えたやないかと。で、最初はオドオドして打席に入っていたのが、2年目、3年目になると、だんだん余裕が生まれてきて、自分のタイミングのところまでボールを引き寄せることができるようになっていったんです。
プロ野球に入ってくる選手というのは、素質からいえば、みんな超一流の人たちなんですね。でも、ほとんどの場合はファーム止まりか、たとえ一軍に上がっても、故障やスランプで花火のように消えていく人が多い。そうしたなかで僕の場合は、幸いにして21年間も現役生活を続けることができた。じゃあ何が選手の明暗を分けているのかといったら、最終的には、僕はそれぞれの選手がもっている運だと思っているんです。
根本さんが僕を見つけてくれたこと、別当さんが苦しい状況のなかで僕を使いつづけてくれたこと、そうした巡り合い、運が僕の21年間の現役生活につながったんだと思いますね。


財団法人 産業雇用安定センター刊「かけはし」
2000年3月号より抜粋

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