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第10回 張本 勲 「努力、自己管理、よき指導者その三つが選手の明暗を分ける」

―浪速商業の剛腕ピッチャーだった張本勲氏。高校2年のときに読売ジャイアンツから入団の誘いを受けたが、高校だけは卒業してくれという兄の願いもあって、ジャイアンツ入団の道を断念した。


まあ卒業したら、またジャイアンツが誘ってくれるって、そう思っていたんですね。ところが、2年生の6月だったですかね、球の投げ過ぎで肩を壊してしまった。もうピッチャーは無理だったですね。それで監督のところに「野球部辞めます」っていいにいったら、「お前はピッチャーよりもバッターとしての素質がある。肩が直るまでセンターをやってろ」といわれたんです。それがきっかけでバッティングをやりだしたら、これがまた面白いように球が飛ぶんです。
結局、3年生のときはバッターとしての評価が高まって、兄のところには5、6球団のスカウトの方が挨拶に来たそうです。兄は中日のスカウトの方の人柄に惹かれて、私に中日入りを勧めたんですが、私は東京に強い憧れがあったんです。プロでやるなら絶対に東京の球団でやりたいって、それで誘ってくれたなかで唯一の在京球団だった東映の誘いに乗ったんです。まあ若かったですね。パ・リーグよりもセ・リーグのほうが観客は多いし、契約金も東映は200万円、それに対して中日は600万円出すといっていたそうです。でも、私はとにかく東京にでたかったんです。


―東映に入団した張本氏は、そこで松木謙冶郎バッティングコーチと出会い、猛練習の末に打撃の神髄を会得する。


私はもともと右利きだったんですが、5歳のころに右手に大火傷を負って、それ以来、右手でものを強く握れなくなってしまったんですね。で、バッティングでも右手はバットを軽く握る程度。ほとんど左手一本でボールを打ち返していたんです。高校生のときは左手一本でも力負けしなかったんですが、やはりプロに入るとね、ピッチャーの球は力が違うんですよ。
松木さんは私の弱点をすぐに見抜きましてね、「おい張本、左バッターは右手が命なんだ。右手を使わなくちゃいけない」といって、いまでいうトスバッティングですね、あの練習方法を考案して、私に右腕一本でボールを打たせたんです。33年のシーズン終了後の秋季練習、そして翌34年の春季キャンプ、オープン戦までの約半年間ですか、雨が降っても雪が降っても、ほぼ毎日、右手一本で5、600本のトスバッティングをやったんです。もちろん最初は腕なんか上がりませんよ。痛くてね。でも、毎日やっていると慣れてくるし、それよりも打球の伸びが違ってくるんですよ。特に右中間方向の打球がセカンドの頭上あたりからギュンと伸びるようになった。もう効果が目にみえてわかると、練習ってのは辛くないんですよ。それで毎日毎日、松木さんのところへ「お願いします」って頼みにいく。
トスバッティングというのは、コーチが一球一球ボールをトスして、その打ち方をみて、ここがよくない、もっと腕を引っ張れとか、アドバイスしていく練習方法ですから、コーチにとっても辛いんです。でも、松木さんは頼みにいくと、じゃあやろうかって、嫌な顔もしないでつきあってくれるんです。


―張本氏は「私がプロの世界でひとかどの選手になれたのは、ひとえに松木コーチのお陰だった」と語っている。


われわれ野球選手、バッターもピッチャーも同じなんですが、本当にうまくなるためには3つの条件があるんです。1つ目は努力、2つ目は自己管理、そして3つ目がよき指導者に出会うことなんですね。1番目と2番目は自分の力で何とかなるんです。ところが3番目だけは幸不幸があるんですよ。本当にいい指導者に会えるかどうかはその人の運なんです。
1軍の選手と2軍の選手ではどこが違うかといったら、2軍の選手は何かが欠けているんです。技術、スピード、精神力、いろいろ要素はあるんですが、その欠点を見抜いて、補正してやるのがよき指導者なんです。しかし、本物というのは、どこの世界でも同じなんでしょうが、なかなかいないんですね。その点、私とか、荒川さんに指導を受けたジャイアンツの王なんかは幸せでしたね。本当の指導者と出会えたんですから。
監督のなかには好き嫌いを口にする人も大勢いましたよ。お前は嫌いだ、だからプライベートでは付き合わないって。三原さん、水原さん、鶴岡さん、川上さん、往年の大監督は皆そうだったですね。でも、ユニフォームを着たら別なんです。嫌っている選手でも力があれば使った。それはプロの世界が結果の世界だからですよ。松木さんも別に私が好きだから教えたんじゃないんです。それが松木さんの仕事だったから教えたんです。松木さんはそんな情に流されるような弱い人じゃなかった。だから一流のバッティングコーチといわれたんですよ。


財団法人 産業雇用安定センター刊「かけはし」
2000年10月号より抜粋

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