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名球会コラム しごとの風景 - 職業としての野球

第15回 北別府 学 「自分の特性を見極めたからこそ生き残れた」

―昭和50年のシーズンにセ・リーグ初制覇をなし遂げた広島東洋カープは、そのシーズン終了直後のドラフト会議で、甲子園に1度も出たことのない、全国的にはまったく無名の高校生投手を1位指名した。


野球をはじめたのは中学のときからです。1年生の秋に監督さんから「君は身体が大きいからピッチャーやってみろ」っていわれて、たまたまという感じでピッチャーをはじめたんです。まあまあ球も速かったし、コントロールもよかった。だから高校進学時には、鹿児島県内でも有数の強豪校から誘いを受けたんです。多分、そこへ進んでいたら甲子園にも出られたんでしょうけれども、どうしても寮生活というのが嫌だったんです。それで家から通える範囲ということで、自宅から20キロほど離れた都城の農業高校へ進んだんです。
もちろん自転車通学です。片道1時間半ほどだったのですが、それが結構いいトレーニングになって、下半身がどんどん大きくなっていった。ストレートも140キロを超える球が投げられるようになったし、フワッと浮いて沈むカーブ、バッターの胸元にナチュラルで食い込んでいくボールも投げられ3年生の夏の大会では県予選の決勝戦で負けたんですが、それでもドラフトにはかかるなという自信はあった。ただカープが、しかも1位で僕を指名するとは思っていなかった。九州ではそこそこ有名だったけれど、全国的にはまったく無名に等しいピッチャーだったですからね。


―カープと入団契約を済ませた北別府氏は、翌年2月からの春季キャンプに参加し、そこではじめてプロ野球のレベルの高さを実感した。


はじめてブルペンに立って投球練習をしたとき、横で先輩たちが投げているでしょ。その投げる球がもう尋常の速さじゃないんですよ。もうとてつもなく速い。
もう圧倒されて、プロの世界でやっていく自信がアッというまになくなっちゃったんですね。で、そのとき思ったのは、自分のストレートのスピードはプロでは通用しないかもしれない。じゃあ、スピードよりもコントロールを中心に投げていこうということと、それから3年間は頑張ろうと。3年やって1軍に上がれなかったら野球を辞めて故郷に帰ろうって思ったんですよね。
幸い僕にはポッと浮いて抜けるようなカーブがあった。それがちょうどチェンジアップのようにスピードに変化の出る球だったから、後は横の変化だということで、スライダーとシュート、この横の変化球を自分のものにするために一生懸命練習したんです。


―使いながら育てるという古葉竹識監督の方針のもと、入団1年目の8月に1軍登録された北別府氏は、その年2勝、2年目に5勝、そして、3年目に10勝をあげるなど、次第に投手陣のなかで存在感を高めていった。


3年目に10勝して「あ、これで俺は野球で飯が食っていける」って、はじめて思うことができたんですね。その自信が翌シーズンの17勝につながったと思うんですが、それと相手バッターの癖が分かってきたことも大きな要因です。
3年間の経験で、相手5球団のバッターの癖がだいたい分かってくる。このバッターにはこの球種を打たれた、このバッターには内角低目のストレートを打たれたというように、バッターと対峙すると、打たれた場面だけが鮮明によみがえってくるんです。だから、このバッターは内角が強かったなと。それで、その内角を中心に球の出し入れをして打ち取っていくと、そういうことが段々できるようになっていったわけです。
三振を取ることに快感を覚えるピッチャーも大勢いるんですが、僕の場合は、相手の読みを完璧にひっくり返したときのほうが喜びが大きかったですね。
ランナーが1人出ると、バッターとしては内野ゴロ・ゲッツーだけは避けようと頑張るわけですよ。ところが、こちらは打ったらゲッツーという配給で押していって、最後に外角に甘めの速球を投げ込むんです。するとだいたいセカンドやショートに強めのゴロが飛んで、計算どおりにゲッツーになる。そういうふうに局面局面に応じた最適なアウトの取り方、それがピシャリとできたときのほうが快感は大きかったですね。


財団法人 産業雇用安定センター刊「かけはし」
2001年3月号より抜粋

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