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名球会コラム しごとの風景 - 職業としての野球

第18回 門田博光 「与えられた役割をきちんとこなすことも必要」

―プロ野球歴代3位のホームラン記録をもつ門田博光氏。しかし、奈良県の天理高校を卒業して倉敷レイヨン(クラレ)に入社するまでは、公式戦はおろか練習試合でも1本もホームランを打ったことがなかったという。


根が病弱で、しかも身長が170センチしかなかったですから、どうしてもパワーでボールを遠くまで運んでいくというバッティングができなかった。だから高校では2年生のときにライトのレギュラーポジションを獲ったんですが、安打中心で3割ぐらいを打つ、まあ、どこにでもいる普通の高校生の1人だったんです。
でも、プロ野球に行きたいという気持ちだけは強くて、野球部のOB会のツテを頼って、ノンプロの強豪だった倉敷レイヨンに引っ張ってもらった。ところが、このクラレという会社には、当時、プロにいけるような大学生が続々と入ってきていて、高卒の僕なんかはとてもレギュラーになれるような環境じゃなかったんですね。
じゃあ、どうするかといったら、やっぱりトレーニングで自分のレベルをあげていくしかない。まず昼間の練習でチームの主軸打者のスイングをじっくりと観察して、そのフォームや振り抜きのスピードをしっかりと目に焼きつけておく。そして夜になったら今度は寮の鏡の前で、そのスイングが自分のものになるまで、ただひたすら素振りを繰り返したんです。
素振りというのはインコースの上中下、真ん中の上中下、アウトコースの上中下の9通りのパターンがあって、この1つひとつのパターンを納得がいくまで振り抜いていく。それから腹筋と腕立て伏せと背筋を100回ずつ。これを毎日繰り返しやっていくと、筋肉がつくと同時にスイングのスピードが速くなっていって、いままで出なかったホームランがどんどん打てるようになってきたんです。


―クラレの主軸打者として頭角を現した門田氏は、昭和44年秋のドラフト会議で南海(現ダイエー)ホークスに2位指名され入団。翌45年のシーズンから3番・右翼手として念願のプロ野球生活をスタートさせる。


僕が入団した当時の南海は、ちょうどベテランと若手が入れ替わる時期にあたっていて、4番バッターの野村(克也)さんが捕手と監督を兼任するという、いわゆるプレイングマネージャーになったばかりのころだったですね。で、その野村さんから入団早々、3番バッターに抜擢されて「お前はとにかくヒットを打て」といわれたんです。お前が累上に出たら俺と外国人がホームランを打って返すからと。
僕自身は、やっぱりホームランを打ちたい、ホームランこそ打者の証なんだと思っていましたが、やっぱり野球はチームプレイですから、与えられた役割はちゃんとこなさなければいけない。それで細身のバットをもって、ヒットを打つことばかり心掛けていたんです。忠実に、しっかりと捕球しろ」と、そういって僕を1軍に送り出してくれたんです。


―門田氏は54年2月のキャンプ中に右アキレス腱切断という選手生命に関わる事故に見舞われたが、これを契機にホームランバッターに転向し、以後、44歳で現役を引退するまでの13年間にわたってホームランを量産しつづける。


ちょうどパ・リーグでDH制が導入された時期にあたったということと、それからアキレス腱を切ってもう全力で走れなくなっていたので、へたにヒットを打って塁に出たら、かえって攻撃の邪魔になるということもあったんですね。だからヒットよりも何よりも、とにかくバッターボックスに立ったらホームランを打つことばかり考えていました。
で、ホームランを打つために何をやったかといったら、まずウエイトトレーニングですね。全盛期の野村さんの胸の厚さといったら、やっぱり非常に分厚かった。その分厚い胸で1キログラムのバットを振って、年間40本以上のホームランを打っていたんです。それで僕も必死でトレーニングをやり、素振りを繰り返すことで、やっと1キログラムのバットを年間を通して振れるようになったんです。
僕は毎シーズン、打率4割、ホームラン60本、打点170点を目標にバッターボックスに立っていたんですが、ただ足が痛くて、シーズンをフルに出場したことはなかったんです。いつも30試合から40試合は出られなくて、毎シーズン規定打席ぎりぎり、90試合ぐらいで40数本のホームランを打ってきた。しかし、故障があるからといって目標を下げることはなかったですね。44歳で引退したその年まで、僕は年間60本のホームランを打てると確信してバッターボックスに立っていましたから。そういう意識を持ちつづけられなければ、やっぱりプロの世界では生き残っていけないと思いますね。


財団法人 産業雇用安定センター刊「かけはし」
2001年6月号より抜粋

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