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第7回 谷沢健一 「故障の克服は「最終的に気持ちの持ち方」」

―昭和44年のドラフト会議で中日ドラゴンズに1位指名されて入団。翌45年のシーズンには新人王、そして51年には首位打者のタイトルを獲得するなど、谷沢健一氏のプロ野球人生は順調そのものに見えた。しかし、その実谷沢氏はアキレス腱痛という時限爆弾を抱えながらグラウンドで戦っていたのである。


足は、もう早稲田大学の頃から悪かったんですよ。疲労がたまってくると両足首に痛みが出て、ひどくなってくると歩くことすら辛くなってくる。病院で診てもらったら、僕の場合、かかととアキレス腱の接合部のところに、米粒大の軟骨ができているっていうんですね。
ピッチャーの場合は、ボールを投げすぎるとヒジの腱の付け根のところに軟骨が出て、それが炎症や痛みを引き起こすんですが、僕の場合は、その軟骨が両足のアキレス腱のところに出てしまったんですよ。まあ学生時代からいろいろな病院で診てもらったんですが、原因が分からないから有効な治療法はないし、また腱のところだから手術も難しいと。
だから炎症がおきたら、病院に行って痛み止めの注射を打って、それから試合に出るという生活を学生時代からずっと続けてきたんです。まあドラフト1位ですから、チームからも期待されている。またプロ2年目に結婚しましたから、生活もかかっている。とにかく一生懸命やらないとと思って、まあ注射でだましながら頑張ってきたんですね。
ところが、炎症を起こすたびに軟骨が大きくなっていきましてね、プロに入って7年目ぐらいだったと思いますが、首位打者のタイトルをとったころから、痛み止めの注射が効かなくなってきたんです。もうずっと痛みがあるんですが、なんとか顔には出さないようにして、試合には出ていたんです。
プロ9年目の53年のシーズン、6月1日までは試合に出ていたんですが、もう痛くてね、走ることはもちろん、歩くことも難しいような状態になっちゃったんですね。それで休養ということになって、このシーズンは終盤の10試合ぐらい、ようやくピンチヒッターみたいな形で出してもらったんですが、翌54年のシーズンは開幕からダメで、終盤にほんの何打席か出してもらって、それでお終いだったですね。


―結果がすべてというプロ野球の世界。その天才的な打撃技術でドラゴンズ打線の核となってきた谷沢氏だったが、2シーズンを棒に振ったツケは大きかったという。


53年のシーズンはほとんど休養でしたからね、だから暮れの契約更改では35%の減棒をいいわたされたんです。もちろん野球協約のなかには、どんなに成績が悪くても25%以上のカットをしてはいけないという条項があるんです。しかし、抜け道もあってね、選手が納得した場合はその限りにあらずと、そういうただし書きがついているんです。
で、35%の減棒をいいわたされたときは、球団から「納得できないなら他の球団に移っていいよ」と。でも、移れるわけがないんですよ。だって身体が動かないんですから。それで54年もほとんど試合に出られなくて、また暮れに35%の減棒をいいわたされたんです。
53年当時のドラゴンズの最高年棒は2,000万円ぐらいだったですね。投手の星野仙一さん、二塁手の高木守道さん、それから捕手の木俣さん、そして僕と、この4人が2,000万円のラインをはさんで並んでいたんですが、2年つづけて35%の減棒でしょ。結局、8年かけて2,000万円近くまで積み上げてきた年棒が、わずか2年で800万円ぐらいですかね、半分以下に下がっちゃったわけですよ。


― 55年のシーズン。3年ぶりに戦列に戻った谷沢氏は、攻守にわたる大活躍を果たし、最終打率3割6分9厘の成績で2度目の首位打者のタイトルを獲得した。


病院も20軒ぐらいは回りましたね。でも、どこもダメでね、もう半ば現役を諦めていたんです。引退して家業のスポーツ洋品店でも継ごうかと、そんなことを考えていたときにドラゴンズのファンの方の紹介で、ある整体師さんに会ったんです。もうご高齢でね、かつて西鉄ライオンズでトレーナーを務めたこともあるという方なんですが、そのおじいさんの日本酒を吹きかけてマッサージするという療法が僕にぴったりだったんでしょうね。根気よく治療を受けているうちに、ようやく身体が動くようになってきたんです。
ブランクのときは、その治療のほかに、足に負担をかけないバッティングフォームの研究とか、またバスケットシューズのようなロングブーツ式のスパイクを考案したりね、まあ、いろいろとやりましたよ。でも、再起できたもっとも大きな要因というのは、やっぱり気持ちの持ち方だったと思いますね。このまま終わりたくないっていう気持ちですね。そうした思いがあったからこそ、僕はグラウンドに帰れたと思います。


財団法人 産業雇用安定センター刊「かけはし」
2000年7月号より抜粋

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