ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




武書店倉庫。神奈川県足柄上郡山北町2608。2016(平成28)年4月22日

山北駅前大通り(山北駅前商店街)を駅から西へ行くと、角に山北町商工会館や武書店がある四つ角がある。写真の白い壁の家もその角に建っている。壁は最近改装されたもので、それ以前は下見板張りの洋風の外観だった。家の後ろと、右の平屋部分の横側に下見板張りの壁が残っている。『鉄道の栄枯衰退と共に殉じたる街 相模國山北』によると、武書店の旧店舗で、現在は倉庫になっているらしい。建物の後ろは「理容木村」。


武書店倉庫。山北町2608。2016(平成28)年4月22日



魚一。山北町2610。2016(平成28)年4月22日

武書店倉庫から西へすぐのところにある鮮魚店。切妻屋根の上にパラペットのような囲いを巡らしている。外観を飾るためのもののようだ。

魚一の隣が「テーラーサナダ」と、なんとか看板の字が読める家。テーラーにしては間口が広い。ワイシャツやネクタイなんかも置いていたのかもしれない。


テーラーサナダ。山北町2610。2016(平成28)年4月22日

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しみず食堂。神奈川県足柄上郡山北町1889。2016(平成28)年4月22日

山北駅北口の駅前広場の西の端から西の方向を撮った写真。写真右の通りが御殿場線と平行に走っている「山北駅前大通り(山北駅前商店街)」。450m先で、駅前大通りの北を平行に走っている国道76号と合流する。はるか先まで同じ外観の長屋風の店舗が続いている。この建物群の向かい側に、今まで紹介したポッポ駅前店、マルカデンキ、魚浅などがある。
「長屋群」は二軒長屋を基本に9棟、15軒ほどの店がある。現在営業しているのは半分くらいだろうか。広い山北駅構内に国鉄が建てた家作ではないかと想像する。この長屋群があるので、山北駅前商店街が商店街の体裁を保っている感じがする。
「しみず食堂」は、看板は「食事処」と暖簾の「しみず」だけだが、ネットでは盛んに「しみず食堂」で出てくる。土地の人もその名前を使うようだ。ラーメン、カレーライス、オムライスなど大衆的なメニューで、お勧めはカツ丼だという。メニューが実にもう伝統的な田舎の駅前食堂である。是非ともこの方針で続けてほしい。



長屋群の真ん中あたりにある駄菓子屋「やまだや」

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上:マルカデンキ、八百元商店
神奈川県足柄上郡山北町1861
左:魚浅。山北町1888
2016(平成28)年4月22日

山北駅前大通りの西大通りの方にある、古そうな建物の商店。「マルカデンキ」は側面が洋風な下見板と白く塗った窓枠が、古い駅舎のようにも見える。二階手前の窓の桟を見ると、戦前の建具に思えるのだが……。写真では看板に隠れているが、正面二階の窓も同じ模様の桟である。「ナショナル」の看板が掛ったままだ。
マルカデンキの左(西)が八百屋の「八百元商店」。庇がマルカデンキの建物と共通である。
八百元の左は「田中屋肉店」。大正3年創業という。観光客はコロッケやメンチカツ買ってそのへんで食べるようだ。田中屋の左は横浜銀行の駐車場で、その左に「魚浅」。Google地図では「鮮魚魚浅」。ネット検索しても出てこないので廃業したと思われる。

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西片会館。文京区西片1-5。1988(昭和63)年10月10日

写真右奥の木立は「西片児童遊園(西片公園)」で、その南のブロックを南側から撮った写真。庭木に囲まれた民家に「西片町会事務所」の看板が出ている。1986年の住宅地図では「西片町々会事務所」だが、1969年の地図では「西片会館」。
西片町会>西片紹介』によると、西片町会の設立は大正12年9月の関東大震災を契機とする。西方町自体の被害は少なかったようだが、近隣の被災者はそういう地域へ避難してきて、阿部家本邸の一部や大椎の木の広場(現在の西片公園)などにひとまず落ち着く。ほおっても置けないので西片町の人々は協力して救援活動をしたが、それをきっかけに町会が組織されたという。
戦後は解散させられたが、昭和22年6月には西片会館建設委員会を設立し町会の再起を期す。昭和28年には西片町会が再発足した。
「西片の年表」に「1929(昭和4)年、旧町会建物を現在の会館の地「いノ24」に移築、模様替え」とあるから、写真の民家がそれになるらしい。時代は下って「2002(平成14)年4月、木造西片会館を取り壊す。旧会館の庭にあった紅梅を西片公園へ移植」「2003(平成15)年1月、鉄筋コンクリート造の新西片会館竣工。2月会館披露・祝賀会」となる。

写真左枠外の町会事務所の隣は戦前からある日本家屋の屋敷と思われる。その家の門に「本郷区駒込西片町拾番地いの二五号」という表札を付けている。

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上:K邸。文京区西片1-5。1988(昭和63)年3月13日
左:O邸。西片1-6。1988(昭和63)年10 月10 日

上の写真の左枠外が西片児童遊園。昭和22年の航空写真に写っているから戦前からある洋館だろう。現在は二階建てのアパートに建て替わっている。
左写真はK邸の一つ北のブロックにあった。洋館風の家に見えるが母屋は右奥にあって、その西(左)の部分から南へ突き出した部分である。屋根が日本家屋の形式なので、母屋は和式の家だったと思われる。左に写っている日本家屋は隣の家。現在は個々に建て替わっている。

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I邸。文京区西片1-11。2007(平成19)年2月24日

言問通り(の延長、清水橋通り)に架かる清水橋の通りを西へ行くとすぐ「西片児童遊園」で、そこを過ぎて南へ入る道路との角にあった日本家屋の住宅。塀際に洋風の小さな別棟があるが、そちらは案外と新しいものかもしれない。2015年に建て替えられた。
下の写真は、上の写真左奥に写っている家。撮影後、1・2年で取り壊されたと思える。現在は駐車場。
西片1・2丁目(旧駒込西片町)は江戸期は福山藩阿部家(幕末の阿部正弘が有名)の江戸丸山屋敷で、明治になっても阿部家が所有した。明治中期から広大な阿部邸の敷地を宅地として開発していったらしい。写真の2軒は普通に見れば庭付きの贅沢なお屋敷だが、「阿部さま」にすれば一般庶民の住宅なのだろう。



K邸。西片1-11。2007(平成19)年2月24日

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中村邸。文京区西片1-1。1986(昭和61)年5月

お屋敷町といっていい文京区西片にあった洋館。西片の高級住宅街というと普通は本郷台地の上に広がっているが、写真の洋館は台地の崖の下、言問通り沿いにあった。菊坂下交差点の少し北で、現在は「メイフラワー西片」(1990年7月築、5階建20戸)というマンションに替わっている。写真左の家は今も変わっていないようで、門とガレージは写真のままだ。
洋館は『日本近代建築総覧』に「中村道雄邸、昭和6年築、RC3階建、設計=高松政雄、1階外壁煉瓦タイル張」となっている建物。
高松政雄というと、「1885-1934年。曽禰中條建築事務所に入所し、丸の内のオフィスビルなどの設計に従事する。また、東京海上ビルなどの設計を行った。 特に病院建築の設計監督に從事する。病院建築は造詣が深く、慶應義塾大学病院などの設計を行った」(ウィキペディア)建築家がいた。中村邸の設計者がその人なのだろうか?


中村邸。1988(昭和63)年10月10日

中村邸の北側。洋館の裏手に母屋になるらしい2階建ての家、手前に平家の日本家屋が洋館とくっついている。駐車場は、今は時間貸しの機械が入ったが、やはり駐車場のまま。

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やまきた駅前観音堂、岡本屋呉服店、ポッポ駅前屋
神奈川県足柄上郡山北町山北1917。2016(平成28)年4月22日

山北駅北口の広場の前を東西に通っているのが「山北駅前大通り」で商店街になっている。駅前から北へ、県道76号へ出る通りとの交差点(タケイ美容室と木川薬局が向き合っている)で、山北駅前大通りは「西大通り」と「東大通り」に区分される。対面通行はできそうな道幅だが、それぞれ山北駅へ向かう一方通行で、山北駅まで来てしまった車は県道へ向かうしかない。
駅前広場の東西の端の位置に、2013年頃まで「山北駅前大通り」のゲートがあったのだが、老巧化で取り外された。設置されて50年くらいは経っていたのだろうか? 写真は西大通りの入口付近だが、「岡本屋呉服店」の前にゲートがあった。
「ポッポ駅前屋」の真っ黒な建物が目をひく。看板に「休憩 お食事 お土産 鉄道模型」とあるが、食堂である。以前は「山北町観光案内所」だったが、それが「ふるさと交流センター」に移って、2011年4月にポッポ駅前屋が開店した。そのせいか、観光案内所で食事処を聞くとここを挙げてくれるとか。「食べログ」などを見ると、安価だし電車の時刻まで鉄道模型を眺めて時間をつぶせるらしい。もし機会があれば、カレーうどんを食べてみたい。建物は大正時代のもので、元々は茶舗だったという。

岡本屋呉服店の左は「やまきた駅前観音堂」。商店街のゲートが撤去されたとき、代わりになるものを、と商店街の有志で発案、地元の彫刻家蘭二朗氏が制作した観音菩薩を空き店舗に祀った。2014年10月24日が開眼法要。地域の安全を見守ってくれることになった。北山駅に下り立ったハイカーも安全を願って寄っていかなくてはならない。

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タケイ美容室。神奈川県足柄上郡山北町山北1927。2016(平成28)年4月22日

山北駅北口の駅前広場から、御殿場線と平行に「山北駅前商店街」の通りがある。駅前からは県道76号へ出る通りがあり、その両通りの交差点角が、両側とも洋館風の建物で、すでに山北駅前の有名な建物だと思う。山北駅が東海道線の駅としてにぎわった当時をしのばせる建物である。駅前に建って眺めると、レトロな街並みを再現した鉄道模型のジオラマの中にいる気分になれる。
山北町(やまきたまち)はD52を展示した山北鉄道公園や鉄道資料館などを開設している。鉄道遺産を核に、観光客を誘致しようという方針のようにみえる。だとすると、タケイ美容室と木川薬局が向き合う光景は貴重な観光資源であろう。
神奈川の近代建築探訪タケイ美容室・木川薬局』によると、両方とも木造2階建て。建築年はタケイ美容室が昭和7年、木川薬局が昭和13年頃。



木川薬局。山北町山北1917。2016(平成28)年4月22日

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山北駅。神奈川県足柄上郡山北町山北。2016(平成28)年4月22日

JR御殿場線の山北(やまきた)駅は東海道線の駅として1889(明治22)年に開業した。1934(昭和9)年12月に丹那トンネルが開通するまで44年間、日本の大動脈たる東海道線の全列車がこの田舎駅に停車した。この駅で山超えのための機関車を増結し、石炭と水を積み込んだのである。昭和初期には「山北機関区」で働く職員は650人にもなったという。旅客列車が着くたびに鮎寿司弁当や山北産のみかんは飛ぶように売れたのではないかと思う。
今、その賑わいをかろうじて伝えるのは、駅構内の広さと駅前広場に向かって建つ2棟の洋風看板建築くらいだ。
駅舎は関東大震災で大破した後、1924(大正13)年に建て直されたもの。
御殿場線歴史的痕跡探訪記 ~國府津-山北間編 明治頌歌』に『山北町史』に拠るとして、関東大震災の被害が引用されている。それによると、液状化現象によると思われるが駅構内が水浸しになり、構内にあった貨車29両が転覆し、荷役停車中の貨物列車が脱線したという。



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