カスタマーレビュー

17
5つ星のうち4.6
目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
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 知らないことをいろいろ教えられた。例えば、ソーシャル・ビュー。目の見えない人を
含めた5-6人のグループで絵画鑑賞をするという。こんなことができるとは考えても
みなかった。目の見える人たちが客観的に見えているもの(情報)と主観的な自分の思い
(意味)を語る。目の見えない人は、聞いたそれぞれの人の言葉を頭のなかで組み合わせて
作品を組立て、鑑賞すると言う。しかも慣れてくると、ナビゲーター(司会)を目の
見えない人がやるらしい。他人の目で見ること、他人の見方を自分で実感することは
面白くてこころ豊かになるという。この例は、私たちが目の見えない人に抱く、何とか
サポートしてあげなければという意識とは逆に、目の見えない人がリーダーになって
目の見える人たちをひっぱっていくという分野があるのだということを示している。

 最初この本を読みはじめて、「目の見えない人」の意味するところ(定義)で私は多少
混乱した。「目に見えない人」には全盲者や弱視者、先天的全盲者と後天的全盲者
(=最初は見えていたが、あとで病気または事故で全盲になったひと)などのさまざまの
区別があると思うが、それらのあいだに著者の議論は普遍的に成立するのかよく
わからなかった。生まれた時から視覚を一度ももったことがない人と、途中まで視覚が
あった人のあいだには、ものごとの認識においてかなり違ってくるのではないか。
結局著者が言っている「目の見えない人」とは後天的な全盲者のことであると解釈して
読むと論理がすっきりして納得しやすい話になると思う。実際この本に具体的に出てくる
全盲者の方の例もすべてそうである。またこのように定義を狭めてもこの本の優れた価値は
変わらない。

 この本を読んでいて、荘子(2300年前の中国の思想家)の渾沌(コントン)王の寓話を
思い出した。

  南海の帝はシュクといい、北海の帝がコツ、そして中央の帝はコントンという名前だ。
 シュクとコツはときどきコントンの土地で会ったが、コントンはとても手厚く彼らを
 もてなした。そこでシュクとコツはひごろのコントンの恩に報いようと相談して、
 「われわれ人間には誰でも眼、耳、鼻、口という七つの穴があり、それで見たり聞いたり
 食べたり息したりして充実した暮らしをしているのに、このコントンにはそれがない。
 可哀想だから試しに穴をあけてあげよう」ということになった。
 そこで一日ひとつずつ穴をあけていったが、七日たって全ての穴をあけおわると、
 コントンは死んでしまった。

 当書の言うように、視覚を得たとたん、目に飛び込んでくるさまざまな情報がコントンから
意識を奪ってしまった。すべての感覚を持つことはなにかを失う事である。逆に目が
見えなくなることでなにか新しいこと、本質を見極めるちからが開けてくるという著者の
主張と荘子の寓話は合致していると感じた。
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29人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
2015年5月1日
すごく面白く読みました。
「障害を個性として受容し、共生しましょう」と言うのは簡単ですが、どうしていいか距離感も難しいし、ノウハウもわかりません、そもそも「ノウハウ」なんて言うだけで失礼なんじゃないかという偽善も頭をよぎる。
本書はそんなジレンマを、実にフラットに客観的に、かつ好奇心いっぱいに、でもすごく温かな視線でほぐしていきます。
4人のロービジョン者との対話や行動を通して視覚障害者の身体観を観察し、著者なりの解釈を論じた書です。
著者(うら若き女性ですが)は、一人のロービジョン者から言われた「見える世界ってのも面白そうだね」という言葉が、当初感じていた(我々にもある、冒頭に書いたような)もやもやを取り払ったと言います。それを我々も読むうちに追体験できます。
・「情報」を「意味化」する力
・点字は触覚ではなく視覚である
・感覚器とそれが持つ(とされる)感覚は一対一対応ではない
・視覚障害者の美術鑑賞、一緒に観るということ
目からウロコが盛りだくさんです、とくに視覚に携わる医療従事者は必読です!
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12人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
2015年5月22日
まず書名が目に留まったことが、購入のきっかけに。

また、私的なことdえすが、自分も目の病気に罹っており、興味深く読みました。

目の見えない人が、どのように世界を捉えているのかについて、いろいろな事例で紹介し説明している本書。

視覚障碍者の方にとっての「点字」との関わり方。
「目の見える人にとっての富士山、目の見えない人にとっての富士山」、「見えない人の色彩感覚」「見えなくなってからかえって転ばなくなった」…などなど、視覚障碍者の方のインタビューを基にさまざまに解説。

ブラインドサッカーについては、少し知っていましたが、「視覚に障碍がある人との観賞ツアー」には驚きました。
「絵画を『観賞』する」のです。
(詳しいことは本書を読んでほしいです)

まさに、書名通り「目の見えない人は世界をどう見ているのか」について書かれており、どの部分も目から鱗のような読書体験。
2015年、今年読んだ新書の中で(まだ半年ありますが)、一番の新書だと思う。

この本を読む前と読んだ後では、違った世界が広がる。
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3人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
 本書は、空間(第1章)、感覚(第2章)、運動(第3章)、言葉(第4章)、ユーモア(第5章)というふうに多くの面を取り上げて、目が見えない人は単なるマイナスを抱えているのではなく、目が見える人とは異なる感じ方、異なる考え方で生きていることを記述しています。もちろんハンディキャップではあるものの、それだけにとどまらず、両者(見える人と見えない人)は、互いに気づきを得て、高め合っていけることを主張しています。

 この本は、観念的な論理を展開した抽象的な本ではなく、著者自身が何人もの目が見えない人に接して、聞き取りを行い、発見し、驚き、感動した事例を基にしていますので、主張が具体的です。 「目の見えない人はこんなふうに感じ、ものごとをとらえているのか」と、とても興味深く読めます。(もちろん限られた聞き取り、経験の範囲内なので、著者自身が書いているように、すべての方にあてはまるかはわかりませんが・・・・・)
 一方、本書は、目が見える人にとっても、日頃当たり前に感じていることが実はそうでないことに気づかされる本であり、「感覚の不思議さ」を再認識できる本でもあります。

 目が見える人(=助ける側)、目が見えない人(=助けられる側)という、ともすれば多くの人が持ってしまうステレオタイプな考え方に再考を促す、刺激的で貴重な本です。必読の本と言えると思います。
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2人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
2015年8月5日
私は資格障碍者です。その立場からのコメントとして、書きたいと思いますが、実は著者の書いた内容はけっして新しい考え方だとは思わないと言うことです。
逆のいい方をすれば資格障碍者の多くがこのようなことを言いたいのではないかと思います。
よく「目が悪いのに○○ができてすごいねえ」等と言われます。
もちろんその方の素直な気持ちでけして悪意はないし、むしろ好意的な言葉なのだと思います。
しかしながら言われた側としては、「何を普通のことなのに」ということが多いです(とはいえ、それを自慢する人もいますが…)
目が悪いから、見えないから「見えないなりの生活をする」だけで、それしかしかたないというのが正直なところです。というと投げやりに聞こえるかも知れませんが、現実を受け止めた上で、その状況において、よりよい生活を送る工夫をしているといえると思います。
ただ資格障碍者の側にも問題があり、自分たちは普通だ」みたいなことを言いますが、見えるはずの目が見えないということは、良いか悪いかは別として、「普通ではない」ということを自覚しないと行けないでしょう。それを前提として、議論を進めないと議論がかみ合わないのが当然だと思います。この著者的な表現するなら「社会は見える人用にできている」わけですから。
長くなったので、最後にまとめますが、「「社会は見える人用」として、普通ではない資格障碍者が生活していくためにはいろいろな工夫が必要ですし、福祉機器や最近進歩のめざましいIT機器の活用は重要です。音声化ソフトのインストールされたパソコンは私たちの生活を飛躍的に変えましたし、iPhoneやandroidスマートフォンの活用によりとても便利になりました。しかしながらそれだけでは残念ながら不十分です。そこを解決するのが下記の部分で、そのまま引用させていただきます。

「自立とは依存先を増やすことである」と。自立というと、依存を少なくしていきゼロにすることだと思いがちです。しかし、熊谷さんはそうではないといいます。周りの人から切り離されることではなく、さまざまな依存可能性をうまく使いこなすことこそが、障害者の自立である、と。

著者の今後の研究の成果に期待するとともに、標準で、購入者にテキストデータを提供してくださる光文社様には心よりお礼申し上げます。
長文失礼しました。
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目の見えない人生というのはどういう感じなんだろう、と一瞬でも思ったことのある人はそれなりにいるのではないか。とても大変だということだけは容易に想像できる。試しに、目を閉じて歩いてみたり何かをやってみようとするが、5分も続かない。しかし、目の見えない人はずっとそうした中で暮らしているし、世界を感じながら社会に適応して生きている。

本書では、実際に目の見えない人たちが日々体験している感覚的な理解に迫って説明しようとした本である。目が見えないゆえに研ぎ澄まされてくるもの。視点に縛られないということ。文化的フィルターからの自由。点字を読むということ何かを触ることの感覚の違い。見えない自由さ。目がみえなくなってかえって転びにくくなったというような話は印象に残る。目が見えない人のためのスポーツや、「ソーシャルビュー」と呼ぶ芸術鑑賞の試みも取り上げられている。

本書を読むことの意味はもうひとつある。それは、目の見えない人に対して健常者に対するのとは違う接し方をしたり、つい過保護的な言動に走りがちな気持ちを少し補正してくれることだ。つまり、どう接していいかわからないというありがちな戸惑いに対して、ある種の指針をくれる。また、自立とは依存関係をうまく利用することだ、というような指摘は、障害者だけでなく一般の人々にも通じる部分があるように思う。
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2015年6月12日
この「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は視覚障害の専門家ではなく美学・現代アートを専門とする大学の准教授の方が視覚障害者へのインタビューなどを交えて書かれている本です。
まずタイトルに惹かれて即購入したのですが、内容も「視覚障害者に良い意味で好奇の目を向けることが障害者福祉に一石を投じることになると信じている」「視覚障害を持つということはもともと4本の足がある椅子から1本が欠けるのではなく全く新しい3本足の椅子になること」といったことが書かれていて非常に画期的な視点だと感じました。
どうしても障害者というと健常者より劣っている者、助けないといけない者といったイメージがありますが、この本を読むと障害者は3本足の椅子として健常者にはある種「見えない世界」が見えているということを思い知らされました。

僕は普段介護の仕事をしていますが、この本に書かれている視点は高齢者にも当てはまると思います。
高齢者も昔出来たことが出来なくなる訳ですから4本椅子から1本が欠ける訳ですが、全く新しい3本足の椅子としてその人をまるごと受け入れるという姿勢が大切なのかなと思います。
その意味で、介護も含め福祉関係で働く人にオススメしたい本だと思いました。
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2015年7月26日
題名のとおり、本書は目の見えない人が世界をどのように認識しているかについて述べたものです。
 目に頼らずに周囲の状況を三次元的に把握する、
 足から伝わる感覚を駆使して体を動かす、
 言葉を交わしながら他人の目を通して美術を鑑賞する、
 ユーモアを武器として不自由な環境を生き抜く、
など、目が見えない人の体験を通して、目が見える人に、普段は見えていない「世界の別の顔」を見せてくれます。

本書を読んでいると、他人の頭の中にあるイメージというそれこそ目に見えないものがわかりやすく伝わってきます。それはきっと、著者が美学という「言葉にしにくいものを言葉で解明する」ことの専門家だからでしょう。これからも、いろんな「言葉にしにくいもの」について本を書いて欲しいと思います。
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2015年6月23日
新進気鋭の「生物学者になりたかった美学者」が
視覚を失った人達が、どう物事を見ているか、という
「言葉にしにくい事象」を、非常に明瞭に言語化して、
多くのことに気づきと納得を与えてくれる本です。

例えば、「坂を下っている」という事実・足の感覚も、
目の見える人には当たり前、
でも目の見えない人にとっては、

「ここは地名に”山”が入っていますが、本当に山なんですね」

という発言(アウトプット)になります。

目が見える人にとっては「単なる坂道」、
目の見えない人にとっては「初めて来た場所に対するイメージ作りの材料」
になるという違いが出てきます。

そう考えると、どちらが感性豊かな人生を送れそうか?
おのずと答えは見えてくると思います。

感覚の王様「視覚」ですが、
もしかすると、私たちのような目が見える人は、
ちゃんと物事を見ていないのかもしれないし、
余計な情報ばっかりインプットしているのかもしれないし、
その情報から意味合いを出せていないのかもしれない。

そんなことを気づかせてくれる本でした。

この他にも、
目の見えない人にとっては必ずしも触覚が大事ではない、という常識を覆すことや、
ブラインドサッカー等の運動知覚について、
目が見えない人が美術鑑賞をするソーシャルビュー、
など興味が惹かれる事例を取り上げています。

また出口王仁三郎の句を引用しての感覚に対する理解、
合気道の気の流れ、等々オカルト的な要素も楽しめます。

柔らかく、読みやすい文章、
まさに「ジュヌセクワ(いわく言い難いもの)」に言語で立ち向かう美学者だ、
感心させられ、かつ自分の感覚への考え方を変えてくれる超良書です。
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2015年6月7日
美術の面白い所は、その作品と向き合うアングルによって、色んな見え方をするという所だと個人的には思っています。(美術に限らず、映画も音楽も読書についても同じ事が言えますが)
目の見えない人が向き合っている日常について、先入観と現実を交えて解説されています。
とても面白い切り口で、読み終えた後、きっとそれぞれに新しい視点が生まれる1冊だと思います。
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