最も参考になった高評価のレビュー
16人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
4 目の見えない人がナビゲートする美術鑑賞会
投稿者スカラベ2015年5月16日
知らないことをいろいろ教えられた。例えば、ソーシャル・ビュー。目の見えない人を
含めた5-6人のグループで絵画鑑賞をするという。こんなことができるとは考えても
みなかった。目の見える人たちが客観的に見えているもの(情報)と主観的な自分の思い
(意味)を語る。目の見えない人は、聞いたそれぞれの人の言葉を頭のなかで組み合わせて
作品を組立て、鑑賞すると言う。しかも慣れてくると、ナビゲーター(司会)を目の
見えない人がやるらしい。他人の目で見ること、他人の見方を自分で実感することは
面白くてこころ豊かになるという。この例は、私たちが目の見えない人に抱く、何とか
サポートしてあげなければという意識とは逆に、目の見えない人がリーダーになって
目の見える人たちをひっぱっていくという分野があるのだということを示している。
最初この本を読みはじめて、「目の見えない人」の意味するところ(定義)で私は多少
混乱した。「目に見えない人」には全盲者や弱視者、先天的全盲者と後天的全盲者
(=最初は見えていたが、あとで病気または事故で全盲になったひと)などのさまざまの
区別があると思うが、それらのあいだに著者の議論は普遍的に成立するのかよく
わからなかった。生まれた時から視覚を一度ももったことがない人と、途中まで視覚が
あった人のあいだには、ものごとの認識においてかなり違ってくるのではないか。
結局著者が言っている「目の見えない人」とは後天的な全盲者のことであると解釈して
読むと論理がすっきりして納得しやすい話になると思う。実際この本に具体的に出てくる
全盲者の方の例もすべてそうである。またこのように定義を狭めてもこの本の優れた価値は
変わらない。
この本を読んでいて、荘子(2300年前の中国の思想家)の渾沌(コントン)王の寓話を
思い出した。
南海の帝はシュクといい、北海の帝がコツ、そして中央の帝はコントンという名前だ。
シュクとコツはときどきコントンの土地で会ったが、コントンはとても手厚く彼らを
もてなした。そこでシュクとコツはひごろのコントンの恩に報いようと相談して、
「われわれ人間には誰でも眼、耳、鼻、口という七つの穴があり、それで見たり聞いたり
食べたり息したりして充実した暮らしをしているのに、このコントンにはそれがない。
可哀想だから試しに穴をあけてあげよう」ということになった。
そこで一日ひとつずつ穴をあけていったが、七日たって全ての穴をあけおわると、
コントンは死んでしまった。
当書の言うように、視覚を得たとたん、目に飛び込んでくるさまざまな情報がコントンから
意識を奪ってしまった。すべての感覚を持つことはなにかを失う事である。逆に目が
見えなくなることでなにか新しいこと、本質を見極めるちからが開けてくるという著者の
主張と荘子の寓話は合致していると感じた。