はてなキーワード: まれとは
平均IQというか知性の低い国では自力でノウハウを吸収して先進国へと発展することはできないって可能性わんちゃんある?
ちなみにおれの知性は黒人の平均をはるかに下回る自身があるから別にバカにするつもりはない
ただ、事実としてそうなら
平均知性の高い集団を人工的に作ったとしたら、さらに高次の社会が生まれて世界がその恩恵に預かれる可能性とかがあんのかなって思っただけ
どうなん?
タイトルのとおり。仕事も何もかも頑張れなくなって、今までやれていたことまでできなくなってしまった。
診断名はADHD。
以下に概要と経緯を書く。乱文だが聞いてくれ。
30代前半、会社員。
いままでの三十余年、苦手なことや違和感を感じることがあっても、なんとか努力と工夫と時間をかけることでカバーしてきた。
会社には新卒で入社して以来10年以上在籍しているが、人事評価を見ても、悪いとき、良いときの波は激しいものの、成果を出して高い評価を得たこともありそこそこにやれていたと思う。
生育歴も軽く書く。
田舎の市出身、核家族、小中高大は国公立校卒。大学から首都圏で一人暮らし。
友人は多くもないが全くいなかったこともない。
その頃自分は、何か悲しいことがあると突然黙り込んで周りをシャットアウトしてしまうことがあった。他の友達はそんなことしない、自分は何かおかしいな、と感じたのがきっかけだったと思う。
そんなわけだから、小学校の中学年にもなると「自分は知能か何かの問題があるに違いない」と確信していた。
ただ、両親や友達に気づかれたら軽蔑されて嫌われてしまう、隠さなきゃいけないと強く思っていた。担任教師は何か気づいていたかもしれないが明確に指摘されたことはなかったと思う。
運や周りの人に恵まれたおかげで、幸いにも今まで発達のせいで大きなトラブルを起こすことなくやれていた。
ただ、うっかりミスややらかしは度々あり、周囲には迷惑をかけていた。
そんなわけで大人になる頃にはネットで知識もつけて自分はADHDだと思っていたが、依然として周囲の同僚や友人にはバレたくないという気持ちが大きかった。
人知れず治そうと、過去3度精神病院に行き診断を求めたこともある。いずれも診断はつかなかったが。
今回、4度目の診断を求めて精神病院に行ったのは、仕事での行き詰まりを感じたためだ。
少し前から他部署から異動してきた社員とタッグを組んで仕事をすることになった。自分が前任者のため、引き継ぎや情報共有をしながら業務を進めるのだが、どうにもうまくいかない。
今まで、スケジュール管理やタスク管理、作業漏れのチェックなどで苦手を感じることは多々あったが、自分ひとりなら残業などで帳尻を合わせてなんとか収めてきた。
それが、2人分となると本当にダメだった。ミスは頻発、スケジュールは遅れ、タスクは滞る…
だんだん精神的に参ってきて、夜は眠れず、朝は起きられなくなり、頻繁に頭痛やめまいやふらつきを感じるようになった。
上司や友人知人に相談もしまくったが良い解決策も見つからない。状況が改善するならドーピングでもなんでもしたい、そうだ自分のADHD傾向が解決すれば良くなるはず…
ということで、発達障害を扱っている精神病院に向かったのだった。
病院ではチェックシートのようなものに2枚ほど記入し、30分の問診を受けた。問診では色々なことを訴えた。朝起きられないこと、スケジュール管理が苦手で仕事に問題が出ていること、イライラしたときなどに手指や体をソワソワ動かしてしまうこと、自宅の部屋が散らかり放題なこと…
したらあっさり診断が下された。
正直、拍子抜けした。過去3度の病院では診断が下りなかったし、もっと生育歴を調べたり知能検査などをするのかと思っていたから。
そんなわけで薬を処方されて、それ以来ADHD患者として通院している。
前置きが長くなった。
自分が病院に行ったのは、そもそも仕事において行き詰まりを感じており、仕事の状況が改善するならと思ってのことだった。
やる気をすっかり失ってしまったのだ。
今までは、苦手なことがあってもなんとかカバーしよう、カバーしなければという気持ちで頑張ってきた。
なんでも努力と工夫でやってきたし、頑張れば普通の人のようにできないことはないはずだと思ってやってきた。
何か困難があるたびに
また、何をしていても
「実は自分は満足な仕事ができておらず、この10年ずっと戦力外だったんじゃないか」
のようなことを考えこんでしまい、作業の手が止まってしまうようになった。
仕事は滞り続けている。
毎日出社するのが辛い。
このまま迷惑をかけ続けるのであれば会社をやめなければならないと思うが、やめたところで行き先がない。
死ぬしかない、死んだら家族や親族に迷惑がかかるだろうが死ぬしかない、
その前にいま抱えてる仕事は引き継いでおかなければいけない。しかし引き継ぎはうまくいっていない、死ねない、でも死ぬしかない…
xevra
ninosan
topisyu
tumblrerの自分にとっては非常に哀れに思う
でも、そうしないところを見るとマウントしたいんだろう
正しくは、自分の優れた知性を世間に認めてもらいたい、知性露出狂。
そりゃ、知性は高いかもしれないけどさ
これを経てないやつらはてなに多すぎる。
この言葉がもてはやされるのは、
論理的に、知性によって否定するだけの人間が何も生み出していないことと、
そういう人が腐るほどいて、どんどん増えてきて
もうみんな実は飽きているのだ、そういう人間に。
増税が不要で財政拡大が大事で国の借金は家計とは違うだと主張し続けろよ。
すぐ反論が来る、じゃあ何倍までならスタグフレーションにならないか?
答えられるか?
知性のあるあいつが「増税しなくて財政拡大が善」といっている。だがほんとうにそうか?
特に民主党時代は財政再建派が幅を利かしていたんだぞ!彼らももちろん一定の理がある
自分の意見を持っていれば、自分の考えを持って否定していれば、
その自分の考えが練られていれば、好きで語ろうが嫌いで語ろうがいい。
xevra
ninosan
topisyu
これを反面教師として、
嫁に思い出話をしたら、そう言われた。
高校時代の部活で顧問による体罰事件があり、顧問の先生が罰されても、なお先生に泣きながら復帰してくださいと懇願する生徒たちの姿を洗脳と言っていた。僕も当時は一種の洗脳だと思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
さて、いきなり嫁との会話を書いてしまったが順を追って書こうと思う。
そもそもこの話を書こうと思ったは、今マスコミを賑わしている日大アメフト部のコーチによる暴力が原因だ。顧問による暴力と聞くと、僕も高校時代に顧問による暴力に多少縁があったからだ。また、このニュース記事の見出しの「盲目」という単語が目についた。僕の顧問の先生も、人を盲目的にさせる天才だったなと。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3380718.html
あれから10年、そろそろ言葉にして残しておきたいと考えたので筆を取ることにした。僕は高校時代に吹奏楽部に所属していた。その吹奏楽部は全国常連の高校で非常に規律が厳しかった。具体的に言うとSMS禁止、買い食い禁止、部内恋愛禁止、登校中の音楽禁止である。僕はほとんど守れてなかったが。そして顧問の先生が猛烈に厳しい人だった。まぁ昭和の熱血先生という感じだ。「お前らに一生の思い出を残してやるから、ついてこい。この部活でやれば人間力が鍛えられる」が口癖だ。僕と全然合わなかった。
部活内のイベントとして月に一回、全校舎大掃除と言うイベントがあった。普段使わせてもらっている校舎に対して感謝の念を込めて学校全体を部員全員で清掃すると言うものだ。僕が3年生の時に、部活内の全校舎大掃除と言うイベントの時に掃除がいい加減だったので、いきなり顧問が女子部長を何回も顔面を平手打ちし始めた。最初は混乱して理解できなかった。人の突然の暴力ほど混乱するものはないと感じている。さすがにやりすぎだと思ったのか、矢継ぎ早に他の部員が止めに入ったが次々顔面を平手打ちされていた。僕は臆病者なので、とても止めに入ることができなかった。もう音楽室の端にすぐ逃げてしまった。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。無抵抗の人に暴力を振るうことが無意識に怖かった。言葉では説明できないが本能的に逃げしまった。顧問が怒って音楽室から出た後、部員達から出たセリフは「自分たちがいけないから平手打ちされたんだ」と言うセリフだ。この時点でちょっと違和感を感じていた。なんで暴力を受けてるのに慕うのか理解できなかった。愛のある暴力をなんて存在しないと思っていたからだ。後日、この1件のことをOBが聞いていて、「男子だったら積極的に女子をかばうように動けよ」と責められた。このお叱りは今でも意味が分からない。生まれつき暴力に耐性のない人だっているのだ。
数日後、先生と部員達と話し合いの場が設けられた。そこでは、主に2つの意見が出た。「頑張って全国大会に出たいのでご指導お願いします。」「暴力を振るう先生なんてついていけません。退部します。」の2つだ。25:5ぐらいの割れ具合だったが。ここまで読んでいる読者はお判りだと思うが、僕はもちろん「退部します」の側だ。退部派の人たちは、合計2~3時間かけて退部を止めるために説得される。推測だが、吹奏楽コンクールの前に部員の退部を防ぎたかったのだろう。必死に止められた。説得のされ方は、顧問が「君は部活に必要な人材だ、Aくんそう思うよな?Bくんはどう思う?」と周りの同調意識を利用した方法だ。一応暴力のことに関しては謝罪はあったが、僕を含めた5人は同調意識に負けて続けざる得なかった。このことは今でも後悔している。当時にやりたいことがあり、その時退部していればできたのではないかと思った。内心、クソみたいな説得方法だと思ったが、退部を撤回するまで部屋から出してくれなさそうな雰囲気だった。僕は顧問に屈してしまったのだった。
それから一週間後、大変なことが怒った。読売新聞の地方面に、顧問の暴力の件が詳細に載っていた。誰かの親が新聞社に告発したのだ。内容も明らかに、その場にいた人しか分からないことが書いてあった。僕は内心、顧問の先生に正当な罰則が下されると思った。その次の日に、部活内の保護者を集めた説明会が行われた。顧問は確か2週間ぐらいの停職処分が校長先生から説明された。顧問も謝罪していた。そこで生徒の何人かがいきなり泣き始めた。「顧問の先生は、僕たちを思って平手打ちしたのです。顧問は悪くない。僕たちのことを指導してください。」のようなことを言い始めた。やがてほとんどの部員は賛同し泣き崩れた。泣いていなかったのは、退部派の人たちだけだ。当時は言わなかったが、内心「この人たち大丈夫かな?」と思っていたと思う。少なくとも僕ともう一人は、そう思っていた。ここで冒頭の嫁との会話に戻る。このことを顧問による洗脳だと言ったのだ。全国大会に行かせてやるから俺を信じろと言って部員たちを盲目にして、顧問の意見は絶対に聞かなければならない。
そのあと停職になった顧問と、その家族は非常に心を病んでしまったようだ。何せ地方欄とはいえ新聞で報道されたのだ。そこで顧問と家族に向けて手紙を書くことになった。いや、確か部長により半強制的に書かされることになったのだ。ほとんどの人は「先生は悪くありません。私たちはいつまでも待っています。私たちを全国へ導いてください。」と言った旨を真面目に書いていたようだ。僕の中では顧問は信頼できない人となってしまったので、「元気出してください。待ってます。」などと適当に書いたのは覚えている。多分全部員の中で一番短い自信がある。今考えれば顧問に手紙なんておかしいよなと思う。
結局顧問は、2週間停職のあとは、普通に顧問にとして復帰した。それからもたまに怒ることがあり、その時に「俺をまた新聞に載せたいのか」と怒鳴られたこともあった。全然反省してねーなと思った。時たま「俺の葬式には、歴代の教え子たちがとんでもない数くるから楽しみにしておけ」とも言われた。ここも嫁に話したら、ドン引きしていた。そんなゴタゴタがあったその年のコンクールは、都大会銀賞で残念ながら全国に進めなかった。ほとんどの人が全国に行けなかったと号泣していたが、僕は涙が一滴も出なかった。むしろ終わってくれて嬉しかった。(その後次の年は、全国大会金賞を受賞していた。)
僕は社会に出て何年か経過したが、この部活で学んだ人間力とやらは全く役に立たなかった。会社では、高校の部活より厳しく感じる規律も感じたことがない。こんな部活やめておけばよかったと後悔はある。この後悔があるからこそ、会社で働く原動力になっているところはあるので、そういう意味ではよかったのかもしれない。
顧問による暴力というのは、部員の心身を傷つけるものだと思います。ご自身の思い通りにならない行動をされても、そもそも一人の人間である他人に対して、暴力による組織統治を行うのはどうかと思います。勝負の主役は部員であり、顧問ではありません。勝たせてあげたいのば分かりますが、暴力を使わずに言葉で指導して欲しいです。
長文雑文を申し訳ありません。ここまで読んでいただきありがとうございます。ただの高校時代の思い出なので、適当に流してください。
子供がいて、たまに飲み会にもいっていると、こういうところは現金払いしかないよねと思う。
玉串料やお布施を電子マネーで払えるところって1カ所しか知らんぞ。
電子マネーあるいはクレジットカードに対応したお祭りの出店は見たことがないね。
園の行事でお金を集めますといわれたら、基本集金袋にお金を入れて渡すじゃないか?
募金箱にお金を入れる代わりに、電子マネーやクレジットカードで募金したいですってできないだろ。
誰かと割り勘にする時、全員がそれぞれクレジットカードを出して払うなんてことを日本で見たことがない。
...とまあ、現金が当たり前という世界はある程度あるから、そこに出入りしていたらカードと電子マネーだけなんていう生活はできないんだなぁと思う。
う、うまれるぅ~~~~~~~~~~~~~~
そういった優位性はなぜ生まれたんだろう
レクタスナ・テンハ「ひろいうみのなかで」を読め。
25年前に出た絵本だけど、今のブクマカ達のスター集めを猛烈に賞賛している。以下、アマゾンによるあらすじ。
小さな小さなイルカの群れが広い海の中でひっそりと暮らしていた。大きい魚に飲み込まれないように、食べ物に困らないように。そんな彼らの唯一の楽しみは毎日のレース。参加者はレース後、速く華麗に泳げた者にバブルリングを贈る。所詮泡なのですぐに消えてしまうのだが、贈られる側も贈る側も心が満たされ、明日への活力となるのだ。今までレースを見て楽しむだけだったフィンロンは、ある日レースへの参加を決意する……。
20万のバッグ、20万の時計、20万の万年筆、20万のベッド、を踏まれたり足蹴にされたら普通は怒るよね?
四人家族全員のiPhoneを地面に並べて踏まれたり蹴っ飛ばされたら、やっぱり怒るよね?
でも20万の革靴なんて満員電車乗ったり、駅のホーム歩いてるだけでも踏まれたするわけじゃない?
そういうときはどうするの?まあまた靴磨きなり、鏡面磨きするんだろうけど、気持ちとしてはどうなの?どう折り合いをつけるの?
いやまあ20万超える革靴なんて腐るほどあるだろうから、毎日タクシーで移動してますとか、私貴族なんでカーペットの上しか歩かないのとか、
そういう人いるかもしれないけど、そういう人は20万の革靴は履かないわけじゃない。
車が普及する以前は最速の移動手段だった馬が居ない世界。果たしてどういう歴史をたどったのだろうか?
まず馬が存在しない戦場はどうだろう。歩兵による集団戦術がずっと有効だったのだろうか?あの世界にモンゴル帝国は存在したのか?あったとしてもこちらの世界とはだいぶ違う歴史をたどっていそう。
偵察や連絡はウマ娘でも可能だろうが、女性しか居ないウマ娘に奇襲は可能だろうか。
人間の移動手段は何が使われていたんだろう。荷物の運搬なんてとてもムーーーリーーーだろうし。馬は居ないけどロバは居たりして?
農業にも影響があっただろう。機械化前の農業を支えた馬という労働力が無かったら?牛で全て代用できたのだろうか。
そもそも「馬」の語源自体が騎馬民族から世界中に広がったらしいが、その騎馬民族の存在すら危ういあの世界でどこから「ウマ娘」という言葉はどこから生まれたんだろうか。
馬が存在しなかった世界について考えてみたが、すでに同じ考えをしている人が居た。
“もしも馬がいなかったら”という実験はできませんが、それを裏付ける根拠のようなものがアメリカ大陸の歴史からわかるそうです。アメリカ大陸にも馬はいたのですが、すべて食べてしまって1万年ほど前にいなくなってしまいました。ヨーロッパがアメリカ大陸に進出したのは今から500年ほど前。それまでのアメリカ大陸の文化は、馬に乗っていたヨーロッパに比べると、とても遅れていたそうです。「僕は馬がいなかったことが大きな影響じゃないかなと思います」と語った本村さん。人類の歴史にそんなに大きな馬の影響があったとは、おもしろいですね!
馬が居ない世界の西部開拓はどうだったんしょうね~気になりますね~。
その他気になる疑問
政治的,それもかなり下品な言葉だけど,「なんでも安倍総理の責任にする人」を一部のネット民が「アベノセイダース」と呼んだり,逆に「野党の答弁を盲目的に批難する人」を「ヤトウガー」と呼んだりするのを見かけるよね。彼らはどちらも対象を卑下・揶揄する目的で前述の言葉を使っている。今はこの言葉の真偽可否ではなく,〝片仮名にすると馬鹿にした印象になる〟という現象そのものを知りたい。国語や文法の教科書・Wikipediaを見ても,片仮名の役割に“相手を侮蔑する”なんていうのは載っていない。とするとあくまで予測だが極めて新しい言い方なのではないか。
そもそもなぜ片仮名の文章が人を小馬鹿にした印象を与えるのだろう(っていうか与えてるよね。僕はそう感じるんだけども,僕の感性がおかしいだけだったり……)。当て推量だし,なにより言語学には暗いので大いに錯誤しているかもしれないが,僕の持論はこうだ: (1) 片仮名は,平仮名と列んで,漢字が読めない幼児や知的障碍者や非日本語圏の人間に向けて漢字かな混じり文を平易にする目的で用いられることがある。そこから平仮名や片仮名に対し〝子供じみている〟とか(これも非常に汚ない言葉だが)〝知恵遅れ〟といった印象が付随するようになった。例えば「えらいでちゅね〜」と5ちゃんねるでレスされたら間違いなく揶揄されていると感じるだろう。(2) もともと女性が使い始めたことを知ってか知らでか,平仮名には世間一般に〝柔らかい〟〝自然的〟という好感が持たれている。その一方片仮名は〝冷たい〟〝人工的〟という(どちらかというと)否定的な文脈で用いられることが多いと感じる。例えば擬声語でも「頭をぽかぽか叩く」のと「頭をポカポカ叩く」のでは全射が素手で行為に及んでいるのに対して後者が何か道具(といっても軽そうな品ではあるが)を使っている印象を受ける。(1), (2) の両論を併せると,片仮名で記述された表現からは〝思考なく機械的に繰り返される幼稚で,取るに足りない文〟という印象を受けるのではないか。
上述の理屈が正しいとして,新たに疑問が生まれるのだが,それは「なぜ最近までその表現が無かったのか」と言うことだ。(1)も(2)もずっと昔から片仮名に備わってきた性質であるのに,それらが複合しただけの表現が生成されなかったのはかなり不思議だ。もっとも辞書には掲載されていないだけで昔からあるのかもしれないが。