クルマの未来 SUBARUの米国戦略(上)生産能力40万台態勢に 「工場飽和状態」の先は?

 2013年5月8日、米インディアナ州の富士重工業(現SUBARU、スバル)米国工場。16年の小型車「インプレッサ」の生産開始を発表する式典に州知事、マイク・ペンス(当時)の姿があった。富士重が「生産に向け約4億ドル(約440億円)を投資し、900人の新規雇用を創出する」と発表すると、ペンスは笑顔で応じた。

 「州として失業者の職業訓練を支援するなど雇用対策に積極的に取り組んでいた」。工場の副社長、森川幸治は、知事だったペンスをこう振り返る。

 スバルの米国工場は日系メーカーの現地生産拡大を象徴している。1987年にいすゞ自動車と合弁でインディアナ州に進出し、89年には旗艦セダン「レガシィ」の量産を開始。2002年にエンジンの組立工場も稼働し、03年にはスバルの単独出資になった。

 いすゞの撤退後は2つの生産ラインのうち片方で、トヨタ自動車のセダン「カムリ」の受託生産。昨年5月の受託終了とともにラインを小型車「インプレッサ」など向けに切り替え、スバル車の能力は一気に年39万4千台と倍増させた。

 その結果、米国の在庫は15年12月に販売台数の0・6カ月分と需要増で不足気味だったが、昨年6月に「標準」とする1カ月分を回復した。供給上の懸念から販売を抑えてきた販売会社からは、「供給の制約は解消された」と安堵の声が上がる。

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