【レトロパチンコ文化考察】第28回:時をかけるパチンコホール1972-2022 in 池袋<東&南口編>

(写真)池袋東口には西武が。右側のパルコとともに50年以上前から営業している

 これまで何度か特集している「時をかけるパチンコホール」シリーズ、今回と次回は池袋にスポットを当ててみたいと思います。池袋は昔から、線路を隔てて東西に分かれており、東に「西武」そして西に「東武」というデパートがあることでもよく話題になるエリアです。

 そんな池袋地区には、今から50年前22軒のパチンコホールが存在していました。今回は、まず西武デパートのある東口および南口をタイムトリップしてみたいと思います(※調査日:2022年10月8日)。

(写真)東口すぐの「菊邑ビル」には近年「イースタンパール」などもあった

 東口パルコから向かって右側の明治通沿いにある「菊邑(きくむら)」というビル。この付近では50年前「金(きん)パール」「金パール2」という2軒のホールが、中央に和菓子屋を挟んで営業していました。

(写真)1968年の「金パール&2」。現在のアメリカンイーグルとビックカメラ付近と思われる

 こちらの写真は1968年のものですが、当時はまだビルではなかったようですね。中央の和風喫茶店にも心が惹かれます。この「金パール」は1986年「イースタンパール」と屋号を変えましたが、現在はアパレルショップになっています。

 そして場所は少し離れ、西武を伝って明治通を南に行ったところにある「プレゴEX」というホール。

(写真)2022年現在、池袋南口で営業している「プレゴEX」

 こちらには50年前、総合レジャービル「ジョイパックビル」の1階部分で営業していた「プリンス」というホールがありました。

(写真)1971年、ユニークなサービスなどが話題を集めていた「プリンス」

 こちらは1971年の「プリンス」正面。このホールはユニークなイベントなどを行うことで有名で、写真の時は「川柳大会」が開かれていたようです。他にも独自のテーマソングのレコードを作成したり、話題に事欠かなかった存在でした(同ホールについては、後日改めて特集したいと思っています)。

(写真)グリーン大通りに面したビルには昔パチンコ店が

 池袋南口方面でもう一軒。グリーン大通りに近い角にあるコンビニが入ったビルは、よく見ると2棟が並んだ構造になっており、奥の方が50年前「葵」というパチンコ店でした。

(写真)1968年、オープンしたばかりの「葵」

 こちらは1968年の「葵」オープンの様子。まだビルではなく、現在セブンイレブンの場所がホールとなっていました。前にバス停があったり人通りも多かったせいか置き場所のない花輪が正面上部に掲げられているのも、都内のホールといった感じです。

(写真)2022年現在、左のスロット専門店以外元パチンコの面影はない

 ここからは、東池袋メインのサンシャイン通り付近にいきます。サンシャイン通りの1本左に少し入ったところにある、スロット専門店を含むこの並び。50年前は左から「プラス」「三陽」「かめ」というパチンコ店が3軒並ぶ、きらびやかなエリアでした.

(写真)1971年池袋駅側から撮った、3軒ホールが並んだ写真

 写真は1971年、大体同じ位置から撮られた写真です。ただ、惜しいことに中央の「三陽(現在のビックカメラ)」以外は切れてしまっており、わずかに左にあった「プラス(現在のスロットTOHO)」の「ス」、そして右側の「かめ(現在のビックアウトレット)」がかろうじて分かるかな、といった具合。

 50年前にはこの一帯にはキャバレーなども多かったようですが、そちらも現在はほとんど見かけません。

(写真)元「エース」は建物はそのままで現在カラオケに

 次は「三陽」などの道路を隔てた向かいにあった、元「エース」。現在はカラオケになっていますが、建物はおそらく数十年同じものだと思われます。

(写真)1967年の「エース」はパチンコとオリンピアマシンで分かれていた?

 こちらは、1967年の「エース」。扉の表示から推測すると、向かって左がパチンコで右がオリンピアマシン(パチスロの前身)専門店に分かれていたようです。

「アメリカンゲーム」というのは『オリンピアマシン』のことでしょう(『アメリカンパチンコ』という呼称もありました)。夜になるとレトロなネオン管がピカピカ光っていたはずで、遠い昔がしのばれます。

(写真)サンシャイン通り入ってすぐの雑居ビルも、元ホールだった

 少し戻ってサンシャイン通りに入り、すぐ右手にあるサンリオや飲食店の入るビル。ここは50年前「池袋センター」という178台の小型ホールでしたが、残念ながら当時の写真や詳細は分かりませんでした。

(写真)元「大番」はサンドラッグを経て2022年現在更地に

 サンシャイン通りはショップの入れ替わりも激しい方で、調査した日は「大番」という元ホールが更地になっていました。大番があったビルは上から見ると「『」のような曲がった形をしていましたが、50年前はサンシャイン通りに面した方はホールではなく、横道に入った方が店舗になっていました。

(写真)1971年当時の「大番」は、サンシャイン通りの脇道にあった

 こちらが1971年の「大番」。「サンドラッグ」を経て2022年現在更地となっています。ちなみに内部には外国人女性のセクシーな写真が多数掲示され、繁華街にある大人のムード溢れた店舗であったようです。

(写真)サンシャイン通り中程のマツキヨは、元スマートボール専門店

 さて池袋東口編最後は、サンシャイン通り中程にある現在の「マツキヨ」。ここは50年前「山城センター」という136台のスマートボール専門店でした。残念ながら、こちらも当時の写真や詳細は分かりませんでしたが、当時はサンシャイン関係の建物はまだ全く存在せず(サンシャイン60は東京拘置所でした)、この近辺で繁華街が途切れかかっている立地だったようです。

 そう考えると、地元の人が立ち寄るレトロなホールであったことは想像に難くありません。

 以上、ざっとですが「時をかけるパチンコホール」池袋東&南口編をお届けしました。西&北口編は、コチラをご覧下さい。

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「時をかけるパチンコホール1972-2022 inアメ横編<前編>」はコチラ

「時をかけるパチンコホール1972-2022 inアメ横編<後編>」はコチラ