今回の思い出の店は、街道の上通り店。

街道は、以前記事に書いたサンロード新市街にもあったのだが、上通り店の方に多く行っている。

グーグルマップでの上通り入口

街道上通り店は、画像の上通り入口から入り、数メートルから数十メートル進んだ左手にあった。

上通りにあったパチンコ屋で、以前大統領のことを書いた。

大統領は、当時上通りのどのあたりにあったのか・・・自分の記憶が薄れていることと、上通りの変貌が重なってよく分からない状態になっているのだが、街道は、大体どのあたりにあったかは分かる。


5年ほど前に熊本を訪れ、上通りアーケードを歩いた。

街道はなくなっていたが、建物はそのまま残っていて、100円ショップになっていた。

現在は、この100円ショップもなくなっているという情報は得て、その後どうなっているのかは知らない。

街道の建物は少々変則的で、入ってからは上に上がる階段と下に降りる階段とがあり、通常の1階というものがない。

上に上がるとスロットとフルーツパンチで、下に降りると様々な機種があった。


私は主に下の階に行くことが多かったのだが、この店の地下は、当時は珍しい全台無制限営業形態だった。

当時はラッキーナンバー制が主流で、機種によっては1回交換(1回当たると3000個以上の出玉があり連チャン性もあったフルーツパンチや、1回当たると4000個近い出玉のあったパールセブン、その他ジャスティやスーパーコンビ等の一発台がそうであった)、出玉の少ない機種は定量制をとっている店が多かった。

定量制というと、最近のパチンコしか知らない人は分からないかもしれない。

当時の羽根物の営業形態そのものなのだが、3000個とか4000個とかで、出玉の限界を決めている営業方法だ。

限界まで来た時の対応は、店によって多少違ったが、当時の熊本では500円分の出玉を購入すれば継続して打てるという店が多かった。

換金差額を考慮すると、要は店に188円払った者が継続して打てるということだ。(主流だった貸し玉4円換金2.5円の場合)


街道は、そのような面倒なことはなく、地下で打つ台は全て無制限。

しかし、しっかりとそれが釘に反映されていて、打ち手には最も有利な無制限でありながら、客付きはお世辞にもいいとは言えない店だった。

しかし、人ごみの嫌いな自分にはそこが魅力で、釘は渋いと思いながらも、居心地がいいのでちょくちょくこの店にはお世話になった。


繰り返しになるが、決して出玉のよくなかったこの店で、私は個人的な記録を2つ作っている。

ひとつは、当時ほとんどの店にあったフルーツパンチ。



ブログにも何回も登場してます


フルーツパンチは設置が多かったので、色々な店で打っているのだが、この街道上通り店では1回しか打っていない。

しかし、私のフルーツパンチ保留玉連チャン記録はこの店で作っている。

記録は平凡な4連チャンなのだが・・・まぁフルーツパンチは自力が絡まないと5連チャン以上はしない作りになっているので立派な記録だ(笑)。


もうひとつは、デジパチの保留玉連チャン記録。

確変での連チャンはまた話が別になる。保留玉の連チャン記録。

私はこの店の地下で打ったエキサイトジャック2での保留玉連チャンが最高記録。



これも何回かブログで記事にしてます


私の記録は11連チャン。保留玉ではこれ以上の連チャン経験はない。

非常に気持ちよかった。


釘は渋めの店だったが、相性がいい部分もあり、振り返ると熊本市繁華街ではコア21に次いで行った店だったかもしれない。

覚えている主な設置機種は以下。



↑エキサイトグランパス2(ニューギン)

私の好きなドラム台だったのだが、あまり打つことがなかった。

7の横並び当たりで確変



↑フィーバーフェスティバルⅠ(三共)

上乗せタイプの数珠繋ぎ連チャン機。

この機種のことはまた記事にする予定。



↑フィーバーバニーガールズ(三共)

ノーマルデジパチ。これもまた記事にしよう。



↑プロレス7(三洋)

前作「大相撲」を踏襲した、当時としては多彩なデジタルアクション。

当時はまだ有名人とのタイアップという概念が薄く、この機種に登場するプロレスラーは「間違いなくあの人だろう!」と、皆が思いながらも表向きは架空の人物というバッタもんパチンコ。

ノーマルデジパチ



↑フィーバーオールセブンⅡ(三共)

2つの絵柄が同時に揃うとミニデジタルの確変。

現金確変機


振り返ると三共の機種が多く思い浮かんだ。

まだまだたくさんあったはずだが、確実な記憶があるのは上記のみである。

この店の雰囲気はほんとに好きだった。