パック・エックス通信を御覧の皆様、こんにちは!
編集長のまつしまでございます。
本日の『TOPから学ぶ!』は、株式会社ダイエー(本社:石川)の浅野社長(前編)です!
石川県のダイエーさんは、D-ZONE、デライヤの屋号で2店舗を展開されている企業さま。
実は、私は以前から注目していた企業さまで、今回お会いできてとても光栄でした。

なぜ注目していたかというと・・・
会社のHPを拝見すると、しっかりとした企業理念が打ち出されており、
社員の皆さんが思いを語っていたり、あの人を’笑顔に変えた’瞬間エピソードが記載されたかわら版があったり、と、会社としての思いがギュッと詰まったHPなんです。
これほどのHPを、たった2店舗(というと失礼ですが)という、小規模の企業さまが作られていることに感動して、どんな経営者の方なんだろう・・と興味を持っていたのです。

実際に浅野社長にお会いしてお話を聞いてみると、HPに記載された企業理念への思いがすごく伝わって、また、社員の方と一緒に会社を作り上げていらっしゃる様子が伝わり、とても勉強になりました。
浅野社長のお話を聞くと、会社規模に関係なく、素敵な会社は存在するんだということが分かります。

読んでみてください!

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浅野 哲洋 さん プロフィール

株式会社ダイエー (http://www.i-daiei.jp/

代表取締役社長

東京の会社でのサラリーマン経験を経て、1999年入社。

2007年代表取締役社長に就任。企業理念、ビジョンの制定を始め、社員と共に組織作りを進める。

TOPから学ぶ!!

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―浅野社長、本日はよろしくお願いします。まずは入社した頃のお話を聞かせてください。

入社したのは99年で、今から11年前ですね。父がやっていた仕事でしたが、昔は継ぐという意識はまったくなくて、畑違いの仕事をしてました。東京で土木電気関係の仕事をしていたんですよ。全国の現場で現場監督をやっていました。

それで、11年前に会社を辞め地元の石川に戻ろうと思ったときに、やっぱり地方なので働き口があまりなくて、それで仕方がなく入ろうか、と。

―仕方なく、だったんですか!

初めはね、そうでした。家業や父に対して、結構反発してたとこがありましたからね。

この業界、この仕事に面白みを感じていなかったんですよ。昔は景気も良かったし儲かる業界なんだろうな、と思ってはいましたが、もともとモノを作ったりするのが好きだったこともあって、パチンコ業界で働きたい、という興味はありませんでした。

いざ入ってみると、工夫次第でお客様に来て頂けるし、色んなことを仕掛けていける、すごく面白みのある商売で、外から見ているのとは違うと思いましたね。

入社して2週間くらいホールをやらせてもらって、すぐ専務をやれと言われました。学生の頃にホールの手伝いをしていたので、ある程度はわかってはいましたが、あまりにも突然でむちゃくちゃだなぁ・・と思いましたよ(苦笑)

そうこうしているうちに、父が同じ船に船頭は二人いらない、と言い出しまして、その当時父は全日の理事長をやっていましたので、そちらに専念をするということで、会社の経営から身を引いてくれたんです。お前の好きにやってみなさい、と。

―そこまで潔く身を引いて任せることは、簡単そうですごく難しいと思いますが・・

いや、本当にそうなんですよ。めちゃくちゃだなあ。と思いましたが、父の愛情だったんでしょうね。自分がそこまでズバっと任せられるかと言われると、どうだろう、って思いますし。すごく感謝しています。

初年度にめちゃくちゃ赤字を出して、こんなに長いことやってきて、赤字出したのは初めてだ、とか、始めはやっぱりああだこうだ言われましたけど(苦笑)

そういうわけで、27歳の素人が入社してすぐに経営というものをやることになったんですね。

本当に何もわかりませんでしたから、まず色んな経営者の方と交流をさせて頂きました。

このインタビューにも出られた方々にも随分かわいがって頂いて、先輩方の会話を聞いて学んだり、店舗視察に同行させてもらったりしながら、勉強させてもらいましたね。

手探りっていうよりも、もがいていたような、そんな感じでしたよ。

―入社して、すぐに専務として経営に携わったというお話ですが、社内の反発などはなかったんですか?

抵抗されたとか、いじめられたとかそういう経験はあまりありませんでしたね。むしろ、従業員の人達が僕に困ったんじゃないですかね。素人のくせに、こうしたい、と思ったら押し切ってやってましたから。

もともとの性格がそうなんですが、経営者ってわがままだと思うんですよ。

そのわがままさもある意味必要だと思いますが、僕の場合めちゃくちゃやってましたから、色んな人に迷惑をかけたと思います。

当時はいわゆるパンチパーマで、ちょっと見た目が怖い社員がほとんどで、20名くらいの正社員がいましたが、最初はその人たちに向けて、変わって欲しい、と思って色んなことをやりました。でも変わらない人が多かったですね。

50歳以上の方も沢山いましたから、今更新しいことにチャレンジしたくない、このまま定年まで働ければそれでいい、という考えの方が多かったですよ。それは決して彼らが悪いのではなくて、人間の性というか、そういうものでしょうね。

結局当時20名くらいいた社員のうち、今でも残ってくれたのは2名です。その2人がどうしてついてきてくれたのかは、本人達に聞かないと分からないけど(笑) 

―3年前に社長に就任されてからは、どんなこと手がけてこられましたか?

3年前に私が社長になって、一番最初にやりたいなと思ったことは、理念とかビジョンを作ることでした。

実は専務の時に一度作ったんですが、壁に貼ってあるだけのただの紙だったんですよね。

自分が何のためにこの会社を経営するのか、ということについて考えたときに、人生においての会社のポジションであったり、このために会社を経営するんだというものに行き着いて、それが腹にどん落ちたんですよ。社長として組織を率いていく覚悟が決まった、というか。

それで、理想の会社、やりたい会社を作るためには、やっぱりビジョンやミッション、みんなが目指せるものを明確にすることが必要だろう、と思ったんですね。

最初はマルハンさんや他社さんのHPを拝見しながら、自分で作ってみたんですが、やっぱりただの紙でしかなくて、みんなにも浸透しなかったんですよ。

「社長、理念を作り直しませんか?」ってある社員に言われまして。「俺が作ったのに何言ってるんだ?誰が作っても結局同じようなものになるんだ!」とは言ってみたものの、内心ではすごく動揺してました。もっともだな、と。

―何のために会社を経営するのか、と考えて行き着いた結論はどういうことだったんですか?

それは当社の企業理念そのものなんですが、「みんなを笑顔に変える」ということでした。

一生懸命頑張ってくれている社員のみんなと、幸せな人生を目指すんだ。うちの会社を通して、幸せな人生を掴み取るんだ、ということ。

50歳なっても、60歳になっても社員達がうちの会社で笑顔で働いていてくれたら、きっと自分も幸せだろう。って思っていて、僕が生まれてきた使命は、周りの人を幸せにすることだ、っということに行き着きました。なんだか哲学的ですけどね。もちろんお客様や家族、お世話になっている人に対してもそうですし、その中でも、特にうちで頑張ってくれているみんなに対しての思いですね。

そう思ったときに、みんなで目指せるもの、軸になるものを作らないとだめだと考え自分で作ったものの、先ほど言ったようにただの紙になっていましたので、社員のみんなと共に作らなければいけないと思い、理念作りのプロジェクトをスタートすることにしました。

研修なども絡めて進めていったので、外部のプロにお願いをしたのですが、これをやったら利益が0になるな、という金額だったんですよ。前年の収支を見ていて、今のうちの状態だったら利益0だ、と。

それでもやりたい、無理だったら自分の給料減らせばいいやと思って、踏み切りました。それくらい、大切なことだと思ったんですよね。

やってみて気がついたことは、作ることも大事だけど、作るまでのプロセスがすごく重要だと感じました。

実際に出来上がった理念は、最初に僕が作ったものと同じようなことなんですよ。でも、社長が作ったものと、自分たちで作ったものだと、同じような言葉であっても、意味合いが全く違うんですね。

作るプロセスで、そこに色んな思いが込められていくので、納得度や思い入れが違いますからね。

色んな研修を受けながらプロジェクトを進めて3ヶ月位すると、面白いくらいにみんなの意識も変わってきました。

人って、気付きがあったり、自ら変わりたいと思えば、こんなに簡単に変わるんだ。と思いましたね。

人が変われば組織が変わっていきます。まず人が変わって、それから組織全体がグッと変わってきました。

最近、自分の分身というか、経営者目線でお店を動かしていける人、託せる人が出てきました。それでもやっぱり3年掛かりですよ。人を育成するというのは時間が掛かりますね。

―3年掛けて取り組んできたことが、ようやく結果として出てきたところなんですね。
後編では、浅野社長がトップとして心がけていること、業界への思いをお聞きしました!

続きは後編で◎

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