ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




蘇州、リラ。中央区日本橋人形町1-13。1987(昭和62)年(月日不明)

写真の通りは新大橋通りで、右へ行くとすぐ水天宮交差点。この辺りは戦災の被害を免れていて、写っている2階建の店舗の中には戦前から建っているものもあるかもしれないが、それと分る特徴がみえない。右のビルは「藤和日本橋人形町コープ」というマンションで1986年1月築、12階建70戸。そのマンションの左から写真左枠外の交差点までが、現在はマンションに替わった。「リガーレ日本橋人形町」という39階地下2階335戸の高層マンションで、2007年10月築。
写っている店は、1986(昭和61)年の住宅地図を参照すると、左から「東京事務用品」(美容室の看板の文字が読める)、居酒屋の「あつみ屋」、中華料理「蘇州」、喫茶「リラ」、「理髪一番」、「橋本印舗」、蕎麦の「松屋」、中華料理「台華菜館」、その2階に「バーバー日本橋」。昭和30年頃の火保図に、「橋本印舗」と「台華(中華)」が載っている。当時の住所は蛎殻町2-1で、新大橋通りを都電が走っていた。

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見城菓子店。静岡県静岡市清水区真砂町8。2014(平成26)年11月28日

清水駅前銀座商店街の南側入り口のゲート。その下に「見城(けんじょう)菓子店」がある。写真左は国道149号の側道。見城の後に最近取り壊されたエビス家具店のビルが写っている。右のアーケードの商店街はそのままグルメ通りに続いているが、商店街は写真奥のおおぎや洋品店から左へ向いている。
見城菓子店は昭和20年の創業だという。駅前銀座では最古参の店のひとつかもしれない。ネットには、静岡名物桜えび入「あじろ」(煎餅)、ソースせんべい、鈴焼カステラなどが出てきて、なんとなく土産物屋的な存在らしい。


あかぼり電気店。真砂町1
2018(平成30)年7月4日

1枚目写真の右手前に写っている。店の裏は東海道本線の線路。1926(大正15)年7月まで、そこに江尻駅があった。それが現在の清水駅のところに移り、1934(昭和9)年12月に「清水駅」に改称された。
店は何年も前に廃業している様子だ。看板の英語の商品名から、ただの家電よりオーディオ関係に力を入れていたような感じだ。看板の英語は今では看板からは姿を消した言葉のように思う。普通はテープレコーダーだが「TAPECORDER」。1950年頃、ソニーが最初に売り出したテープレコーダーは「テープコーダー」といった。「STEREO」は60年代にはやった家具調のステレオセットのことだろう。
2018-19年に別の会社が入居して壁の文字は取り外された。

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おおぎや洋品店。静岡県静岡市清水区真砂町6。2017(平成29)年4月14日

清水駅前銀座商店街の南側入り口に近い辺り。線路沿いの「グルメ通り」との分かれ道になる角にあった。2019年頃に隣のエビス家具店第3売場とともに取り壊されて、今は駐車場になっている。南側のゲートからアーケードの駅前銀座に入ると、国道149号(陸橋の側道)との間は駐車場、グルメ通りとのY字路の先は両側とも駐車場で、その間をアーケードが架かっている、という状況になってしまった。
おおぎやは3軒分の長屋式の建物の全部を使って、角の方から「子供用品、婦人用品、紳士用品」と看板にある。古くからある店のように思うが、ネットではなんの情報もない。

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エビス家具店
静岡県静岡市清水区真砂町8
2014(平成26)年11月27日

清水駅前銀座商店街の南側入り口に近い辺り。左手前は韓国食品の店、その右はなんの店か分らないが「elle satomi」、次いで「エビス家具」の袖看板の店。その右は6階建のビルで「恵比寿屋」の看板が出ている。「ヱビス家具売場御案内」の看板には最近の家具店にはあまり見ない「婚礼セット」の文字がある。桐の箪笥や鏡台などは昔はけっこう売れ筋だったのだろうな、と回想される。エビス家具店はだいぶ以前に廃業した様子だ。
2019年頃、この並びは韓国食品店から写真右奥の「金子果実商店」までの間が取り壊されて駐車場になってしまった。また、この向かい側にはエビス家具店の別の売場と「おおぎや」という洋品店があった。同じ時期と思われるが、取り壊されてやはり駐車場になった。

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上:上野屋靴店、左:次郎長屋
静岡県静岡市清水区真砂町4
2018(平成30)年7月4日

清水駅前銀座商店街の中程。左から、くつ・スニーカーの「上野屋」、レンタルスペースの「まちかどギャラリー」、空き店舗(和菓子の秋月堂駅前銀座店)、レディスショップ「ミウラ」。次郎長屋は上野屋から左へ2軒目にある乾物店。味噌、昆布、佃煮、漬物など「にっぽんの味」の店。
いそべ会計>清水歴史散策>3.全盛時代の清水銀座商店街』に「昭和33年に建てたみなとマーケット」の写真がある。みなとマーケットのシャッターの前で撮った家族の記念写真のようで、昭和50年頃の撮影かと思われる。シャッターに店名が書かれていて、「高級靴はきもの上野屋」「にっぽんの味次郎長屋」が読める。したがって上野屋と次郎長屋はみなとマーケットに開店したのだろう。
みなとマーケットは現上野屋から少し南へ行った向かい側にあった。1946(昭和21)年12月に開店した「ミナト市場」が始まりで、1957(昭和32)年にビルに改築された。次郎長屋の創業は昭和21年だから、ミナト市場ができると早速入店したのかもしれない。現在、みなとマーケットは2011年3月築の「ベイタワー清水」という20階建95戸のマンションに建て替わった。ただし商店街に沿ったところは商店が並んでいる。

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マルヤマ文具店。静岡県静岡市清水区真砂町2。2018(平成30)年7月4日

写真は、東海道本線の清水駅の西口ロータリに向いて入り口がある「清水駅前銀座商店街」。東海道本線と国道149号の間を真南へ450m続く全蓋式アーケードの商店街。人出は昭和50年頃がピークで、昭和の間はとにかく賑わったらしい。今ではあの人たちはどこにいるのだろうという状態で、これはどこの商店街も同じようなものなのだろう。
駅前商店街のことをその歴史を含めて詳細に述べているのが『いそべ会計>清水歴史散策Ⅱ>第十三話 清水駅前闇市通り物語』というサイト。駅前商店街は戦後のヤミ市から始まった。昭和30年頃には商店街としての体裁が整ってきたのだろう。
清水駅前銀座商店街のまちづくり』によると、「銀座」の名称は1949年に結成された「清水銀座繁栄会」に出てくる。1959(昭和34)年 「清水駅前銀座誕生」なのだという。最初のアーケードを設置したのは1967(昭和42)年で、今の2代目は1982(昭和57)年に改築したもの。

マルヤマ文具店は駅前銀座を駅側から入って130m行ったところ。建物はヤミ市から商店街に発展した時代のものかと思われる。正面からは分らないが、裏から見るとトタン葺きの壁と屋根の平屋の小屋に見える。『清水まちかど散歩>マルヤマ文具店さん』などを見ると、店としては品揃えにこだわっている様子がうかがえる。
左の春田眼鏡店は3階建のビル。さらに左の「セラビ」と「花曜日」の建物が、裏から見ると昭和30年頃のものかと思われる。


こだからや玩具店。静岡市清水区真砂町5
2018(平成30)年7月4日

駅前銀座と、国道と線路際(グルメ通り)を結ぶ道との交差点の角にあったオモチャ屋。建物は3階建の小さなビルで、2階のファサードが凝ったデザインだ。2020年12月いっぱいで閉店した。そのお知らせの張り紙に「70年に渡り」とあるから、1950(昭和25)年頃に開店した計算になる。

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麻布郵便局。港区麻布台1-6。2011(平成23)年9月13日

麻布郵便局が入っていた「日本郵政グループ飯倉ビル」は現在、再開発で超高層ビル(64階建、高さ325m)の建設中だ。計画は1989(平成元)年からで、2019年8月着工、2023年3月竣工予定という。
麻布郵便局の建物は「逓信省貯金局」の庁舎として1930(昭和5)年に竣工した。設計は大蔵省営繕管財局、施工は銭高組。RC4階地下1階建。平面は中庭のある「円」形。巨大な官庁建築で、外壁はスクラッチタイル貼りだったと思われるが1984-87年の改修でタイルは全面貼り替えられている。各所にアールデコ風のデザインが見られる。
建設当時の住所は麻布区飯倉町6丁目、旧住所は港区麻布飯倉町6-13。外苑東通りを都電が走っていたときは麻布郵便局の前に「飯倉片町」電停があった。都電は33系統(四谷3~浜松町1)、明治45年開通、昭和44年10月廃止。
1943(昭和18)年から逓信省の本庁庁舎となり、戦後、1949(昭和24)に逓信省は廃止されて郵政省が新設されると郵政本省庁舎となり、霞が関に移る1969(昭和44)7月まで使用された。その後「飯倉分館」として使われてきた。2007(平成19)年10月、郵政民営化後は、郵便局株式会社→日本郵便株式会社(2012年10月)が「日本郵政グループ飯倉ビル」の名称に換えて所有した。(『ウィキペディア>麻布郵便局』、『ザ・AZABU Vol.16(2010.12)』)




麻布郵便局
上:2011(平成23)年9月13日
左:2014(平成26)年4月23日

左写真は東京タワーより撮影。麻布郵便局の後(写真右)の低層のビルが建っている場所は、一段低い谷地形で、「我善坊谷」という名前がある。住所は麻布台1~4、旧住所は「麻布我善坊町」。再開発の地域なので、今はビルも住宅も取り壊されて高層ビルの建設中。
「我善坊(がぜんぼう)」という妙な地名の謂れが気になるが定説はないらしい。一応、誰だか分らないが座禅をする坊さんからという説と、龕前堂(がぜんどう、荼毘所)からという2説があるという。

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旧平井家住宅。千葉県佐倉市新町(しんまち)186。2002(平成14)年5月5日

国道296号(写真右の通り)の新町交差点(写真右奥)のすぐ南の信号のある交差点の角にある、元酒屋の建物。左(西)にいく横丁は佐倉城の大手門に至る。佐倉城からの通りと旧成田街道が合わさる要衝だった地点だ。
佐倉市>旧武居家住宅、旧平井家住宅』によると、平井家は江戸時代以来の有力商家で、藩の御用商人として薪炭類を扱っていた。1872(明治5)年には新制度の郵便御用取扱い人になり、佐倉郵便局の起源となった。取扱所(郵便局)は新町43番地(新町通りの佐倉図書館=旧佐倉新町郵便局の辺りだろうか)にあったという(平成8年度歴史的建造物詳細調査と現在の状況について)。明治の一時期休業するも、明治後期には酒屋になって新町の大手商家の勢いを取り戻した。1958(昭和33)年に当主の高齢化により閉店、貸店舗としていたが、2008(平成20)年に佐倉市へ寄贈された。現在は建物を残して活用してくれる企業を募っているようだ。



旧平井家住宅。佐倉市新町186。2002(平成14)年5月5日

建物(店舗兼主屋・座敷棟・脇蔵)は2016(平成28)8月に国登録有形文化財に指定された。
店舗兼主屋は、1886(明治19)年に火災で焼失した後、建替えたもので、明治20~24年頃の建築と推定できる。主屋の裏に増築された平屋が座敷棟で、1931(昭和6)年の建築。横の通りに入ると庭越しに眺めることができる。脇蔵は1917(大正6)年の建築。土蔵造2階建。脇蔵の2階へは主屋から出入りする。敷地の西北に大谷石の2階建の蔵(石蔵)があるが詳細は不明。

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