旧松本医院。台東区浅草3-30
1988(昭和63)年5月1日
言問通りの浅草観音堂裏交差点を北へ入ったところ。横丁との角の家は1階を柱だけ残してガレージにしている。戦前に建てられた洋風の家に見える。周囲は空襲で焼失した区域だから、鉄筋コンクリート造だったために躯体だけは焼け残ったのかもしれない。現在はTimesの駐車場になっている。
昭和26年頃の火保図(当時の住所は浅草馬道2-25)ではコンクリート造の表示があり、横の3棟が「松本寛」となっている。写真左のちょっとだけ写っている店は「マツモト薬局」で、その店の事務所だったとも考えられる。
1966(昭和41)年の住宅地図では角の家は「バー小春」。この地図では、写真左(北)へ行った並びに、「浅草ニュートルコ」(現・九重ビル)と「富士トルコ」(現・プレステージ・アサクサ)が記されている。浅草ニュートルコは昭和26年頃の火保図にも出ている。トルコ風呂の始まりは1951(昭和26)年に銀座に開業した「東京温泉」ということだが、浅草ニュートルコもほぼ同時期に開業したようだ。昭和38年の航空写真では、切妻屋根妻入の看板建築のように見える建物を中心に、その南側に小さな家を数軒まとめたものからなるようだ。
追記(2020年5月11日)
写真の建物は「松本医院」だったものだと、その松本医師の娘さんからコメントを頂いた。それによると、松本さんのおじいさま(内科医)が開業し、お父様(松本寛、慶應義塾大学助教授、 産婦人科医)がそれを継いだ。日本で最初の人工受精児を誕生させた医師だという。1951年に亡くなられているので、その時点で医院は廃業したと思われる。建物は2004年に取り壊された。
マツモト薬局は、閉院後だと思うが、松本さんのお母様が始めた漢方薬の店。
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