ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
CALENDAR
2017年11月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
前月
翌月
ENTRY ARCHIVE
2023年04月
2023年03月
2023年02月
2023年01月
2022年12月
2022年11月
2022年10月
2022年09月
2022年08月
2022年07月
2022年06月
2022年05月
2022年04月
2022年03月
2022年02月
2022年01月
2021年12月
2021年11月
2021年10月
2021年09月
2021年08月
2021年07月
2021年06月
2021年05月
2021年04月
2021年03月
2021年02月
2021年01月
2020年12月
2020年11月
2020年10月
2020年09月
2020年08月
2020年07月
2020年06月
2020年05月
2020年04月
2020年03月
2020年02月
2020年01月
2019年12月
2019年11月
2019年10月
2019年09月
2019年08月
2019年07月
2019年06月
2019年05月
2019年04月
2019年03月
2019年02月
2019年01月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年09月
2018年08月
2018年07月
2018年06月
2018年05月
2018年04月
2018年03月
2018年02月
2018年01月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年09月
2017年08月
2017年07月
2017年06月
2017年05月
2017年04月
2017年03月
2017年02月
2017年01月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年09月
2016年08月
2016年07月
2016年06月
2016年05月
2016年04月
2016年03月
2016年02月
2016年01月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年09月
2015年08月
2015年07月
2015年06月
2015年05月
2015年04月
2015年03月
2015年02月
2015年01月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年07月
2014年06月
2014年05月
2014年04月
2014年03月
2014年02月
2014年01月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年09月
2013年08月
2013年07月
2013年06月
2013年05月
2013年04月
2013年03月
2013年02月
2013年01月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年09月
2012年08月
2012年07月
2012年06月
2012年05月
2012年04月
2012年03月
2012年02月
2012年01月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年09月
2011年08月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月
2010年12月
2010年11月
2010年10月
2010年09月
2010年08月
2010年07月
2010年06月
2010年05月
2010年04月
2010年03月
2010年02月
2010年01月
2009年12月
2009年11月
2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年05月
2009年04月
2009年03月
2009年02月
2009年01月
2008年12月
2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月
2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年01月
RECENT ENTRY
ホテルニュージャパン/永田町2丁目
赤坂プリンスホテル新館/紀尾井町
まこ、BARABA/横浜市中区野毛町1丁目
紅屋菓子店/横浜市中区野毛町1丁目
巴荘/横浜市中区宮川町1丁目
野毛都橋商店街ビル/横浜市中区野毛町1丁目
水明亭/新宿区霞ヶ丘町
慶応大学北里記念医学図書館/新宿区大京町
慶応大学予防医学教室/新宿区大京町
近江屋写真用品/墨田区両国3丁目
RECENT COMMENT
流一/
加藤伍、末広亭/人形町3丁目
流一/
四軒長屋/湊2丁目
引きこもり親父/
加藤伍、末広亭/人形町3丁目
長屋住人/
四軒長屋/湊2丁目
Unknown/
田村自転車店/鎌倉市由比ガ浜2
流一/
水明亭/新宿区霞ヶ丘町
むみ/
水明亭/新宿区霞ヶ丘町
1976年卒業/
二長町小学校/台東1丁目
コウタ/
墨田区役所(2)/横網1丁目
流一/
墨田区役所(2)/横網1丁目
RECENT TRACKBACK
CATEGORY
目次
(48)
日本橋
(297)
京橋・銀座
(215)
築地・月島
(217)
神田
(213)
丸の内・麹町
(109)
港・品川・大田
(116)
本郷・小石川
(292)
浅草
(167)
下谷・根岸
(184)
上野・谷中
(115)
深川・向島・葛飾
(267)
荒川区・足立区
(83)
新宿豊島北板橋区
(55)
神奈川県・静岡県
(454)
千葉茨城埼玉県
(234)
私事
(3)
BOOKMARK
goo
最初はgoo
廃景録
SAKITAKA’S HOMEPAGE
日常散策
Site Y.M. 建築・都市徘徊
都市徘徊blog
分離派建築博物館
Index to Anthologies
ぶらり東京~23区巡り~
むにゅ’sのぉと
Hyper Azabu Tano9
アクトデザイン凛太郎のブログ
Clocks & Clouds
東宝娯楽映画 ロケ地巡礼
MY PROFILE
goo ID
ryuw-1
性別
男性
都道府県
千葉県
自己紹介
1943年東京生まれ。定年退職後、年金暮らしの普通の高齢者。「はじめに」に当ブログの内容の説明と自己紹介があります。
SEARCH
このブログ内で
ウェブ全て
URLをメールで送信する
(for PC & MOBILE)
竹平寮/九段南1丁目
丸の内・麹町
/
2017-11-29 20:05:38
竹平寮。千代田区九段南1-2。2000(平成12)円4月9日
竹橋の少し北、内堀通りから清水堀越しに見た竹平寮(大蔵省財務局が管理)。竹平寮後ろの「東京堂千代田ビル」(1977年竣工、20階建)は撮影時には「さくら銀行本店」。右のビルは「九段第二合同庁舎」(東京法務局、1986年竣工、14階建)。
竹平寮という4棟の団地は『日本近代建築総覧』には「竹平寮(旧憲兵下士官アパート)、建築年=昭和10年、構造RC3階建、設計=大蔵省営繕管財局、施工=安藤組、備考=3棟」(「3棟」となっている訳は不明)。建築名は旧町名が「竹平町(たけひらちょう)」だったのに由来する。現在の九段南の町名は1970(昭和45)年から。
竹平寮は上と下の写真を撮った2000年中に取り壊されたようだ。跡地に千代田区役所+九段第3合同庁舎が完成したのは2007年(平成19年)5月。
竹平寮1号棟。2000(平成12)円4月9日
現在、千代田区役所、九段第二合同庁舎(東京法務局)、東京地方検察庁九段庁舎の3棟のビルが建つ敷地は、戦前は憲兵司令部と佐官以上の官舎、一般隊員用のアパートがあったところである。そのアパートが2000年まで残っていたのは、戦後すぐ、焼け出された都民を収容したからで、居住者がいなくなるまで、ということは養老院に移るか死んでしまうまで待っていたというだ。
公安調査庁が1952年(昭和27年)7月に設置されると憲兵司令部だった建物に入った。『日本近代建築総覧』には「公安調査庁(旧憲兵司令部)、九段南1-2、建築年=昭和10年、構造=RC3階建、設計=大蔵省営繕管理局、施工=安藤組」とあり、竹平寮と同じである。『都市の体温』(枝川公一著、井上書院、1988年、1400円)に、憲兵司令部庁舎の工事概要が載っているが、それによると4階建で、昭和22年の航空写真からも4階建てに見える。その跡地に建てた九段第二合同庁舎が1986年竣工なので1984年頃まではあったのかもしれない。
司令部の東にあった上級隊員用の宿舎は一戸建て住宅で、12戸ほどがあった。
竹平寮2号棟。1990(平成2)年5月27日
『都市の体温』は昭和60年頃の取材で書かれている。「竹平アパート」の章には、中島氏(税理士、74歳、昭和20年12月に入居、夫婦の二人暮らし)の部屋が、「6畳、4.5畳、玄関の間2畳、台所2畳で、全120戸のうちの12戸の間取りになる。風呂はなく神保町の銭湯(
梅の湯
?)へ出かけた。住んでいるのは61戸」としている。
竹平寮4号棟、3号棟。1986(昭和61)年9月23日
コメント (
1
)
|
Trackback ( 0 )
ジェクツ/横須賀市深田台
神奈川県・静岡県
/
2017-11-28 10:08:12
ジェクツ。神奈川県横須賀市深田台41
2014(平成26)年2月28日
上町(うわまち)銀座商店街になっている県道26号(三崎街道)の西に、上町と深田台(ふかだだい)の町境になっている裏通りが、県道と平行に伸びている。写真の家はその裏通りにある家で、
みどり屋呉服店
の裏の向かい側になる。
側面が石積みの防火壁で、平坂の
釜屋金物店
と同じである。間口は釜屋の方が広いが、形は同じで商家の造りである。こちらの方は塗り屋造りになるのだろうか。釜屋は大正初期に建てられたものというが、ジェクツも同じ時期の建築なのだろうか? だとするとかなり貴重な建物である。
今は外観に合わないが「ITサポートセンター」「パソコン個人教授」の看板を出している。
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
スペース三季/横須賀市上町2丁目
神奈川県・静岡県
/
2017-11-27 10:31:36
スペース三季。神奈川県横須賀市上町2-1。2014(平成26)年2月28日
みどり屋呉服店から南へ数軒行った並びに、みどり屋と共に上町(うわまち)銀座商店街に残る銅板貼り看板建築を代表するもう1軒の家がある。「スペース三季(さんき)」というアンティークショップに、「F.ROUTE」という貸しギャラリー、カフェの「FOREST」を併設している。
建物は昭和初期に建てられた木造3階建ての看板建築で、「蓬莱屋」という旅館だった。戦前は「海軍指定旅館」で、いわゆる軍人旅館と言われたらしい。入隊する兵隊との面会や見送りに来る家族が利用した(
東京湾要塞の軍事施設>関連施設>海軍指定旅館
)。いつ頃まで旅館をやっていたのだろう? 三季になったのは1975年頃のことらしい。
ほぼ総3階建てだが、3階の右が引っ込んでいるのは後ろ側を基準にして長方形に造っているからで、正面の1・2階の右側が前に出ているようだ。屋根の庇が前に出ているので、看板建築らしくない感じもするが、とにかく旅館としては珍しい造りである。
スペース三季。横須賀市上町2-1。2014(平成26)年2月28日
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
みどり屋呉服店/横須賀市上町2丁目
神奈川県・静岡県
/
2017-11-25 13:36:07
みどり屋呉服店。神奈川県横須賀市上町2-1。2014(平成26)年2月28日
県道26号(三崎街道)沿いに南北に伸びている上町(うわまち)銀座商店街に残る銅板貼り看板建築といえば、まずこの建物があげられる。昭和5・6年に建てられた時の外観がよく残されていると思われる見事な看板建築である。1970年頃から祭礼用の関連商品の専門店になったというが、間口の広い店舗をすべて1軒で使っている。横須賀の人はお祭り好きなのだろうか。
1階両端のショーウインドウの裾のタイル。欄間の格子模様の色ガラス。6枚のガラスの引き戸はよく磨かれている。2階の正面は縦長の窓を並べた洋風の外観。元は上げ下げ窓だったようだ。また、パラペットが手の込んだ造りだ。
みどり屋の左は小さな看板建築の家で「うわまちギャラリー」という貸しギャラリー。以前は化粧品店だったのを改装して開店した。
みどり屋の右は駐車場だが、ここにも看板建築が建っていた。『
神奈川の近代建築探訪>横須賀の看板建築(上町その2)
』や『
アクトデザイン凛太郎のブログ>横須賀散策④(2012.03.03)
』に記録されている。
うわまちギャラリー、みどり屋呉服店。2014(平成26)年2月28日
みどり屋呉服店。2014(平成26)年2月28日
みどり屋呉服店を裏から見ると2棟の家からなっているように見える。右側の方が古そうだから、左側は店舗の裏に増築した部分なのかもしれない。
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
小田原呉服店、他/横須賀市上町1丁目
神奈川県・静岡県
/
2017-11-23 12:20:54
小田原呉服店、風呂敷屋。神奈川県横須賀市上町1-46。2014(平成26)年2月28日
じゅりあん美容室
の南に続く街区で、そこを南から撮っているので、じゅりあん美容室は写真右奥である。
東栄不動産
や
柳屋衣料品店
の向かい側になる。
写真左の建物は古い日本家屋の表を看板建築風に板で囲ったもの。横丁との角は「小田原呉服店」で、写真でも営業しているかどうか心もとない感じだがアーケードに下がっている看板は残っている。同じ建物の隣は「風呂敷屋」で、着物の古着や着付けのチェーン店の横須賀店。その右は「横浜家系逗子家」というラーメン屋。2階には「喜多方ラーメン麺ロード」の看板が残っているが、アーケードで隠されているから問題ないのだろう。今、ストリートビューを見ると、やはりラーメン屋だが「横浜家系工藤家」に替わっている。また、アーケードに吊るされていた各店の看板は今は取り外されている。
テーラーたかなし、花久。横須賀市上町1-46。2014(平成26)年2月28日
3階建てのビルの鯛幸というたい焼き屋の隣は瓦屋根の日本家屋で、「テーラーたかなし」。店のHPには昭和29年5月創立とある。その隣は銅板張りの看板建築で、「花久生花店」。その右は2階建ての長屋風の簡単な造りの店舗が並ぶ。看板を見ていくと「高城食品、島森企画(読売新聞売店?)、田村物産、空家?、だるま八百屋、アサイホーム(不動産)」。
島森企画、田村物産。横須賀市上町1-46。2014(平成26)年2月28日
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
じゅりあん美容室、ファミリー電気商会/横須賀市上町1丁目
神奈川県・静岡県
/
2017-11-21 12:29:32
じゅりあん美容室、ファミリー電気商会。神奈川県横須賀市上町1-54。2014(平成26)年2月28日
京急横須賀中央駅の西のガードをくぐって南へ上っていく平坂とそれに続く県道沿いの商店街が「上町(うわまち)銀座商店街」。両側にアーケードを架けた歩道が延々と続くような感じである。平坂を登り切った辺りが上町1丁目交番交差点。そこから東へ「中里通り」が分岐している。写真はその交差点の南の東側の街並み。写真右のビルが交差点の角にある。
銅板貼りとモルタル壁の看板建築に平屋の日本家屋の店舗が並んでいる。「じゅりあん美容室」の右の空き店舗はアーケードに吊るされた看板では「加藤商店」だろうか? ファミリー電気商会の建物には「有限會社根岸綿寝具店」の文字が残っている。「KⅡ」は2012年11月にオープンした「渋谷系アパレルブランド専門店」ということだが、アーケードに吊るされた看板では「たこ焼」と読める。
じゅりあん美容室、ファミリー電気商会、KⅡ
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
三幸倉庫、串八珍/新川1丁目
京橋・銀座
/
2017-11-18 13:44:09
三幸倉庫。中央区新川1-4。1987(昭和62)年12月20日
亀島川に架かる新亀島橋から北の方角を撮った写真で、左端に永代通りの霊岸橋が写っている。3棟の倉庫は三幸倉庫(三幸株式会社京橋倉庫)。現在は「新川三幸ビル」(1990年3月築、10階地下1階建)というオフィスとマンションのビルに建て替わっている。写真撮影後、1・2年で倉庫は取り壊されたのだろう。
戦前の火保図では「渋沢倉庫」で、やはり3棟が並んでいる。それが空襲で焼失し、戦後すぐは焼け出された住民用にバラックの仮住宅が建てられたらしい。昭和25年頃の火保図には13戸の木造トタン葺きの家が記されている。三幸倉庫が建ったのは昭和30年頃かと思う。
串八珍新川店。新川1-3
2010(平成22)年7月20日
1枚目写真の左奥に柳と木造の家が見える。「割烹増田屋」で、戦前からある料理屋。建物は戦後間もなくのものだろう。その手前が新川と亀島川との合流地点だったところで、新川は昭和23年から24年にかけて埋め立てられた。増田屋の横の新川の跡は今も広場のような空地で、資材置場・駐車場に使われている。増田屋は酒問屋や倉庫業を背景に繁盛したと思うのだが、今はいつのまにか「串八珍新川店」に替わっている。
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
三協鋼鉄/新川1丁目
京橋・銀座
/
2017-11-17 11:10:13
三協鋼鉄。中央区新川1-3。1987(昭和62)年5月31日
永代通りの霊岸橋から撮った写真で、石垣の下は亀島川、緑地は霊岸橋袂の小公園。写真左の小屋はトイレかと思う。三協鋼鉄の建物は昭和22年の航空写真に写っているもののようだ。昭和7-11年の火保図にはないからそれ以降に建てられている。昭和27年頃の火保図ではコンクリート造で「木下商店」。写真からはごく小さいビルに見えるが、写真右のビルと接する側面は裏の通りまで延びているので、見た目の倍くらいの面積がある。
「三協鋼鐵株式会社」のHPによると、航空機用の部品を制作する会社へ鋼材などを納品している会社で、沿革に「1968年5月|東京営業所を東京都中央区新川1丁目3番2号に土地建物を購入・移転。」とある。
現在は同じ敷地のままで建て直されていて、沿革には「1990年1月|東京営業所所在地、……に地下1階地上9階のNAXビル(延1120㎡)を建設。地下1階より地上3階までを当社本社業務及び東京営業所として使用、4階以上を賃貸とし営業を開始。」とあるから、写真の建物は撮影後1・2年で取り壊されたと思われる。
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
湊橋/新川1丁目、日本橋箱崎町
京橋・銀座
/
2017-11-15 13:42:00
湊橋。中央区新川1。1987(昭和62)年5月31日
日本橋川が隅田川に出る河口付近、日本橋箱崎町と新川1丁目を結んでいる橋。最初に架けられたのは1679(延宝7)年という歴史ある橋だ。写真の橋は震災復興橋梁で、1928(昭和3)年に竣工した3径間鉄筋コンクリート製アーチ橋。
三連アーチの橋だからかなり珍しいと思うが、路上からでは親柱がなく、ごく地味である。下流の豊海橋(とよみばし、1927年)の方が、形の面白さで注目度は高いようだ。
1989(平成1)年度の整備で綺麗になったのが下の写真。コンクリート打ちっぱなしの側面にタイルを貼りレリーフの飾りをつけた。手すりも作り替えている。
湊橋。2010(平成22)年7月20日
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
丸玉ビル、料理屋多奈加/新川1丁目
京橋・銀座
/
2017-11-14 11:23:31
丸玉ビル。中央区新川1-18。1987(昭和62)年5月31日
日本橋川が隅田川に出る河口に架かるのが豊海橋(とよみばし)で、その一つ上流に架かるのが湊橋。日本橋箱崎町と新川1丁目を結んでいる。その袂にあったのが写真のビルで、写真左端は橋の袂の小公園。下の写真が湊橋から撮った日本橋川に向いた裏側。古い倉庫の横と上に増築したビルと思える。
丸玉ビル。新川1-18。1987(昭和62)年5月31日
多奈加。新川1-18。1987(昭和62)年5月31日
丸玉ビルの隣の古い倉庫。居酒屋の「多奈加」が看板を出している。いつの間にか取り壊されて駐車場に替わってしまったが、5年位前にはあったように思う。
『
中央区立図書館
>地域資料』より、昭和43(1968)年5月に京橋図書館が撮影した写真。左は「湊橋から新川一丁目を望む」、右は「新川1丁目付近」
右写真で「牧原」の倉庫が3枚目写真の多奈加。その右の倉庫は「森六商事」の倉庫。左写真にはミツカン酢の倉庫が写っている。『日本近代建築総覧』に「ミツカン酢倉庫群、新川1-18、建設年=大正13年?、構造=RC」で載っている。
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
«
前ページ
goo ブログ
編集画面にログイン
ブログの作成・編集
gooおすすめリンク
おすすめブログ
@goo_blog
@marchel_by_goo
【お知らせ】
【マルシェル】先着500名様にお買物で使える500円OFFクーポン配布中!
カレー3種・にんにく肉味噌選りすぐりセット1500円【送料無料】
自家焙煎珈琲豆&ドリップパック 今だけ数量限定特別セット
胞山完熟黒にんにくMサイズ5個入り
訪問者数に応じてdポイント最大1,000pt当たる!