ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



左:第1菅原ビル。中央区銀座7-7。1986(昭和61)年2月2日
右:中泉ビル。銀座7-8。1988(昭和63)年2月21日

銀座の花椿通りと金春通りの交差点の角にあるのが第1菅原ビル。いまや銀座にあった戦前築のビルはすっかり減ってしまったが、このビルは健在で、ビルを建てた菅原電気株式会社もちゃんとこのビルで活動している。近年、タイルの壁には金網が取り付けられたが、それもきちんとした施工で、あまり気にならない。
『総覧』では「菅原電気K.K.(旧菅原電気商会)、中央区銀座7-7、建築年=昭和9年、構造=RC5、設計=吉田享二、施工=戸田組、塔屋付」。吉田の作品でぼくが見たことがあるのは品川駅前の京品ホテル(1930年)。
25年前に撮った写真だが、外観は今と変わらない。1階の木屋は変わらないが、2・3階は銀座東和の七番館。現在の椿屋珈琲店は名称変更してのものらしい。

中泉ビルは第1菅原ビルと同じ四つ角にあった。1階が「ぎんざヤマト」という酒店で、袖看板にある「中泉株式会社」が出している店なのかもしれない。いつ頃建ったビルなのか分らないが5階が増築されているのでかなり古いのかもしれない。昭和22年の航空写真――『goo地図>昭和初期航空写真』ではぼかした地域で、ぼくが参照したのは『焼跡・都電・40年〈下町〉』(林順信著、大正出版、昭和62年)のカバーの写真である。goo地図は早く写真を差し替えてほしいものだ。――では、このビルと思われる建物が写っている。
中泉ビルの隣は中央通りに面した「資生堂ザ・ギンザ」で、1975年に竣工したビル。2009年から資生堂のビルを中心として中泉ビルも含めて建替えの工事が始まり、今年(2011年)5月14日、新しい「シセイドウ・ザ・ギンザ」がオープンした。

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入谷北派出所。台東区竜泉1-10。1989(平成1)年3月26日

写真左の歩道は昭和通り、信号は下谷2丁目交差点、右の通りは竜泉1丁目と入谷1丁目の境になっていて国際通りの鷲(おおとり)神社前に出る。交番のある場所は竜泉1丁目だが、旧住所では入谷町164で、交番の後ろは金杉上町になる。町境が変なところを通っているが、昭和通りが通される以前の町境の遺構なのだろう。『 昭和16年下谷区詳細地図>入谷』の地図では「入谷町北派出所」で、入谷北派出所はその名称を継承したのだろう。昭和通りの少し南の地下には地下鉄日比谷線の入谷駅があり、交番の名称としては分りやすいものになった。
現在は写真に写っている木造の家はビルに建て替わり、交番は廃止された。

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三ノ輪町派出所。台東区竜泉2-20
1989(平成1)年2月19日

昭和通りと国際通りが鋭角でぶつかる、その内側の三角形の島にあった。現在は同じ場所に建て直されて三ノ輪交番という。下谷警察署の所管である。交番のある島の住所は竜泉だが、国際通りの向かいは三ノ輪1丁目、昭和通りの向かいは根岸5丁目、昭和通りの地下に地下鉄日比谷線の三ノ輪駅がある。都電が走っていた当時は「三ノ輪車庫」電停があったところで、三ノ輪交番の名称は適切といっていい。
写真では「警視庁下谷警察署/金杉下町交通連絡所」で、交番として機能しているのかどうか怪しい状態だ。金杉下町(かなすぎしもちょう)はほぼ現在の三ノ輪1丁目になる。旧町名だったときには交番のある島も金杉下町に含まれていた。『 昭和16年下谷区詳細地図>三ノ輪』を見ると分りやすい。地図の左端に「三ノ輪町派出所」の記載がある。同地図には三ノ輪町(みのわまち)68(現在の三ノ輪2-5)に「金杉下町派出所」がある。派出所の名称が、あるいは地図の記載が逆ではないかという疑問がなくもない。

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天一モータース。台東区竜泉3-32。1989(平成1)年2月19日

写真の通りはどて通り(馬道通り)で、写真右が三ノ輪一丁目交差点。現在、竜泉(旧住所では龍泉寺町)となっている地域のほとんどは空襲で焼き払われた。なかで東北の一画にわずかばかり焼失を免れた場所があり、それが写真の看板建築が並ぶ街区の竜泉3-32とその南(写真左方向)の竜泉3-31である。
写真左は三軒長屋で、現在も残っている。その真ん中が多田商店で、今も「駄菓子、すもも」の看板を揚げている。

写真右の交差点を左へ入ったところにあるのが下の2枚の写真の家。路地の中の看板建築の家が被写体としてはよかったかもしれない。下右写真は左写真の右に続く家並み。2軒分看板建築の家は右の横壁に窓がないので、たぶん空地になっているとこまで続いていた四軒長屋だったものと思われる。


看板建築の民家。竜泉3-32。2011(平成23)年9月10日



左:小林商事。竜泉3-34。2005(平成17)年7月23日
右:モルタル看板建築。竜泉3-31。2011(平成23)年9月11日

左写真のモルタル壁の家は中段写真の家の前の通りを西へ行った並びにあった。昭和30年代の建築だろうか。今は取り壊されて空地になっている。
右写真の家はどて通りの裏にある。きれいな状態で残っているが昭和初期に建てられた看板建築だと思う。

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左:民家。台東区三ノ輪1-3。2011(平成23)年9月10日
右:民家。三ノ輪1-3。2005(平成17)年7月23日

左写真はどて通りの裏通りになる。当ブログ前回、3枚目の写真の右に続くところだ。写真左の横丁と裏通りとは直角に交わっていない。角の家は横丁のほうに合わせて基準軸を取って、1階を前の道路に合わせている。右の家も同様だ。
右の写真は横丁に入って撮ったもの。右端の家が左写真の角の家。その左の家は二軒長屋のようだが、現在は建て替わった。やはり2軒の共同住宅だ。

下左の写真は横丁を奥へ入った四つ角から裏通りのほうを振り返っている。角の板金加工所の看板は現在ではかかってないので廃業したのかもしれない。
下右写真は四つ角の反対側。角の家と小松商店(八百屋)は2階が同一面なので、あるいは三軒長屋なのかもしれない。建物本体と横丁の間に三角形の余地が出来ていて、角の家はそこを囲って部屋を増築したようだ。

左:古谷板金加工所。三ノ輪1-3。2005(平成17)年7月23日
右:小松商店。三ノ輪1-2。2005(平成17)年7月23日

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左:ラッキー。台東区三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日
右:五軒長屋。三ノ輪1-14。2005(平成17)年7月23日

ラッキーという床屋は日の出湯の斜向かいにある。その横に路地が通じているが、その両側とも古い家がかなり残っている。そこを奥へ行くと裏通りが交わる四つ角があり、写真右の長屋はその角にある。五軒長屋という規模は、東京ではいまや珍しくなったのではないかと思う。下の写真の二軒長屋の右の道路が五軒長屋がある横丁。


二軒長屋。三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日

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左:水上(みずかみ)酒店。台東区三ノ輪1-1。2005(平成17)年7月23日
右:金子屋米店。三ノ輪1-1。2011(平成23)年9月10日

どて通りが明治通りにぶつかる手前で西へ入った辺り。角の水上酒店の向かいに日の出湯がある。隣の「ABCストア三ノ輪店」は1986年の住宅地図では「サンチェーン三ノ輪店」で、今は「健康壱番館」。横から見ると日本家屋の瓦屋根が見える。水上酒店の家は奥にかなり深いと分る。その後ろにあるのが「金子屋米店」のトタン張り看板建築。


左:大澤工務店。三ノ輪1-2。2011(平成23)年9月10日
右:秀佳の四軒長屋。三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日

水上酒店の横を南に入っていった裏通りにある長屋。大澤工務店の自宅入り口前に「下根岸町会/第十組」の防火用水の箱が置かれている。ここ三ノ輪1丁目は昭和40年の住居表示制度実施以前は「金杉下町」。下根岸町は現在の根岸5丁目で、隣接してはいるが別な町に思える。この辺りの町名の変遷は複雑で簡単には解明し難いのだが。

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西銀座ビル。中央区銀座5-5。左:2002(平成14)年10月5日、右:1986(昭和61)年頃

銀座のみゆき通りと西五番街との交差点角にあったビル。1936(昭和11)年に建った。2・26事件の年だ。窓の高さにそろえてスクラッチタイルを貼り、その間の壁はモルタルのままにして縞模様の外観にしている。階段室の4階の六角形の窓が、小さい窓なのに目立つ。西銀座ビルという一般名詞のような名称は戦前の火保図にもあるので竣工時からのものらしい。
昭和末では、メンズ洋品店「トップ」、TEA BAR「モルト」、同じ店なのかもしれないが「銀モルト」、「稲川歯科」、「珈琲館」、ギャラリー「○○」、BAR「GOOD TIME」などの看板が読み取れる。
2006(平成18)年3月には解体されて、2008年2月には「オージオ銀座ビル」が竣工した。
「みゆき通り」の名称は、1935(昭和10)年に、「パリ会」という文化・芸能人の会と地元とが協議して命名したそうで、かなり歴史がある(『銀座 街の物語』河出書房新社、2006年)。

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トタン張り看板建築、三ノ輪一丁目会館。台東区三ノ輪1-16。2011(平成23)年9月10日

台東区立東泉小学校の周辺にある古い家を並べてみた。当ブログのここ数回も東泉小周辺の建物だったが、収め切れなかったものを掲載した。
東泉小学校の隣の公園は東盛公園という。これは学校の名前が元は東盛小学校だったのが、昭和21年に竜泉国民学校と合併して東泉国民学校と名前が変更されたためだ。




左:トタン張り看板建築。三ノ輪1-16
右:三軒長屋。三ノ輪1-17。2011(平成23)年9月10日

長屋と思われる建物は個々に改修されていて、屋根も高さと材質が異なる。とはいえ別々の家とも思えず、やはり三軒長屋なのだと思う。右の家は2階の前面に部屋を増築している。

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日の出湯。台東区三ノ輪1-15。2011(平成23)年9月10日

日の出湯は馬車通りの三ノ輪二交差点の少し南を横へ入ったところにある。外観はご覧のように東京の正統的銭湯である。ネット上の情報では、昭和7年の創業で、建物もそのときのものらしい。内部は平成19年11月に全面的にリニューアルされたということだ。三ノ輪・竜泉・日本堤といったあたりはまだ銭湯を必要とするアパート・商店・町工場などが多いのかもしれない。
建物は通りから引っ込んでいて、入り口の前は石畳の小さな広場のようになっている。植え込みもあって、銭湯が開くのを待つ場所として具合がいいと思う。


三軒長屋、ヤマシタ。三ノ輪1-15。2011(平成23)年9月10日

三軒長屋は日の出湯の裏手にある。
トタン張り看板建築のヤマシタは東盛公園の向かいにある。看板には「お好焼」とあるが、駄菓子屋で、お好焼も子供が食べるもの。

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