ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




小石川1交差点。文京区小石川1-9。1988(昭和63)年1月30日

角にパチンコチャンピオンがあるのは白山通りの小石川1丁目交差点(現在は「西片交差点」)。ストリートビューで現在の姿を見ると、パチンコ屋の角には小石川富士ビルという5階建てのビルが建っていて、1階はやはりパチンコチャンピオンである。パチンコ屋右の3階建てのビルは和菓子のさか井。このビルは今もそのままだ。その隣は田代第一ビル。現在はアトラスタワー小石川という高層マンションの敷地内で、その前庭になっている。写真左に見える2つのビルは今もあるようで、浅見家具店も健在。
この辺りは巨大なマンションが何棟か建って、その再開発で大きく変わったように思っていたが、意外と残っているものもあった。


美満津。小石川1-9
2000(平成12)年5月5日

美満津という天麩羅の店は1枚目の写真のチャンピオンの左手に写っている。戦前築の看板建築らしいが壁面上部に「後楽生活奉仕寮」の文字が残っている。

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雪印牛乳由比ガ浜販売所
毎日新聞鎌倉専売所(春日新聞店)
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-3
1993(平成5)年5月31日

由比ガ浜大通りのちょうど中央辺りで、大通りと4つの道路が出会う場所になる。江ノ電の和田塚駅にも近く、笹目バス停もある。寸松堂(鎌倉彫)の斜向かいといった辺りに古い日本家屋が二軒並んでいた。牛乳屋のほうは2006年9月に解体されて、今は「こ寿々わらび餅舎」という和菓子屋になっている。
毎日新聞の建物は健在だ。この建物がかなり風変わりである。1階は出桁造りに見えるが、その上に寺のような造りの2階が乗っている。2階の下には瓦屋根が張り出していて、1階の屋根が二重になっているように見える。2階部分は1階に比べてぐっと小さく、一方で2階の屋根は寺の屋根を思わせるように大きく反り返っている。
ブログ 『kaoru photo…2』 『鎌倉・保存なのか(2006.09.12)』には牛乳店が解体中の写真が載っていて、ブログ管理人のカーク氏が新聞店の人に取材している。それによると、新聞店の建物は元は鎌倉彫の製造所で宮大工が建てたものだという。新聞店になったのはかなり古い頃かららしい。鎌倉彫の工房というと近くの寸松堂と長谷の白日堂が有名で、いずれも和風のちょっと独特の外観をもった建物である。そういう中にこの建物も入れて眺めると、鎌倉の近代の歴史が見えてくる・・・かな?

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旧横浜興信銀行由比ガ浜出張所
神奈川県横浜市由比ガ浜3-1
1993(平成5)年5月31日(2枚とも)

由比ガ浜大通りの六地蔵のすぐ西の交差点に面して建っている。道路に対して3つの面を見せているので、小さな建物だがよく目立つ。
横浜興信銀行の由比ガ浜出張所として、1927(昭和2)年に建てられた。2階建てだが鉄筋コンクリート造である。銀行である以上、地震や火事に備えないといけないから木造で安上がりに造るなどとは考えなかったのだろう。出入り口が3箇所もある。
以前は佐古小児科医院だったという。画廊や雑貨店だったときもあるらしい。2000年4月に現在の「THE BANK」というバーが入った。写真では玄関の上の日除けに「SINCE 1925 ANTIQUE」と書かれている。大正14年に創業した骨董屋か?
下の写真は由比ガ浜大通り沿いの旧横浜興信銀行の並び。看板建築風の金田商店の店舗は今もあるようだ。左端に誠信堂薬局の旧店舗が見える。



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二軒長屋。台東区谷中4-1。1989(平成1)年3月12日

三崎坂(さんさきざか)の上の台東初音幼稚園の向かいの横丁を南に入って瑞輪寺へいく道を曲がった道にある二軒長屋。「彩美堂」の看板があるが、彩美堂谷中営業所はアーチの看板をくぐった奥、二軒長屋の後ろの家である。現在も写真の長屋は残っているが、瓦屋根と横の板の壁は鉄板のようなものに改修されている。彩美堂のアーチの看板はなぜか奥へひっこんでしまった。
下の写真の民家は上の写真の左にも写っている。現在は建替えられた。


民家。谷中4-1。1989(平成1)年3月12日

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伊勢五本店。台東区谷中4-2。1987(昭和62)年6月

三崎坂(さんさきざか)を上りきった辺りにある酒屋。2006年5月に店舗は千駄木に移ってしまい谷中の家は倉庫として使われている。伊勢五は伊勢屋五右衛門が宝永3年(1703年)に開業してすでに300年になるという古い店だ。『谷中スケッチブック』(森まゆみ著、ちくま文庫、1994年)に著者が店主の篠田氏(9代目)の話しを記録している。それによると、写真の店は三崎坂を拡幅した昭和11年に明治の建物を改築したもの。氏が子供のころは前面が横に引く戸ではなく、上に上げる戸だった(改築前の家のことを言っているのだろうか?)。明治のころはキッコーマンや野田醤油とか、製造元から醤油を買って『若緑』という伊勢五のブランド名を木版で刷ったラベル貼って売った。酒は昔からヤマ五のマークだったという。
今はビル(伊勢五マンション、1989年2月竣工)に替わった外壁が煉瓦の蔵は「大震災でもびくともしなかった」という篠田夫人の話が『下町残照』(村岡秀男、毎日新聞社、1988年)にある。



宮川表具師。谷中4-2。1987(昭和62)年6月

伊勢五本店の並び。右から永久寺の住居、宮川表具師・松本機械彫刻所、伊勢五の蔵、伊勢五本店、尾城商店。尾城商店の看板建築の家は野々村ビル(1989年1月竣工)というマンションに替わっている。

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須賀邸。台東区上野桜木1-4
1990(平成2)年2月18日

『総覧』には「須賀利雄邸、建築年=大正10年、木造2階建、設計者=早大生、昭和5年頃増築。佐藤功一の指導か? 葉書による回答」とある。日本家屋の横に洋館がくっ付いている。洋館が昭和5年に増築された部分だろうか。洋館の屋根は和風の瓦屋根だ。
『ベスト・オブ・谷根千』(谷根千工房編、亜紀書房、2009年)に収録されている「回想の桜木町」(波木井皓三)によると、須賀邸のある場所は明治期まで天台宗大学寄宿舎という施設があったのを大正になってそれを取り壊して住宅が3軒建った。そのうちの1軒が須賀邸だったという。すぐ近所には宇野浩二、菊田一夫、三代目柳屋小さんが住んだというが詳細は知らない。
現在も建物は写真のままで変わらない。塀が瓦屋根を乗せた漆喰塗りで裾に石を貼ったきれいなものに改修されている。

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東キネ桜寮。台東区上野桜木1-12。1988(昭和63)年8月5日

言問通りの谷中霊園入口から少し西の辺り。上野桜木1丁目は言問通りの南側である。1986年の住宅地図では右から、桜木薬局、東キネ桜寮、民家・荻原組。現在は桜木薬局の建物はなくなって土田病院の駐車場に、東キネ桜寮は日本書道院会館のビルに、荻原組の建物もビルに建て替わっている。
写真右・枠外に、『総覧』に「土田神経科病院、上野桜木1-12-12、建築年=昭和9年、構造=RC3、昭和34年改築」と記載がある建物があったのかもしれない。撮影時にはすでに現在のビルになっていたのだろうか?「東キネ」というと神田神保町にあった東洋キネマを連想するが、その点は勿論不明。「東京キネマ」のほうだろうか?



荻原組。1990(平成2)年5月6日

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アパート。台東区上野桜木2-15。1989(平成1)年9月10日

上野桜木2丁目は言問通りと谷中霊園に挟まれる感じの場所。大きい敷地をもったお屋敷もある一方で、普通の民家、木造アパート、長屋もある。原則として高台の住宅地といっていいと思う。20年くらい前までは戦前の家が立並んでいたのだろうが、最近はだいぶ建替えられてきた。
ここに出した写真の家はストリートビューで現在の様子を見ることができる。1枚目の写真の木造アパートは現存している。


左:民家。上野桜木2-7。1990(平成2)年5月6日
右:民家。上野桜木2-15。1990(平成2)年2月18日

なくなった家のあった場所を探してみる。左写真の家は住居表示板が写っていて街区は分かる。あとは日の当たる具合で影になる正面が北側で南側に向かって撮っていると推定する。最後は写真下に写っている2個のマンホールから場所の特定ができた。
右写真の右に写っている白いビルは台東区立谷中保育園。正面の家は現存している。



民家。上野桜木2-8。2000(平成12)年5月3日

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まさえ美容室の長屋。台東区上野桜木2-11。1989(平成1)年9月10日

言問通りの上野桜木交差点の角が台東区立下町風俗資料館付設展示場になっていて、酒屋だった吉田商店の建物が移設されている。写真の長屋は言問通りの裏、付設展示場のそばに今もある。三軒長屋になるのだろうか。横の壁板が修復され、今も瓦屋根を残していてきちんと使われているようだ。「パーマまさえ」の看板は今もかかっている。「パーマ」の文字を出している店など今ではかなり珍しいと思う。実は店は長屋にあるのではない。長屋を突き抜けてその裏に店が建っているようだ。



川上電気
上野桜木2-10
上:1989(平成1)年9月10日
左:1988(昭和63)年8月5日

まさえ美容室の長屋の向かいである。写真右の家は二軒長屋らしいが、住宅地図では日除けの出ているほうが川上電気。写真左の2階建ての家が喜多村倉庫。現在は2軒ともなくなって、地図では「天理教城之栄分教会」となっている3階建てのビルが建っているほかは駐車場に替わった。
3枚目の写真は喜多村倉庫のほうから撮ったへたな写真だが、この写真があったので2枚目の写真の場所が判明した。

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誠信堂薬局
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-6
1993(平成5)年5月31日

由比ガ浜大通りの六地蔵交差点のすぐそばにある薬局の旧店舗。写真手前には今は「The Bank」というバーになった横浜興信銀行だった建物がある。写真の建物が残っていて、旧銀行の建物と向かい合って建っていれば、立派な観光スポットになってテレビで取り上げられる機会も増えたのではないかと、今になれば言えるのだが。外観をロマネスク様式風に飾った看板建築で、角に建っているので横面も正面と同じ造りにしている。建ったのは1928(昭和3年)年だという。
観光地らしくフイルムを売っていたので求めたことがある。内部は奥に漢方薬を調剤するための場所があったりして外観同様に古めかしいものだった。
薬局にはどういうわけか洋風の看板建築の中でも立派な建物が多いような気がする。以下、当ブログに掲載したものを並べてみた。
小幡薬局(日本橋蛎殻町) 瀧澤薬局(東上野)坂口薬局(台東)加藤薬局(本郷) ほてい薬局(東上野)トラヤ薬局(築地)

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