ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



大野ビル。中央区新富2-11。左:1985(昭和60)年8月31日、右:1987(昭和62)年12月30日

新大橋通りから正金アパートの角で西へ入ったところ。パウリスタの写真右端に写っているのが上の写真の洋風3階建ての家。
キムラヤは現在、閉店してしまったが建物はそのまま残っている。キムラヤの右は花田庵というそばや。戦前の地図でも「そばや」で、その店が続いているのだろうか? 洋風3階建ての家は現在、4階建てのビルの奥に「大野駐車場」という駐車タワーを建てている。写真の建物の名称は分からないがとりあえず大野ビルとしておく。昭和25年頃の火保図では建物の左側は「真壁歯科」。


岡田製本(左)。平成通りの新富町郵便局の裏。
新富2-5
1987(昭和62)年5月3日

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料亭松し満。中央区新富2-10。1985(昭和60)年9月8日

平成通りの京橋税務署の、ということは昔は新富座の裏にあった料亭。新富町がかつて花街だったというのが実感できる建物だ。花街としての始まりは1868(明治1)年に築地居留地と同時に開設した新島原遊郭だという。それが思ったように客が来ず、明治4年には廃止になる。ところが明治5年に守田座(明治8年に新富座と改名)が移って来て、料亭や芸者置場は息を吹き返し新富座を中心に花街として発展したという。花街の名称を返上したのがいつなのか気になる。
松し満は創業して200年になるというから、新島原遊郭よりも70年くらい古い。現在はマンションが建てられたが、松し満は写真向かいのビルで料理屋を続けている。



京橋税務署の横から見た西側。1984(昭和59)年頃


林田繊維
新富2-10
1985(昭和60)年5月3日

1枚目の写真の右手へ行った松し満の隣、道路の角にあった民家。

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ビューティーサロン・ロワール。千代田区神田神保町2-11。1987(昭和62)年11月1日

前の通りは神保町のさくら通り、東洋キネマの並びで同番地だ。
1986年の住宅地図では写真左から、柿島ビル(柿島酒店)、ロワール、皆美社(写真では2階に新しき村他)、秋山(表具店)、山形屋。
昭和30年頃の火保図ではロワールは「ヤングバーバー・横山」となっている。その店が続いているのかもしれない。また写真右端の家は同地図では「高橋靴店」だ。住宅地図の「山形屋」だが、この近所で山形屋というと有名な和紙の店がある。たぶん山形屋がビルの建築中なので倉庫として借りていたのだと思う。当ブログの「まりっぺ、ジュネス」に載せた写真には「高橋靴店」の赤い字の看板がかかっている。また「東洋キネマ」の1枚目の写真から1985(昭和60)年には商売をしていたと分かる。
高橋靴店を中心に写していなかったが、さいわいなことに「都市徘徊blog>神保町・靴橋」に正面から撮った写真が掲載されている。



米山印刷。神田神保町2-11。1987(昭和62)年頃

1枚目の写真の家並みの裏側の路地、つまり靖国通りの裏の路地。手前から、米山印刷、石井アルバム、民家、保田製本、民家、東京中央信販。昭和30年頃の火保図にも、米山印刷、石井アルバム、保田の名前が見える。

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大西質店。文京区本郷6-3。1988(昭和63)年2月21日

本郷通り東大正門前の横丁を入ったところ。出桁造りの立派な建物が大西質店。現在は廃業したようだが撮影時は電柱に広告が付いている。前面の板壁を補修したばかりのようだ。現在ではその板もいい具合に黒ずんで瓦屋根も残しているので、1905(明治38)年に建てられたというそのままのように見える。
写真左端は本郷通りに出る角で、井上書店がある場所だが工事用フェンスだけが写っている。



弥生。1989(平成1)年5月5日

1枚目の写真で大西質店の左は小池屋という学生服の店でさらに何軒か左にCABINの看板とタバコの自販機のある家が香月タバコ店。その間にあった家が上の写真。住宅地図では日本家屋が「弥生」、写真右が「東京プリント印刷」。現在は取り壊されて駐車場になっている。

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井上書店。文京区本郷6-2。1986(昭和61)年5月

本郷通りの東大正門前。写真右端は「万定果実店」だが看板を見ると酒も売っていたらしい。
井上古書店の建物は切妻屋根だから木造のように見えるがRC構造の2階建てだ。建物が雨漏りするので、陸屋根の上に切妻屋根をかけたものではないかと思う。『日本近代建築総覧』では「旧日本昼夜銀行支店、T中、RC2、S8所有」で、日本昼夜銀行だった建物を昭和8年に井上書店が手に入れて菊坂から移ってきたようである。


金子書店
本郷6-2
1988(昭和63)年10月23日

井上書店の横を入った、万定フルーツパーラーの斜め向かいにあった古書店。1階屋根の上の看板の横面にランプの絵が描いてある。金子書店のすぐ先にやはり出桁造りの大西質店があり、そちらは明治末の築年ということだから同時期に建てられているのかもしれない。

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新富ビル。中央区新富2-13。
上:1987(昭和62)年12月30日
左:2002(平成14)年1月3日

上の写真左は日刊スポーツ印刷社のビルで、旧相馬ビル1号館。新富ビルは相馬ビル2号館だった。写真左端に築地橋際の築地菊栄ビルと新富座の跡の京橋税務署が写っている。写真右端は印刷産業協同組合。
相馬ビルはアパートとして建てられたらしい。新富ビルが解体されたのは「廃景録>消えた近代建築」によると平成15年5月。

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台東区立清島小学校。台東区東上野6-16。1987(昭和62)年頃

清洲橋通りから撮った校舎の西側。前の木立は清島児童公園のもの。校名は旧町名の浅草区北清島町→台東区浅草北清島町から採った。
写真の校舎は、建築年:1929(昭和4)年、設計:東京市、施工:藤本清次郎。ロの字形の平面で校庭は校舎と体育館で囲まれている。
清島小学校は1990(平成2)年4月に下谷小学校と統合して上野小学校になった。旧清島小の場所に建った校舎は1991年に完成したもの。




上:写真左手が体育館のある南側
左:東側
1988(昭和63)年5月1日

施工者が藤本清次郎という個人名になっている。「日本近代建築総覧」によると、台東区にある小島小学校、二長町小学校柳北小学校、台東小学校が藤本清次郎による施工だ。藤本清次郎というのは建設会社の社長だと思うのだが、なぜ会社名で載っていないのか分からない。関係あるのかどうか分からないが竹町小学校は藤本組だ。

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政弘印刷。千代田区神田神保町1-33。左と右下:1987(昭和62)年12月31日、右上:同年11月8日

白山通りから東へ入ってすぐのところ。前の狭い道路は、今は東京パークタワーの北の広い道路に変わってしまった。政弘印刷の一画も再開発地区になって、2002年1月に「神保町101ビル」が建った。番地まで101に変わってしまった。
政弘印刷の建物は窓の上のアーチの飾りや1階の窓の両側の柱などが面白い。住宅として建てられたのだろうか?


天下一ソロバン
神田神保町1-11
1985(昭和60)年4月

神保町すずらん通りの白山通りに近いところ。「天下一」というのはソロバンの商品名らしい。店の名前は「さつまやソロバン店」だという。さつまやの右は「パサディナ」。喫茶店みたいだ。建築中のビルは揚子江菜館。
昭和30年頃の火保図ではパサディナのところは路地になっている。

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郁文堂書店、ニイミ書房。文京区本郷6-17。1988(昭和63)年1月30日

本郷通りの東大正門前交差点。写真左から、万定果物店、郁文堂書店、ニイミ書房。古書店の並ぶ通りだが、この2軒は新刊の書店のようだ。住宅地図では、後ろの建設中のビルは「七宝湯」の跡地に建てている。
ニイミ書房はかなり特異なデザインの看板建築で、この辺りではけっこう親しまれていたようだ。「本郷まちづくり協議会>本郷の歴史的建築物>ニイミ書店」によると昭和13年の建築。本を開いたまま伏せた形と考えられるが、アフリカの美術工芸品的なデザインをも連想する。また、時期が異なり左右対称なので関係ないとは思うが「マヴォ」も思い浮かんでしまう。2002年11月に取り壊わされた。

左:2000(平成12)年5月5日、右:1986(昭和61)年5月

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日刊スポーツ印刷社(左)、新富ビル(右)。中央区新富2-8。1986(昭和61)年8月31日

築地川(首都高)の入船橋と築地橋の間、築地2丁目の河岸から対岸を見たもの。「日刊スポーツ印刷社>歴史」に『1952(昭和27)年8月7日、【株式会社日刊スポーツ印刷社】設立。12月、東京都中央区新富町3-7山崎重工業ビルを取得。』とある。「山崎鋼業KK」なら火保図に見えるが「山崎重工業」と同じだろうか?
新富ビルとは階数は異なるが似た外観だ。昭和30年頃の火保図だと相馬ビル1号館(日刊スポーツ印刷社)と相馬ビル2号館で、戦前の火保図も同じ。同じ建主で同じような時期に建ったような印象を受ける。



日刊スポーツ印刷社。手前は新富稲荷神社。1987(昭和62)年4月29日



写真手前にあった「堀野商店東京支店/キンシ正宗」のビルが解体されて日刊スポーツ印刷の西面が見えている。1987(昭和62)年頃

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