ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




大内邸。中央区日本橋人形町1-6。1987(昭和62)年6月7日

前の通りは甘酒横丁を小網町のほうへ延長した道路。東華小学校(現日本橋小)の近くである。この辺りでは珍しい、というよりありえない庭付き一戸建ての住宅である。敷地内には3棟の家があったようだ。撮影日よりさらに20年以上前の話だが、庭には防空壕が掘られていたと聞く。現在は1988年9月に完成した人形町大内ビルに換わった。したがって撮影後、じきに取り壊されたようだ。



文華堂の並び。日本橋人形町1-6。1985(昭和60)年10月10日

東華小学校(現日本橋小)の前を人形町通りへ向かう横丁。写真左手が人形町通り。建物は右から、民家、かつら(洋食)、中久商店(呉服卸)、嵯峨(コーヒー)、大竹文華堂(文具)、民家、池西。
昭和35年頃には東華小学校の生徒は文華堂から教科書を配布されていたという。もちろん文具もこの店から購入することが多かったのだろう。


旧渡辺表具店
1986(昭和61)年10月12日

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





奥富の長屋。台東区東上野4-22。1989(平成1)年7月23日

浅草通りの東上野3丁目から北へ入って上野学園の辺りで清洲橋通りと合流する通りがある。写真の長屋はその通りを地下鉄の踏み切りのある通りを越えたところにあった。看板建築にした6軒長屋だ。住宅地図では手前から「てんぐ」「奥富」「オーツカ理髪店」で、以下は住宅のようだ。中華料理・とんかつの奥富のショーウインドの張り紙は閉店の告知だろうか。2月に撮った写真では張り紙はなく、ガラス戸越しにのれんが見えている。手前角の家も飲食店だったように見える。その横にさび付いて傾いた井戸のポンプが見える。そこの路地を入ると第一ポリエチレンの長屋に出る。現在は台東保険所の大きなビルが建った。



いなり寿司専門店。台東区東上野4-23。1989(平成1)年7月23日

1枚目の写真の長屋から路地を1本挟んだ北側。写真に写っているビルや家は現在も変わっていない。3軒長屋の店は「きつ音忠信」というのが店名。
写真左の下里ビルの日除けの文字は、右の家の看板と同じで「赤帽・稲葉運輸倉庫」。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






上:初音ガレージ
台東区東上野5-13
1989(平成1)年7月23日

左:民家
東上野5-16
1989(平成1)年7月23日

上の写真は浅草通り下谷神社前交差点を北へ入って200mくらい行ったところ。現在、初音ガレージという駐車場があるが、写真左の駐車場がそれである。撮影時の住宅地図では「初音(月極P)」。2階正面を増築したらしい家は駐車場の敷地にあるようだ。写真右端の家がたぶん三協建設。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





六軒長屋。台東区東上野4-22。1987(昭和62)年頃

長屋のあるところは現在では台東保険所になっている。写真左奥のビルは上野学園大学だが、高・中学の建物かもしれない。住宅地図では手前の家が「第一ポリエチレン」、一方の端に看板を出しているのが「池田菓子店」。



同じ長屋を北側から。1991(平成2)年6月30日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





下谷ビル(下谷金属)。台東区東上野5-2。1987(昭和62)年頃

浅草通りの東上野3丁目交差点。下谷金属の後ろの赤っぽいビルは東京消防庁上野消防署。下谷金属の右、4階建てのビルの日よけの文字は「ミスターケン」。このビルは下の写真では取り壊されている。その右の2階建ての家は「金竜堂」。
下谷金属のビルは銀行だった建物だろう。



下谷ビル。1988(昭和63)年5月1日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




熊谷ビル。中央区銀座6-5。左:1986(昭和61)年頃。右:1986(昭和61)年8月24日

前の通りは銀座の交訽社通りで、銀座7丁目の外堀通りに立つ電通ビルの向かいにあった。
『日本近代建築総覧』では「建築年:昭和10年、自家設計、施工:石井工務所」。
現在は銀座エルドールビルに変わった。ネットで「銀座エルドール」を検索して知ったのだが、熊谷ビル1階は「エルドール」という高級洋菓子店だったようだ。1991年に閉店したという。

熊谷ビル。左:1986(昭和61)年5月11日、右:1991(平成3)年。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ほてい薬局。台東区東上野4-9。左:1987(昭和62)年頃、右:1988(昭和63)年5月1日

下谷小学校(現在は廃校)の北の通りで、ほてい薬局の前を右へ行くとすぐ昭和通りとの東上野交差点。バイク街の裏手といった場所だ。
建物は西洋の洋式建築風に仕上げた看板建築で、建物上部に布袋様、2階の窓のアーチの中にねずみのレリーフが飾られている。写真でははっきりとねずみとは分かりにくいが、ぼくははっきりと記憶している。ねずみとの関係が深いのは大黒天になるのだが、建物のねずみはなにを表そうとしたのだろうか。


ほてい薬局
1989(平成1)年7月23日

ほてい薬局の横を撮った写真。後方のビルは昭和通りを超えた上野7丁目になる。
店舗の裏は日本家屋で庭まであったようだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





岩永理髪店。台東区東上野4-12。1988(昭和63)年5月1日

下谷小学校の北の通りで写真左手にいくとすぐ昭和通りに出る。写真右に神吉湯。トタン張りやモルタル塗りの4軒の家は今も健在で理容イワナガも商売が続いている。



神吉湯。東上野4-12。1988(昭和63)年5月1日

カメラを少し左へ振れば、という写真だ。下谷小学校の裏門の向かいである。銭湯の名称は旧住所の神吉町(かみよしちょう)による。この周辺は空襲の被害を受けていない。古い建物は戦前のものだと思っていたが昭和22年の航空写真では神吉湯から北へ筋状に家がない。昭和16年の地図には煙突のマークがあるので、写真の建物は戦後に建て直したものだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





旧下谷小学校。台東区東上野4-7。2008(平成20)年3月2日

台東区立下谷小学校は平成2年4月に東上野6丁目の清島小学校と合併して上野小学校になった。校舎は清島小の場所に新築した。写真の校舎は1928(昭和3年)の竣工で、設計:東京市、施工:安藤組。
現在は蔦がうっそうと絡んで廃墟のように見えるが、近所の学校が臨時の教室にしたり向かいの台東区役所の職員のクラブが体育館や校庭を使ったりしているらしい。



下谷小学校。1989(平成1)年7月23日。廃校になる半年ほど前の姿。

1989(平成1)年7月23日。下谷小学校だったときから蔦が這っている。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





千葉ビル
中央区日本橋本町4-2
1986(昭和61)年1月12日

江戸通りの本町3丁目交差点のすぐ裏。吉岡商店の斜向かいにあった。左写真の右手へいくとすぐ昭和通りに出る。
3階を後方に引っ込めてあるのはよくある構造だが、普通は前部をベランダにする。このビルは斜めに、大きい窓の壁でベランダを室内に取り込んでいる。入口上の装飾がビルの規模に反してごつい印象だ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ