ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




ワカマツヤ洋品店。中央区築地6-12。2004(平成14)年11月6日

有名な物件である。とにかく2階のベランダの手すりが目を引く。戦前の地図に「若松屋」として出てくる。
写真左端は寿湯で、看板建築風に前にパネルを立てまわす改装がされている。


ワカマツヤ洋品店。1985(昭和60)年6月2日

約25年前の写真。向かって左の家には「山之内靴店」の看板が懸かっている。写真には写っていないが看板の左側は「山之内菓子店」。右の家は昭和25年頃の地図には増山靴店とあって、靴屋がワカマツヤを挟んでいた時代があったようだ。

看板建築の長屋
築地6-10
1985(昭和61)年頃

3階建ての長屋は珍しいと思う。

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乾電機。中央区築地6-7。1987(昭和62)年5月24日


乾電機の後ろに続く民家。築地6-7。1991(平成3)年5月5日
乾電機の出桁造りの商家とこの日本家屋の家並みはいまだ健在だ。


八百喜商店。築地6-7。1991(平成3)年5月5日

「八百喜」は昭和10年頃の地図に載っているから、建物は最初から八百喜として建てられたものだろう。右から後に続くマンションは戦前は製氷工場(大増氷販売㈱)、後に冷凍倉庫(大増製氷冷蔵庫)になった跡地に建設されている。

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晴海通りの商店長屋。中央区築地6-10。1986(昭和61)年頃

バス停は「築地6丁目」。写真右へ行くとすぐ勝鬨橋だ。
山本電気店とフジヤ時計店は昭和25年頃の火保図に出ている。

左:民家。築地6-8。2002(平成14)年3月頃
洋風の小さい別棟のある民家。右(北)隣には出桁造りの元は商家だったような構えの家があったがビルに変わった。

右:北晃水産。築地6-8。1987(昭和62)年5月24日
晴海通りの北の裏通り。写真左の白く塗った家が中央築地第六郵便局。旧町名から、かつては「小田原郵便局」といったらしい。現在は北晃水産の建物が郵便局になっている。

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スズキ堂薬店。台東区台東3-11。1988(昭和63)年4月10日

角にあるのでL字型になっているが5軒長屋になるのだろうか。
前の通りは左手へ行くとすぐ昭和通りの台東2丁目交差点、右は清洲橋通りの佐竹通南口に出る。


理容シマムラ。1989(平成1)年1月29日

スズキ堂薬店の洋風長屋の隣には銅版張りの2軒長屋。喜久屋クリーニング店と理容シマムラが入っている。店の前の車道に自転車が何台も置かれているが、ここに置いてどこに行くのだろう?


山田工務店。1985(昭和60)年10月27日

理容シマムラの隣の角の家。「工務店」としたが、ぼくの推測である。住宅地図では個人名になっているので商売はやっていないのかもしれない。建物横の2階の壁に貼られた文字は、読み取れたのは「人造石・タイル張り・○化積・コンクリート・○○風呂・和洋壁・工事○○山田」

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よど川。中央区築地6-9。1989(平成1)年11月5日

晴海通りの築地6丁目交差点、写真右手が勝鬨橋の方向。銀座も間近い大通り沿いだが、平成1年ではまだ看板建築が並んでいる。角の家の左側に「よど川」の看板を掲げているのは飲み屋だろうか。正面の方は商売をやめてしまったようで、住宅地図も空白である。


大為商店、砂場。築地6-9。1991(平成3)年5月5日

写真右端が1枚目の写真の「よど川」。左の家はそばの砂場。名前も店構えも、有名な砂場の築地店かと思うのだが……。左端に写っているのはコカコーラの看板で、その下に「そば砂場」と書かれたものだが、どうも老舗らしくない。入口も営業中はのれんを下げるのかもしれないが、よくあるアルミの引き戸だ。ただし、昭和25年頃の火保図に載っている。

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糖業会館。千代田区有楽町1-9。左:1986(昭和61)年8月17日、右:1992(平成4)年3月8日

設計は渡辺節、清水組の施工。社団法人糖業協会のクラブハウスおよび事務所として建てられたらしい。建てられた昭和14年は9月にナチスドイツがポーランドに攻め込んで第2次大戦が始まった年だが、製糖業界は景気がよかったのだろうか。
清水建設200年作品集で竣工時の姿を見ると、正面から見たところは5階建てで、奥にもう1階、その一部に7階の部分が乗っている。上の写真では7階までは階段状の空間を埋めるように増築され、8階もありそうだ。

糖業会館の玄関。左:1985(昭和60)年11月22日、右:1986(昭和61)年5月18日

ニッポン放送の開局は1954年で、最初から糖業会館に本社を置いた。ビルの増築はどうもニッポン放送の要請によるものらしい。
現在は2004年竣工の「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」に変わった。

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浅草消防署。台東区浅草橋3-10。1986(昭和61)年4月6日

浅草消防署
1986(昭和61)年4月6日

現在の浅草消防署は駒形に移り、こちらは建て変って浅草橋出張所になった。
東京消防庁浅草消防署の「沿革」によると、昭和4年6月4日に当時の住所で向柳原に新しく設置されたこの消防署を「第五方面向柳原消防署」として発足したのが浅草消防署の始まりだという。昭和61年11月から駒形に新庁舎を建てて移転し、平成3年4月に「浅草橋出張所」と名称変更した。
建物は昭和4年の竣工、設計は警視総監官房会計課営繕係。
塔屋下の玄関には「東京消防庁浅草消防署」の他に「浅草消防団本部」「消防相談所」の看板が架かる。

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渡辺電化商事。台東区浅草橋3-33。1987(昭和62)年6月7日

店の正面に金文字が残っている。東京海上火災保険の代理店だったようだ。
写真右の道を奥へ行くとすぐ蔵前通りの鳥越神社前交差点に出る。
左右の道は蔵前橋通りの1本南の裏通りで、現住居表示になる前は浅草向柳原2丁目と浅草鳥越2丁目との境だった。町境になっていたのはここを三味線掘から来る鳥越川が流れていたためで、これらの堀川は大震災後に埋め立てられた。この道は渡辺電化商事の辺りから南のほうへカーブしていて、周辺の直線の道路とはパターンが違っている。鳥越川の名残としては、江戸通りの須賀橋派出所という交番の名称と甚内橋遺功の碑(ぼくは確認していないが渡辺電化商事の向かい側らしい)とがある。

菱川印刷所
浅草橋3-33
1987(昭和62)年6月7日

蔵前橋通りから狭い路地を入った所。

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イーグルビル。中央区日本橋馬喰町1-13。1987(昭和62)年10月4日

靖国通りと江戸橋通りが交わる浅草橋交差点の角。写真右の通りが靖国通りで奥が岩本町の方向。現在もあって、浅草橋や両国橋の方から来るとほぼ正面に見える。
昭和30年頃の地図に「イーグルオートバイKK」とあり、ビルの名称はそこからきているようだ。1階の壁面が黒いタイル張りだが、改装されてのものだろう。

畔上硝子工業
日本橋馬喰町1-14
1985(昭和60)年12月31日

写真左側は靖国通りの歩道で、奥が両国橋の方向。
中村與資平記念館別館>中村鏡商店」にある建物だ。そこのキャプションによると、1928(昭和3)年の竣工で、当時は「中村鏡商店」。屋上に増築されているのと窓枠が変わった以外は竣工時の姿をよくとどめている。
昭和10年の地図では「内田ゴム店」、昭和30年頃の地図では「大日工業精工」、撮影時が「畔上硝子工業」だから、いろいろと変遷を経てきているようだ。

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佐々木硝子。中央区日本橋馬喰町2-2。1988(昭和63)年2月21日

靖国通りから神田川の左衛門橋の方へ入る角にあった。写真右へ行くと両国橋。
ブログ「中村與資平記念館別館>佐々木硝子」によると、設計:中村與資平、竣工:1928(昭和3)年である。「中村與資平記念館別館」にある竣工時の写真を見ると、窓が改装されているのが目立つ。縦長だった窓の間の壁を取り払って2つの窓を大きな1つの窓に作り変えている。
中村與資平については日本橋アフロディテを当ブログでアップしたときに「中村與資平記念館別館」を運営するyosihei氏からコメントを頂いて知ることができた。

佐々木硝子
1985(昭和60)年12月31日

「中村與資平記念館別館」で中村の設計になる東京にあった建物を見ると、佐々木硝子の靖国通りの向かいにあった畔上硝子(中村鏡商店)があった。また、日本橋横山町の小松ビル(海渡ビル)は外観がだいぶ改装されているが現存する。横山町ビルというのもあった。日本橋富沢町の日本橋アフロディテ(古川銀行元浜町支店)はすでに当ブログで取り上げた。わりと近くに中村の設計によるビルが幾つもあったような感じがする。

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