ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



浅香質店。荒川区南千住1-56
2007(平成19)年8月3日

日光街道(国道4号)の常磐線のガードから北へ240mのところ。左に真正寺の参道が開いている。
『東京都の近代和風建築』(2009年、東京都教育庁地域教育支援部管理課編集)によると、「浅香家は明治30年(1897)頃に当地に借地し足袋屋(地下足袋)を開業した(暖簾に「和多屋」と屋号が入っているが、創業時のものだろうか)。その後洋品屋を経て、現在の当主の父の代より質屋を営む。店棟(正面左の2階建出桁造り)および質蔵(RC3階建)と主屋(質蔵の裏)は、昭和11~12年(1936~37)の建築で、祖父の代に北千住の大工棟梁が建築したと伝えられている」。主屋の後に2階建土蔵がある。大正期震災前の建物。三階蔵の前の店舗は煙草店にするため設けたが、貸店舗にしている。スクラッチタイル貼りにしているので戦前の増築かもしれない。写真では「さくら井土地住宅社」という不動産屋。2017年頃までは営業していたようだ。
北側のマンションは、元は浅香質店の敷地だったらしい。
今では日光街道沿いには、戦前築の商店建築はほぼ消滅した。『東京都の近代和風建築』では「日光街道に面する近代の商家として、出し桁造の伝統的な町家の意匠を継承する一方で、質蔵を鉄筋コンクリート造とし、スクラッチタイルの店舗を設けるなど、近代的な技術や意匠を導入した近代和風建築の事例として貴重」としている。

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金井荘。荒川区南千住5-29。2013(平成25)年11月6日

南千住仲通りの中央辺りの四つ角を南へ入ったところにあったアパート。写真右奥はJR常磐線のガード。街灯は仲通りと同じものだ。「金井荘」は1969年の住宅地図から。割と幅のある建物で、写真手前の路地に入口があるが、そこから廊下が奥へ通じていてその左右に部屋が並んでいたのかと思う。
「Beauty Art Pane」の看板の店はなんとなく美容院のように感じていたが、paneは窓ガラスなのでステンドグラスを作っているのだろうか? その隣は「稲穂」(料理屋?)、1軒おいて「楽天」という居酒屋。
現在は「ティーケーメナー」(2014年6月築、3階建9戸)という小さいマンションに建て替わっている。

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倉本酒店。荒川区南千住5-24。2013(平成25)年11月6日

「南千住仲通り」商店街の西側入口は、都電三ノ輪橋への通路として知られている日光街道に面する梅沢写真会館の100m北に開いている。商店街の通りは、2階建の看板建築風の建物が基本のようで、すでにその半分以上が住居に建て替えられているように感じる。450mも続いてJR南千住駅の近くの日光街道に至る。住宅街の中を東西に通っている、近隣の住民を顧客にした商店街で、やはり近年は衰退してきている。
写真は日光街道から入って100mほどのところ。倉本酒店の右は「チヨダハイクリーナー」の看板の店だが廃業しているようだ。さらに右に「やぶ茂」という蕎麦屋。写真奥は丁字路で、商店街は少し左に振れる。写真の家並みの向かい側に「洋家具製造卸 山田商店」の平屋の建物や、「中華料理 一番」があるが、共に閉店している。『 Deepランド>「南千住仲通り商店会」南千住、日光街道沿いの人情深い商店街』がこの商店街を詳しくレポートしていて、山田商店や一番の写真はそこで見ることが出来る。




上:澤田家具店、左:紅屋呉服店
南千住5-24。2013(平成25)年11月6日

澤田家具店は後の平屋が製作所なのかもしれない。1969年の地図では平屋の後の駐車場とその東側が「工場」で、澤田家具店の工場だったらしい。写真右奥を左に入ると「家具製造卸 澤田工業所」の古い3階建ビルがある。家具店と関連がありそうだ。
澤田家具店から右(東)へ3軒目の紅屋呉服店は2020年頃には看板を外してしまった。

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現徳湯。足立区本木東町(もときひがしまち)15。2005(平成17)年1月17日

現徳湯は本木新道沿いの、本木小学校の少し北の向かい側にあった銭湯。撮影後1・2年で廃業したと思われる。現在は住宅3棟に変わっている。
千鳥破風の典型的意匠の銭湯。このスタイルの銭湯は戦後もけっこう建てられていて、現徳湯がいつ頃の建物なのか分からない。「現徳」とは経営者の名前なのだろうか?
現徳湯』の探訪レポートに「浴室は東京では珍しいぐらい小さくて、地方の銭湯の規模だろうか」とある。現徳湯が建った頃はまだ農村に近かったのだろう。2か所の破風の懸魚は木彫の凝ったもので、玄関横のタイル絵もあって、正当と思われていた様式に忠実な建物だったようだ。

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たんぽぽ、ミツエ。足立区興野2-1。2005(平成17)年1月17日

本木新道を西新井大師-北千住駅の東武バスが運行している。写真はその「興野(おきの)センター前」バス停の付近。「興野住区センター」は本木新道の東側の裏手にある。写真の建物は本木新道の西側で、裏手には興野神社がある。「興野銀座会」の街灯があるが、横丁から左(南)は「本木中央通り商店会」に変わる。
写真の建物は、右の「大衆酒場 精ちゃん」までが1棟のアパートでL字型平面をしている。2019年8月のストリートビューでは「韓国家庭料理 ミツエ」と精ちゃんを残して、建物の半分が取り壊されて空き地になっている(現在はTimesの駐車場)。その画像ではミツエの紺色のテントが外されていて、建物の看板が見えていて、そこに「傘」の一字が残っている。

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長尾商事。足立区興野2-22。2005(平成17)年1月17日

大師前駅近くの環七通りから本木新道に入って荒川に出るまでの中間あたり。「興野(おきの)銀座会」の街灯がある。横断歩道は信号のある交差点。
横丁との角にある大きな看板を乗せた平屋の家はなんの店だったのだろう。廃業しても看板の文字を残しておいてくれるといいのだが、そうもいかないかな。その右の、かなり古そうな日本家屋は不動産屋の「長尾商事」、さらに「中込寝具店」。
現在、平屋の家と長尾商事の家は時間貸しの駐車場(5台)と「カームサンシャイン」(2007年3月築、木造2階8戸)というアパートに替わった。中込寝具店は2019年4月に取り壊されて駐車場になっている。長尾商事は少し北へいった同じ並びに移って営業している。

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時田輪業。足立区西新井本町5-12。2005(平成17)年1月17日

本木新道の足立西郵便局の辺りに、古い二軒長屋がわずかに残っている。本木新道は古い街道のようなものだから、それに沿って建つ商店なども戦前からのものが残っていそうなものだが、今は10軒あるかどうかといった程度のようだ。
「時田輪業(時田モータース)」の長屋は、元は三軒長屋だったのを左の1軒が建て替わったものらしい。今は瓦屋根が葺き替えられている。その右にかつては二軒長屋が4・5棟並んでいたようだが、その1軒が残っている。後ろのマンションは「秀和西新井レジデンス」(1982年3月築、11階建て192戸)。



双葉屋、内海理髪店。西新井本町5-12。2005(平成17)年1月17日

1枚目写真の右に続く家並み。麺製造小売りの「双葉屋」は二軒長屋で、右側を看板建築にしている。「内海理髪店」は一戸建ての家だろう。横の路地に向いて居酒屋「じゅんちゃん」の店がある。
この床屋さんは『 Kai-Wai 散策>内海理髪店』で取り上げられている。店のご主人に取材していて、昭和30年頃の開店という。「この店も来月(2006年9月)廃業」、建物は「震災にも戦災に耐えたと聞いている」という店主の言葉が記録されている。
写真の2棟が取り壊されたのはストリートビューから、2016年頃らしい。

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アイスクリーム屋。足立区西新井本町5-9。2005(平成17)年1月17日

環七通りの西新井大使前交差点から本木新道に入って430m南の西新井小学校の向かい側。写真の店はアイスクリームを売っているということしか分からない。建物中央辺り、ガラス戸越に見える文字と右の幟は「たい焼」だろうか? 昭和22年と38年の航空写真を見比べると別の建物に見える。入母屋屋根の家は戦後、二軒長屋を建て直したもののようだ。現在は3階建ての小さなマンション風のビルに建て替わっている。

本木新道は尾竹橋通りの西を、ほぼ平行に走る裏通り的な道路に見えるが、昔は千住方面との主要な道路だったと思われる。戦後順次埋め立てられたり蓋をされたりしていったらしいが、「本木堀(もときぼり)」という農業用水の流路に沿った道だった。
『川の地図辞典』(菅原健二著、㈱之潮(コレジオ)、2007年、3800円+税)によると、本木堀は「見沼代用水東縁(ひがしべり)用水から榛ノ木(はんのき)橋付近で分れ、伊興村(いこうむら)の西部を流れて西新井町に入る。……その後、栗原町、興野町(おきのちょう)の西を経て本木方面へと流れ、用水の東部地域の耕地を灌漑した。水路は周辺の住宅や工場の増加などによって排水路=下水化し、現在は暗渠化されたり埋立てられて道路などになっている。」

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静香園。足立区西新井栄町3-8。2005(平成17)年1月17日

環七通りの西新井大師前交差点から南へいく通りを「本木新道(もときしんどう)」という。その通りにはいるとすぐに写真の「西新井三栄商店街」の通りとの交差点がある。その角に波トタン貼りの看板建築があった。今は1階が不動産屋の3階建ての住居ビルに替わっている。2010~13年頃の変化である。看板建築にした二軒長屋のようだから昭和初期の建物かと思うが、今はもう近辺に昭和初期と決めていいような建物はまったくない。
建物の正面1階中央に三角柱の看板があって、その2面に「静香園」という字が、消えかかってはいるが残っている。日よけのテントも2軒で同じだから、建物1棟を静香園が使っていたのだろう。「園」がつく店はというと普通はお茶屋だ。

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たぐち湯。足立区西新井6-3。2007(平成19)年1月27日

写真左端に鳥居が写っているのだが、環七通りの西新井大使参道交差点から西へ250mほどのところの北側にある「西新井浅間神社」。境内に「富士登山記念碑」があり、本殿の土台は富士塚の跡とも言う。
たぐち(田口)湯は1955(昭和30)年の開業(西新井・たぐち湯)で、建物もその時に建ったものだろう。なぜか、昭和38年の航空写真には写っていない。ずいぶんと大きな伝統的な外観の銭湯だったようだ。昭和30年頃には周囲に長屋風の借家が数多く建つようになり、銭湯の需要が急増したのかもしれない。2008年11月3日で廃業した。
写真手前の空き地は、今は建売住宅が立ち並んでいる。たぐち湯も住宅8棟に替わった。

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