ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




居酒屋 まこ、BARABA。横浜市中区野毛町1-53。2010(平成22)年4月10日

当ブログ前回の紅屋菓子店(現カフェ バジル)の横を入ったところ。2階の壁面に洋風のレリーフを施した看板建築がある。ねじり柱、アーチとその中のエムブレム、縦長の上げ下げ窓。関東大震災復興期のものかと疑うほどだ。空襲で焼き払われる前は、こんな建物が普通にあって、それを再現したのだろうか。ストリートビューを見ると、「まこ」は2014年には看板がなくなっていて、2015年には「Go West 24」というバーが入った。

「BARABA」と「スナックすまいる」は「まこ」から右(南)へ4軒目。2014年に取り壊されて2020年に3階建の「ソフィア野毛」(1階に「ビストロ アン クール」)が建った。
「野花商店会」の表示板がついた街灯は2018年頃になくなっている。

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紅屋菓子店。横浜市中区野毛町1-53。2010(平成22)年4月10日

野毛本通り(都橋の通り)に面した、今も残る戦後復興期に建てられた商店。左から「占い館 沙羅双樹、ランドリーハウス、紅屋菓子店」。紅屋は廃業した様子だ。そこに2011年には「カフェ バジル」が入った。同じ建物のクリーニング店は2016年1月に「からころ村」という立ち飲みができるから揚げ専門店に替わった。沙羅双樹は1990年頃の開館らしい。
紅屋の建物は看板建築で建てたときの外観があまり改装されずにきたような感じだ。紅屋の看板の横は「日の出不動産」の広告。バジルに替わったときだと思うが、正面の紅屋のロッテの看板が外されて、横の看板が「お菓子 紅屋」のロッテのアイスクリームの看板に替わった。不動産屋の広告を剥がしたらそれが出てきたのだろう。イタリアーノを懐かしく見る人もいるだろうし、以前の店の看板が残っていると町の歴史が分かったような気がして面白い。

野毛本通りから入っている写真左右の横町は、その間の間隔が狭い。この2本の道路は、新横浜通りの桜木橋歩道橋の南から始まり、緩いカーブを描いて京急日ノ出町駅近くの長者橋の通りまで追っていける。『野毛 幻の鉄道路線』で知ったのだが、2本の道路は大正期に鉄道路線を計画した跡である。桜木町駅から大船をつなごうとしたが、関東大震災で計画は中止された。経路は異なるが根岸線の先祖になるのだろうか。

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巴荘。横浜市中区宮川町1-8。2010(平成22)年4月10日

写真左が野毛都橋商店街ビルで、その向かい側の木造アパートが「巴荘(ともえそう)」。複雑な外観をしているが、敷地が三角形で切妻屋根の家をL字型に曲げた平面をしている。
写真では手前の店に「明文堂」と「ハンコ」の文字が残っている。今は「トリニチサカバ」というバー。その左は「喫茶みなと」で、今はその店名のままでバーだそうだ。その左は「うおふね」という小料理屋。赤い日よけには「バラエティショップ 北洋」と読めるが、「かりゆし」に替わったのだろうか。巴荘1階の店は今ではみなバーか居酒屋で、でなければ空家らしい。

下の写真は宮川橋の通りの方から見た巴荘の西側。左奥の街灯に「宮川町仲通り会」の表示板が掛かっている。ストリートビューを見ると、この表示板は2017年まではあったが2018年にはなくなっている。
建物角の2階の窓の桟が、建物の要所を意識してか、デザインされている。「かすり」の右の店はガラス戸に「日の出理容院」の金文字が残り、腰壁に白い豆タイルを貼った、廃業した理髪店の外観である。ところがこれが「日の出理容院」というバー。知っている人が入ってくればいいや、という営業形態なのだろう。



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野毛都橋商店街ビル。横浜市中区野毛町1。2010(平成22)年4月10日

大岡川の宮川橋と都橋の間の川沿いの道路上に建てられた共同店舗で、ちゃんとした住所はないようだ。宮川橋は宮川町(みやがわちょう)1丁目、都橋は野毛町(のげちょう)1丁目。建物名に「野毛都橋」がついているから住所も野毛町にしておいた。一般に使われている地区名としての「野毛」には野毛町も宮川町も入っているのだろう。
戦後の野毛は多くの露天で賑わった。大岡川から東の横浜の主要地はほとんどが進駐軍に接収されたから、日本人が商売できる野毛がその中心地になったのだろう。路上で営業していた露店を収容するために建てられたのが「野毛都橋商店街ビル」で、建設は市の依頼により「財団法人横浜市建築助成公社」が行った。設計=株式会社創和建築設計事務所(吉原慎一郎)、施行=株式会社小俣組、構造=鉄骨造地上2階地下1階建・陸屋根鉄板葺。
1964(昭和39)年11月21日が落成式。1階は靴、鞄、衣料品などの売店が、2階は喫茶、軽食などの店舗が入った。東京オリンピック開催に間に合わせた形になった(文化庁>野毛都橋商店街ビル横浜新聞第33号平成29(2017)年)。
2016(平成28)年に横浜市の歴史的建造物に登録された。戦後復興の歴史を伝える建物であること、飲食店街として地域に親しまれていること、河川と一体化したデザインの優秀性、などが評価された結果である。耐震補強工事や改修工事を実施した後、建物は2017(平成29)年12月に「公益社団法人・横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)」に寄贈された。


宮川橋から

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東急レストハウス。神奈川県藤沢市鵠沼海岸。1956(昭和31)年9月

「1955年(昭和30年)、神奈川県は湘南海岸砂防事務所に公園整備事業を加え「湘南海岸整備事務所」に発展させて、1957年(昭和32年)11月には特許事業方式(民間施設活用)の県立湘南海岸公園計画を告示した。告示以前から鉄道会社による東急レストハウス、小田急ビーチハウス(いずれも1956年)が建設されていたが、告示後には小田急シーサイドパレス(1958年)などが特許事業として続々と建てられ、斬新なデザインを競い合うこととなった。」(ウィキペディア>鵠沼海岸)
東急レストハウスの開業は1956年7月1日で、写真はそれから間もない頃になる。建物は円形のレストランの後に長方形の部分が伸びている形。駐車場などはまだ整備途中のようだ。写っている人物はぼくの叔母と弟。
当時僕の家はレストハウスの目の前にあった。自分の住んでいるところが観光地とは思わないので、レストハウスや小田急ビーチハウスのような建物が建つのが不思議だった。砂山がならされて景観が変わっていくのを眺めていた。1959年に東京へ越してしまったのでその後の鵠沼海岸の様子は知らない。

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き楽、しげ子。静岡県静岡市清水区巴町7。2014(平成26)年11月27日

国道149号の西を国道と平行に南流しているのが巴川。写真はその東岸の川沿いの通りで、千歳橋(県道407号)の北に昭和40年代に建てられたと思われる飲み屋が並んでいる。大通りの裏の飲み屋街といったところだ。ここも衰退傾向にあって、2022年10月のストリートビューでは、写真の左端から千歳橋の麓まで、開業していそうなのは3軒。「き楽」はすでに営業しているようには見えないが、2020年には看板を外して空き店舗になっている。「しげ子」の左は2012年5月のSVに「京」の看板。



ギョーザ倶楽部、しんちゃん。巴町7。2014(平成26)年11月27日

巴川に架かる千歳橋の際で、写真左側が巴川沿いの道、右が県道407号。飲み屋の「しんちゃん」は、2020年12月では改装されて「Riviere」の看板が小さく出ている。「プライベートサロン」と言われてもよく分らないが美容院らしい。
角の「ギョーザ倶楽部」はラーメン屋かと思う。2016年11月のSVでは「ちょい呑み処 さとす」に替わった。

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居酒屋小噺。静岡県静岡市清水区巴町6。2014(平成26)年11月27日

みずほ銀行新清水出張所の裏手にあった飲食店が入った建物。国道149号の裏通りで、写真手前が国道149号の清水相生町交差点、左奥が巴川。
写真からは1階に居酒屋「小噺」と喫茶店「GEORGIA」、2階にスナック「真紀」と「清美」。建物は昭和30、40年代に建てられたと思われる、簡易集合店舗といったものだろうか。『Tripadvisor>小噺』の2017年の投稿記事に「新清水駅に近い居酒屋です。初めてだと、ちょっと入りにくい雰囲気です。外には懐かしい(古い)映画のポスターが張っており、映画ファンが集います。」とあった。ほんとかな? と思うが、写真に写っている映画ポスターは「女の一生」(松竹、1967年公開、主演=岩下志麻)と「標的の村」(2013年公開)。
ストリートビューを見ると、2019-20年に取り壊され、2022年10月の画像では建物を建設中で土台ができている。



樋口米店。巴町7。2014(平成26)年11月27日

小噺と同じ四つ角にある「樋口米店」。その隣は販売機だけのタバコ屋。次いで「軍物の店 AMERICAYA」で、2015-16年に左の平屋の家と共に取り壊されて駐車場になっている。

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みずほ銀行静岡支店新清水出張所。静岡県静岡市清水区相生町4。2014(平成26)年11月27日

手前の通りは国道149号で、新清水駅から南へ100mほどの清水相生町(あいおいちょう)交差点。その西南角にあるのが「みずほ銀行静岡支店新清水出張所」。旧第一銀行でその清水支店だったと思われる。従って1971(昭和46)に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行、2000年にみずほ銀行になったという経過かと憶測できる。
戦前の銀行建築を彷彿とさせる外観で、戦後まもなくの建築だろうか。この周辺では最も古い建物ではないだろうか。1960、70年代は清水では最も賑わった通りだったというから、その名残とも言える。

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見城菓子店。静岡県静岡市清水区真砂町8。2014(平成26)年11月28日

清水駅前銀座商店街の南側入り口のゲート。その下に「見城(けんじょう)菓子店」がある。写真左は国道149号の側道。見城の後に最近取り壊されたエビス家具店のビルが写っている。右のアーケードの商店街はそのままグルメ通りに続いているが、商店街は写真奥のおおぎや洋品店から左へ向いている。
見城菓子店は昭和20年の創業だという。駅前銀座では最古参の店のひとつかもしれない。ネットには、静岡名物桜えび入「あじろ」(煎餅)、ソースせんべい、鈴焼カステラなどが出てきて、なんとなく土産物屋的な存在らしい。


あかぼり電気店。真砂町1
2018(平成30)年7月4日

1枚目写真の右手前に写っている。店の裏は東海道本線の線路。1926(大正15)年7月まで、そこに江尻駅があった。それが現在の清水駅のところに移り、1934(昭和9)年12月に「清水駅」に改称された。
店は何年も前に廃業している様子だ。看板の英語の商品名から、ただの家電よりオーディオ関係に力を入れていたような感じだ。看板の英語は今では看板からは姿を消した言葉のように思う。普通はテープレコーダーだが「TAPECORDER」。1950年頃、ソニーが最初に売り出したテープレコーダーは「テープコーダー」といった。「STEREO」は60年代にはやった家具調のステレオセットのことだろう。
2018-19年に別の会社が入居して壁の文字は取り外された。

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おおぎや洋品店。静岡県静岡市清水区真砂町6。2017(平成29)年4月14日

清水駅前銀座商店街の南側入り口に近い辺り。線路沿いの「グルメ通り」との分かれ道になる角にあった。2019年頃に隣のエビス家具店第3売場とともに取り壊されて、今は駐車場になっている。南側のゲートからアーケードの駅前銀座に入ると、国道149号(陸橋の側道)との間は駐車場、グルメ通りとのY字路の先は両側とも駐車場で、その間をアーケードが架かっている、という状況になってしまった。
おおぎやは3軒分の長屋式の建物の全部を使って、角の方から「子供用品、婦人用品、紳士用品」と看板にある。古くからある店のように思うが、ネットではなんの情報もない。

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