ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



暁(あかつき)橋。中央区明石町-築地3
1985(昭和60)年6月2日

築地川南支流に架かっていた橋。暁橋の下流(西南)に備前橋があったが、そこから上流は1971(昭和46)に埋めたてられているので、川底は「築地川公園」という運動公園のようになっていた。暁橋は1985(昭和60)年に撤去されたということなので、撮影後まもなく解体工事が始まったのだと思う。
『東京路上細見2』(林順信著、平凡社、1987年、1900円)には、「明石町と築地とを結ぶので明築橋であるところを暁橋と改字した」とある。1927(昭和2)年3月の竣工で、両岸にコンクリートアーチ橋の橋台を張り出して中央部に鋼桁を渡した構造。『東京の橋』(伊東孝著、鹿島出版会、昭和61年、2200円)では「鋼桁橋のラーメン橋台橋」としているタイプ。
後方のビルは「日刊スポーツ新聞社」。現在は建て替わっている。

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三栄印刷。中央区明石町11。1985(昭和60)年6月2日

築地本願寺の裏を流れていた築地川南支流に架かっていた暁橋の南の袂にあった建物。聖路加国際病院の向かい側で、建物の前の通りは1996(平成8)年度に「聖ルカ通り」という愛称が付いた。木造3階建て、壁をレンガ風のタイル貼りにしたアパートのようだ。聖路加病院が完成した後の建築のようなので、昭和10年前後の建築かと思われる。1986(昭和61)年の住宅地図では建物の左2軒が「三栄印刷」。
中央区立図書館>地域資料室>画像データ』の「明石町付近-暁橋東詰山崎宅」の写真は屋根の形が分かり、右横が少し見えている。
現在は周辺の民家と共に「ミキジ明石町ビル」(1989年5月築、6階建)というオフィスビルに替わっている。「ミキジ」は当ブログ「堺橋際の洋館/明石町」の「三木治商店」からきているのだろう。

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築地市場桟橋。中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日

隅田川に沿った桟橋を仮設新桟橋(写真の桟橋より張り出している)から撮った。桟橋の幅の2/3位は屋根(桟橋上屋)がかかっている。写真右のビルは仮設卸売場B1棟。
築地市場の桟橋は、元は小型漁船が多数接岸できるように、岸壁から突き出した小さな桟橋(縦桟橋)が9基と、大型船が横付けできる「横桟橋」、その間に「浮桟橋」があった。『J@Dの備忘録>散歩@築地市場(防潮堤と桟橋)』によると、写真の桟橋は「昭和44年~47年にかけて整備された」ということなので、櫛形に並んだ縦桟橋を撤去したのもその期間と思われる。
築地市場概説平成26年度版』には、桟橋の仕様として、「長さ366m(うち仮設新桟橋 165m) 幅 18m。※ 隅田川河口に面しており、50トン~200トン級の漁船の接岸が可能である。※ 平成25年中の接岸実績は83隻で、築地市場水産物取扱量483,951トン中、約83トンである」とある。
仮設新桟橋は船に対応したものではなく、トラックからの荷下ろしの為かと思われる。



桟橋上屋。2018(平成30)年2月17日

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隅田川防潮堤第4ゲート。中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日

築地市場の隅田川に沿った桟橋と市場場内を仕切っていた堤防に開けられたゲート。当然なのだろうが、市場の建物がほとんど解体された今も堤防は残されている。「カミソリ堤防」と言われたもので、いつの間にか隅田川テラスという遊歩道付きの堤防に替わってきて、近年はあまり見ることもなくなってきた。
写真の第4ゲートの扉の柱に「1972年3月/隅田川右岸防潮堤建設工事のうち/防潮扉製作据付工事/A型(5.5m)5門 B型(8.0m)2門/東 京 都/日立造船株式会社施工」と書かれた銘板が付いている。
防潮堤建設は1959(昭34)9月の伊勢湾台風が契機になって、1963(昭和38)年から着手、1975(昭和50)年に一応完成したようだ。確かに頼りない感じだが、津波を防ごうというものではなく、ジワジワと水位が上がる高潮対策なので、工事期間も考えるとこれでいこうということになったのだろう。水面が見えなくなったと不祥を買ったが、目的は果たしたようだ。



防潮堤第4ゲート。写真左端は水産物部第2本館、中央奥は低温卸売場(旧第1低温卸売場)。2006(平成18)年3月23日



第3ゲート(外側)。現在の築地大橋の北東の袂の位置にある。2006(平成18)年3月23日


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低温卸売場。中央区築地5-2。2018(平成30)年2月17日

第6卸売場と隅田川河岸の桟橋の間に建っていた建物で、建物の1階角に「低温卸売場」の文字が書かれている。市場解体の工程を知らせた地図には「旧第1低温卸売場」「WC・2F変電所」の記載が見える。
写真左の通路を奥に行くと、低温卸売場に続いて「第3卸売場」(水産物部新第3卸売業者売場)が建っていた。写真は撮っていないのでここに示せないのが残念だ。写真左奥の白い壁がそれ。



低温卸売場の前のトイレ。右の赤いトラス構造物は防潮堤の防潮扉。2018(平成30)年2月17日

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水産物部第6卸売場。中央区築地5-2。2006(平成18)年3月23日

隅田川の桟橋に沿って細長く建てられた水産物部卸売場。1935年に築地市場が開場したときには「魚類第二卸売人売場」だったところで、その平屋の建物を3階建て(3階は増築?)に建て替えたものだろう。『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会、2018年、2700円+税)の「1970年代の桟橋風景」の写真ではまだ建っていないようなので1970年代の建設かもしれない。
築地市場のメインイベントであるマグロのセリが行われたのが1階の第6卸売場である。2・3階は事務所で、主に水産部卸売業者が入っていたようだ。



水産物部第6卸売場。2018(平成30)年2月17日



水産物部新館。2018(平成30)年2月17日

第6卸売場の先端に続いて建っていた建物。1階は「第6卸売場」である。2階の「大都魚類」は水産部卸売業者7社のうちの1社。

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水産物部第2本館。中央区築地5-2。2018(平成30)年2月17日

貨物線のプラットホーム(水産物部卸売場)が終わったところに接して建てられたビル。正面は隅田川の桟橋に向いている。だいぶ古いビルに見えて、1950年代の建築かと思われる。「中央魚類」の看板がかかっている。中央魚類株式会社は水産部卸売業者7社のうちの1社。ビルの1階は「第2卸売場」。



プラットホーム末端部。中央区築地5-2。2018(平成30)年2月17日

第2本館の南に接している部分。写真右の、プラットホームの屋根の上に乗せられたような小屋は、築地市場解体工事要領の地図に、「第10・13変電所」とある。

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仮設卸売場A1棟。中央区築地5-2
2017(平成29)年7月15日

豊洲へ移転前の築地市場には、大きくカーブを描く水産卸売場の外側に「仮設卸売場」が建てられていた。A-1、A-2、B-1、B-2の各棟で、1995年頃の建設である。主要部分は鉄骨の2階建てで、1階は柱と屋根だけの売場、2階も事務所の空間を仕切っただけのものだったと思われる。仮設卸売場A1棟は主に加工品が、A2棟では主に冷凍物が売られていたようだ。1枚目写真にある「千代田水産」のHP(丸千千代田水産の歴史)に「1995(平成7)年|本社を仮設事務所(A1棟)に移転」とあり、A1棟の建築年が判った。



仮設卸売場B棟。中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日

左写真はB2棟で「活魚卸売場」の看板がある。2階はA2棟と渡り廊下でつながっている。写真左のビルの先がB1棟。
右写真はA2棟(左)とB2棟(右)の間から水産卸売場のほうを見たもの。



仮設卸売場配置図(Googleマップ航空写真に加筆)

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暖房汽罐室。中央区築地5-2。1990(平成2)年4月7日
右:『東京市中央卸売市場築地本場・建築図集』より

右の写真は『東京市中央卸売市場築地本場・建築図集』(東京市役所、昭和10年1月、非売品)にあったもの。その「第二章 建築物及設備概要」によると、「地下貯水槽及ポンプ室並ニ暖房汽罐室」は「総て鉄筋コンクリート造にして、地価貯水槽は900立方米の貯水量を有し、場内三ヶ所に設けたる深井戸より来る水を蒸留し、魚類部売場に給水し、尚場内建物内外の通路洗浄用に供す。ポンプ室並暖房汽罐室は、鉄筋コンクリート造平屋建とす。」「煙突(高さ30米)一基」とある。
左の1990年に撮った写真では、RC造の汽罐室はまだ残っていて、その上に小屋を乗せているようにも見える。1979年の住宅地図には、この辺りに「中央精米/丸八船舶食糧」とした建物が書かれているので、それかもしれない。

下の写真は『「鮮魚列車」が走った築地市場 83年の歴史に幕』(2018.10.06の朝日新聞の記事)にあった写真で「1982年4月、朝日新聞社ヘリコプターから」撮られたもの。煙突があった場所がよく分かるので引用した。


1982年の築地市場

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ろ過室。中央区築地5-2。1990(平成2)年4月7日

築地市場敷地の東南角にある海水の濾過装置。主に床の洗浄に使う。2017年3月17日に、その配管が漏水した。そのニュースがYouTubeにあり、そこに「1961年に整備された」とあった。装置は築地市場が閉鎖されるまで残っていたが、水道水に切り替えたというから、配管は修理しなかったような気がする。



第四卸売場。2000(平成12)年1月14日

写真右奥にろ過室が写っている。築地市場敷地の東南角から隅田川に沿って建っていた建物。柱だけの部分が水産卸売場で、左に長く伸びていたと思われる。奥に事務所が入っている。「第四卸売場」は1986年の住宅地図による。1979年の地図には「鮫せりば」となっている。
赤い日よけが食堂のように見えるが、解体前は「淡水魚」の文字になっていて、その右に「食堂入口」「東京魚類容器株式会社」。

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