『沖縄映画興行伝説』 沖縄北部にあった映画館 PAGE:1('46〜'49)

沖縄北部にあった映画館   PAGE:1(1945年〜1949年)

  ※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
  ※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館

国頭村:国頭劇場

☆開館(露天):1949年2月22日
☆移転・改称『辺土名劇場』←『国頭劇場』:1951年5月5日
◎場所:国頭村辺土名LinkIconMAP
◎経営者:山川一貫、上原信夫、桃原某、山城忠五郎、知念良寛、宮城樹、饒波唯夫


国頭村辺土名の北側の海岸側にあった露天の劇場。この頃は芝居が中心だったようだ。
現在の「辺土名小学校」近くに移転した頃に『辺土名劇場』へ改称したと思われるが、移転前の頃から『辺土名劇場』と呼ばれることがあったようだ。

今帰仁村:今帰仁劇場

☆開館:1949年以前
☆改称『今帰仁沖映館』←『今帰仁劇場』:1954年以前
◎場所:今帰仁村仲宗根LinkIconMAP
◎経営主:長田節


今帰仁村仲宗根にあった露天の劇場。
のちにブロック建ての『今帰仁沖映館』になる。

今帰仁村:大井川劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明
◎場所:今帰仁村
◎経営主:我那覇隆足


露天の劇場らしいが、不明な点が多い。

本部町:本部劇場

MotobuGekijo(Fumei)net.jpg本部劇場:1954年? 写真提供/山里将人☆開館:1949年以前
☆新築(有蓋?):1954年
☆改称『本部琉映館』←『本部劇場』:1959〜1963年
◎場所:本部町渡久地LinkIconMAP
◎経営者:仲宗根源和、仲宗根源英〜真喜屋実光


本部町の渡久地港近くにあった劇場。邦画は琉映貿系、洋画はオリオン系の作品を上映してようだ。

「琉球新報」の '54年3月13日号に掲載された琉映貿の広告にこの劇場が「新築中」と書かれてあることから、その時期に有蓋になった可能性がある。MotobuGekijo(56_02_12)net.jpg本部劇場:1956年2月12日 写真提供/山里将人
有蓋になっときの建物は特徴があり、一文字ずつ入れ替えできる格子状の看板も面白い。

のちに『本部琉映館』になっている。

名護市:羽地劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明(1960年以降)
◎場所:名護市羽地(当時・羽地村)
◎経営主:新城徳助?


羽地にあった露天の劇場。のちに有蓋になったかどうかは不明。

沖縄の民謡界で活躍している“元ちゃん”こと前川守賢氏は、父親の巡業先であるこの劇場で、'60年の旧正の日に誕生したそうだ。

金武町:金武劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明
◎場所:金武町・うしなー社交街(当時・金武村)LinkIconMAP
KinGekijo(2012_05_28)01net.jpgうしなー社交街:2012年5月 撮影/平良竜次◎経営主:当山


現「ウシナー(牛納)社交街」にあった仮設の露天劇場。地元の方々の記憶によると、映画の上映が行われたことはないらしい。

昔は円形状に窪んだ地形になっていて、明治の末頃から闘牛場として利用された。この一帯の名称の元となった「ウシナー(牛納)」とは「闘牛場」のことを意味する。
KinGekijo(2012_05_28)02net.jpg金武劇場があった一帯:2012年5月 撮影/平良竜次1961年に平らに整備されて社交街が誕生するまでは、地元の大きなイベント事に利用される場所だった。この劇場も仮設のステージを建てて興行を行っていたという。

名護市:名護劇場

☆開館:1949年
☆改称『名護映画劇場』←『名護劇場』:1951年
◎場所:名護市(当時・名護町)
◎経営主:湖城基仁(其仁?)


芝居と映画の兼用劇場。のちに映画専門館になる。
'50年4月1日に、戦後初めて沖縄に正式輸入された洋画作品『アメリカ交響楽』( '45年ワーナー作品 東京公開:'47年3月)が、那覇の『アーニーパイル国際劇場』、糸満の『うるま劇場』、そしてこの『名護劇場』の3館のみで上映されている。