ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




倉島米店。神奈川県横須賀市緑が丘。2007(平成19)年11月16日

どぶ板通りの南の崖下に裏道が通っていて、どぶ板通り側の本町2丁目と山側の緑が丘の境界になっている。上の写真はどぶ板通りの東側の入り口辺りの裏道。どぶ板通りはアメリカ兵向けのバーが多いのだが、こちらの飲食店は店名も日本語が多いようで、日本人向けである。居酒屋などがあるのは写真の辺りだけで、奥へいくと店はなくなってしまう。

下の写真は裏道の中程にある立派な出桁造りの民家。塀に「㈲種久(たねきゅう)商店」という表札がある。電話帳での業種は「菓子材料(パン・菓子)」。
どぶ板通りの国道側は戦時中に建物疎開で取り壊されたため、そこの商店などは戦後の建物だが、どぶ板通りの山側には今でも何軒かは戦前の建物が残っているようである。写真の民家もそれに当たるのではないかと思う。


種久商店。横須賀市本町2。2007(平成19)年11月16日

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GREEN。神奈川県横須賀市本町2。2007(平成19)年11月16日

どぶ板通りの中程にGREENというジーンズなどの衣料品店の看板建築と、カキタ(柿田商店)というジャンパーやミリタリーグッズの日本家屋の長屋風の建物が並んでいる。
GREENの右の「スナック・ヨコスカ」は、今では選挙ポスターが貼られたりしていて営業しているのかどうか。そこのセイケ調の絵は最近は他ではあまり見られなくなったと思う。懐かしい気がする。GREENは格調高い店構えで、カキタとは対照的だ。


カキタ。横須賀市本町2。2007(平成19)年11月16日


BUFFLO、プリンス商会
横須賀市本町2
2002(平成14)年2月9日

カキタのはす向かい。今も家並みと店の看板はほとんど変わりないようである。写真右はBUFFLOというバー。次いで、「創業1947年 ヨコスカジャンパー専門店」と日除けテントに書かれたプリンス商会。看板建築の上部にジャンパーの絵柄のような鏝絵がある。ぼくはスカジャンを着ている女の子は悪くないと思う。そうすると髪型はやはりポニーテールだな。

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大新京アパートメントハウス。千代田区富士見1-5。1985(昭和60)年8月4日

早稲田通りの飯田橋駅から南、日本歯科大学の手前の角を目白通りの方へ曲がったところにあったアパート。現在は「大新京ビル」(5階建て、1988年3月築)に建て替わっている。
手近に資料がないので詳細は知らないが、昭和初期に建てられた集合住宅だろう。外観のデザインが一般的な洋風のものとは少し異なるようで、和風の味も感じられる。「大新京」という言葉からはなんとなく中国に連想がいき、台湾や上海にあってもいいような感じもしてくる。「大新京」の名称は大家が3人いてその名前の漢字だったりして。
『乱歩と東京』(松山巖著、PARCO出版、1984年、2000円)の写真のキャプションに「RC造二階建て」とある。昔の航空写真では寄棟屋根のように見える。観音開きの窓がわりと珍しいかもしれない。共同便所と共同洗面所を備えて、25室ほどの規模かと思う。建物の平面はL字形で、角の玄関の上の塔屋が特徴である。ただの飾りだとは思うが、部屋にしていたのかもしれない。

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FUJI。神奈川県横須賀市本町2。2007(平成19)年11月16日(4枚とも)

横須賀といえばどぶ板通りがまず思い浮かぶ。軍港見学などの観光で来た人もどぶ板通りは必ず歩いてみるだろう。しかし、飲食店はアメリカ兵向けのバーが中心で、夜にならないと開かない。店はスカジャンとミリタリーショップが並んでいるわけで、やはり若者の街だ。年配者や金を持っているおばさんたちが金を使うところではない。これからは年配者にも向けた商売に替わっていくのかもしれないが、そうなるとどぶ板通りの特色が薄れて、人気も薄れるということになりかねない。やはり、生意気な、いや、かっこいい若者に頼ったほうがいいのだろうか?
どぶ板通りの建物はいまだに古そうな看板建築がけっこう残っている。戦前からある建物もありそうだがどうなのだろう。路地との角にある「FUJI」は出桁造りの日本家屋のようで、銅板貼りの戸袋が残っている。看板の左端にあるノーズアート(爆撃機などに描かれる絵)が面白い。
FUJIの向かい側にも衣料品店が並び、下の写真左に「大将正寿/刺繍経験56年」の大将ミシンししゅう店がある。今は「刺繍経験63年」になっているのだろうか。



大将ミシンししゅう店。本町2



george’s、ローズ商会。本町2

FUJIから東へいった路地との角にあるバー「george’s」は2軒の看板建築にした家を使っているらしい。そのはす向かいに外国への土産品やライターのジッポのローズ商会。

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カツマタ洋品店。神奈川県横須賀市本町3。2002(平成14)年2月9日

写真の家並みの裏は京急汐入駅で、前の通りの向かい側に今は横須賀芸術劇場が建っている。駅の海側は近年、再開発されて高層ビルが建つようになったが、駅に接している写真の区域だけ取り残されたような具合である。
「洋品カツマタ」の家は建て替えられ、「Lady’s Fashionパキラ」の店名で続いている。その隣も洋品店のようだが、この家も建て替えられて、今は「SAKURA Body・Soul」というエステサロンになっている。その左は下の写真になる。



モアイ&カピー。本町3。2007(平成19)年11月16日

写真正面の交差点角の「モアイ&カピー」はライブをやるバーらしい。はやくもこの辺りからどぶ板通りが始まっているような感じだ。汐入駅海側の本町3丁目は「どぶ板通り商店街」に含まれるようだ。
昭和50年代写真帳』というサイトは、1980年頃に撮影された街並みや店先の写真を区域ごとに並べてある。写っている場所が特定できるとうれしくなるのだが、大きく変わってしまったところもあるだろうから、なかなか難しい。上の写真の看板建築は『昭和50年代写真帳』の「横須賀p.1」7枚目('78.12.16)と「横須賀p.2」11枚目('81,12,08)の写真に写されている「丸善洋服店」だ。


MIX。本町3
2000(平成12)年10月8日

2枚目写真の交差点を手前にいったところ。建物は今も残っているが空家になっているようだ。小さな3階建てのビルに見えるが横を見ると木造建築だ。写真では「MIX」という店名で男性用衣料品を扱っているようだ。
『昭和50年代写真帳』の「横須賀p.3」11枚目('78.12.16)では、「BEST洋品店」の看板を出している。

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ソフトボックス。神奈川県横須賀市汐入町2。2002(平成14)年2月9日

汐入町駅前広場から北へはいる横丁は街灯に「汐入仲通り」の標識がある。ストリートビューを見ると今は街灯がなくなっているが、駅前広場側の入り口に「汐入仲通り」の標識がひとつ残っている。そこを入って、国道16号に出るまでの中間あたり。
白塗のモルタル壁の看板建築の家と、看板建築風の増築?部分と下見板の戸袋?でなんとなく洋風に見える家がならんでいる。白い家の方は「東海林鍼灸院」で、正面は医院としてデザインされたような造作だ。
ソフトボックスは上の写真ではレンタルビデオの店だが、下の写真では店名は同じでアンティークの店に替わっている。同じ家の左側は、上の写真では「Internet-Room」。現在は廃業したようで、日よけテントの文字を消している。
写真左奥は「サウンドハウス」というオーディオ専門店。現在も看板はそのままで、ネットの電話帳には出てくるから営業しているのかもしれない。



東海林鍼灸院。汐入町2-2。2007(平成19)年11月16日


山内硝子店。汐入町2
2007(平成19)年11月16日

東海林鍼灸院の角を東に入るとすぐ国道16号(横須賀街道)に出てしまう。その国道との角の店。

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豊栄産業。神奈川県横須賀市汐入町2。2002(平成14)年2月9日

写真手前は京急の汐入町駅前広場で、右へ行くとすぐ国道16号の本町三丁目交差点。左奥に入っている横丁は国道16号の裏通りのような形だが、200m位行くと国道16号と合流する。街灯に「汐入仲通り」の標識がある。
横丁との角に木造モルタル塗の、戦後まもなくに建てられたかと思われる古い家がある。豊栄産業とフジヤ商店不動産部の二軒の不動産屋が入っているらしい。ストリートビューを見ると、今も変わらない外観で残っている。屋根の広告「横須賀ジョイシネマ1・2・3」もそのままになっている。ダイエーショッパーズプラザ横須賀に1991年4月25日に開館した映画館だが、1999年12月に「横須賀HUMAXシネマズ」としてリニューアルオープンしている。写真左奥の大澤医院のビルは7階建てのマンションに建て替わって、その2階で開業しているようだ。



大同工機。汐入町2。2007(平成19)年11月16日

1枚目写真の左奥に写っている2棟の古い家。大同工機の家はトタン貼り看板建築だが戦後のものかと思う。左の家は郵便受けもないから空き家かもしれない。出桁造りの日本家屋のようだが、1階は洋風の造り。会社の事務所だったような感じだ。


ヘアサロン・フクダ。汐入町2
2002(平成14)年2月9日

1枚目写真の左端にかろうじて写っている。わりと間口のある銅板貼り看板建築である。建物左は看板の字が「和」と読める。飲屋のようだ。現在は「指圧鍼灸・和心堂」の建物に替わった。

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田代食品店。品川区北品川2-23。2004(平成16)年1月11日

手前の歩道のある通りは現在の「北馬場表参道通り商店街」、撮影時では「新馬場北口通り」とか「サクセス商店街」とかいっていたと思う。左にいくとすぐ、旧東海道の北品川商店街に出る。路地の奥は天神湯で、さらに奥に行くと山手通りに出る。
田代食品店は営業しているようには見えない。現在は取り壊されて駐車場にしている。

天神湯は『品川経済新聞>2009.09.08』の記事に「おそらく60年以上」になるという建物だから、昭和25年より以前に建てられたらしい。まだ戦後の混乱期で、外観を飾るゆとりもない中で町内からせっつかれて開業したように想像できる。
現在、建物は賃貸マンション(ルネス・アヴニール、11階建)に建て替わり、その1・2階に2009年9月、リニューアル・オープンした。入り口は山手通り側になったようだ。ビルに建て替える際、温泉を掘削してめでたく黒湯が出た。今は「北品川温泉天神湯」の名前で営業している。



天神湯。北品川2-23。2000(平成12)年3月1日

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王将(煎餅)。品川区北品川2-11。2000(平成12)年3月1日

現在の「北馬場表参道通り商店街」の京急新馬場駅北口に近い辺りにある看板建築。たぶん3棟の家を統一したデザインで看板建築にしたもののようだが、いつ頃の造作なのだろう。両端の2階建ての家はそれだけ見ればわりと普通の看板建築だが、中央の家は木造3階建てだ。
店は上の写真では右から、せんべい王将、コーヒーパーラー藤、空家、龍月堂和菓子店。1981年の住宅地図では「王将、サンケイ新聞販売所、関理容所、龍月堂」。上写真左手のマンション(ベイテラス北品川)は、1981年の地図ではまだ建っていなくて、「中里商店、内田薬局、鮨和泉家、文井堂文具」となっている。
現在、藤はお好み焼き屋に、龍月堂は代替わりしてつい最近「ブーランジュリー龍月堂」というパン屋に商売替えした。



龍月堂。2009(平成21)年4月12日

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たいし堂、大和堂。品川区北品川2-11。2009(平成21)年4月12日

現在の「北馬場表参道通り商店街」の中央辺りにある看板建築の2店舗が入る家屋。太子堂菓子店と大和堂カメラ店だが、大和堂は営業しているようには見えない。右の茶色い壁の建物は古い日本家屋を2棟改装したものらしい。



ラウンド理容店。北品川2-11。2009(平成21)年4月12日

たいし堂と路地をへだてて並んでいる銅板貼看板建築の三軒長屋。右から、ラウンド理容店、京急新馬場商店街振興組合、來來軒。商店街事務所は今は二階で、一階は居酒屋「参道」。以前は「飛田玩具店」が入っていた。來來軒がネットで出てこないと思ったら、今は「麺屋まる」に替わっていた。


來來軒
2004(平成16)年1月11日

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