まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

1991年下北沢パチンコ戦争

2012-01-16 23:36:02 | 90年代パチンコ店マップ

★1991年(平成3年)8月某日。

東京都世田谷区・下北沢のパチンコ店前に、突如として右翼団体の街宣車が乗り込む。拡声器のボリュームを目一杯上げて、大声で何やら叫んでいる。

(写真はイメージです)

「風営法23条によりィィ、パチンコのォ換金行為はァ、禁じられているッ!換金は違法だ!ただちにィ、違法行為は止めろォォ!」

「警察はァ、暴力団排除などと言っているがァ、換金方式の変更とォ、暴力団排除は何の関係もないッ!そういう警察はなんだ!おい、そこの私服の刑事、ちゃんと聞いているか?警察の幹部連中の天下り先、どこか知っているか?知らない?だったら、帰ってA所長に聞いてみろ!」

 

★1991年10月某日。

下北沢駅近くのパチンコ店「ミナミ」の前で、街宣活動を行う右翼団体。街宣車が15分おきに店の前にやってきては、大きな声でがなり立てている。

(写真はイメージです)

「景品を金地金に変えてもォ、暴力団の排除にはならないッ!我々はァァ、暴力団の味方でもなくゥ、金も受け取ってはいないッ!警察官僚のォ、天下りがァ、パチンコ業界に入り込みィ、両者は裏で癒着しているッ!この癒着を断ち切りィ、換金制度を全廃することがァ、まず先決なのだッ!」

(警備の為に「ミナミ」の出入口は一箇所に絞られ、私服警官とガードマン一人が険しい表情で客のチェックを行っている。また、店内には「不審な人物を見かけたら、すぐ係の者に知らせて下さい。パチンコミナミ」という仰々しい貼り紙が貼られている。)


いきなり物々しい描写で恐縮だが、これは、平成初期におけるパチンコの「換金方式」の変更を巡る、北沢地区パチンコ組合と暴力団・右翼との対立を振り返ったものだ。

長きに渡るヤクザとの付き合いを断ち切り、健全な業界への脱却を図ったパチンコ店側と、換金絡みの利権を失う事を恐れた暴力団側との抗争が、1991年に東京・北沢地区で勃発した。いわば、「下北沢・パチンコ戦争」である。

当時、下北沢駅前では、狭いエリアに6軒のパチンコ店が営業していた。ミナミ、ワールド、下北レジャー、ゴールデン、富士、グリンピースである。個人的には、踏切前の「ワールド」、線路沿いの「下北レジャー」、それにパチスロ専門店の「グリンピース」に良く顔を出していた。ゴールデンはたまにハネモノ、向いの富士は大概スルー(ハネモノをチョイチョイ触った程度)、ミナミは2階でスロをたまに打つ程度だった。

さて、これらのパチンコ店で作る北沢地区の組合は、1991年9月2日より換金システムを一新し、それまで実質的に暴力団が経営していた換金所を、全面排除する事を決めた。

この動きに対し、いわゆる「三店方式」の換金絡みで旨い汁を吸っていた地元暴力団は、当然の如く猛反発を見せる。換金所への汚物投げ入れ、組合長自宅への発砲や火炎瓶投げ込み…と、凄まじい嫌がらせで「応戦」した。

しかし、組合側はこういった脅しに屈することはなかった。かつての「ライター石」や「ボールペン」といった特殊景品から、「金地金」を用いた新しい換金システムにシフトし、「TSRショップ」という名の綺麗な換金所も新設された。こうして、従来の暗く怪しい換金所のイメージは、完全に払拭された。

当時、出来立てホヤホヤの「新・換金所」は、入口にガードマンが立ち、表の看板には「輸入ブランド/時計・宝石・貴金属/インポート・ディスカウント・ハウス」という文字が、デカデカと書かれていた。一見すると、貴金属専門店の雰囲気を醸し出しており、「業界の健全化」を演出するにはピッタリの派手な作りになっていた。

かつて、パチンコ必勝ガイド誌で「景品交換所ルポ」というコーナーを連載した南伸坊さんも、この下北沢の新しい換金所を訪れている。以下は、当時の記事からの引用。

「ここは、交換所というよりも「TSRショップ」という、貴金属扱い商の店舗なのだった。その証拠に、壁には作りつけのショーケースがあって、金時計、ネックレス等「商品」が飾ってあるし、空いた壁には「明画」風の油絵、それから熱気球が空に浮かんだ図柄の巨大なジグソーパズルが額に入れて、大事そうに飾ってある。

正面は防犯用だろうか、厚いガラスが張りめぐらしてあって、「係員」の方が二名おられて、ガラスの前になにやら厳重そうな円筒状にえぐられた穴があり、そこに「ブツ」(註:特殊景品)を設置するシステムになっている。

(景品を)置くと、ウィーンという機械音とともにガラスの向う側の係員のところに吸い込まれる仕組みかな?と思ったら、そこは意外にも手動で、つまり引き出し状になっているのだった。」

(引用ここまで)

 

昭和~平成初期の古い換金所に慣れ親しんだ伸坊さんが、従来と全く異なる近代的な換金所の存在に、大きなカルチャーショックを受ける様が描かれている。

 

こうして、換金システムの大転換により、マル暴との繋がりを断ち切ったパチンコ業界。しかし、「健全化」へ舵を切ったと言われる新システムの裏で、新たな利権構造が生まれたとの指摘もあった。

本来、違法な換金行為を取締るべき当局が、景品に新たに金地金を採用する事で、いわば「お目こぼし」をした訳である。こういった動きから、「警察、業界、商社」の黒い利権構造が浮かび上がってくる訳だ。当時、警察が強力に後押ししていた「プリペイドカード」事業との絡みもあろう。

冒頭の右翼による街宣活動は、マル暴の差し金ではあるが、こうした業界の新たな癒着に絡む「胡散臭さ」を、センセーショナルに取り上げていた訳だ。

確かに、「暴力団追放」という建前のスローガンを掲げる裏で、当時「15兆円産業」ともいわれたパチンコ業界の利権を独占しようと考える輩がいたならば、それは暴力団以上の「悪」と言わざるを得ない。

 

今や、全国的に当たり前ともなった「金地金」による換金制度。このシステムが導入された際に、ドロドロとした抗争劇が一部で繰り広げられた事も、ぜひ思い出してほしい。

なお、1990年公開の映画「パチンコ物語」(松竹)では、地元ヤクザとの付き合いを重んじる昔気質の初代オーナー(財津一郎)と、健全なホール経営を目指す二代目(古尾谷雅人)との確執が描かれ、当時の業界が抱える問題が浮き彫りにされている。現在も、中古ビデオが販売されているので、参考にされては如何だろうか。