ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




カトリック横浜司教館別館。神奈川県横浜市中区山手町45。2013(平成25)年4月18日

建物名称は「カトリック横浜司教館別館」というから、カトリック山手教会の敷地に建つ「カトリック横浜司教館」の別館という位置づけらしい。
近代建築写真室@東京>カトリック横浜司教館別館』によると、1927(昭和2)年の建築、設計・施工=糸川工務店で、外国人向けの賃貸として建てられた「山手45番館」だった。大きな切妻屋根と、そこに設けられた割と大きなドーマー窓が目を引く。
上写真の右、アーチの屋根の建物(司祭館・信徒館)のところにあったのが山手イタリア山庭園内に移築された「ブラフ18番館」。この洋館も外国人の住宅だったが、戦後はカトリック山手教会の司祭館として1991年まで実際に使われていた。
下の1993年の写真では角にガレージがあって、山手本通りに向いてはブロック塀だ。ブラフ18番館はすでに解体されている。


カトリック横浜司教館別館。1992(平成5)年5月5日

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カトリック山手教会
神奈川県横浜市中区山手町44
上:2016(平成28)年12月23日
左:2013(平成25)年4月18日

『かながわの近代建築』(河合正一著、神奈川合同出版、かもめ文庫、昭和58年、630円)によると、「この教会の歴史は、文久2年(1862)、開国後最初の教会として、居留地80番(現中区山下町80)に在留外国人を対象に開かれた天主教会堂がルーツ」で、「明治39年(1906)現在地に移り、煉瓦造バジリ風のものが建てられた」。それが関東大震災で崩壊し、1933(昭和8)年に完成したのが今のネオ・ゴシック様式の教会堂である。設計したのはチェコスロバキア人のJ.J.スワガー、施工は関工務店、RC造1階地下1階建。「スワガーは宮城県から岡山県にかけてカトリック教会を多数設計している」という。
神奈川の近代建築探訪>カトリック山手教会』には「施工にあたったのは大手建設会社の関工務店。同社が請け負った、初のコンクリート造による建物だそうで、スワガーから工法の指導を受けたと伝えられている」とある。残念ながら関工務店は2009年9月に倒産したようである。『不景気.com>国内倒産>』には「1885年に創業の同社は、横浜市中区を中心に施設建築や公共土木工事・一般住宅など、多岐に渡る建築工事に携わってきた老舗建築業者。特に特殊建築向け工事には定評があり、1933年には山手の丘に「山手カトリック教会」を竣工した他、横浜に多く点在する洋館の復元工事や、神社・仏閣の木造建築まで手掛けていた」ということだ。
横浜のスワガー・関工務店の建物に「旧バーナード邸」(中区本牧元町、昭和 12 年)があり、「ヘルム・ハウス・アパートメント」(中区山下町53、昭和13年)があった。

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山手資料館。神奈川県横浜市中区山手町247。1993(平成5)年5月5日

「山手資料館」という名称から、かつて山手町にあった明治期の西洋館の二階建て部分のように受け取られてしまうが、門の傍らの案内板には「本牧本郷町に建てられた中澤兼吉邸の洋館部分を移した」とある。西洋館ではなく、日本家屋に付いていた洋館部分で、元は本牧に建てられたということだ。明治期の住宅としての洋館は山手資料館が唯一かどうか知らないが、貴重であることは確かだ。
『かながわの近代建築』(河合正一著、神奈川合同出版、かもめ文庫、昭和58年、630円)では、「設計・施工=不明、竣工=1909(明治42)年」「園田兼吉氏が自宅として中区本牧町に建て、おいの園田敬男氏が中区諏訪町に移築し、和風家屋に続く洋館として使った。敬男氏の没後、横浜十番館社長・本多正道氏が譲り受け、山手十番館の敷地に移築、山手資料館として、本多氏が収集した開港当時を描いた浮世絵・地図等を展示、公開している。」「戸部(横浜市西区)の大工によって建築されたといい、横浜に存在する明治時代の西洋建築としては唯一のもの。」「構造材には米杉、米栂、外部横羽目材は杉。特色のある円弧組み合わせの破風の形は、造った人の気概を十分に示している。」と解説されている。
The Yokohama Standard>歴史的建造物アーカイブ>山手資料館』には、「元は現所在地に近い諏訪町で牧場を営んでいた中澤氏が、明治42年(1909)に旧本牧上台57番地に建てた邸宅。当初は和風住宅に洋館が連結した和洋折衷の大邸宅であったが、関東大震災後の昭和2年(1929)に洋館部分を旧牧場地の諏訪町に移築。その後昭和52年(1977)に現在地へ再移築された。」とあり、より詳しいことが分かる。ここでは「園田」の名前が出てこない。
ネット上では「本牧に中澤兼吉邸の一部として建てられた。1929年に横浜・諏訪町の園田邸に移された後、……(フォーキー・ブルースの近代産業遺産探訪と単身赴任生活>山手資料館(旧中澤邸))」、あるいは「元は区内の本牧1丁目にあった中澤邸。1929(昭和4)年、諏訪町の園田邸に移築。(郷土文化財コレクション>山手資料館)」などがある。やはり園田と中澤の関係は分からない。

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エリスマン邸。神奈川県横浜市中区元町1元町公園内。2016(平成28)年12月23日

エリスマン邸については『日本のすばらしい建築物>エリスマン邸』というサイトに詳しい解説がある。それによると、フリッツ・エリスマン(1867―1940)はスイス、チューリッヒの生まれの貿易商で、明治21年に来日した。戦前では最大の生糸貿易商シーベル・ヘグナー商会の横浜支配人である。昭和15年に亡くなるまで日本に滞在し、山手の外国人墓地に葬られた。
エリスマン邸は、元は山手127番地にあったが、1982(昭和57)年にマンション建設のため解体され、平成2年に横浜市によって現在地に復元された。山手127というと、現在地から東南へ直線距離で500mほど離れている。
アントニン・レーモンドの設計、清水組の施工で1926(大正15)年の完成。基本にアメリカン・コロニアルスタイルを置き、レーモンド独自のモダンなデザインにしたものらしい。また、F・L・ライトから独立して間もない頃の作品で、その影響もみられるという(『神奈川の近代建築探訪>エリスマン邸』)。



エリスマン邸。2013(平成25)年4月18日

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底倉温泉 函嶺。神奈川県足柄下郡箱根町底倉。2014年6月9日

国道1号から宮の下交差点で国道138号(箱根裏街道)へ入るとすぐ八千代橋を渡る。その深い谷底を流れるのが蛇骨川で、橋のすぐ下流で早川に合流する。蛇骨川の谷底や主に橋の上流の右岸(川の東側)から自然に湧き出しているのが底倉温泉だ。今では旅館が1軒、公衆浴場が2軒のみという。
八千代橋を渡ると住所は「底倉」という地区になるが、渡ってすぐ「木賀温泉入口」バス停の手前に「函嶺(かんれい)」の看板が見える。ネットの情報によれば、現在は入浴のみの施設である。1か所の、大きくもない露天風呂を1時間の貸し切りで入浴するので、いきなり行って入れれば運がいいわけだ。それで一人700円というから、とても施設を維持していけるとは思えないのだが。
建物は関東大震災後の大正末に、温泉療法を兼ねた「函嶺医院」として建てられたという。函嶺医院は1982(明治25)年の開設で、大震災で潰れた建物を造り直したものらしい。一階が下見板の洋館である。玄関の屋根と、横の八角の窓はなんとなく和風のような中国風のような……。


底倉温泉 函嶺。箱根町底倉。2014年6月9日

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小林商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の、宮ノ下駅への枝道と富士屋ホテルとの中間あたりにある民芸品・工芸品の店。江戸時代前半期から続く店というから箱根では最も古い店かもしれない。『小林商店』には「木象嵌や寄木の弟子達を育ててきた箱根切っての老舗。ことに日本唯一であるこの店のみの木象嵌は大変高価なもの」とある。今は作っていないようだが、木象嵌が施された箪笥や飾り棚が展示されている。
出桁造りの建物は山田屋のように大正期のものなのだろうか。

ユー歯科箱根診療所は小林商店から左へ数軒行った並び。大きさも造りも小林商店と似た建物なので、商店だったのを歯科医院に改装したものだろうか。それでもドアはかなりの年季が入っているようだ。


ユー歯科箱根診療所。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

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マダム・スン、山田屋。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

富士屋ホテル入口の脇にある山田屋物産店とその隣のマダム・スン(韓国料理)とは軒下を階段状にしているのや、二階の両端に戸袋があるところなど、わりと似た建物である。山田屋は店のHPによると、江戸時代から土産物店と旅籠屋を営んできた老舗という。建物は100年以上前のものというから大正初期に建てられたのだろうか。
『昭和30年代の神奈川写真帖〈下巻〉』(アーカイブス出版、2007年)に国道1号の山田屋商店の前を下っていくバスを撮った写真がある。昭和30年に撮られたその写真では山田屋とマダム・スンが写っているが、看板が写っていないので店名が確認できない。向かいの「カフェ・ド・モトナミ(旧富士屋ホテル車待合所)」に「山田屋商店」の看板がかかっていて、「a la modeすぎやま」は「おみやげの店 舛山商店」である。



嶋写真店。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

嶋写真店の創業者嶋周吉は温泉宿「江戸屋」の人で、そこに滞在した外国人の持っていた写真機に魅せられて横浜に出て修行し、富士屋ホテルの開業とともに写真館を開業した。江戸屋が宮ノ下にあったのかどうかはっきりしない。建物は看板建築風でレトロな外観だがいつ頃の建築なのだろう。既出の写真では横がわずかに見えるだけだが、現在のものと同じに見える。

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上:富士屋ホテル向かいの家並み、左:箱根光喜號
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号に向いた富士屋ホテルの門の向かい側には洋館と日本家屋の古い建物が並んでいる。上の写真左から、箱根光喜號、江戸商店、a la modeすぎやま、カフェ・ド・モトナミ。
「箱根光喜號」はベルギーのレースなどを中心にした輸入雑貨の店。2004年の開店という。2014年4月に宮の下駅の方へ移って、今は「箱根ホステル1914」という宿泊所になっているが、写真ではまだその看板がないようなので光喜號としておく。『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)では「箱根光喜號(旧箱根宮の下郵便局)建築年=1919(大正8)年、設計・施工=不詳/不詳」。木造2階建てで、内部は郵便局だったときの窓口やカウンター、天井や壁のレリーフなどを残してあるという。郵便局がここから移ったのは昭和50年代末のことらしい。
平屋の「江戸商店」は陶磁器や浮世絵などを中心にした骨董店。創業は昭和30年代初頭という。
「a la modeすぎやま」はイタリアの服のブテック。雑貨、陶磁器も扱う。
「カフェ・ド・モトナミ」は見たところレトロ調に造った最近の建物のようにも見えるが、『近代建築散歩』では「Café de motonami(旧富士屋ホテル車待合所)、建築年=1914(大正3)年以降、設計・施工=不詳/不詳」。1914年というのは、小田原電気鉄道などの貸切自動車の運転手の接客態度に業を煮やした富士屋ホテルが、大正3年8月に「富士屋自動車株式会社」を創立して、自ら貸切自動車事業を始めた年を指す。



江戸商店。箱根町宮ノ下。2014年6月9日


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芝商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の宮の下交差点にある老舗の骨董店。正面中央の唐破風がとにかく目を引く。改修によるものだろうが、正面全体はガラス張りにして、入り口もガラス扉。前面には壁がなく、窓枠や梁のように見えるシャッターを収めるものも白く塗られていて、なんとなく洋風にも見えて、唐破風と合わせて富士屋ホテルを連想させる。屋根はシアンに塗られた鉄板かと思うが、瓦屋根だったのを改修したものだろう。
『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)では「建築年=1910年代(大正期)、設計・施工=不詳、冨士屋ホテルの外国人向けの土産物店として開業。創業は1887年。また箱根の別荘に避暑、静養に訪れた人たちに骨董品も販売した」。
『楽・楽箱根』(JTBパブリッシング、2014年)には「明治20年(1887)、横浜で創業した古美術商で、明治後期に宮ノ下に移転」とある。
ぼくは骨董には興味がないが、店構えからすると、10万円ほどの心づもりで入る覚悟がいるような気がするのだが、土産物も置いてあるというから、見るだけでも大丈夫だと思う。店名の英語表示らしい「S.M. SHIBA」の「S.M.」が分からない。コンクリートのガードに書かれた「inspection welcome」は「見るだけでも歓迎する」という意味だろう。

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魚浦商店。神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号を登ってきて、宮の下交差点でカーブしてすぐ先。古い店舗のままの魚屋は、写真では看板が見当たらないが、今は青い日よけの上の梁に「創業大正七年 魚浦商店」と入れている。魚浦商店の両隣、「渡邊ベーカリー」と「豊島豆腐店」が観光客にはよく知られている。



やまや。箱根町宮ノ下。2014年6月9日

国道1号の宮ノ下交差点に面した骨董店。創業したのは江戸時代後期という。看板に「鳴りこま製造直売/箱根寄木細工」とあり、そういう土産物も扱う。建物はかなり古そうだがこの辺りの国道1号沿線に残る古い日本家屋の骨董店などには大正期に建ったものもあるから、やまやもその頃に建ったものかもしれない。建物左のショーウインドーの下にスクラッチタイルが貼られている。この部分は昭和初期に造られたのかもしれない。

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