芸術に限界はない。そして、どんな芸術も完全ではない。
プタハヘテプ
自然と芸術
もし、すべての人が認める芸術が存在するとしたらそれはその存在そのものが芸術なのかもしれません。
Kannesteinen Rock
写真引用:Peachy
写真引用:skyticket 観光ガイド
屋久島縄文杉
写真引用:Holiday
自然の芸術にあなたは何を感じますか?
芸術とは?
芸術とは小学館のデジタル大辞泉によれば
1,特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「芸術の秋」「芸術品」2、学芸と技術。とされています。
美とは多分に主観的な側面があります。ジェネレーションによる価値観のギャップや国の違いによるギャップ・・・様々な物差しでその評価も変わるように感じます。
だからこそ、芸術には価値があり、すべての人に評価される事もないし、されてはならないのかもしれません。
不安定さがあるからこそ芸術
個人的な話で恐縮ですが私はフェルメールが好きです。
生活のワンシーンを写真のように切り取った空気感漂うその作品は美しいです。
でも、素人の私でも感じる不安定さが人間らしくて好きです。「不安定さ」と言っても主観的な表現なのでもう少し言うと光の存在を浮き立たせるために極端に暗いところがあったり、作品に隠された意味があったりするところが大好きです。
ただ、一つ言えるのは写真が普通にある現代でもフェルメールの絵が人々の心をとらえるのは「写真のようだけど写真じゃない」という事だと思います。
現実を見ているようで実は現実ではない。ちょうど映画を観ているような気分になるからなのではないか?と思っています。
人は音楽に何を求めたのか?
現存する楽譜を基準にすると、世界で最も古い音楽は3,400年前の中東メソポタミア地方の歌と言われています。実はこれを再現したものがyoutubeにアップされています。
この音楽をアップしたアウェイドン 3Dさんによれば、この楽譜は、粘土の銘板にくさび文字で刻まれている物を、フランスの考古学者が発掘したものを1972年にカリフォルニア大学バークレー校のProf. Anne Draffkorn Kilmerが解読したものだそうです。
この歌は、祭礼に使われる賛歌として、古代シリアの土俗神である月の女神Nikkalをたたえる内容となっているとの事です。
ヨーロッパでもなく、東洋でもないこの独特な響き。当時の人は崇高な気持ちでこの曲を聞いていたのかもしれませんね。
音楽は軽々と国境を超える
なぜか。最近、私の周りでYMOの話が出る事が多くなっています。
それも武術家や高校生、パン屋さん・・・と幅広い人達から。YMOを知らない人のために少し説明をしますね。
YMOとは
1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成されたテクノ・ポップ・グループ。79年発表の2作目『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がヒットし、テクノ・ポップの大ブームを巻き起こす。その後も音楽シーンに多大な影響を与え続けるが、83年暮れに散開。93年に一時的な再結成=再生を果たした後、沈黙を続けた3人は2004年よりHuman Audio Sponge名義で活動を再開。以後、HASYMO、Yellow Magic Orchestraとしても活動を行ない、ネーミングを越えた新しい3人のサウンドを追求している。
上記引用元:Rockin`on.com
百聞は一見にしかず。まずは動画をご覧下さい。
YMOの音楽的特徴はシンセサイザーという誰が押しても同じ音のする楽器で様々な音楽的実験をした楽曲を発表してきました。世界的評価も高く、その楽曲はマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンにもカバーされました。
YMOの音楽はすでに40年以上前のものですが人々の心を捉え続けています。その理由は何でしょう?
YMOは「日本らしさ」を意識しつつも世界の色んな種類の音楽を採り入れています。ですから世界中の誰が聞いても、どこかで自分の国の音楽を感じたり、その人がイメージする日本を感じたりするのではないでしょうか。
その採り入れ方が実は理詰めなのにも関わらずそれを感じさせず逆に遊び心すら感じるPOPさにYMOの音楽の素晴らしさがあったと思います。
そのYMOの曲の中に「ABSOLUTE EGO DANCE」(1979年)の曲があります。少し聴いてみて下さい。
最初の指笛のリズムっぽいところから、「あれっ?沖縄っぽいな」と思うのですが、曲の中盤部分では広大なアジアの大陸を思わせるメロディになり、そこにいつの間にか沖縄の「イヤササ」という囃子が入ってきます。
沖縄の音楽のパクリとは全然感じません。むしろ沖縄の音楽を通してイメージがどんどん拡がる感じです。
沖縄の音楽はYMOのような斬新な音楽でも当たり負けしない個性があると思います。
沖縄の音楽
沖縄の音楽といってもざっくりした言い方ですが、やはり琉球音階を中心としたいわゆる琉球古典音楽の存在は無視できないです。
琉球音階とはド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音で構成される音階、それにレを加えたド・レ・ミ・ファ・ソ・シ・ドの6音で構成される音階です。
西洋音楽の聞き慣れた音階とは趣を異にする音階を用いる事で沖縄らしさが自然に出るようになっています。
しかし、この音階はインドネシアなど東南アジアの音楽にも一部存在する(ガムランなど)そうです。そのようなアジアと琉球の歴史的な交流や関係なども琉球音階の成立に影響を与えたのかもしれませんね。
沖縄の音楽は先程のYMOで採り上げられたように音楽的にかなりのインパクトがあるようです。沖縄の音楽に影響を受けた楽曲が色々と出てきました。
その中でも世界的にも有名なアーティストのライ・クーダーが沖縄を採り上げたのは話題になりました。
他にもロンドン生まれのプロデューサーのタルヴィン・シンのアルバムでもこのような曲がありました。
日本でも、この曲は沖縄の曲と思っている人も多いですよね。
そして、最近では米津玄師が「Flamingo」という曲はザ・ブームの「島唄」に影響を受けたと言っています。
こうやって見ても沖縄の音楽がまるでアメーバのように世代を超えて世界に息づいている事が分かります。
楽器から見る沖縄音楽
実は琉球音階だけで、沖縄音楽らしさは醸し出されます。でも三線を始めとする楽器もユニークです。
以下、wikipediaより引用
【琉球楽器/沖縄音楽を成り立たせるもの】
●三線(サンシン)
●箏(クトゥ)(本土では「琉球箏」または「沖縄箏」と呼ばれることもある)。金属弦のものは「琉琴」という。
●胡弓(くーちょー)
●笛 - 「ファンソウ」ともいう。縦笛ではなく、横笛。「明笛」の一番上の穴(響孔)をテープで塞いで使うことが多いが、最近は元から響孔の開いていない六穴のものも売られ「琉笛」と呼ばれることもある。
●拍子木
●三板(サンバ) - 三枚の板を紐で括った楽器。カスタネット、タンバリン的に使う。
●四つ竹 - 長方形に切った竹を二枚ずつ両手に持ち鳴らす。古典舞踊の「踊りこはでさ」(四つ竹を持って踊ることから四つ竹とも)に使うのが代表的だが、最近ではエイサーに使われることもある。
●パーランク - エイサーで使う小型の片面太鼓。片手で持ち、叩いたら手首を返し、音を反響させる。
●平太鼓 - 締太鼓と一組にして、伴奏に使う
●締太鼓 - エイサーに良く用いられる太鼓。平太鼓と併せて伴奏に使う締太鼓は胴が厚くて重く、形は同じでもエイサーで使われる締太鼓とは異なる。
●指笛 - 合の手的に使う。
●銅鑼 - 八重山諸島において、締太鼓とともに儀礼の唄の伴奏に用いられる。
以上、wikipediaより引用
カタカナで示されている方言だと分かりませんが漢字を見ると大体分かると思います。この中でも三線の存在は大きいです。たとえ琉球音階を奏でなくても三線で弾けばそこに沖縄を感じる人は多いでしょう。
歴史を紐解くと独立国家として栄えていた琉球王国に14世紀末、中国福建の?江(ビンコウ)下流の住民である?人(ビンジン)三十六姓によって三線の原型となる三絃(サンスェン)が持ち込まれました。15世紀になると当時の王・尚真(ショウシン)により士族の教養の一つとして奨励されるようになりました。その後琉球から大和(堺)に伝えられ、三味線として普及していったと言われています。
その意味では三線を通してアジアの歴史が沖縄にも根付いているともいえるでしょう。
個人的には三線と並んで外せないのは胡弓です。三線に似ているのですが弦が4弦あり三線のように抱えて持つわけではなく縦に持ち、弓で弾くという知らない人から見ると変わった楽器です。動画の右端の楽器がそれです。
笛だけだと薄くなりがちなメロディに胡弓が加わる事で厚みが出ます。
この胡弓に似た楽器で二胡という中国の楽器があります。弦で弾くという事が胡弓と共通していますが弦が2つしかありません。しかし抑揚のある美しい音を出します。
東京在住の沖縄のアーティストの豊岡マッシーさんは三線とこの二胡で幻想的な世界を創り出します。
美しい曲も唄っています。
三線を始めとする楽器と琉球音階だけで沖縄の音楽は時代も国境も超える事ができるのです。
豊岡マッシーさんのブログはこちらから
沖縄の音楽と琉球舞踊
琉球舞踊に関する音楽は、琉球王朝時代に生まれた古典音楽が古典舞踊に、一般の人々が楽しんだ民謡や島唄は、明治以降に生まれた雑踊り(zouodori)に、使われています。
古典音楽は、聞けば聞くほどに味わい深く、耳薬(ミミグスイ)です。古典音楽で舞う古典舞踊は優雅で格調高く、古の王朝人を彷彿させます。
また、民謡や島唄は、今でも暮らしの中に息づいていて、毎年旧盆には各地域でエイサーが踊られています。それから、沖縄の祝宴では必ずと言っていいほど「かぎやで風」で座開きし、「カチャーシー」でお開きになります。沖縄の音楽や三線は生活とともにあります。
私も、三線の奏でる琉球音階(ドミファソシド)の旋律は、琉球舞踊を本格的に習い始める以前の幼い頃から慣れ親しんできました。
私にとっては慣れ親しんだ沖縄の音楽や三線は、外国の方にとってどう感じるのか、私の下で稽古をしている韓国出身の女性に尋ねてみました。
その女性は、学生時代に韓国舞踊を習っていたこともあり、感性がとても豊かで、琉球舞踊の習得も早いです。彼女曰く「沖縄の音楽や三線」は異質感はなく、特に三線の奏でる音は、夏の日に降る大粒の雨が大地にしみこんでいくのではなく、地面にはじける音のように聞こえるそうです。
その他の楽器の箏や太鼓等は、地面にしみこんでいくような音で、三線の音は地面に跳ね返るように感じるとのことでした。感性豊かな彼女の感想は、沖縄の音楽や三線の音に慣れ親しんだ私にとって、とても新鮮な感覚で感銘を受けました。
沖縄の音楽に欠かせない三線は、沖縄の人々に癒しを与える大切な楽器です。三線の日(3月4日に時報と共に一斉に世界各地の三線愛好家が演奏する日)の広がりが、今では世界各地にいるウチナーンチュや三線愛好家の外国人にも愛されています。
*もう終了しましたがこんなイベントもありました!
古典音楽の継承のほか、新しい民謡や音楽が生まれ続けている昨今、新しい民謡や音楽が生まれるということは、舞踊家にとっても新たな創作舞踊の可能性が広がることでもあります。
生活とともにある沖縄の音楽や三線は、人々の心の拠り所だと思います。
沖縄音楽と琉球舞踊はまるで自転車の両輪のようにこれからもお互いを刺激しあいながら、さらに高みに昇ると思います。文化は箱の中にそっとしまっておくものではなく、生活と密着しながらこれからも生きていくと思います。これからも目が離せませんね!
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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写真引用元:©OCVB