くまモンは実は、東日本大震災翌日の2011年3月12日に生まれた。お披露目イベントは中止になり、後に活動を始めてからは、胸に「がんばろう東北」のバッジを付けてきた。それから5年、熊本が被災するとは思いもしなかった。
「ゆるキャラ」と呼ばれるくまモンが復興のよりどころになると思っていなかったが、熊本地震後、漫画家の皆さんがくまモンを描いて「頑張れ絵」として(ネットなどで作品を公表して)応援の気持ちを次々表してくれた。イラストを見て「こういう形で共感を呼び、社会に受け入れられてもらえるんだ」と教えられた気がした。「頑張れ絵」第1号の(「丸出ダメ夫」作者の)森田拳次さんからは「勝手に書いてごめんなさい。著作権違反をしてしまいました」とユーモアあるファクスも届いた。くまモンが介在することで、支援がしやすくなることもあるんだと思った。
(地震後に自粛した)くまモンの活動再開を「こどもの日」にしたのも良かった。子供たちの笑顔につながるきっかけになった。くまモンと熊本の人たちの笑顔が重なって見え、前を向いて動き出す第一歩になったのではないか。
くまモンは元々「日常にある『見過ごしていた価値』を発見していこう」というキャンペーンの中から生み出された。地震前に、ささやかな幸せをくまモンに報告するスマホアプリを発表していた。地震後、「こんな時に誰も使わないだろう」と思いながらアプリを見ると、「久しぶりに水をお湯にできた」と被災者の書き込みがあった。大変な時でも前向きな県民の姿を感じ、そんな県民性こそ、見えないんだけど熊本の魅力だと思いました。
復興への長い道のりで、僕はピンチを前向きに捉えるような、視点を変換するお手伝いをしたい。くまモンと一緒に被災地・熊本の子供と交流したサッカー日本代表の香川真司選手は、5歳で阪神大震災に遭い、被災地支援で来たカズ(現・横浜FCの三浦知良選手)と会って「サッカー選手になる」と夢を抱いた。子供たちがこれから20年たった時、熊本地震があったから今がある、この夢へ歩き出した、と思えるようなきっかけを作っていきたい。【聞き手・青木絵美】
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4月14日の熊本地震発生から2カ月になるのを前に、各分野の識者に復興への道標を示してもらった。
■人物略歴
こやま・くんどう
1964年、熊本県天草市出身。放送作家、脚本家。くまモン生みの親で、県地域プロジェクトアドバイザー。