はてなキーワード: 理由とは
基本的には、バカを相手にするというのは非生産的で時間の無駄であるし、
「相手にされること自体が目的のバカ」というのも多くいるから、
放置しておくのが良いのだろうと思う。
「自分が相手にされない」理由を、「自分がバカだから」とは考えず、
ひどい場合は「相手がバカだから、俺様についてこれないのだ」などと図に乗って、
こうなると、やはりバカはバカとして批判し叩き潰すべきなのだろうが、
直接的につながってしまうこともあり、
さらに「バカを相手にしていること自体が、バカに見えてしまう」という側面もある。
なんとも悩ましい問題だ。
各々好みがあるわけで雑談の中で漫画が話題になった程度の状況で
自分の趣味をぶっこんで相手のテンションが上がると思うほうがおかしい。
サーティーワンアイスで「俺はこの味が好きだ!どう興味湧いてきたでしょ?」といっているようなもので
そんなんじゃ何を持ってそれを良しとしているかなんて聞き手には全くわからないのだ。
おそらくこういうアプローチをとる奴は「何それ?どこがそんなにいいの?」と理由を聞かれることを期待している。
「テラフォーマーズがおすすめ」といえば「どういう漫画なの?どこが面白かった?」という返しがくるものだと思い込んでいるし
下手をすれば聞き手がそういう返しをすることをマナーだと思っているのかもしれない。
しかし聞いている方からすればよほど親しかったり魅力を感じる人でない限り
自分の生活にさして関わりがないだろうし知って愉快な気分になる気もしないからだ。
聞いているだけなら別段不快でもないが、くだらない物に対してわざわざ興味がある素振りをする義理はない。
どうもコミュ障の気のある人は自分の好みをひけらかすことはあまり良くないとかんがえる傾向にあるように見える。
実際嫌がられるのは、素直に「自分はこういうものが好きだ」とか「こんな話がしたい」とストレートにいえばいいものを
自分に注目が行くように仕向けるためや否定されることを避けるために
自分の気持ちを吐き出すことが目的になってしまい聞き手への配慮がおざなりになってしまうことだ。
この二つを履き違えてマニアックな話をすれば煙たがられるという思い込みを生み出しているのではなかろうか。
ただただ最近読んだテラフォーマーズの面白さを共有したかっただけなのだろうと思う。
4年は同じ職場で働いたのならば
環境が整えば、おっとりしていても働ける。
旦那にできることは
経歴に傷が付くことの比ではなくやばい。
「頑張る限り応援するけど、無理してまで働く必要は無い」という考えを言葉で伝え、見守れ。
責任感が強く頑張りすぎる奴は、一人で助けを求められず潰れる。
職場での負荷に耐えられるよう、家庭での負荷は最小限になるようにしろ。
話しを聞く場合は、助言をしようと思うなよ。
「きみがそう思うなら、そうすべきだ」というスタンスだな。
これで持ちこたえられそうなら、夏前から「家にいてもらいたい」と伝え
新婚とわかって就職させたのなら
計画なしの妊娠も許容せざるを得ない。
嫁が渡しに船だと思えば、円満な状態を維持し次年度末で退職ができる。
その前にやめたいと嫁から言い出したら「それでよい」と意思決定に同意し
選択は間違っていないと決定内容を補償してやれ。
お前がどんなに環境を整えても、仕事の負荷が強すぎれば、当然病む。
飯食っているか?、食い過ぎてないか?、夜眠れているか?、明け方に起きていないか?
診断がつくレベルに達したと思え。
嫁に適切な判断をする力は残っていない。
俺は、ギリギリのところで嫁を救えた。
お前の嫁を救えるのは、一緒に生活しているお前だけだ。
いつも不思議なのだけど映画評(レーティングではない)、書評、漫画評とかって読むのってどういう人達なのかな?オレかなり長い期間、レーティングと賞だけ見て評論に関しては全く見もしないんだけど。どういう人達が何のために読んでいるのかいつも不思議だった。読まない理由は他人の感想に興味が無いからなんだけど。皆興味あるの?
ちなみに見た友達同士で意見を交わしたりってのはあるし、ネットとかでそういう話題の時に意見入れたりってのはするよ。単に紙媒体やネット媒体、こういうところでも往々にして出てくるそれをどう思うのかなっていう話。
男性ヲタが女性受けする作品を、「女/腐向けアニメ/漫画でクソ」と貶めがちになってしまうのは、女性によって性的に消費されることに慣れてない男性が多いからではないだろうか。
(クラスタ内に駄目な奴が一定数いるのはどのクラスタも同じなので、ここでは’女はマナーが悪いから嫌い’という理由はないものとする)
男性が性的に消費されるというのは、具体的に自慰のおかずにされるということでもなく、キャーキャーちやほやされるというだけに留まらない。
嫌な言い方をすれば、ニッチで、倒錯的で、フェチ極まる、変態性癖を持つ女性がそういう思惑をもってチラリと男性をみる、ということだ。
立ってる、友達と話をしている、楽しそう、上着を脱いだ、なにかに夢中になってる、くしゃみをした。
見かけだけでもいい。
制服を着ている、ひげが生えている、ハゲている、筋肉質、痩せている、指が長い、疲れた顔、老けている、若い。
これらだけで「あーたまらん」と思う女性たちは当然ながら存在する。
そこに、あーたまらん→恋愛的な意味で好きになるという流れは必ずしも存在するわけではない。
自分の意向に全く関係なく、観察され、勝手に感情を抱かれ、観察が終わる。それも性的に消費されるということだ。
それが、二次元の男性を対象にすることだってあるだろう。相手が実在しない分解釈は無限大だ。
大抵の人は、他人の性行動を観たがらないだろうから、それみて男性が「キモい」と言うのは自由だ。
しかし、それは鏡の中の自分に向かって「キモい」と言うのと変わらないと自覚して言っている男性が一体どれだけいるのか。
(もちろん、男性に向かって同じように「キモい」という女性も同じ)
男性も女性も消費するようなコンテンツの場合、ファンの中の男女が罵り合っている様子がよくみられるが、犯罪を犯さないかぎり、人の解釈や性癖にあーだこーだいうのは無粋だとなぜわからないのだろう。
自分は対象を性的に消費してもよいが、相手が自分も対象になり得るものを性的に消費するのは許さないというのは自己中過ぎだろう。
人の性癖を否定する前に、自分の中の性的な部分をもうちょっとしっかり認識しなおしたほうがいいんじゃないか。
そうすれば、人がなにをどう消費しようと、とやかくいうのはおかしいと気づきそうなもんだが。
「消費している姿をあまり目に入れたくない」くらいならまだ理解できるが、「消費していることを許さない」のは傲慢が過ぎると思う。
とにかくうるさい。
そして「めんどくせー」とか「明日やろー」とか、平気で業務を切り上げる。
上司が何か作業を依頼をすると、ものすごい焦ってどもりながら、必死に出来ない理由をアピル。
アピル内容がヒートアップしすぎて、いつも「頼むから落ち着いて考えてくれ」と諭されている。
アプリの開発物をみると「いーなー!おれインフラ(自称)だから作れねーしうらやましー!」と負け犬発言を平気でする。
ちょっと前は、業務上、致し方なくSQLを触ったみたいだが、ちょっとデータ引けただけで「おれDBアドミンでもないのにすげー!」って叫んでた。
直後にtimeout。「使えねー!このDB!」って叫んだ。
なんか見ててかわいそうになったが、30台中盤のおっさんなので、勝手に居心地悪くして、そのまま消えてくれることを、ほんのり願っている。
北野武が子供時代にあるいじめられっ子がよってきたので、おまえと一緒にすんなとばかりに蹴り飛ばしたらしい。
ところがその男が大人になって武へと連絡してきた。話は詳しく忘れたが、そいつはやくざと絡んでいて人の足下を見るようなやつに変わっていたという。
武はいても立ってもいられず、嫌になって飲みに誘うその男から去ってしまった。ここで武が彼を嫌になった理由は三つある。
彼がいじめられっ子だった自分の防衛策として汚さを身につけざるを得なかったこと、もう一点が彼自身の性格の汚さそのものだ。
そして補足するならば、そんな彼という遠因を作ってしまった武自身のわだかまりだろう。
特に一つ目の問題について、級友に非はあったといえるのだろうか。
精神的生存権を奪われそうになりながらも戦った結果、嫌な人間になってしまうという現実。
それならば、彼はいったい何を愛せば良かったのだろう。
戦わずして自殺なりすれば良かったのだろうか? あるいは精神的な活路を見いだすために汚くなることが正解だったのだろうか?
誰かに与しながら嘘笑いを繰り返し、卑屈に生きることが正解だっただろうか? 善良で気弱な人間として虐げられていることが正解だったのか?
そもそも取材っていうのは、
「記者さんに話すことなんて何もないよ! さっさと帰んな!」と
塩まかれんばかりに追い返されても、めげずに通い詰めて、
「あんたもしつこいねえ、何が聞きたいんだよ」って言われるのを突破口にして
公にされている資料(たとえば政治資金の報告書とか、土地の登記簿とか)を
徹底的に読み込んで、怪しいところをあぶりだしたうえで、相手にぶつけて
「そこまでわかってるんじゃあ、しょうがないなあ」と言わせたり、
「あんただったら信用できるからいうけれど、実はね・・」と言われるようになるまで
実績を積み上げたりすることだ。
大体、「報道に値すること」ってのは、「相手が積極的には話したくないこと」の中に
潜んでいるのが通常だし。
(相手の話したいことを「はいはい、おっしゃる通り」って聞いてきて、広く伝えるだけでは、
ただの「マスコミ(マスなコミュニケーション)」とか「パブリシティ」に過ぎない)
堀某とか、長谷川某とか、「報道に携わってきた」とかいう自負のあるらしい「アナウンサー出身者」が
「ジャーナリズムとは」とか語りだすと、ものすごぐ薄っぺらくて胡散臭いのは、
多分そういう、「地道な取材」なんか、ほとんどやったことないくせに
表面的なところだけで、語り出すからだと思う。
どうせ、会社や組織の看板とアナウンサーとかいう肩書を背負ったまま、
正面から広報に電話かけて「○○についての企画をやるんで、お話きかせてくださ~い」とかいって、
話聞いてきたのをこぎれいにまとめてしゃべっただけだろ?
そもそも「アナウンサー」って職責は
「地道に取材する」んじゃなくて
以前、麻生太郎さんはカップラーメンが400円すると言って失笑を買いました。
よく政治家とかが庶民感覚がないと非難されますが、私は子供の頃それを見て「ああ、偉くなると感覚がおかしくなっちゃうんだな」と思い、偉くなるのはやめようと思いました。
私は中学生の頃から親のパソコンで遊んでいましたが、そのころから将来パソコンの仕事がしたいと思っていました。「市井の技術者」という言葉を知って、庶民の感覚を持って自分の能力を磨いてお金を稼いで生活できるなら、それが一番いいような気がしていました。
大学で情報系の学部に入り大学院へ行ってちょっと事情があって中退してから、私がITの仕事に最初に就いたのはネットワークやサーバの運用の仕事でした。大学の研究室がネットワーク研究室というところで、TCP/IPや光ファイバのプロトコルについて研究していたので、ネットワークエンジニアの仕事がしたいと思って応募しましたが、実務経験がないという理由でできませんでした。(当時(2005年頃)はITの仕事の募集はありましたが、プログラミングでもネットワークエンジニアでもほとんど実務経験が問われました。JAVAは社会人よりも学生の方がよく知っていると言われていた頃です。私は大学生の頃からJAVAを使った経験がありましたが、仕事として使うようになったのは10年くらい経った2008年です。)
大手の派遣会社から大手のIT企業へ派遣されて仕事していたのですが、とにかく困ったのは同僚が常に世間話をしていることでした。シェルのコマンドを叩いてるときも世間話、メールキューを掃除するときも世間話。当然仕事になりませんがそのときはITの仕事はこういうものなんだと思っていました。まあな。ばかっつうもんだな。
あと派遣でもデスクトップを使う人とノートパソコンを使う人がいました。今でもそうですがノートパソコンのタッチパッドは誤動作しやすいんですね。私は当時ハッキングされてるのかと思っていました。(実際されてたかもしれませんが)。私の他にノートパソコンを使っている人がいましたが、その人は私より後に派遣されてきて私より先に辞めていきました。
また、そのときは他に都会の電車が怖くて乗れなかったということもありました。
2ヶ月ほどして仕事のマニュアルを早い者勝ちで作るように上司から指示が出て、仕事自体がまだ身に付いていなくて何もできなかったということもあったので何も作れず、結局無力感と恐怖感で仕事に行けなくなりました。
いま振り返ってみると、私は『庶民感覚が無くなるんだったらヤダな』と思って『ずっと汗をかいて下っ端でいよう』と思ったら、その下っ端にはじき出されたということなんだと思います。
東京から長野までバイクで死にものぐるいで逃げ帰ってきたんですが、それから何年か人が怖くて家に引きこもっていました。
さらに悪いことに、私が落ち着いてきた頃、母に公務員試験を受けることを進められたのですが、私はどうしてもIT技術者になる夢を捨てきれず、断っていました。あとで知ったのですが、大学院の同じ研究室にいた人が関西の市役所に就職して最近ドワンゴへ転職しました。Σ(゚д゚;)
なんだよそれなら俺も公務員になってても良かったんじゃん!(_□_;)!!
私は仕事は自分で言うのもアレですが大きな付加価値を生み出せて優秀だと思いますが、
身の処し方が全然分かりません。
父が私に言った言葉で
というのがありました。
調べたら「雲の上の存在」というのは別世界の住人ということらしいです。
私は親と別世界の住人にはなりたくないです。
お父さん、そういうことを言うのがいけないんじゃないか?
お父さん!
お父さん!!
お父さん!!!
まず金銭的な問題は抜きにして、東京で楽しめることであって欲しい。
遊びに対する価値は人それぞれなので、自分を高めるための勉強や、仕事でも構わないのでなぜそれをしたいのか、理由も添えてほしい。
とにかく、あなた自身がこれは絶対やりたいということを書いてほしい。
どうぞよろしく。
地方出身者で言えば、完全な地元に残る人、近隣の都会に出る人、東京に行く人…と様々だが
地元に仕事がなくて都会に出たとか、転勤で縁のない土地に住んでるとか、
親のことがあって地元に戻らざるを得なかったとか、不本意な理由の人が結構多い。
高校や大学を卒業するタイミングで多少の選択の余地はあるのかもしれないけど
結果今どうしてるかと、本人の考えや人生観というのは、必ずしも一致しないんだな。
元増田が社内で使用するSlackはある部署により運営されており、かつ他部署にも温情で無償提供されていた。ところがある日、他部署所属である元増田は無言で多数のSlackから追い出されてしまう。
不審に思った元増田が管理職に問い合わせてみたところ、管理職は質問をはぐらかすばかり。さらには元増田自身が理由を分かっているはずだ、といった意図を暗に匂わせてくる。
元増田は不審に思った。「もしやこれはパワハラではないのか。いや、他部署の人間が提供部署のインフラを間借りしていたのだから当然かも知れない」さあ、あなたはどう思いますか?
…と女の人があまり主張しないのはなんで?
フェミにそんな論文もデータもねえわってツッコまれるのはよくある光景だけど
やっぱり強い欲求や衝動を感じるからこそそういう主張をするわけでさ
終わった最大の理由は「もうネタがない」だったのではないかと思っている。一応クイズ仕立てだから、一度行った所のメニューは数年たっても定番が上位に来てしまい大きな変動を予測できないから当たってて当たり前になってしまう。
職場にはSlackが乱立している。職場の主流派が所属しているのがAというSlackで、僕が所属しているのはBというSlack。ただ、歴史的経緯というか、最初お試し目的でAは所属部署とは無関係に社員が誰でも参加できるというスタイルをとっていた。そもそも社名を名乗ってたから誰もが、会社全体のSlackだと思っていた。
Slackに予算が付くことになってAはAの部署の予算で課金するようになった。ここで問題になるのがAの部署以外の人間の扱いだ。そんなに人もいなかった為か、例外的に既にアカウントを持っているユーザーはそのまま利用し続けられる事になった。これは予算的にはAの部署の好意によるものだろう。その後、AのSlackの部署外の人間の扱いに関しては紆余曲折があるのだがそれはこの話の本筋と関係ないので省略しておこう。
さて、僕はAのSlackに、部署外の人間として読み書きができるという立場だったのだが、部署が違うので制限ユーザー(自力では新規に部屋に入れない・部屋から抜け出せない)だったのはいいとして、ある日、急にとある管理職の手によって部屋から除外されていたのだ。(制限ユーザーなので入り直すことができない)
僕はてっきりよその部署に聞かれたらマズい話がでたりするのか、あるいは僕の発言内容に何かあったのか?などと疑心暗鬼になった。当然だ。その管理職は無言で、いきなり除外コマンドだけが発行されていたのだから。まずは僕は疑心暗鬼になりつつも様子を見ていた。すると数時間後、また別の部屋から除外されていた。特に機密を扱う部屋でもないような雑談気味の部屋からだ。
さすがに意味がわからなくなって管理職に直接問い合わせた。理由を教えてくれと。すると何故かはぐらかす。「わかるだろ?」の一点張り。何か理由があるんだろうから、理由を説明すればいいだけなのに、意味不明な返答しか帰ってこない。仕方ないのでもしかしたらコレが原因かな?と思って聞いてみても「ふーん、そうなんだ」みたいな発言が帰ってくるばかり。その日は会話が成立しなかった。
翌日すこし強めに問いただすと、理由のようなものを語り始めた。まぁ納得がいく理由かどうかはさておいても、その時はちゃんと会話が成立していたので良かったと思っている。理由や内容に関しては詳細は書かない。会社の恥部を晒すだけだろうからね。
で、僕は「理由は理由としても、昨日の対応、つまり無言で部屋から除外するっていう対応おかしくないですか?」と聞いたら「確かに疑問は残るね」と他人事のように返すだけ。特に謝るわけでもなかった。
僕は人格をないがしろにされたと感じた。ちゃんと理由を説明して会話をしてくれれば伝わったのに、何故か彼は会話をすっ飛ばしていきなり強制執行をおこなったのだ。
今、精神を病んで休職中の僕だが、この一件が与えた影響は決して小さくない。多少なりとも信頼していた人から、人格を認められないような対応をされたことに傷ついた事は間違いないのだ。
そこで、一つ聞いてみたい。これはパワハラに該当するのだろうか?
2. 人格をないがしろにされる扱いというのはパワハラなのか?
別に彼や会社を訴えるつもりは特にない。だが、パワハラに該当する事案なのかだけは知りたい。また、こういう時は誰に相談をするべきだったのだろうか?
可愛い女の子は、全員ノスタルジーで、全員すべからく不幸だと思う時がある。
もちろんそれは、だいたいの気色の悪い男が陥る幻想であり、彼女らにするとアホくさくてやっていられないだろう。しかしながら、ニュアンスというか、感じることは誰にだってあるのではないだろうか、美人は、不幸を香水として纏うのである。
手繰り寄せられるファーストインプレッションに「この人はバカなのだ」という偏見と蔑みがあることも吐露しなければならない。だいたいの場合、陰鬱に浸る奴は阿呆であり、男はプライドから足元までしか浸れないためである。男はいつだってその手の女に、ある種スーパーの半額セールのような、動物園の猿のような、そういう感情を抱く。
女はどこまでも沈む。特に自傷行為の癖は女の特権であるように思う。プライドがないためだと感じる。日本において自殺率が男女に2:1なのに比べて、えらい違いである。
男は、酒にはしる。なぜだかわからないが、そういうことになっている。わたしは忘れたいからではないかと思う。自分を真っ向から否定することを、男は嫌がる。酒は、前進も後退もさせない。留まり、昔を思い出させる薬である。
自己の徹底的な否定と生をみたときに「生きていると実感するから」という理由でリストカットを行う人がいることを発見する。自殺は死ぬために行うが、自傷は生きるために行うと言えなくもない。忘れるために自殺をし、忘れないために自傷をする。
女の方が、総じて外交的である。これも面白い。男は、自己嫌悪の類が強い反面、叱られることを嫌う。大変無様なことに、自分が一番頭がいいといつも思っている。女は、叱られると喜ぶらしい。わからないが、そういう風は確かにある。「わたしはダメなんだ」を、他人に求める節はある。
女のこの外交的な面が、不幸を纏う遠因であろう。そして男の厭世的ななにかが、宗教を生み出し、悟りを生み出し、そして自殺を生み出すのだと、わたしは思う。他人に求められず、いつだって一人きりで、神はそうして生まれるのではないかとわたしは思う。
可愛い女の子はノスタルジーであらねばならない。それはわたしにとって唯一苦しみを理解する神であり、同時にすこしばかりの自尊心を満たすペットである。