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はてなキーワード: コンピュータサイエンスとは

2015-11-17

翻訳は/誰がやっても/間違える (後編)

前編より

http://anond.hatelabo.jp/20151117013422


 

訳文の検討をもう少し続けます。取り上げるのは真鍋版の SICP 日本語訳です。範囲序文その他の導入部分のみ。日本語訳を読んで、おかしいと思った箇所だけ原文を参照することにします。一般読者は翻訳の質を判断できないという――わたしの感覚からすると一般読者をずいぶん侮った――主張に対するひとつ反証になるかもしれません。



 

私たちは、コンピュータを発展させ、新しい方向に向かわせ、家の中で楽しめるようにしておくことに責任があると思います

私たちは、コンピュータを発展させ、新しい方向に向かわせ、楽しさを保ちつづけることに責任があると思います

I think we're responsible for stretching them, setting them off in new directions, and keeping fun in the house.



in the house は直訳の「家の中」だと意味が通りませんので(家庭用コンピュータ産業コンピュータとの区別をしているわけではない)、「コンピュータに関わる人や物事総体」と解釈します。社内報のことを house journal といったりしますね。

minghai 版は「仲間達と共に楽しむ」と訳しており、こちらのほうがニュアンスを正確に捉えています。 




コンピュータサイエンスのその分野が、ずっとその楽しさの感覚を失わないでくれればと願っています

コンピュータサイエンスという分野が……

I hope the field of computer science never loses its sense of fun.



解説は省略します。




あなた出会ったマシンに対して、出会ったときよりも多くのものを見ることができる能力です。そして、それをそれ以上のものにできる能力です。

マシンに対する理解を初めのころよりも深めて、あなたもっとうまくやり遂げられるようになる能力です。

[T]he ability to see the machine as more than when you were first led up to it, that you can make it more.



that you can make it more は so that と同じ機能の節だと思います。おそらく。

make it more は succeed more と言い換えることができますit は the machine を指すわけではありません。




●また、逆方向の流れとして、大きなプログラムを書くということはとても大変なことなので、新しい方法発明して、機能や詳細事項の山を減らしてより大きなプログラムに組み込むことができるようにするように、私たちは促されています

見方を変えれば、次のように言うこともできます。大きなプログラムを書くのはとても大変なことなので、機能や詳細事項の山を減らして大きなプログラムに組み込む新しい方法発明すべきなのだと。

Conversely, since writing large programs is very taxing, we are stimulated to invent new methods of reducing the mass of function and detail to be fitted into large programs.



conversely は直前の文をパラフレーズしたり、反対の内容を述べたりするときに使う言葉です。この場合パラフレーズにあたると思います




●よく「すべては頭の中のことだ」と言われますが、このように論理的に分けることによって、これらの焦点の間の記号通信を促進できます人間経験の中で、これら 3 つの豊かさ、生命力、潜在力を超えるものは、人生のものの発展ぐらいです。

●たとえ、よく言われるように「頭の中の考えにすぎない」としても、この論理上の区別を設けることで、人間の心・プログラムコンピュータという三つの焦点の間における記号を介したやりとりが促進されます。その豊かさ、生命力、潜在力を超えるものは、人類が知る限り、生命のもの進化しかありません。

Even though, as they say, it's all in the head, this logical separation induces an acceleration of symbolic traffic between these foci whose richness, vitality, and potential is exceeded in human experience only by the evolution of life itself.



symbolic traffic は難しいところですが、コンピュータ内部あるいはコンピュータ同士の「通信」ではなく、人間の心・プログラムコンピュータという一見交わりそうにないもの同士が記号を介して交わるという話ですので、人類学でいうところの exchange のように理解すればよいのではないかと思います柄谷行人が traffic, exchange, intercourse などの概念統合して「交通」と呼んでいたのに似ています

真鍋訳で「三つの豊かさ」となっている箇所は、正しくは「トラフィックの豊かさ」で、そこから生じる相互作用や変化が生命生物)の進化に喩えられています




●これら二つの言語ほど、かけ離れた文化に取り囲まれ、その流通貨幣となっているような二つの言語というのもなかなかないでしょう。

●それぞれの派生言語を含めて、これら二つの言語ほど、かけ離れた文化流通貨幣になっている言語はなかなかないでしょう。

It would be difficult to find two languages that are the communicating coin of two more different cultures than those gathered around these two languages.



those gathered around は Lisp (Scheme) と Pascal派生言語を指します。派生言語派生元の言語を取り囲んでいるのであって、文化は何も取り囲んではいません。原文の著者に対してもっと明晰に書けるだろうと言いたくもなりますが。




ピラミッドは千年もの間変化せずに存在しつづけなければならない……

ピラミッドは千年もの間変化せずに存在しつづけることになり……

As a result the pyramid must stand unchanged for a millennium . . .



「しなければならない」ではなく「必然的にそうなるだろう」という意味の must です。 minghai 版でうまく訳されているので独自の色を出す必要はありません。




ソフトウェアが、ほかの何にも似ていないということはあるでしょうか。それは捨てられるためのもので、常にシャボン玉のように見ることがすべてだと。

ソフトウェアに限ったことだろうか? 捨てられる運命にあり、常にシャボン玉と見なさねばならないのは。

Is it possible that software is not like anything else, that it is meant to be discarded: that the whole point is to always see it as a soap bubble?



箴言風の文章意図が汲みにくいことがありますが、わたしは以下のように文脈を補って読みました。 Is it possible? は反語、 that it is meant to be 以下は so that として解釈しています



ソフトウェアけが例外だということがありえるだろうか

ソフトウェアは(ソフトウェア以外のあらゆるものとは異なるゆえに)捨てられる運命にあるのだろうか(いや、あらゆるものと同様に捨てられる運命にあるのだ)

ソフトウェアは(ソフトウェア以外のあらゆるものとは異なるゆえに)シャボン玉と見なさねばならないのだろうか(いや、あらゆるものと同様にシャボン玉と見なさねばならないのだ)

全体の論旨:ソフトウェアは、あらゆるものと同様に儚い



真鍋訳は Is it possible that software is not like anything else? Is it possible that it is meant to be discarded? と解釈したのでしょうか。その場合ソフトウェア以外のあらゆるものは捨てられることのない不変の存在ということになってしまますが。




プログラム人間が読めるように書かなくてはならず、それがたまたま機械によって実行できるというだけのことです。

プログラムを書く目的は、人間に読んでもらうためでなくてはなりません。機械に実行させるのは副次的問題にすぎないのです。

[P]rograms must be written for people to read, and only incidentally for machines to execute.



機械プログラムたまたま (by chance) 実行するわけではありません。実行すること自体が、人間認識を広げるという目的に比べれば副次的 (less important) にすぎないということです。



 


以上、ざっと校正してみました。ほかにも「プログラミング世界では semantic に構文的という訳語を当てることになっているのか」「Pascal 企業 (Pascal enterprises) とは何ぞや 」「concern は眼目とすることであって懸念ではないだろう」といった疑問点はあるのですが、それこそ副次的問題にすぎないので省略します。

わたしの感想を述べると、個人の趣味翻訳としては悪くない出来だと思いますしか特に褒められるようなクオリティではありません。翻訳は誰がやっても間違える――とはいえ、先行訳を「腐臭を放つ吐瀉物の山」と評する方には、先行訳が正しく解釈している箇所で間違えてもらいたくはない。ですから真鍋さんにおかれましては「2ページに1個程度の誤訳があれば、それは確実に腐った翻訳だ」といった持論を述べたり、ご自身翻訳に decent version と銘打ったりするにあたって、もう少し慎重を期されてもよろしいのではないかと思います



The Moral of This Story

もう言うべきことはほとんど残っていません。翻訳は誰がやっても間違えるという常識が多少なりとも共有されれば、このエッセイ目的は果たされたことになります。では翻訳の質を上げるにはどうすればいいのか? この問題については結論が出ていて、時間予算の許す限り、なるべくたくさんの人が校正に関わるしかありません。今回、わたしが真鍋さんの翻訳問題点に気がついたのは、わたしが彼よりも優れているからではなく、わたしが彼とは別の人間からです。岡目八目。とはいえ、わたしのほうが見当違いをしているおそれも十分にありますが。

間違いの指摘を受けて訂正するというプロセスが働いている限り、誤訳というのはたいした問題ではありません。間違いを指摘する側は形式的に優位に立ってしまうので、相手がミスを認める際の負担を軽減するように、抑制的にふるまう必要があります。それは相手の気持ちを思いやるという生ぬるい話ではなく、円滑な訂正のプロセスを妨げるようなことはしないという実務上の話です。「致命的な誤訳」「最低クラス翻訳」「手のつけようのない何か」「身の程を知ってほしい」「そびえ立つクソの山」「腐った翻訳」「自作ポエム」「異世界語版」「有害」「腐臭を放つ吐瀉物の山」といった発言は、人間真鍋さんの用語で、アスペルガーではないヒトのこと)の言語運用においては、おそらく指摘ではなく侮辱、退場勧告として機能するでしょう。こういった発言を伴わずには間違いの指摘ができない――あるいは指摘する気にならない――のであれば、主たる目的は質の改善ではなく、闘争に似た何かということになります



http://twitter.com/takeda25/status/54107281989709824



Bury the hatchet. (イディオムです)



参考記事ツイート

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20151030/1446174031

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20151030/1446174043

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20151109/1447026522

http://twitter.com/takeda25/status/519303248490934273

http://twitter.com/takeda25/status/534335426186575872

2015-06-18

Web企業について思うこと

西の方の地帝情報M1

周りから就活話題がちらほら出始めて自分も先日会社説明会っぽいものに行ってきた。


いわゆるWeb系の企業結構来ていたのだが、彼らはどうして院卒の学生対象イベントに参加していたのか。


大学(院)では、サービスを作るためのコーディング勉強というものをほぼやらない。

勉強するのはコンピュータサイエンスがメインで、それはサービスを作る上では直接的には役に立たないものだと思ってる。


Web企業が求める人材は、専門学校に多く存在するのでは…?院生より専門学校学生の方がよっぽどJavaScriptとかRailsとか書けそう。

趣味プログラム書いたりサービス作ったりするのは好きだけど、企業向けの即戦力としては彼らに勝てる気がしない。

2015-01-31

ちきりんとかマジで残念だな

http://anond.hatelabo.jp/20150129231744

2015-01-29 大学で得た「今、もっとも役立ってること」って何?

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20150129

一橋腰掛けた程度のくせに偉そうにすんなよ。

大学専門教育ってその道のプロになる最短ルートと言って間違いないだろ。独学で大学カリキュラムより効率よく体系的に専門知識を付けられる超人とか世界にどんだけいんだよ。

ネットプログラミングが学べるって?笑える。大学コンピュータサイエンスを学ぶとこだって。基礎が弱い奴はなんだかんだそれなりの仕事しかできないよ。

結局こういうやつらって自分が歩んだ道を肯定したいだけに感じるんだよな。自分ってすごいでしょ?みんなもついておいでって。

おまえの道は否定しないけど、世の中にはいろんな世界があるんだから自分の道が正しいみたいなのはやめろよ。

若い人の害にならないよう、様々な可能性を公平に提示するにとどめるのが大人ではないか?

2015-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20150127062539

その指摘は読者が求めるものをきちんと理解していない。学識のない一般読者が求めているのは、事実ではなく、手っ取り早く「俺それ知ってる」と言うための読み物なので。

今回の話題ガチコンピュータサイエンスなので、どんなわかりやすい良記事でも、真実に基づかないSFの魅力には勝てない。

2015-01-15

プログラミングって分野別で分けるとどうなんの?

『何か一つ抜きん出るといいよ』とか

『一人でいろいろできるといいよ』とか言われるけど



プログラミングってどうやって細分化されてるのか謎



Webプログラマ

ゲームプログラマ

サーバエンジンニア

とか職種についてはあるみたいだけど

具体的に『これできる』『あれできる』という指標はないんだよね。



アルゴリズム分野は、このへんまでわかる

ネットワークはこのあたりまでわかる

カーネル全然からない



みたいな、ずらーっとリスト化されてるの無いような気がする

CできるよC#できるよPythonできるよ

Djangoの使い方かなりわかるよ

簡単なWebサービスなら作れるよ

って話は、もっと上のレイヤーの話だと思うわけよ



ひょっとしたらそれをコンピュータサイエンスと名付けているのかもしれないけど

個人的感覚では

プログラミングが親で

コンピュータサイエンスが子だと思うんだよ

コンピュータサイエンスのためにプログラミングがあるわけじゃないから



みんなあんまりレイヤー評価しないから

人のプログラミング能力文章化したとき

C#ですごいアプリケーション作った』みたいな漠然とした値が出てしまうんだと思うし

『作りたいものがある人が、無理矢理頑張って作ってみたらなんか知らんけど実力がついていた』しか道が無くなっている気がする



何が言いたいかって、漠然とでもいいから

プログラミングとは、コレとコレとコレだあ!!』みたいなものがないから

目標地点がよくわからんのだよね

泥沼の中をもがいていたらいつの間にか違うステージに上がっていたという感じで、レベルアップしても『う〜ん』という印象を受ける

やるべきことが多すぎるというのもあるけど

2014-11-21

スルーか咀嚼の法則

最近ストレスマネジメントメンタルタフネス話題に触れる機会が多く、改めて「スルーか咀嚼の法則」について書いておきたいと思ったので書く。

スルーか咀嚼の法則」とは、精神健康のためには物事に対してスルーか咀嚼かどちらかの態度を選択すべきという法則である


マインドフルネスに関する文脈ではしばしば無執着こそ正義という仏教立場が強調されすぎている。(正義と書いたが実際仏教哲学における善悪概念もそんなようなものである

また「スルー力」に関する文脈でも「真スルー」が過大評価され、対話姿勢が失われてしまうことがしばしば発生している。


こうしたことからスルーだけじゃなく咀嚼も大事じゃね?という素朴な発想が出てくるのも至極当然のことであった。こうして「スルーか咀嚼の法則」は生まれたのだ。


よくスルーは難しいと言われるけど、完全なスルーはむしろ簡単である中途半端スルーこそが難しいのである

まりスルーすべき部分はスルーし、反応すべき部分にだけ反応するという丁寧な選り分けがもう、とてつもなくむつかしいのである


しかし、よく考えてほしいのは、全てを丁寧にやる必要は全くないということだ。明らかに不毛そうだと思ったらばっさりと真スルー問題ない。

ゴミ砂漠の中にある一握りの砂金など、気に留める必要はない。この手法のことをコンピュータサイエンスでは、枝刈りと呼んでいる。


枝刈りの結果残った部位には、明らかに有益な部位もあれば、有益な部分と有害な部分が半々で混じっている部位もある。

言うまでも無く問題後者である有害刺激にイライラしながらどうやって有益な部分だけ選り分けるのか?


ここでリラックス概念を是非とも導入する必要がある。リラックスなんて知ってるよ。筋肉が弛緩している状態だろ?そう思う人が多いだろう。

しかストレス医学では、リラックスとは単なる筋肉の弛緩状態ではなく、筋肉を弛緩「できる」状態とみるのが現代的だ。


「嫌なことがありました。臨戦態勢に入るために身体が緊張しました。問題が片付きました。片付いたのにまだ身体が緊張しています。」というのはリラックスしていない。

リラックスしていないから、翌日に疲れが残ったり、嫌な出来事を引きずったりしやすくなる。


リラックスしていれば、必要な時に必要な部分を必要なだけ緊張し、必要がなくなればただちに弛緩状態に「できる」。

精神的に言えば、すぐ平常心に戻れること。タイピングでいえば、すぐホームポジションに戻れること。それがリラックスである


スルーにもリラックスしたスルーと緊張したスルーがある。リラックスしていれば、枝刈りした部分以外はすべて一旦受け入れることができる。だから取りこぼしが少ない。

これが緊張していると、細々とスルーするしないを選別してから受け入れようとするから、過大なストレスが発生してしまう。

しかも、受け入れずに選別するから、第一印象だけで雑に選別してしまやすく、取りこぼしや不純物の混入が多くなる。


まずは丸ごと受容する。そして軽く咀嚼してから選別する。そうして選んだ部位だけをじっくり咀嚼する。これをするかどうかでストレス量が大違いなのである

2014-10-20

研究室を選ぶときに調べるべきこと(進学希望者向け)

とりあえず修士には行きたいと考えている現3年生向けに、

研究者としてまともな人の方が後で痛い目は見ないよ~ということで

研究室選定のときに調べるべきことをまとめました。

公立コンピュータサイエンス系を前提としており、他で使えるかはよくわかりません。

月の査読本数や学会幹事などをやっているかまでわかれば

その分野においてどのような位置づけなのかもわかりますが、

とりあえず科研と業績を調べれば本当に危ない人は避けられるということで。

2014-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20140620180547

1点特化型は、そのスキル必要とされている間は、重用されるけど、

技術革新によって新技術に取って代わられたり、コモディティ化してしまうと、

一瞬で無駄人材に早変わり。

これよく言われるが、実際はジェネラリスト(というかこれと言って何もできない)側の人が「そうであって欲しい」と強く願っているだけのことだよね。

そりゃ○○のウェッブフレームワーク一本で食っていきます!みたいなのはダメだろうけど、コンピュータサイエンスの基礎とか、

ファンダメンタル数学スキルとかは取って代わられたりするようなもんじゃないし、応用範囲超広いし、コモディティにもならないからね。

2014-04-24

イメージ力を鍛える6つの方法

本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。

男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?

一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系学校ではイメージ尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。

ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ

そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事であるシリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。

1ブラインド詰将棋

煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。

こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)

もう1つが手軽な方法詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法であるほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初詰将棋入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。

2暗算(四則計算とは言ってない)

先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学数学科を出て現在底辺大学数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学女王岡潔晩年は『情緒創造』を著している。

底辺大学だと数学論理学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンス計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学対象に親しむためと即答し彼または彼女もっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。

数学素養がない人たちへ。最初アイマスクを着用せずJSJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何パズル問題(『目で解く幾何シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学大学数学科数学工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。

3カメ

数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。

芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。

そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来理解記憶きっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。

結語

以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。

2014-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20140404204416

私もそのあたりの上下は詳しくないのよ。

コンピュータサイエンス畑なので、SunOSスタンフォードBSDのUCB、Machカーネギーメロンっていうざっくりしたイメージ

ああ歳がばれるな。

2014-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20140206162616

英語教育が整備されていても未だにちょっと英語しゃべれるだけで優位性を保てるんだから

プログラミングも似たようなもんだと思うけどね。

そもそも頑張っても変数の代入やif文for文すら理解できない、そもそも脳の構造プログラミングに向いていない人は結構多いし。

とあるコンピュータサイエンス学科の初等プログラミングコースの風景

http://kagamihoge.hatenablog.com/entry/20070527/1180248712

2013-11-26

知性を取り戻すためにはてなをやめます

https://twitter.com/shi3z/status/405189860639932416

例えばコンピュータサイエンス世界だと増井俊之さんとか長尾確さんとか、

死ぬほど凄いことがブログに書いてあるんだけど、誰もそういうのは読まずに

はてな投稿された素人小手先プログラミングネタみたいなのが大量にブクマされる現象もある

 

まったくその通り!

ツイッター馬鹿発見器なら、はてなボケ老人製造機だ。

はてな安易知的満足に溺れるうちに、ユーザー能動性や主体性を奪われている。

 

私ははてなをやめる。

三十余年の人生を振り返って考えても、私の知性を形成したのは、

一人で机に向かって勉強した時間であり、読書経験だった。

ネットは発表の場であって、勉強の場ではない。

 

はてな馬鹿の皆さん、さようなら

増井さん、長尾さん、待っててね。すぐにそっちに行くから

2013-03-23

つの時代ソフトウェア工学の話だよ

http://d.hatena.ne.jp/nowokay/20130322#1363969460

以下の記述のまとめ:

お前の言っているソフトウェア工学は今のソフトウェア工学じゃねえよ.

端的に言うとそんだけ.

で,本題.

まず,書いてる内容が古すぎて救いがたい.iPS細胞研究ノーベル賞取った現状で,「実験材料に受精卵を使う万能細胞研究なんて許されませんよ!」と主張されても,その何だ,困る,とかそういうの.

1999年、なにがあったかというと、XPエクストリーム・プログラミング入門という本が発行されたのです。リンク先は2版ですが、日本語版でも初版2000年12月になっています

ここからソフトウェア工学ガラガラ崩れた気がしています

で,何?2000年以降ソフトウェア工学が何も進んでないと主張したいの?

特に学術的にソフトウェア工学に触れたことはない

って最初に書いてあんのに,そこから崩れて何も出てきてないって主張はどっから出てきたの?自分が知らないことが分かってるのにドヤ顔提言とか大丈夫か?

しかし、結局統一設計手法は完成せず、UMLけが残りました。実際に使われているのはその一部です。CORBAも普及せず、WebプロトコルにあわせてSOAPが出てきたものの、結局単純なRESTが定着しました。XMLはいまは毛嫌いされています大成功したはずのオブジェクト指向も、Webアプリではうまく適用できませんでした。

から何だ.提案されても使いにくかったり,状況自体が変化したら無用になるに決まってる.まさかソフトウェア工学分野で提案された手法はどれだけ開発環境が変わっても生き延びていなければならない」とかい寝言じみた主張でもしたいのか?言語流行廃りがあるように,手法にも流行廃りはあるに決まってるだろ.

あとSOAPXMLに関しては,その衰退過程自体がよくある話すぎて話にならん.一番最初に厳格な重量級の様式が定められて,それをベース運用レベル考慮した軽量級の様式が定義されて駆動するってのはよくある話.言い換えると,学術から出てきた理論的に正しい手法が,産業界必要なところだけつまみ食いされる形で運用されるとか,サンプルは死ぬほどそこらじゅうに転がってねえか?

ああ,CORBAはまあ,うん,そのなんだ.アレはフォローできない.

実際のところ,UMLが残っただけで十分じゃねえの?最初に提案された時の理念さえブレてなければ,つまみ食いしたモノがはやってても提案者的には本望だろ.

そしてCMMもいま特に話題になることもありません。

今はCMMIだ.CMM2000年CMMI統合されてる.今更XPの本出してくるところといい,真面目に2000年より前で知識止まってんだな.

また、動的型付言語の普及も、ソフトウェア工学離れのひとつであると言う事ができるかもしれません。

はぁ?動的型付言語が普及したらなんでソフトウェア工学と離れんのよ?静的型付言語で使えて,動的型付で使えなくなる研究分野なんぞ,完全にソースコードに寄り添った研究だけじゃねえか.

「この手法C言語を対象としている」って書いてある研究は他の全ての言語には一切適用できないと主張してんのと一緒だ.はじめてのCあたりからやり直せ.

ここで、やはりCMMの失敗がソフトウェア工学にとっての痛手だったように見えます

もちろん、プロセスを規定することが難しいということは当時からも言われていました。それであるからCMMプロセスのものを規定するのではなく、プロセスの規定方法を規定するというメタプロセスになっていたのです。

そして、すべての組織で同じプロセス採用することはできないということから、5段階のレベルを設けました。また、プロセスは変化し続けなければいけないということからCMM成熟レベル5では「最適化している」という成熟度になっていました。

これはなかなかいいかもしれないということで、期待は大きかったと思います

でも、とにかく運用が大変だとか、CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃないとか、そういう話がきこえてくるようになりました。

まず失敗を定義しろ.で,失敗したってんなら,CMMIで未だに新たな認定がなされてる(http://cmmiinstitute.com/assets/presentations/2012SepCMMI.pdf)理由を説明しろ

で,運用が大変?当たり前だ.品質確保すんのに運用が楽とかあり得んだろ.従業員に好きにやらせてもアウトプットが高品質ならそもそもCMMIなんぞ必要無い.順序が逆だ.「CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃない」ってのも当然だ.アレは組織成熟度を評価する指標であって,中で働く人間能力を評価してるわけじゃない.というか流動すんのに評価なんぞできねえけど.

そもそも,CMMIレベル5ってのはおおむね高品質ものが出てくるだけで,人間が関わっている以上ある程度のばらつきは存在する.つーかさー,CMMIレベル5なら必ず高品質のモノが出てくるとか思ってんの?まさかまだ銀の弾丸存在を信じてんの?「ISO9001に準拠してればリコールなんて発生しない!」と思い込むくらい残念すぎねえか,その思考回路

ああ,「CMMI」じゃなくて本気で「CMM」の話をしてるんなら申し訳ない.もう無いんだからCMMの話を最近全く聞かないのは当然で,勘違いしても仕方ない.悪いもしくは古いのはアンタの頭だ.

そこにXPですよ。アジャイルですよ。

もともとソフトウェア工学に対しては「がっこーで現場しらない人が研究してる手法なんて使えない」のような声があったのですが、XPアジャイルによって「現場から生まれた手法のほうが使えるよねー」というのが決定的になりました。

前半は正しい.ソフトウェア工学最初からずっとその手の意見はあって,未だに言われてる.が,後半は話にならん.

真面目に聞くんだけど,アジャイルソフトウェア開発宣言に名前が入ってる17人のうち,何人知ってる?何人が開発寄りで,何人が研究寄りか分かる?まさかKent Beck1人を見て「アジャイル現場から!」とか寝言垂れて無いよな?そもそもKent Beckコンピュータサイエンス博士号持ってるし,開発寄りと主張していいのかどうかすら微妙なんだけど.

あとアジャイルも突発的に出てきたわけじゃなくて,プロトタイピングとかあの辺(とそれ以前)からの流れがあると思うんだけどなあ.

ソフトウェア工学が何を失敗しているかというと、その学問自体の認知度が低すぎることです。

ソフトウェア工学がどのような問題を扱う学問かが知られていない。どのような問題を扱う学問か知られていないので、その問題に直面している人がソフトウェア工学の成果を積極的には利用できない。

ああ,まあ,うん,認知の低さは同意します.

問題に直面してる人がソフトウェア工学の成果を積極的に利用できないうんぬんについては,最近の国際会議でもその辺を扱った研究が出てきてたりする.ICSE2012のDistingished paperのうちの1本がそんなん.Eclipse検索ツール使わずに,テキストエディタコピペしてCtrl+F使ってる人の話とか出てきてた覚えが.

ただ,ソフトウェア工学認知度なんぞどうでもいいと思うんだけどなあ,別に.そっから出てきたモノが使われさえしてりゃあ.ソフトウェア工学研究の成果が,それと分からずに使われてるんならそれ以上に望むべきモノは無いだろうに.「これがソフトウェア工学様の研究成果でござーい」と大上段に振りかぶって,「ありがたや」の言葉と共に使われることを望んでる研究者なんぞいねえだろ.

就職活動で「半年プログラムは覚えれるし専門は必要ない」のようなことを言われるという話があります。たしかアルゴリズムなど実装技術研究をしていた人をSIの開発現場で生かすのは難しいと思います。でも、ソフトウェア工学の専門知識は、半年で覚えれるものではないし、SIでの開発現場必要になるはずです。

うん,そうですね.だがそれを学術側を知ろうともしてない人間が言うな.

ソフトウェア開発がある限り、ソフトウェア工学必要なので、XPアジャイルを織り込んで再構築して、認知度を高めていってほしいなーと思います。再構築とかは他力本願になってしまうけど。

ソフトウェア工学を再構築しよう,という動きとしては http://semat.org/ あたりがあるのでそっち参照.

あとさー,そもそも論として,ソフトウェア工学研究内容を「現場」と「学術」に2分することが不可能だって分かってる?工学ってそういうもんだろ?その2分は「工学」と「理学」というレベルでは可能なのであって,既に工学カテゴライズされてるソフトウェア工学を分けるのは不可能だ.それくらいは語の定義レベルの話なんで,分かっててくれ,頼む.

まあ暇ならトップ会議であるところのICSEプログラムhttps://files.ifi.uzh.ch/icseweb/fileadmin/downloads/ICSE2012_conference_program.pdf)でも眺めてみて,ソフトウェア工学定義について悩んでみるのもいいかと思います

実際のところトピックは割と流動的.最近OSS周りが流行gitのおかげで開発者の行動とか取りやすくなってる関係もあって.

まりさー,なんでか知らんけど,この人の頭ん中では「ソフトウェア工学は静的型付言語を利用したウォーターフォール型開発でしか使えない」てことになってんだよな.

あと,なんか無理矢理にでもソフトウェア工学disりたくてしょうがないってことは分かった.

釣りにしても書いた人間の知識が足りる足りない以前のレベル過ぎて話にならん.

2012-08-17

私は産まれ持って運が良い。いや、良かった。

父親は建築家母親音楽家の家で、世田谷にある比較的大きな一軒家に産まれ、私立の幼稚園に行かされ、小学校は両親が「ずっと私立では現実が見れないから」と公立に行かされたのだが、中学高校はエスカレート式の某有名私立進学校へ。大学アメリカの某校。母親の影響で小さい頃は音楽の道を目指しはしたが、大学コンピュータサイエンスの分野に触れ、魅了され、その手の博士号も取得した。

正直、そこまではほとんど何の苦労もしなかった。ぶっちゃけた話、少なくとも中学受験はおそらく裏口だったんだと思う。勉強をせずに遊んでばかりいたので試験問題の半分も分からなかったから。来てくれていた家庭教師先生、ごめん。

お金にも困ったことはない。幼稚園小学校の頃は1日1000円持たされていたけれど、お金の使い道も特にないし、駄菓子屋的なところで使ってもお金は無くならないし、何に使ったら良いかからなかった。中高では銀行口座を作ってもらい、必要な分だけ自分で引き出して使うように言われていた。その口座の預金額が7桁を切ったことは今まで一度も無い。渡米し大学に入り、初めて持たされたクレジットカード数字が15桁の黒色だったし、大学の寮に入ることもなく、大学から少し遠くはなるが郊外にある丘の中腹に、プール付きの一軒家(これは流石に中古だったが)と、新車を買いそろえて貰った。友達と飲む時はいつもオゴっていた。自宅で派手な乱交パーティをしたとき警察が来たが、いくらかお金を払って見逃してもらった。というかその警察官も参加したかったようだった(お金を渡したあと、しばらく居座り、ニヤニヤしていた)。

そして昨年の頭に帰国した。父親の具合が悪くなり、3ヶ月に1度ぐらい日本実家に帰ってきていたので久しぶりの日本という訳ではなかったが、親の体調の事も考え、日本に戻ってきたのだ。母親もあまり日本に居ることが少ないので私が父親の面倒を見ることにした。特に余命宣告されているとか、そこまで悪い訳ではないのでのんびりしたかったというのもあるが。



日本で何もしない訳にはいかないので、コンピュータサイエンスに秀でたいくつかの大学研究室に問い合わせ、研究員を探していないか、という旨を伝えるも全て空振り。どこも「足りている」らしいのだ。

仕方ないので外資系IT企業にいくつか在籍などしてみたが、どうにも上手くコミュニケーションがとれず、どこも1ヶ月ほどで転々する生活を送っていた。

固定のお付き合いしている女性はいなかったが、寄ってくるのはいわゆる玉の輿を狙っているアラサー女性ばかり。パーティなどを開いてもつまらなかった。



結局、日本に帰ってきてもう一年半が経つが何も生産的な事が行えていない。自宅でアメリカ教授Skypeでやりとりをしつつ研究開発を行ったりはしているが、無報酬だ。一度だけ出版社から書籍執筆しないかと依頼が来たが断った。マネービジネス本を書けるほどの経済への知識も無い。

そしてこの半年ほど、母親日本に帰ってこない。ネットの某掲示板ではヨーロッパで素敵な男性とよろしくやってるなどという噂もあるようだが、真相は分からない。



私の運はここで途切れてしまったのだろうか。使い切ってしまったのだろうか。運に頼りすぎたのだろうか。

2012-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20120519164926

大学に(院も含めて)4+2+3.5年通った人間です。身近に大学先生もたくさんいる(というか、零細事業やってるけど半分はアカデミアが相手)ので、大学のことは人並には理解しているつもり。

ちなみに、結論は、「営業から工員に至るまで大卒しか取らない糞社会が全て悪い」だけど、それをいってもしょうがないんだよね。


この話を聞いていて学業って何かな?とおもった。

とりあえず、運とはいGoogle+ 日本一。というのは、何の才能もなければ取れないわけだ。

少なくとも平均点以上の才能といえる。 また、学力入学試験を通る程度にはあるわけだ。

 

では、この才能を伸ばすのが、いわゆる、理国数理社の学業という枠でいいのか?

自由入試があるように、自由奨学金があってもいいのではないか

自由入試(AO入試のこと?)はここ数年で否定されてる。存在することは存在するけど、その後の追跡調査で脱落組が多いことがわかっている。大学でやるべきことをこなすための必要最低限の力が備わってなければ無駄

大学でやるべきこと、というのは、先人の成果を踏まえた結果を身に付けて世の中の運営に参加することができる人間になること。そもそも先人の成果が無関係なら、大学なんか意味いからさっさと起業するなり、タレント事務所探すなりしたほうがいい。

というのは、日本からGoogleFacebook Appleが生まれていないというのは、ひとつ学業定義が狭すぎる。部品となる人間しか作っていない。

もっと、自由発想の人間を応援する奨学金があってもいい。

まり彼女の活動は日本では認知されないだけで、立派な学業である

というテーゼに対しては、確かに研究の余地があると思う。

まり、間違っているのは、教育機関の方では?ということを判断するのに十分な情報って無いよね?

学業から、というのはいいけど、その学業定義時代に即しているか?というテーゼは誰も研究してない。

あのー、GoogleFacebookAppleも「まともな」学問が支えてるんですが。Jobs大学リタイヤしたのは、天才なので参考にならない(とはいえ、彼は潜っていたカリグラフィーの授業がAppleUIのこだわりの基礎だと言っている)。Facebookザッカーバーグの着想は学業とは関係ないかもしれないけど(← 単に知らない)、それを実現可能にしたのは「まともな」学問の下支えあってこそ(グラフ理論、分散コンピューティングユーザーインターフェイス、他)。さらに、GoogleLarry Page博士研究(グラフリンク関係から重要ノードを算出する方法)から出てるって話、知らない奴多すぎ。

そういうことをちゃんと理解しないで、皮相的な理解で「ひとつ学業定義が狭すぎる」とか言ってオレ定義を振り回して、思考がどんどん浅く浅くなってくんだよね。馬鹿馬鹿を見て評論している、としか言えない。ちゃんちゃらおかしい。

一応アメリカ大学にも多少(2年ぐらい)遊びにいったことああるけど、はっきりいって足りないのは「学問へのこだわりの深さ」、これにつきる。PageにしろJobsにしろ、深いこだわりがあってはじめて横展開の「自由発想」が活きてくる。例えば、あっちではそういう「自由な発想」ってのは複数の学位(普通修士だけど)を同時に取れるぐらいのもの意味する。例えばコンピュータサイエンス芸術の同時取得とか、凄いやつは同時に満たす何かを作り出す。

もちろん、件の学生が今までの常識(先人達の蓄積)を覆すような天才である、という可能性はあるけど、それなら放っておいても何かしら出てくるだろう。タモリ赤塚不二夫見出したように、天才には天才がわかるはずだ。


まり彼女の活動は日本では認知されないだけで、立派な学業である

というテーゼに対しては、確かに研究の余地があると思う。

ねーよ。

こういう人達大学を出る必要なんかないんだよ。というか、「彼女の活動」はフツーの大学で扱った瞬間に死ぬ。もし本当に飛び抜けた活動ができる、というのであれば、芸大あたりでやればいい。

もっと凄い人間が山程いる中でどれぐらいやっていけるのか疑わしいけどな。

単に大衆迎合する、大衆が心地良いものを生み出す能力、これを「芸人」と言います

芸人別に高卒でも中卒でも関係ない。「就職するために大学を出ないと」なんてほうがおかしい。それこそ、企業が「自由採用」してくれればいいだけ。

早稲田追い出されたけどわたしはこれだけのことができます。雇ってくれませんか?」って言うほうがよほど筋が通る。

でも一歩引いて考えると、今回の問題は「大学とは何か?」という問題に答を出さないままなぁなぁに「就活」との共犯関係を深めてきた、オトナが一番悪いんだけどね。

2011-12-17

GoogleとミクのコラボCMGoogle衰退の象徴

タイトル煽りだけど、あんまり嘘偽りもなくw

http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q

このCM動画だけど、Googleがミクを取り上げたとかで、一部で話題。だけど、僕にはこれがGoogle衰退の一歩に思える。

Googleは、ご存知の通り、ウェブサイトに配信する広告収益で非常に大きな利益を出している。これは、開発者にとって、夢のような環境をもたらした。収益部分と製品開発が分離することで、顧客要望に煩わされることなく、収益性考慮することなく、コンピュータサイエンスの粋を尽くせばそれでいいという環境ができた。ぶっちゃけ広告を貼るスペースを出しておけば、何を作っても良かった。そんな単純でないけど、例えばGoogle Docsなどは、未だに広告がない。Gmailにも、昔風な広告フッタがない(作成画面にはあるけど)。こういう環境のおかげで、ユーザ開発者も誠意だけで仕事ができた。

そこで出て来たのが、先のCMだ。これはミクが世界に広まる様子を表現したものと思っていい。でも、これ、Google ChromeCMだって知ってた? アカウントChromeになっているの、気づいた? このCMからChromeの良いところって理解できた?

僕はわからなかった。スキンとかアプリとか出てくるのかと思ったけど、全然出てこなかった。要するに、焦点がぼけているのだ。

僕にはこれは怖い気がする。だってGoogleは、自分たちが何をしたいのか、何を売っているのか、理解してないんだぜ? 個人のお遊びならともかく、会社名前CM作って、何も伝えられなかったんだぜ?

ここでひとつ思考実験する。「もしGoogle広告収益以外で利益を得る必要が出て来た時に、どうやって収益を得ることができるのか」。検索アプリを有償化するか? 無理でしょう。無料で獲得した利用者が、いくら不可欠だからって、有償化でついてくるとは思えない。一応有償アプリの販売プラットフォームになるよう努力しているけど、結局広告収益のほうが良すぎて、力が入っているとは思えない。いわゆる「イノベーションのジレンマ」というやつだ。収益の上がりすぎている事業があるために、次なる収益探しに力が入らないのだ。現にYouTube広告ベタベタだ。

奇跡的過ぎる例だけど、アップルはそれをやってのけた。アップルは、元の名前を「アップルコンピュータ」と言って、要するにパソコンを作る会社だった。それで一度大当たりをして、その会社として20パソコンに力を注いだ。で、最初10年はともかく、あとの10年でどんどんだめになった。でも、恐らくはアップルコンピュータパソコン以外を自分たちのコア事業にしようだなんて夢想した人はいなかっただろう(Newtonとかあるのは知っているけど、結局コアにならなかった)。そこで、ジョブズがやってのけたのは、「アップルコンピュータパソコン以外の会社にすること」だった。音楽プレーヤーを始め、今ではモバイル先進となっている。だから、社名からコンピュータ」を消した。

このように、Googleが、もし広告ダメになった時に、どういうことをするのか。それをGoogleは考えていないのではないか特に日本法人。僕には、先の焦点のボケCMが、そういうことを考えてない、ダメGoogleの象徴に思えてならない。

2011-10-25

結局もしもしゲーでいいのか?

ここ最近ITエンジニアの中で、退社or転職挨拶記事を書くのがトレンディのようだ。

そういった記事には、まぁネガティブコメントをつけるわけにも行かないから、祝福のコメントが連なるわけだけどね。

クラウド時代にあって、コンピュータサイエンス最前線大学研究室から大企業システム部に移ったと言われてる。最新(と、これから)の技術を追いかけるには、大量のサーバーを動かせる場所に居場所を求めないとね。GoogleMicrosoftAmazonに、新興のPassプロバイダ。それはいいんだけどね。。

その流れの中で、もしもしゲーの会社への流入の記事を頻繁に見るようになった気がして、こうモニョモニョするんだよね。

そりゃ純粋IT技術とか(高不可対策な)を追いたいっつーんならそこが最適なんだろうが。それ以外の部分はクソを高額で売り捨てるだけなのは周知でしょ。技術的にもなんにも面白い要素ねーだろ?

パチンコと何が違うんだ。

サービス運用された結果、もしもしゲーは人を不幸にしかしないって多くの村民言ってたじゃないですかー!

2011-08-10

http://togetter.com/li/172419

卒論は「論文を書く練習」、修論は「研究をする練習」、博論は「研究者になる練習」

コンピュータサイエンス分野だけど、おおむね同意

位置づけにあわせて論文の内容に要求される水準もちがっていて:

  • 卒論世界で誰もやっていないことをやり、良くも悪くも何か結果が出ていること
  • 修論世界で誰もやっていないことをやり、既存研究より優れた結果が出ていること
  • 博論世界で誰もやっていないことをやり、全体としてその研究分野の流れに一石を投じる内容であること

だいたいこんな認識で良いと思う。

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812180757

なにそれ...

ユークリッド整域でgcdと言ったら明らかにコンピュータサイエンスの畑じゃん...

レスしてくれた人が適当に用語だけ見て、雰囲気から数学の方針を頭ごなしに言ってただけに思える。

http://anond.hatelabo.jp/20100812180217

数学コンピュータサイエンスは別物だ。

別に高度に一般化して他の体にまで現象を当てはめて考察するんだったら数学としての価値は十分にあると思うよ。

そこに直接工学的な価値がなくても別にそれで構わない。

でも俺はコンピュータサイエンスの本でその知識に出会ったのだから、何らかの関連くらい知っておきたいんだ。

2010-01-16

大阪大学基礎工学部情報科学科について

大学教育について話題になっているようですので、私が卒業した、大阪大学基礎工学部情報科学科について書いてみたいと思います。



大阪大学基礎工学部情報科学科は、昭和45年に最初に国立大学に設立された情報工学関連学科のうちの一つで、コンピュータサイエンスの分野では日本で最も古い歴史を持っている学科、ということになります。



情報科学科の特徴は、そのプログラミング実習の充実ぶりです。入学すると、まずPascalというプログラミング言語構造プログラミング勉強することになります。次にアセンブリ言語であるCASL勉強し、Pascalアセンブリ言語を応用してC言語勉強します。またその後、スクリプト言語であるPerl関数型言語MLオブジェクト指向言語としてJava学習します。

また、言語だけではなく、コンピュータサイエンスの基本であるアルゴリズムデータ構造についても幅広く学ぶことができます。



全ての実習は課題が出され、実際にコードを書かなければいけません。例えばC言語の授業の最終的な課題は、「shのようなシェルプログラムを作成すること」でした。最終的には、「Pascal風の言語CASLに変換するコンパイラを作成する」という課題に取り組むことになります。

大阪大学は全体的に単位の取得が厳しいことで知られていますが、情報科学科も例外ではありません。もしプログラミングをあまりしたことがないのであれば、遅くまで実習室にこもることになると思います。だけど、それは情報工学世界で生きていくためには必要な知識なのです。

実習で勉強する言語は、Javaを除くとあまり現在使われている主流の言語とは言えないのですが、様々な言語を学ぶのは「プログラミング言語はそれぞれに違いがあり、それぞれに適した用途がある」ことを理解することに繋がります。また大学卒業してから、新しい言語を学ぶ必要が出てきたとき、それに対応する能力を磨くことができます。

日本大学で、ここまで実戦的なコンピュータに関する教育を行っている場所はあまりないのではないか、と思います。コンピュータがどのように動いているのか、内部原理までしっかり教えてくれます。卒業生の進路は、研究者というよりは、エンジニアとして開発の現場で働くことが多いようです。

大阪大学入試問題は、東大京大と違って特殊な問題はそれほど出ません。努力でなんとかなるレベルだと思います。



情報工学は新しい分野なので、大学院研究するために必要な知識は他の分野ほど多くありません。このため情報工学科では、3年生の夏に大学院試験を受けて合格すれば、学部を卒業しなくても4年目から大学院に進むことができます。この仕組みを活用すれば、5年で大学院卒業できます。実際、学部生の1/4くらいはこの仕組みを活用しています。



もちろん、ここに書いたのは情報科学科の全てではありません。ネットにも他に情報がありますし、もし興味があったら、大学オープンキャンパスに行ってみるのもよいと思います。

コンピュータ世界は変化が激しくて、エンジニアとして生きていくのはとても大変ですが、それでもいい、プログラマとして将来何かを作りたいんだという人であれば、ここはそのための力を与えてくれるはずです。進学先として検討してもらえたら幸いです。

2010-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20100113192313

コンピュータサイエンス教育を受けた人や、ACM/ICPCとかtop coderとかやってる人なら、このての問題はすぐ解けるよ

解けない(問題を知らない、解きかたを知らない)と、はずかしいレベル

25分とかは、解きかたを知ってるってだけ


学部レベル教科書なので、読んでみるといいよ

http://www.amazon.co.jp/dp/0262533057/

2009-12-20

ビジネス・生活-1

日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介

あなたは、日本依存症にかかっていませんか?

日本依存症とは、日本でしか仕事を得られず、

日本でしか生活ができなくなる、危険病気です。

日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。

会社依存症の恐ろしさとその回避策

会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。

会社依存症にかかると、その会社経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。

また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。

上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。

なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。

このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。

そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。

たとえば、以下のようなものが考えられます。

・要求分析、要求仕様定義システムアーキテクチャ設計RDBスキーマ設計サーバの負荷分散設計、各種サーバパフォーマンス解析・チューニングデザインパターンマルチスレッドプログラミングシステム管理ネットワーク管理

マネージメントプロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル

普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎

UnixRDB正規表現JavaPerlTCP/IP.NETC#

日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。

いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。

一つの会社依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。

いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。

国家依存する危険

国家に対しても同じことが言えます。

政府は全ての国民幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。

ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。

もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。

もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家自分選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。

だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。

たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。

あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。

あるいは、少子化対策で、実質的独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。

あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。

あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。

あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。

労働者保護消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。

要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。

今までは日本世界一豊かな国だったので、

この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。

しかし状況は変わりました。

いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。

日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。

本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。

いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。

一つの国家依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。

いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1

国家依存症愛国心は別の話

こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症愛国心とは別の話です。

これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。

経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。

夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。

むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。

そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。

「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。

むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。

日本以外にも快適に暮らせる国や都市はたくさんある

日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。

むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。

食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市世界中にたくさんあります。

どんなところでも、けっこう住めば都なのです。

また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。

それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twittertumblrmixiで遊べるし、ブログコメント欄クネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像ダウンロードすることもできるし、はてブ脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。

「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。

せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。

依存症からの脱出は難しい

ギャンブル依存症アルコール依存症買い物依存症恋愛依存症セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。

簡単に日本依存症を抜け出す方法などありません。

また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。

資産運用、または、プチ資産運用による脱日本依存

日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)

特定の国家依存しない収入源を確保するわけです。

これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。

利回りのよい債権株式自分資産分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。

日本国債株式資産運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本国債株式資産運用することは可能です。

それどころか、そもそも、日本国債日本株式資産運用しなければならないということはありません。

むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。

資産は、全世界分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。

だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。

ここで、「日本キャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。

まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。

属人主義とは、その人間国籍のある国に税金を納めること。

属地主義とは、その人間が居住している国に税金を納めること。

日本属地主義なので、自分が居住している国や地域税金を納めることになっています。

このため、日本キャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2

現在、属人主義を採用しているのは、アメリカフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。

ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。

また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。

日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。

ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。

そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。

資産運用というより、プチ資産運用です。

そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。

世界標準のITスキルによる脱日本依存

たとえば、前述のUnixWebRDBJavaPerl.NETC#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。

また、これらに関連する要求仕様定義オブジェクト設計技術デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計プロジェクトマネージメントスケジュール管理なども、特定の国家依存しないスキルです。

これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。

実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。

むしろ、日本よりも快適に働いているようです。

もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。

これらの標準的なITスキルは、このように、会社国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。

たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャ再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBスキーマ設計スキルも、ほとんどが、いまだに現役です。

TCPUDPIPHTTPSMTPPOPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。

このように、長期的に安定した技術スキルを選んで身につけるようにすれば、会社国家時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。

ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。

一方で、ヨーロッパBRICsVISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニア需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。

ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。

つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。

一方で、上級エンジニア技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。

従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。

あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。

現在日本では、格差是正の機運が大きく盛り上がっています。

今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。

このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。

●スモールビジネスによる脱日本依存

日本人海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。

たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス

それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。

あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。

もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。

実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分デザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。

こういうビジネスネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。

とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。

とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。

これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。

スモールビジネススキルとは、小さな会社向けのマーケティングマネージメント、経理などのスキルです。

たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。

そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-win構造を作り出す必要があります。

また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。

さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。

また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。

こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。

思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。

そして、スモールビジネス醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。

日本サラリーマンの頂点とも言える、上場企業社長年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。

これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。

実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。

「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。

自営業は、あたると凄いんです。

●共通して必要な日本脱出アイテム

どのようなモデル日本依存を脱却するのであれ、共通して必要なPermalink | トラックバック(0) | 22:10

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208180237

化け学部卒で趣味でITやってるわけでもないのに、就職がIT系とか。そんなものが普通に1 流大学だからで採用されて

子供の頃からIT やってきて、Fランクだけど情報系 というのを 押しのけて、 IT系の会社採用された日本のITがどうなったか? 

東工大情報系で周りをみると、子供の頃からコンピュータさわってるやつよりも、大学はいってからコンピュータさわりました、プログラム勉強しました、コンピュータサイエンス勉強しましたってほうが優秀だよ。

子供の頃からコンピュータさわってるやつの中には半端なく凄いやつもいるけど、中央のレベルは低い。

子どものころからコンピュータさわってるのに、その程度なの?ってのが多すぎる(東工大生なのに)。

まっさらの(いい大学なので頭もいい)人間を0から教育したほうが、優秀になる。


そういう経験からいうと、俺なら、Fラン情報系よりも、知識の無い1流大学のほうを絶対に採用したい。

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