まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地パチンコマップ(1999年)

2015-02-18 19:21:02 | 90年代パチンコ店マップ

有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地界隈のパチンコ店・パチスロ店マップ
(1999年)





☆JR有楽町駅前(中央口、交通会館向い)




A:DUO(デュオ)(現存)
B:UNO(ウノ)(現存)
C:かもめ(閉店)

A「DUO(デュオ)」では、2Fでアルゼ系4号機(ゲッターマウス、ビーマックス、ジロキチ、バーサス、アレックスなど)を中心に打った。また、2F奥バラエティコーナーでは、平和の「レッドメテオ」「フライングモモンガ」、ネットの「セブンダラーズ」などに興じた。

B「UNO(ウノ)」(現在は、イトシアビル内で営業)では、2Fスロットシマでオリンピア「キャロルクラブ」、サミー「メロディナーレ」「ビンビンカミサマ」、北電子「レジェンダ」、IGT「エルビス」、山佐「コングダム」などを打った。一時期は、岡崎産業の「コア」(小役抜きで有名)もあった。1F・パチンコシマ端のハネモノコーナーにあった、「Mr.ダイナマイト」(大一)も好んで打った。2F階段を上るとトイレがあって、その先がジュースコーナーの休憩スペースになっていた。

C「かもめ」(閉店)では、手打ちのアレンジボールと雀球を、昼休みや仕事終りにマッタリ打つのが楽しみだった。こじんまりとしたシマの一番奥に景品カウンターがあり、店長さんがいつもニコニコしながらお客を眺めて座っていた。まさに、都会の真ん中にポッカリあいた、タイムポケット的な癒しの存在だった。

なお、同じ朝日街通りの「★」の位置では、’99年当時、ゲーセン「ラスベガス(通称「プリクラのメッカ」)」が営業していたが、2001年初頭にパチスロ店「スロットラスベガス 有楽町店」として開業(⇒閉店)。

また、パチ屋以外にも、この駅前路地には、いんでいら(カレースタンド)、中国亭(中華)、百果園(フルーツ)、後楽そば(立ち喰い)、シネラセット(ミニシアター)、ふじや(宝塚歌劇ブロマイド店)、ニュードラゴン(喫茶)、初藤(割烹)、ゴッサムカフェ(喫茶)、可口飯店(コカ・レストラン)、ルーブル(喫茶)、レバンテ(ビアレストラン)などの、いかにも昭和然とした、味わい深い店舗が多く立ち並んでいた。

しかし、有楽町駅前の再開発事業により、現在は路地そのものの大半が消滅。その跡地には、近代的なショッピングビル「イトシア」が建ち、3本あった狭い路地のうち、今も残るのは「中央通り」のみ。
(但し、かつての雑然とした雰囲気は残っていない…)



☆日比谷、JRガード沿い(日比谷シャンテ裏)


(C)Google

A:ポオル(閉店)
B:みゆき(閉店)

帝国ホテル、宝塚劇場(1999年当時は建替工事中※)、日比谷シャンテといったシンボリックな建物の裏手にあったA「ポオル」(閉店)は、パチンコシマに当時フィーバークイーンII(三共)やミルキーバー(ニューギン)、オークス2(三星)などが置いてあり重宝した(スロはニューパルやバーサス、ハナビなど)。一方、B「みゆき」(ガード下の角店。後に「Mゾーン」となるも閉店)では、お決まりのようにサンダーV(アルゼ)ばかりと対峙していた。近くにあった、お気に入りのレトロな喫茶店「純喫茶・日比谷」(閉店)で、レモンティー片手にくつろいでいた日々が懐かしい…。

※東京宝塚劇場の建替工事中(1998年1月~2000年12月)、宝塚歌劇団の東京公演は、東京交通会館向いの「TAKARAZUKA1000days劇場」という仮設劇場でしばらく行われていた。当時、仕事の昼休みに「銀座インズ」辺りまでランチを食べに行くと、タカラヅカファンと思しき大勢の女性達が、お目当てのスターの入り待ちで、仮設劇場の入口前に整然と並んでいたのを思い出す。なお、この仮設劇場は、現在「インフォス有楽町」として使われている(ロフトや無印良品などが入る)。
(C)Google
「TAKARAZUKA1000days劇場」跡地(千代田区丸の内)
※「1000days」は劇場の建替工事に要する期間(1000日、実際はそれより短かった)を意味する。




☆東銀座(三原橋交差点、歌舞伎座周辺)



A:イーストヴィレッジ銀座店(閉店)
B:モンタナ(閉店⇒現在「パラッツォ銀座店」が営業)
C:ピーアーク銀座(現存)
D:ラーガ銀座(アイゼンラーガ)(閉店)

昭和通り沿いのA「イーストヴィレッジ」(イーストビレッジ)では、スロットシマでオリンピアのスーパースターダスト2や、アルゼ系の4号機をよく打った。三原橋交差点のB「モンタナ」は店員チェックの厳しい店だったが、スロ3号機のコンチネンタルIII(メーシー)を長らく置く名物ホールだった。モンタナのパチンコシマには、連チャン権利物ラッキーボーイ、CRデジパチのCRバトルヒーローV、CR権利物の「CRエキゾチック」など、大一の香ばしい名機が、この時期も並んでいた(モンタナは大一のアンテナショップ的な存在で、スロのコインには「ダイナマイト君」のキャラが描かれていた)。モンタナ向かいのC「ピーアーク」は、大都の「マッドドクター」や「フュージョン」、NETの「ラインズセブン」、アルゼの「ハナビ」がメイン機種だった。一方、ウォールビルにあったD「ラーガ銀座」は、頻繁には足を運ばなかったが、パイオニア4号機「ローズフラッシュ」があって、独特な「ズルスベリ」に一時ハマった。




☆地下鉄・新富町駅(築地橋)周辺

(C)Google

A:パチーノ(ヒノ)新富店(日の丸)

レンガっぽい茶色の外壁が印象深い併設店。CRモンスターハウス(竹屋)や現金機のマジカルランプ(奥村、一般電役)などを触った記憶アリ。派手なネオンはないが、「パチーノ」※の赤い看板が出ており、さりげなく表通りにアピールしていた。現在、跡地にはマンションが建っている。

(在りし日のパチーノ新富店)

※「パチーノ」とは、pachinkoから「K(3K=危険、汚い、キツイ)」を除いた造語。1994年、作家・評論家の室伏哲郎氏(故人)が、パチンコに対するイメージを刷新すべく、「パチンコからパチーノへ」を提唱。この理念に同調した都内の「日の丸」チェーンが、「パチーノ・ヒノ」の店名(愛称)を積極採用した。これは、同チェーンの日野和喜会長が、当時「日遊協」会長だった事も大きいと思われる。事実、同チェーンでは、パッキーカードを早期導入する店も多かった。なお、この年(’94年)、ピーアーク社長の庄司正英氏が、日野氏から日遊協の会長職を引き継いでいる。因みに、故・田山幸憲プロが一時期ネグラにした世田谷・桜新町「H店」は「パチーノヒノ桜新町店」で、用賀時代に通った「用賀H店」は「日の丸用賀店」である。




☆築地三丁目付近

(C)Google

A:スクラッチ

個人的に謎多きホール(小店)。店の前を通った事は何度かあるが、ついに入店の機会は無し。現状も不明…。



(その他)

・2001年10月、数寄屋橋近く、マリオン向いの外堀通り(銀座4-2-16)に「J's Bee銀座店」開業
(⇒2009年頃に閉店。現在はカラオケ館に)。
・2003年、東銀座・三原橋交差点のピーアーク銀座隣に「ピーアーク銀座ネオ」開業(現存)。
・2007年5月、日比谷、晴海通りORE有楽町(有楽町2-3-5)内に「ガイア銀座店」開業
(ビルのB2~2Fで営業⇒2008年夏にクローズ)。

(以降のホール事情については、あまり知らない…)




※なお、平成初期(1990年)の有楽町・銀座界隈のホール事情は、コチラの記事を参照。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/b50b0e1c3c1d0714812114d84e82137a



2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-03-01 15:48:49
パチーノヒノ新富店をよくご存じですね。
こんなところに出店して成功するのだろうかと思っていましたが、1、2年で撤退してしまいましたね。

モンタナは店独自のルールが異様に厳しかったですよね。足組禁止なんて、日本中であの店だけだったのはないでしょうか(笑) 


Unknown (通りすがり)
2015-07-23 22:38:19
パラッツォ銀座店は7/6にスロを復活導入しましたよ。2014年の2-4月頃は1Fの海物語に割りと良さ台がありました。今も探せばあるかもしれません。
有楽町のDUOは2013年末の火事で動向が気になってました。結局UNOとあんま変わらないボッタ店ですよ。
けっこうこのエリアは大都とか大一あたりが支社を持ってるんですね~