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ザ・インタビューズ> ソメルのインタビュー(17件)
ご質問をありがとうございます。これはなかなかな質問だな、と思いました。

なぜかというと、あなたはつまり、ここ10年ほどで重要と思われるゲームに興味があるのでしょう。当たり前ですね。しかしこれはきっと「最高のゲームは何ですか?」という質問に、誰もが「スーパーマリオブラザース」などと答えるのに飽き飽きしているのかもしれません。そう思いました。もっと今のことを考えたい、ということなのでしょう。

しかし、ここにあるのは、同時に、"いまゲームにとって何が重要なのか"という問題です。僕はたとえばここにすべてボードゲームの名前を並べることもできるでしょう。そうすることによって何かサジェスチョンを与えているように見せることができます。つまり僕が選ぶ10本は、"この10年で最高に面白いと思ったゲーム"ではなくて、僕がゲームにおいて重要だと考えているポイントを説明できるものであるべきなのでしょう。

では、その10本とは何にすべきでしょうか?

・東方紅魔郷(2002年)
シューティングゲームのボス戦に物語的な意味を付加したことこそが、このシリーズの最大の発明でした。それはゲームの意味を完全に変えてしまったのです。

・ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編(2002年)
全く選択肢が存在しないゲームがなぜゲームと呼ばれるのか。2002年の時点で成熟しきっていたノベルゲームに批評的な視座を持ったカウンターを打ち出したのがこれです。このゲームは上記の東方紅魔郷とほぼ同日にリリースされています。面白いですね。

・Ragnarok Online(2002年)
大ヒットMMORPGですが、これもまた我々がゲームをやる意味を完全に変えてしまいました。それは最終的に、改造行為の横行やサーバソフトの流出などを招きました。そのこと自体がゲームだったのだと僕は思います。

・Counter-Strike 1.6(2003年)
MODという考え方の到達点として、完全に元のゲームと違うものを作って、しかも大ヒットしてしまいました。

・ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君(2004年)
本当はドラクエ7でもよかったのですが、あれは20世紀なのでこちらで。大人気RPGということよりも、ファミ通でRTAが大々的に取り上げられたのがこのゲームでした。

・Fate/hollow ataraxia(2005年)
Fate/stay nightのファンディスクです。しかし、内容は「ゲームとは何か」「ノベルゲームとは何か」「ゲームをクリアするとはどういうことか」「ファンディスクとは何か」ということを追求する内容です。皮肉なほどに、ものすごく批評的なゲームです。

・モンスターハンター ポータブル(2005年)
あまりにも複雑なゲームなのですが、誰かとプレイすることでその複雑さの意味を変えてしまいます。単にパーティプレイが面白いということではない、コミュニケーションのためのゲームです。

・THE IDOLM@STER(2005年)
これも、何が我々にとって楽しみなのかということの意味を変えたゲームです。日本のMOD文化はこういう形でブレイクしました。

・東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング(2005年)
これも、従来とは「遊び」の意味を変えています。

・The Elder Scrolls IV:Oblivion(2006年)
ここまで来ると、あらゆる意味で、何をしてもいいゲームです。ゲーム自体はもちろん、hentai系のMODなどには素晴らしいと思わされたものが多かったです。

どうでしょう。僕がいま、ゲームにとって何が重要だと考えているか、だいたいおわかりいただけましたか?

2011-10-22 18:01:32


ご質問をありがとうございます。こういう質問を、誰かに問われたらぜひ答えようと思い続けて、早10年も過ぎたようです。ついにその時が来ました。本当にありがたいことです。

前に少しだけ書いたことがありますが、僕は自分でものを書く時にいろいろなものへのオマージュをしのばせるのが好きです。だから、ムーノーローカルにもニーツオルグにも、「そうなっている理由」と言えるようなもの、つまり具体的に参考にした作品があります。それは形式的なパロディにすぎないようにも見えますが、ほとんどの場合、その作品の思想に倣っていると断言できると思います。

ごく簡単で、誰でも気づきそうなこととしては、ムーノーローカルのトップページに書かれていたロゴは、ディジタル・イクイップメント・コーポレーションのロゴを模したものになっています。それから、ニュースページのテーブルタグはSMALLNEWS!というサイトのタグを流用しつつ改変しています。最後に書いた「解題」というテキストに付けられた「ムーノーローカルの作り方 または インターネットはおもしろいという人への饒舌な韜晦」というタイトルは、「あめぞう」という掲示板が掲げていた「インターネットはつまらないという人への無言の抗議」という文句の反対語になっていました。閉鎖した後に「RIP he had lived」という墓碑銘があるのは、カート・ヴォネガットの小説『チャンピオンたちの朝食』に登場する「He Tried」という墓碑銘からヒントを得ています。そもそも、サイトの墓を作ろうというアイデアはJ・H・ブレナンの「グレイルクエスト」(ドラゴン・ファンタジー)というゲームブックのシリーズの記憶によります。サイトが終わるときにエンドロールが流れて、最後に「the end」しか文字が残らないのは、いちおうミケランジェロ・アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』という映画の結末の不安さから導き出されていると思います。

ニーツオルグの場合は、サイトのレイアウト自体が「suck.com」というサイトを模しています。もう消滅したサイトですが、インターネット・アーカイブには残っています。
http://web.archive.org/web/19990202074623/http://www.suck.com/
このサイトがどれだけ優れていたかは、たぶん『WIRED JAPAN』1997年3月号を見れば運営者であるカール・ステッドマンのインタビューによってわかるはずです。断章によってちょっとずつ物語が進行するという形式はフリオ・コルタサルの小説『石蹴り遊び』にヒントを得ています。断片化された物語が虫食いだらけになって終わるのは筒井康隆『驚愕の荒野』の影響でしょうね。

他にもまだまだあるのですが、いざ書こうとすると思い出せないものですね。自分でも忘れてしまわないうちに、すべて誰かに伝えておきたいものです。

2011-10-22 16:30:44


ご質問をありがとうございます。日常のことに近い、なかなか、面白い話題ですね。なぜこれを尋ねてみたいと思ったか、ということに興味を持ってしまいます。

僕の好きなお菓子はいろいろあります。いっとう好きなものを挙げるのは難しいかもしれません。だって「カルビーポテトチップスうすしお」はありふれたお菓子ですが、なかなか手に入らなかったら僕はあれをこそ食べたいと思うに違いないからです。

ですからここでは、大好きで、いつでも食べたいと思っているけど、なかなかお店に売っていないのでそうもいかないものを挙げましょう。それは「ぱなぱんびん」です。Amazonでお買い求めいただけます。
http://www.amazon.co.jp/dp/B002J4O9JS/
Amazonの説明には「沖縄のお菓子」とありますが、正確にはそうではありません。これは、多良間島のお菓子です。むしろ沖縄本島ではあまり見かけないものです。しかし、多良間島と交通のさかんな宮古島や石垣島ではよく売られています。非常にポピュラーなものです。

「ぱなぱんびん」とは、「花の揚げ菓子」という程度の意味で、その名の通りに花びらのような形をしています。揚げ菓子のことを沖縄本島では「あんだーぎー」(油揚げ)と言いますが、宮古島周辺では「ぱんびん」と呼ぶのです。いわゆる「さーたーあんだーぎー」も、「さたぱんびん」と言ったりします。

僕はこれを、宮古島に行った時にはじめて食べて、そしてあまりおいしいので20袋ほど買い求めて自宅へ郵送し、一年近くかけて少しずつ食べました。そのくらいに好きなお菓子です。

味は、バターを使っていないスナイダーズ・プレッツェルのような感じと言えばいいでしょうか。塩味もずっと少ないです。僕はプレッツェルが好きなので、ぱなぱんびんもとても好きになりました。

色合いは甘そうなお菓子に見えるかもしれませんが、小麦粉の自然な甘みがあるくらいで、噛むとぱきっと割れて香ばしさのひろがるスナック菓子です。お茶請けにもビールにもよいですね。これを普段から食べている島の人たちはうらやましいなと思います。

とてもおいしいですよ。

2011-10-19 02:30:37


ご丁寧にありがとうございます。背筋が伸びるおもいです。

アイドルのことですね。僕はアイドルについていろいろと文章を書くことになりましたから、こうしたご質問をいただくこともあるでしょう。

僕が一番はじめに好きになったアイドルは沢田研二です。これは、カセットテープに録音された、幼少の時分の僕が歌う「LOVE ~抱きしめたい~」が残っているので間違いないことだと思います。録音した時の記憶は全くないのですが。

ちなみに「LOVE ~抱きしめたい~」は1978年の曲で、同年はピンクレディーが大ヒット曲「UFO」を発表した時期でもあります。ピンクレディーのほうは好きだった記憶があるのですが、上記の記録のせいもあり、より僕の印象に残っているのは沢田研二のほうです。蛇足ながら、この年は元祖グループアイドルと言っていいキャンディースが後楽園球場で解散コンサートを行った年でもあります。これはその模様がテレビで放映されたのを親戚の家で見た記憶がはっきりとあります。生中継ではなかったかもしれませんが、この年に起こった出来事として放映された内容なのは間違いないと思います。映像を見ながら、大人たちがそれを新奇なものとして語っていたのを覚えています。

そう、沢田研二がアイドルであってたまるものかとお思いでしたら、『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』という映画をご覧になることをおすすめします。

僕はアイドルもマンガもアニメもゲームも、いつまでも好きでした。中学生になっても茶の間にあった14型テレビで「ドラえもん」を見ていて、みんなが次第にそれを見なくなったことが不思議でなりませんでした。のちに、今度はみんながそれをノスタルジーとしてしか語らないようになることも不思議に思うのですけれど。

これは全く蛇足でしたね。

2011-10-19 02:07:07


とても面白いご質問をありがとうございます。こういうことからいろいろと考えるのが好きです。

なぜ面白いと感じたかというと、あなたが――あなたという言い方には強いものを感じますが、ほかに呼びようがないだけですのでお気になさらないでください――「批評の界隈」に参加したいがために知識を得たい、と仰っているからです。つまりあなたは批評を行うことよりも、その「界隈」で存在を認知されることが主たる目的なのですね。

しかし、それを僕は悪しきことだと言いたいわけではありません。もっと知識を求めろとか、批評をばかにするなと言いたいわけでもないです。なぜなら、いま批評とは、その全部ではなく一部においてですが、まったくあなたのおっしゃるように、その「界隈」への参加によって成り立っているからです。極端なことを言えば、「界隈」に参加する手段さえあれば、あなたは知識も論文も必要ないのです。逆に言うとあなたがどれだけ批評的な文章を書いても、「界隈」には参加できないこともあり得る。それを認識しているから、あなたは効率的な手段を知りたがっている。それは、その視点から見れば、とても正しいことです。

ご注意いただきたいのは、僕はこのことを東浩紀、アーキテクチャ、ゼロ年代、ラカン、フーコー、デリダなどの固有名を傷つけるものとして言っているのではありません。「その全部ではなく一部において」と書いたように、むしろそうした思想の達成を抜きにして、成り立っている「界隈」がある。僕が言いたいのはそういうことです。2009年に上梓された佐々木敦さんの『ニッポンの思想』という本は、ある種、そうした「界隈」に抵触することが書かれています。だからこそ、その中で当代もっとも優れた批評家として書かれた東浩紀さんは、これを思想とか批評史だと思ってもらっては困る、と難色を示したものでした。

ですが、今はそうしたことを聞かれているのではありませんね。あなたが知りたいことに正確に答えるとするならば、あなたがやるべきなのは「界隈」の人がいる場所に行って、彼らに名刺を渡し、挨拶をすることです。ただ、あなたが言いたいのは、そんなことはわかっているが、その際にはいくつか「界隈」の人との共通言語が必要だから、それを体系的に知りたい、それを学ぶには何をすればいいか、ということでしょう。ですが、それにもすぐに答えられます。あなたが知るべきなのは、もちろんおわかりでしょうが理論ではなくて、現在の「界隈」がどのような潮流にあって、どういう意見が対立していて、どんなプレイヤーが存在しているかということです。だからそういう本を読みましょう。そのためにはまさに『ニッポンの思想』のような本が役に立つと思います。が、これは戦後の日本の思想史を追っているので現在の語り手たちからは少し遠いかもしれませんね。もっと今の「界隈」に近づくには円堂都司昭さんの『ゼロ年代の論点』のような本のほうがいいと思います。

共通言語を得れば、あとはネットでも同人誌でも読書会でもサークルでも、好みの手段でその「界隈」の人に出会えばいいと思います。それが、もっとも手っ取り早くあなたのやりたいことを実現する方法ではないでしょうか。

2011-10-09 04:00:20


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