BEHIND THE SCENE - アナウンサー、技術陣などが、高校野球中継の裏側や、面白エピソードを披露。

放送の舞台裏

「興奮」と「感動」だけではない、実況を 前編

2015年7月9日

少年時代までは正直いって野球が好きではありませんでした。野球をやっていた父や兄のようには上手に出来なくて、劣等感を抱いたことが始まりです。加えて野球のテレビ中継が入ると父が見るので、僕は好きな番組が見られず、多々悲しい思いをしたことも…(笑)。普通の人がニュートラルな状態で野球に出会っているとしたら、私の場合は野球=ちょっとネガティブな印象からのスタートでした。

そんなこともあって中学、高校と野球とは無縁の学生生活でしたが、母校・神奈川県立湘南高校の野球部は、1949年の夏に全国制覇した古豪。私の在学中にも快進撃を見せ、県大会で横浜高校と対戦した時のことは記憶に残っています。横浜に勝ったらベスト8!と学校中が盛り上がり応援に行っているなか、私は体育祭の準備で学校に残らなければいけない組で、ラジオ中継を聴きながら作業をしていました。好勝負が続き0対0のまま迎えた9回裏、横浜の攻撃。ノーアウト、ランナー2塁の場面で守備が乱れ、惜しくもサヨナラ負け。みんなで「うわぁ…」と思わず肩を落としました。ちなみにその時の横浜のエースが現在、東北楽天ゴールデンイーグルスのバッティングピッチャーをされている部坂俊之さんです。私が仙台局赴任し、球場でお会いした際にその話をしたら「あの試合よく覚えているよ!」とふたりで大盛り上がりしました。高校野球の記憶は、こうやって人をつないでくれるのだなと実感した瞬間です。
甲子園球場には、歴代優勝校の名前が刻まれた記念レンガが設置されています。母校の名前を発見し、思わず写真を撮ってしまいました。野球部ではなかった私ですが、これを見ると誇らしい気持ちになります。
NHKへ入局したのは1996年、初任地は佐賀放送局です。1年目の夏、練習試合に通い詰めて実況の特訓を重ね、秋季大会で初めてラジオ実況を担当することに。それまで5分間程度のニュースや3分間の街角中継しか経験がなかったので「ひとりで2時間しゃべり続けなきゃいけないんだ!」と事の重大さに大慌てでした。そんなとき、見かねた上司が「高校野球は生放送だから、始まればいつか終わるよ」と声をかけてくれました。その言葉を聞いて、ある意味開き直ることが出来たのです(笑)。いま思うと、この頃は本当にハチャメチャな放送をしてしまっていましたね。例えば、マウンドでピッチャーが屈伸をしたとき、「屈伸」という言葉が出てこなくて、あろうことか「懸垂しました!」と言ってしまったこと。試合が終わった後、上司に「俺は長い間、野球中継を担当してきたけど、マウンドに鉄棒があるとは知らなかったぞ」と叱られ、ひたすら謝りました。

新人時代に高校野球から学んだことはたくさんありますが、そのうちの一つが事前取材の大切さです。私たちはプロセス抜きの「結果」しか放送出来ないけれど、球児たちのプレーはその全てが練習を重ねてきた成果ですよね。難しいプレーを何気なく出来るようになるまで、一体どれだけ練習を重ねたのか。私のような野球未経験の人間には想像がつかない場面も多かったので、彼らの努力や背景を推し量る上でも、練習に出向いて直接取材をすることの意義を実感しました。その思いは今でも変わらず息づいています。

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