運営

Twitterはライフログになり得ない

使うのやめます。限りなく。

● お気に入り、リツイートという、承認欲求ゲーム
● ミュート、ブロック、リムーブという、恐怖
● フォロー、フォロアーという、すれ違い

● タイムラインでの気遣い、空気読み合戦
● 匿名主体による無法地帯化、無責任化
● 140字以内という、希薄な情報
● 複垢、ステマの横行
炎上というリスク。
確認強迫


Twitterはシステム的に、かなりエグイ部類だと思います。
「割り切れるタイプ」「馴れ合い好き」の人しか、楽しめないんじゃないでしょうか。

宣伝用途でTwitterを使う人は多いですが、果たして労力対効果に見合うのか。

「自分には向かない」と何度も思った時点で、おそらく向いていない。
自分が楽しめないものは、他人も楽しめないでしょうし、Twitterはそういう「気配」が色濃く表れてしまう。




ユーザーの価値はむしろ下がる

悪い噂は千里を駆ける
メリットよりデメリットのほうが大きいです。
おまけに、情報密度が高いツイートは、嫌われる傾向がある。

「ソーシャルマーケティング」なんて言葉が一時期流行りましたが、もう食傷気味な気がします。Twitter全体の成長率も、ここ数年でだだ下がり。将来性も見込めません。




ライフログにするべきじゃない

「タイムライン」というシステムがある以上、あれは「個人」のモノではないです。
一人がgdgdしゃべり続けていれば、タイムラインを埋め尽くすことになり、ポイッチョされるのが関の山。

自分には、ブログのほうが合っていると思いました。
コメント機能はオフにしているので、畑を荒らされることも無く、かといってメールフォームはあるので完全ネットヒッキーでもなく。

そもそもライフログは、複数持つべきものじゃない。
管理が大変になりますし、意識も散漫になる。




なんとなくMOTTAINAI気がしてアカウントを消せない

一応、アカウントは残しておきます。
「いらん。さっさと消せ」と魂が叫んでいるのに、何故か消せない。そういう依存性なんでしょう。「格ゲーの情報収集に~」と思いつつ、格ゲーチェッカーで事足りそう。

露出経路としては、多少は役に立つんですかね。
「宣伝告知用アカウント」に鞍替えするのはアリかもしれませぬ。




物書きとの親和性がすこぶる悪い

あれは物書きが使うツールじゃないですよ。ぜったい良くない。
究極、ブログもそうなんでしょうけど、「言葉が逃げていく」と思います。

SNSはコワイ。

教祖か、マシーンか、等身大か、もしくは

作者の在り方について、悩み続けている今日この頃です。


教祖パターン

そのコンテンツを軸に、盲目な「信者」をかき集めるパターン。
結束力が強くなるので、人が漏れにくいし、勧誘力も強くなる。

ただ、そういうのを嫌う人々も、最近増えている気がします。




マシーンパターン

ひたすらコンテンツを創り出し続けるパターン。
作品以外で語ることは無く、制作マシーンに徹する。

多くに求められてるのは、これなんでしょうか。
ミステリアスな存在であり続けますから、イメージも壊さない。

しかし作者には、大きな忍耐が要求される気がします。
ブログやTwitterなどの発信経路を持たないと、いざという時に「防衛」もできません。
個人活動の場合は、宣伝なども難しくなります。




等身大パターン

等身大の物書きとして、赤裸々に活動し続けるパターン。
外面を繕う手間が省ける。

これは、嫌われやすいと思います。
個性を出すということなので、お国柄もあってか、標的にされやすいです。
また、作品のイメージを壊しかねません。




営業マンパターン

教祖パターンに近い、宣伝活動に徹するパターン。
ひたすら告知。ひたすら宣伝。

複数人の活動であれば、必須でしょう。
しかし、個人活動だと営業マンに埋没する可能性があります。
営業に徹するあまり、本業が疎かになっては、本末転倒。




じゃあどうすんの?

ホント、どうすりゃいいんですかね。

個人的には等身大パターンで、「ブラックボックス化しているシナリオ書きの実情を、赤裸々に記録していきたい」という長期目標があったんですが。
去年、編集者などと争ったこともあり、かなり疲れました。


「今後は個人活動に徹する」と決めたので、荒れ狂うことはまず無くなる。
ただ、何があるかわからない。

人間なので、変化があり、同じコンディションを保ち続けるのは難しいです。
変化がある時、等身大パターンでは、いちいちイメージがブレてしまう。
「それが面白いんじゃねーか」と思うんですけど、「うぜぇ」と感じる人もいる。


上手い具合に、「作者」と「作品」を分離できないですかね。
作品は、作者の経験や知識に基づく物体――ではあるんですけど、必ずしも同一ではないと思うんです。
人間の深層には「元型」があって、共通のイメージを持つことがたびたびある。
だから創作物なんていうのは、集合的無意識からくるアレで――なんてこと言ってるとオカルティックな話になりそうなのでやめます。そういうのはシナリオ内で。


ぐだぐだ考え続けます。
とりあえず、作品を創ることが最優先。

2015年度スタゲ運営計画 初案

Twitterにも書きましたが、改めてまとめておきます。


新作『トライメライ(仮)』の完成と公開

媒体はKindle電子書籍。
これを電子書籍の処女作として、市場調査&ノウハウ構築。




その後、キミキメシリーズの展開

しばらくはキミキメ漬けになるかと。
がんばって広げるつもりです。

「いろんなジャンルを書けるようになりたい!」という、シナリオ書きとしての目標があったのですが、時間は有限。
まず「代表シリーズ」みたいなものを作らないと、ネタもすぐ尽きるし、努力に見合わないと感じました。

「キメラ」という設定は、かなり広げられると思います。
「キメラと言えばスタゲ!」……までは難しいかもですが、なんか爪痕残せればなと。
まずは電子書籍展開を考えていますが、コンテンツごとに他媒体展開も視野に入れます。

キミキメの「旬」はだいぶ過ぎていると思いますが、まあ、ライフワークと思って気長に広げていきます。
個人活動はそういうのが強み。




「かえると剣鬼は……?」

キミキメの展開が一段落したら、タイトルを変え、リメイクするつもりです。
ネタは現在進行形で溜めています。
けっこう面白くなるのでは、と勝手に予想。

まだまだ構想中ですが、「キメラシリーズ」と「モノリスシリーズ」の二枚看板で、長期的に活動できればと考えています。
ジャンル的に競合しづらいですから、差別化は可能だと思います。

ちなみに、既存作品は全て同一世界観のつもりです。




気長にがんばります

この記事は、あくまで初案として。
これからの未来、様々な「新媒体」や「新マーケット」が現れるかと思います。
そういった動向にアンテナを張りつつ、柔軟に活動していきたいです。

今後、ネットでは丁寧語を徹底します

とりあえず、カタチから入ることにしました。
主観で見ても、今までが今までなので、ヒジョーに胡散くさいですが。



なぜ丁寧語にしようと思ったのか

単純に、丁寧語のほうが「平均的に印象が良さそう」だと感じたからです。
荒かったり、フランクな口調は、軋轢を生む可能性が高い気がします。ネットは特に。

また、「丁寧語を使って緊張感を持とう」と考えたのもあります。
フランク口調だと、つい「独り言」に徹してしまいがちで、「他人に見られている」という緊張感を忘れがちです。
よって、エスカレートしやすく、荒々しい口調にもなりやすい気がします。




丁寧語は万能なのか

かといって丁寧語も、「気取ってんのか」「胡散くさい」等々、マイナス印象を生みかねないので、結局は当人の「立ち回り方」によりそうです。

また、「個性付け」が難しくなるような気がします。
丁寧語は、あえて個性を殺すことで、軋轢を生みにくくする話法です。
丁寧語を使うとなれば、より一層「内容」にこだわる必要が出てきます。

当たり障りの無い、普通の言葉しか吐かない人間なんて、見ててもつまらないものです。




口調を変えるくらいで印象が良くなるなら

長年、ネットで丁寧語を使うことは、自分を「偽る」ことだと考えていました。
しかし最近は、「文章技術のひとつ」として考えています。

物書きとして、表面的な自分を「繕う」くらい、出来なくてどうするのかと。
また、偽らずとも、やり方次第で「ちゃんと言葉を伝えること」は出来ると思います。

所詮「カタチから」に過ぎませんが、まずは、ということで。

コンテンツマーケティングというたぶん当たり前のことを学ぶ

コンテンツマーケティングとは、顧客が必要とする情報を理解し、それを適切にコンテンツとして提供することで、購買につながる行動を引き起こす手法ということになる。
何も今さらと思われる方もいるかもしれないが、特にソーシャルメディアへの対応に疲れ果てているマーケッターにとっては、「コミュニケーションの基本は仕組みやメディアの議論の前に、まずコンテンツである」という潔さは、逆に新鮮に映るのではないだろうか。

link : コンテンツマーケティングとは何か?

近年「コンテンツマーケティング」という言葉が、流行り始めているそうです。
「今さらかよ。当然のことだろ」と思う一方で、体系化されたそれを勉強してみると、なかなか興味深かったです。

もう六年「StarGazer」を運営してきましたが、「マーケティング」という考えは、あえて持たないようにしてきました。
「いずれ出版デビューするんだ」という目標があったからです。
マーケティングは出版社に任せればいい。そう思い込んでいました。
だから、「作者は面白い作品を作るだけでいい」という、シンプルな考えしかありませんでした。


しかし昨年、自称プロ編集者の御粗末さを知り、出版社の凋落ぶりを垣間見、「商業」の道が立たれた今、「自分でなんとかしなければ」という想いが、いっそう強まりました。

角川が組織的に行っている「ステルスマーケティング」などは、もう古いようです。
そもそもメディアが多様化してきた今、「マス広告」自体が意味を薄れさせています。

ゴリ押し、サクラ、粗製濫造の限界が見え始めています。
「コンテンツマーケティング」という、ある種の原点回帰への着眼は、そうしたマス広告衰退の背景があるからだと思います。
いずれ「宣伝」「広告」「マーケター」という言葉自体も、意味が薄れていくのではないでしょうか。


まず、面白いコンテンツを目指します。
それは今まで通りのスタンスです。

そして、そのコンテンツに気づいてもらうための努力をします。
これも今まで通りですが、よりいっそう努力せねばと思いました。
もちろん一朝一夕で出来るはずもなく、長期的な話です。
やりたいのは、宣伝や広告による「力業」ではありません。

「StarGazer」に関しては、マイナスからのスタートだと思います。
過去は消せませんし、失った評判も戻ってきません。
人間性は急に成長しません。

長い年月を掛けて、新たに創り出すしかない。
過去は忘れるのではなく、利用する。

今はそう考えています。