国連防災世界会議が14日、仙台市で開幕し、東日本大震災を経験した子供たちが、市内各地で開かれたシンポジウムなどで震災後の取り組みを積極的に発言した。津波で我が子を亡くした遺族らもフォーラムに参加。悲しみを乗り越え、防災対策の必要性や未来の町づくりに対する強い思いを国内外の人たちに訴えた。
宮城、福島両県の子供たちが参加したフォーラムで、宮城県女川町立女川中の卒業生は、震災の教訓を伝え千年後の命を守ろうと、津波が到達した町内6カ所に石碑を建てたり、防災の知識をまとめた「いのちの教科書」作りに取り組んだりしていると報告。「高台に避難できる町づくりや、地域の絆を深めることが大事」と強調した。
「夢だけは 壊せなかった 大震災」。高1になった勝又愛梨さん(16)は、石碑に刻まれた同級生の句を読み上げ「あの日、私たちは大切な命を守ってもらった。防災対策は私たちの希望です」と語った。
宮城県気仙沼市の観光復活に力を入れる高3の山田克義君(18)は「ただの被災地では駄目。おしゃれに紹介していきたい」。4月からJR東日本に就職予定で「東北に行きたい人の足になりたい」と夢を膨らませた。
別の会場では、東京電力福島第1原発事故後、祖母が孤独死した経験を持つ福島県の高1遠藤太郎君(16)が「地域のつながりは防災にも役立つ」と強調した。
被災後の今の心境を語ったのは、岩手県の大槌中1年、佐々木陽音君(13)。津波で亡くなった父親や行方不明の祖父母宛てに「会えなくて4年。いろいろ迷惑かけたね」とのメッセージを数日前、交流サイトのフェイスブック上に載せた。父が熱心に取り組み、踊りも教えてくれた町の祭りを「ずっと残していきたい」と声を詰まらせた。
一方、津波で児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の遺族らも、一般向けフォーラムで「悲劇を繰り返さないよう、一緒に問題点を考えてほしい」と訴えた。
6年だった次女、みずほさん(当時12)を失った中学教諭の佐藤敏郎さん(51)は、大震災では地震発生から学校に津波が来るまで約50分間あったと指摘。すぐ裏には山があったにもかかわらず避難の決定が遅れ、多くが命を落としたと写真などを使って説明した。
教員として学校防災に携わっていることに触れ「細かいことを想定すればするほど、それにとらわれて動けなくなる。常に想定外を想定することだ」と強調した。
会場には300人以上が訪れ、入りきれない人もいた。七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の従業員だった姉の美智子さん(当時54)を津波で亡くした丹野恵子さん(55)は傍聴後、「組織の中では、上に立つ人の判断が大切。上司は地域をよく知り、対応できる力を付けないといけない」と話した。〔共同〕
被災地、東京電力、防災対策、JR東日本、七十七銀行