2014-03-09
元首相 麻生太郎財務相が徳島に
(3月9日 裏方日記 更新担当 syouwa46)
(撮影 syouwa46)
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>>自民党の山口俊一衆院議員=徳島2区=の政治資金パーティーが8日、徳島市内のホテルであり、麻生太郎財務相や中西祐介参院議員、県内の首長ら約800人(主催者発表)が出席した。
>>麻生財務相はあいさつで、少子高齢化で日本の労働人口が将来、足りなくなると指摘。
http://mainichi.jp/area/tokushima/news/m20140309ddlk36010325000c.html
>>麻生太郎副総理兼財務・金融相は8日午後、徳島市内で開かれた集会であいさつし、2014年度予算案について「3月20日前後には参院でも予算が通る」との見通しを示した。
時事(2014/03/08-17:21)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2014030800264
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【感想】
私も出席してきました。感想を二つ。
笑顔が魅力的な麻生財務相のスピーチは本当に楽しかったのですが、あ然とさせられたところもありました。少子高齢化で日本の労働人口が将来、足りなくなるので、これを補うために外国人労働者を受け入れていくことについて検討していくのだそうですが、慎重にしていただきたいものです。
二つ目。主要政策が真逆である公明党とは、連立解消の好期です。
【動画】
民主党 小川淳也 衆議院議員の「田母神氏の20代の支持率が高い」事に「不気味」との問題発言
麻生太郎財務相 「不気味という言葉を訂正されるつもりはありませんね? …あっ、そう。私は不気味に感じませんでした」
【感想】
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国会会議録検索システム
帝国議会会議録検索システム-戦後会議録(昭和22年3月まで)
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/
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戸島金芳 1955年1月14日 貞光駅で失踪(ご家族は県外に居住)
正木冽子 1961年9月24日 眉山公園で失踪(ご家族は県外に居住)
山本正樹 1966年7月11日 大阪で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
七條 一 1970年2月10日 金沢で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
B(女性) 県内で失踪(徳島県出身・ご家族は県外に居住)
至極 透 1978年7月13日 和歌山で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
秋田美輪 1985年12月4日 神戸で失踪(ご家族が徳島に居住)
松岡伸矢 1989年3月7日 貞光町で失踪(ご家族は県外に居住)
賀上大助 2001年12月22日大阪で失踪(ご家族が徳島に居住)
http://wwwd.pikara.ne.jp/sansyoukai223/
【動画紹介】
短波放送で拉致被害者救出のメッセージを北朝鮮に発信し続けています
拉致被害者の方々へのメッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=QeN6w0u5WUc
北朝鮮に拉致された方々へ向けたラジオ放送「しおかぜ」をご存じですか。
ご家族からのお手紙を短波放送を使って毎日読みあげています。拉致被害者の方々が一刻も早く救出され、ご家族のもとへ戻られることを願っています。
しおかぜ通信HP : http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
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http://www.youtube.com/watch?v=50mN_kFO1ro
24年ぶりに祖国の土を踏む日。ドキュメント
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※投稿文も受け付けております。
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2014-02-02
【お知らせ】北朝鮮による拉致と人道犯罪を問う県民集会
【お知らせ】北朝鮮による拉致と人道犯罪を問う県民集会
北朝鮮による拉致と人道犯罪を問う県民集会
講師 荒川正子氏 演題「私の脱北紀行」
日時 2月9日(日曜)13時半〜15時半(開場13時)
会場 徳島市シビックセンター(徳島そごう・アミコ内)電話0886260408
会費 無料
手話通訳あり
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戸島金芳 1955年1月14日 貞光駅で失踪(ご家族は県外に居住)
正木冽子 1961年9月24日 眉山公園で失踪(ご家族は県外に居住)
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七條 一 1970年2月10日 金沢で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
B(女性) 県内で失踪(徳島県出身・ご家族は県外に居住)
至極 透 1978年7月13日 和歌山で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
秋田美輪 1985年12月4日 神戸で失踪(ご家族が徳島に居住)
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2014-01-01
奉祝 皇紀2674年 (平成26年)
奉祝 皇紀2674年 (平成26年)
あけましておめでとうございます。皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。
本年もよろしくお願い申し上げます。
※宮内庁HPより、「平成26年の新年に当たり天皇陛下のご感想」を転載させていただきます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h26.html
東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。
昨年も,多くの人々が様々な困難に直面し,苦労も多かったことと察していますが,新しく迎えたこの年に,国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず,助け合い,励まし合っていくとともに,世界の人々とも相携え,平和を求め,良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています。
雪の深くなる季節,屋根の雪下ろしの事故には十分に気を付けてください。
本年が,我が国の人々,そして世界の人々にとって幸せな年になることを祈ります。
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北朝鮮拉致被害者帰国
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2013-09-29
検証「従軍慰安婦展」 (徳島そごうアミコビル内 シビックセンターにて開催)
(裏方日記 9月29日更新担当 syouwa46)
検証「従軍慰安婦展」 (徳島そごうアミコビル内 シビックセンターにて開催)
昨日から本日の二日間、徳島そごうアミコビル内にありますシビックセンターにて、いわゆる従軍慰安婦問題とは、朝日新聞珊瑚記事捏造事件を起こしたことでも有名な朝日新聞などが、日本を貶めるためにつくった全くの捏造であることをパネルにまとめて掲示した「検証・従軍慰安婦展」が開催されていました。
パネル展のチラシです。
以下、展示パネルの画像です。
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日時 平成二十五年十月二十日(日曜) 十三時三〇分〜十六時三〇分。会場十三時〇〇分
参加費 一〇〇〇円也
共催 日本会議徳島県本部徳島第一支部 頑張れ日本!全国行動委員会を支援する徳島有志の会
【演題】其の一「日本の歴史を取り戻す」。其の二「パチンコの害悪を追放しよう」。其の三「領土を守ろう!」
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戸島金芳 1955年1月14日 貞光駅で失踪(ご家族は県外に居住)
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北朝鮮拉致被害者帰国
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2013-08-15
大東亜戦争の意義
大東亜戦争の意義
大東亜戦争の意義
顧みますと大東亜戦争は、開戦に先立つおよそ二週間前の昭和16年11月26日、我国が決して受け入れることのできない、最後通牒である、いわゆる「ハル・ノート」を米国から突きつけられ開戦に至ったわけですが、あのような通牒を受ければ,東京裁判の時に、インド代表の判事であったパール博士が「『ハル・ノート』のような通牒を受ければ、モナコ、ルクセンブルクのような小国でも、矛をとって米国に立ち向かったであろう」と言明しているように、当時の我国がおかれた国際環境といいますのは、明らかに欧米列強が戦略上、日本の安全を脅威したわけでありまして、我国としては、国民の死活に関わる大問題だったわけです。
それに対して、欧米諸国は、何ら緊密な国家的利害を有していない遠方から、圧迫を加えてきたのです。それは、子供でも世界地図を見ればすぐにわかることで、欧米諸国は、ほぼ地球の反対側からやってきたのでありますから、明らかに大東亜戦争は、我国の自衛の戦いだったことに何の疑いもありません。
そして、大東亜戦争は、「東亜の解放」を掲げて戦ったわけですが、大東亜戦争の結果、欧米列強の支配する植民地体制を粉砕し、アジア・アフリカは解放され、戦後から現在に至るまでに、約120もの新しい国が生まれたのです。
つまり、有色人種が゜白人の言いなりになり続けるという時代に終止符を打ち、人種の平等をもたらしたのです。最終的に我国は、米国による国際法違反のじゅうたん爆撃や原爆投下などの違法行為もあって敗れはしましたが、緒戦において、我が忠勇なる帝国陸海軍将兵の活躍によって米軍を圧倒し、そして、東南アジアから英蘭軍を駆逐したことは、大いに被植民地民族の独立心を刺激したのです。
ですから戦後、欧米諸国が再び植民地支配しようと戻ってきましたが、そうした被植民地民族の抵抗を受けて、再び植民地支配することはできませんでした。我国が大東亜戦争を戦うことによって、一度は、東南アジアの旧植民地から白人を追い出したからこそ植民地の独立は実現したのです。
思えば、大東亜戦争は、このような尊い使命を担ったものであり、大東亜戦争は、世界の秩序の大転換を成した、まさに世界維新だったのです。我々の先人が歴史上に遺した業績の大きさを私たちは認識し、評価しなければなりません。それは、240万あまりの我が同胞の犠牲によって達成され、そして我々はその御加護によって、現在の平和に生きることができているのです。
我が同胞が身を挺して遂行したこの大東亜戦争を、戦後の日本人は、正当な評価をせず、虚偽に満ちた報復の極東国際軍事裁判による戦争犯罪者意識に毒され、いまだに新聞、テレビをはじめとしたマスコミ、あるいは、学校の歴史教科書においても、その名を米国の言う「太平洋戦争」と呼び、しかも自ら「侵略戦争」と断じて恥じないのが戦後の風潮なのです。
しかし、もともと北欧の片隅に生息していたはずの白人が、なんで地球の裏側の東南アジアにいたのでしょうか。もともと白人は、欧州の一角に住む人種でした。今では、米国が中東地域でやりたい放題のことをやっていますが、歴史を顧みれば、中世まで中東地域は、非常に文明の進んだ地域でありました。それに対して欧州は非常に遅れた地域であったのです。
しかし、いわゆる大航海時代を迎えることで、欧州の白人は、15世紀末から植民地を獲得することで力をつけ、世界を征服していったのです。近世500年を振り返れば、白人の侵略史なのです。西暦1492年のコロンブスの米大陸到達の15世紀末から20世紀に至るまで、白人は世界を次々と侵略し続けてきたのです。
この5世紀間に活躍したのは、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、アメリカ、ロシヤなど、すべてが欧州出身の白人たちであったわけで、白人は、次々と世界を植民地支配していき、そうして最後に到達したのが欧州からみて極東にあった日本だったのです。
このように、欧米の白人諸国が、500年にわたって世界を次々と侵略し続けてきたことと、例えば我が日本が、安全保障上隣のコリアを併合し、台湾を割譲したこととは、全く事情が違うわけで、当時の大韓帝国の場合は、「日韓併合条約」によって、そして、台湾の場合は、日清戦争の講和条約である「下関条約」によって、正式の国際条約によって、しかもコリアの場合などは、当時の国際社会の支持もあっての条約締結であったわけです。
また、シナ事変を「日中戦争」などといって、いかにも我国が侵略したかのようなことを言っていますが、シナ事変は、「事変」であって「戦争」ではありません。すなわち事変は、英語で言えば、「war」ではなく「trouble」(宣戦布告のない国家間の戦闘行為、あるいは、警察力で鎮圧できない騒乱)です。
今では、シナ事変の発端は、シナ共産党が仕組んだということが明らかにされておりますが、そもそもが当時、現在においてもそうですが、「侵略戦争」などという言葉は、国際法上なかったのです。
「war of aggression」や「aggressive war」という言葉はありました。すなわち、日本語にすると「侵攻戦争」という意味です。「侵略」という言葉には、略奪や略取するという意味が含まれているわけで、「侵略」とは、武力による領土の割譲や併合を意味する言葉なのです。つまり、「侵略」とは、いわば、白人が過去に行ってきた国際法上の「征服」に相当する言葉なのです。
戦後我国は、「侵略戦争」をしたという濡れ衣を着せられていますが、歴史上かつて、我国が武力によって領土を獲得したことなど一度もありません。
敢えて「侵略」と呼ぶのであれば、欧米列強が植民地を獲得していたことや、更には、大東亜戦争末期、旧ソ連による我国との中立条約無視の満州進入や千島列島侵攻、また、いまだにロシヤが我が北方領土を、あるいは、南コリアが竹島を不法占拠していることこそ、まさに侵略でなくて何でありましょうか。
あの連合国最高司令官であったマッカーサーでさえ、昭和26年5月3日の米連邦議会で「太平洋戦争に於いて、日本は自衛の戦争をしたのであった」と証言し、自国、米国こそが日本に対して侵略者であったと認めております。
それに、我国は戦後、経済的に復興し、当然のことのように世界各国と貿易を行っておりますが、しかし、なぜ、東南アジアの国々、あるいは、中東の産油国であるアラブ諸国など、それらの国々と貿易ができるのでしょうか。
もしあの時、昭和16年12月8日、我が日本の決起がなければ、アジア諸国の解放は、いまも恐らく実現しなかったでありましょう。我が日本の決起がなければ、白人優位の世界史の流れはずっと変わらず、21世紀を迎えた今日でも、世界中は、植民地支配と人種差別に満ちていたであろうことは容易に想像がつくはずです。
もし、我が日本が決起しなければ、そして白人支配が続いておれば、いまだに我々日本人は二等国民のままなのであります。第一次世界大戦の始まった1914年の時点では、白人の支配は、地球の陸地の面積の実に84.4%を支配していたといわれております。
たとえ戦争を運良く回避し得たとしても、欧米列強が世界のほとんどを植民地支配している状況では、貿易といっても植民地の宗主国との貿易しかあり得ず、近代産業に必要な地下資源を持たない我国は、欧米列強に、植民地が解放されない限り、生殺与奪の権を握られたままであったというべきではないでしょうか。
現在、世界には、約200もの独立国が存在しておりますが、当時の国際社会には、欧米列強のほかには、白人の植民地か、あるいは、白人の息のかかった国しか存在しなかったんであります。
そうだとすれば、欧米列強が自ら植民地を放棄しない限り、自由貿易は成立しなかった。すなわち、遅かれ早かれ、いつかは、戦わざるを得なかったと考えるべきではないでしょうか。
そうした背景があって、我が日本民族は、伏して滅びるより征でて国難を開かんとアジアの解放を期して、白人の壁に体当たりを敢行したのです。以来、我が忠勇なる同胞は祖国の楯となって、シナ大陸に、はたまた、南の陸・海・空に身を挺して戦い、後に続くを信じて散華されたのであります。
今では、20世紀を振り返り「戦争の世紀」であったとか、「共産主義崩壊の世紀」であったとか、いろいろと云われてきましたが、何よりも人類史的に、あるいは、世界史的にみて大きかったことは、有色民族が解放されたことです。
確かに、20世紀を振り返りますと、日露戦争で幕が開けられました。しかし、その日露戦争の人類史における歴史的意義は、「日露戦争の歴史的意義(http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080527/p1)」で述べましたように、有色民族が白人に勝ったことで、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことでした。
しかし、そうした日露戦争の勝利も、精神的な覚醒にはなっても、現実の植民地の解放にはつながらなかった。結局、大東亜戦争によって、現実に白人を植民地から排除することによって、達成せられたのであります。
また、戦後は、単純化した戦時プロパガンダを鵜呑みにして、第二次世界大戦を「ファシズム」の日独伊と「デモクラシー」の連合国との間の戦争であったなどと云われ続けてきたわけですが、そんな馬鹿な話はありません。蒋介石のシナ国民党やスターリンの旧ソ連がデモクラシーであるわけがありません。
本当は、理念的に大東亜戦争を眺めれば、第一次世界大戦のパリ講和会議において、日本政府代表が人種差別撤廃案を提出し、人種の平等を訴えたように、明治以来「人種差別撤廃」を国是として掲げてきた我国と「白人による植民地支配」という世界秩序を守ろうとする連合国との戦いであったということができるのです。
また、日本政府は、昭和16年12月10日の閣議において、シナ事変を含む対米英戦争の呼称を「大東亜戦争」と定めております。そうであるにも拘らず、我国は戦後ずっと旧敵国の「太平洋戦争」という呼称を使ってきたわけですが、旧敵国の言葉で歴史が語られている限り、英霊は浮かばれないし、我国の独立の回復もあり得ません。
戦争の呼び方と云うのは、各々の国家の思惑によって呼称されていたわけですが、基本的には地理的な概念で、米国にとっては、大西洋方面の戦争に対して、太平洋方面という意味であり、英国にとっては、欧州方面に対して、極東方面ということになるわけで、英国では「極東戦争」と呼称していたわけです。
我国にとっては、シナ大陸から東南アジア方面が主たる戦闘地域であったわけですから「大東亜戦争」という呼称に何の疑問もないはずであります。
戦後の日本人は、大東亜戦争停戦中に占領軍が行った東京裁判をはじめとした我国に対する弱体化政策に基づく、歪められた歴史を刷り込まれていますが、そうした歴史観によって形成せられてきた戦後体制そのものを打破しない限り、我国の真の独立も祖国の復興もあり得ないのです。
そして、われら後世の日本人が、本気で戦没者の慰霊を考えるのであれば、英霊に対して、忠魂の遺志と殉国を偲ぶとともに、一旦緩急あらば、お国のために戦うことを自らに誓い、誇りある国づくりをしてゆくことが英霊に対する唯一の鎮魂なのではないでしょうか。
- 作者: 日本会議事業センター
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◆郵便振替(口座番号は 00150-0-351776 です。加入者名は 新しい歴史教科書をつくる会 です。またご希望の方には振替用紙をお送りします。クリックで入力フォームに飛びます。)
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