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先輩紹介2009
前向きになることで得られた自信と力。1本のソフトづくりを通じて学んだこと。 - 技術制作部 柴田 祐助 2004年入社
柴田さんはどういう部署で、どのような仕事をしていますか?

僕が所属する情報開発本部は、WiiとDSのゲームソフトの企画から実験、商品化までを行っています。そのなかで僕は、ゲームプログラムを担当しています。

僕が入社して最初に関わったプロジェクトは、2005年に発売された、DSソフトの『キャッチ!タッチ!ヨッシー』です。その後、企画実験の仕事に関わったり、『マリオカートDS』では、開発の終盤にお手伝いをしたりしました。Wiiの立ち上げ時には、『Wii Sports』と『はじめてのWii』のプロジェクトに加わり、システムプログラムを担当しました。また、『Wii Music』では、プログラムのリーダーとして開発に参加しました。

いちばん印象に残ってる仕事は何ですか?

最近まで開発に関わっていた『Wii Music』です。WiiのソフトにはMiiという似顔絵のキャラクターが登場することがありますよね。もともと僕は、Miiを登場させる仕組みなど、『Wii Sports』や『はじめてのWii』で共通のシステムづくりに関わっており、同じ仕組みを使う『Wii Music』ではプログラム全体の構造を把握していることもあってか、プログラムディレクターを任されることになりました。ただ、チームをまとめるのは初めての経験でしたし、開発も思うように進まず、とても悩んだ時期もありました。

どういったことで悩んだのですか?

もともと『Wii Music』は、オーケストラの指揮ができるデモソフトとして、海外の展示会で発表したものなのですが、そのデモの評判がとてもよかったこともあり、その後に音楽をテーマにした1本のソフトとして開発することになりました。ところが実際に取り組んでみると、1本のソフトにするにはとても難しいことがわかりました。「おもしろさの核」を見つけるための実験を繰り返し、試行錯誤をする期間が続いたのです。「おもしろさの核」が見つかっていないときは、チームのモチベーションがあまり上がらないことも多少出てくるのですね。そのような状況の中で、どのようにしたらチームを少しでも良い状態にしていけるかということに関しては相当悩みました。

どのような実験をしたのですか?

「おもしろさの核」を見つけるための実験としては、Wiiリモコンを使って楽器の弾きまねをする実験から始めて、曲のお手本通りに演奏しなくても曲に合った音階を自動で鳴らす実験、複数人で同時に演奏する実験を行って、ようやくみんなで合奏する楽しさやひとりで繰り返し演奏して1曲を完成させる楽しさに行き着きました。実験とは、こんなことができたらおもしろいんじゃないかというアイデアが出て、それが本当におもしろいかどうかや本当にできるのかどうかを試すことだと捉えています。

他にも、『Wii Fit』にはバランスWiiボードが付いていますよね。それを使ってドラム演奏ができないかというアイデアが出てきたんです。もともとバランスWiiボードは、立った姿勢で上に乗り、体のバランスやBMI、体重を量る周辺機器です。でも、ドラムはイスに座って演奏します。そこで、座った姿勢でも、足の微妙なタップを検出できるのかどうか、プログラムを組みながら、何度も検証を行うようなこともしました。

『Wii Music』の開発に関わって、どんなところで成長できたと思いますか?

うまくいっていないことに対して、何が問題なのか、ボトルネックを見つけ出し、的確な次の一手を実行する力が、ものすごくついたような気がします。

そもそも開発チームにはいろんな人がいて、それぞれに役割分担がありますので、最初の頃は、自分に与えられた役割をしっかりこなし、他の方の領分と思われる仕事には踏み込まないというようなスタンスでこのプロジェクトに参加していました。ところが、先ほども言いましたが、実験と試行錯誤の繰り返しで開発がなかなか前に進まない状態が続いたんです。そこで、頭のなかを切り換えて、開発を前進させることを最優先に考えることにしました。何か問題に気がついたら、人任せにせず、たとえそれが自分の仕事でなくっても、自分で解決する方向で動くことにしたんです。

そこで、いろんな部署の人たちと打ち合わせをしたり、調整するような仕事が増えたのですが、自分が積極的になればなるほど、結果もどんどん出るようになり、開発も前に進むようになったんです。プログラムを組むような仕事は減りましたが、自分としてはすごく貴重な経験ができたと思いますし、混沌とした状態から完成まで、1本のソフトに関わることで、自分も成長し、自信にもつながりました。

どのような学生時代だったのですか?

学生時代は、いろんなことをやりながら、模索する毎日でした。どんな職業が自分に向いてるのか、さっぱりわからなかったんです。そこでIPA(情報処理推進機構)の未踏プロジェクトに参加したり、いくつかの企業でプログラム開発をやったりしたんですが、自分から進んでやったわけではないんです。どちらかと言うと、人に誘われて参加したんですけど、実際にやってみると、周りの人たちから高い評価をいただいたんです。そこで、自分の進むべき道はプログラマーかなと思いました。自分には、特別な才能があるとは思えなかったんですけど、得意なんだろうと。それに、プログラムを組むと、見た人が驚いてくれるのがすごくうれしかったんですね。

プログラマーの進路はたくさんありますよね。

周りの人からは博士課程に進むことを勧められました。でも、博士課程って論文が勝負なんです。論文を書くには理詰めがとても大事で、理詰めで相手を納得させる必要があります。ところが僕は、カチッとした数式を相手にするより、人が考えるようなことや情緒的な部分、つまりあいまいなことに興味があったんです。大学での研究も、最新の技術を追求するというよりも、人がどう思うかということに興味が向いていました。なので、自分の進路を考えたときに、理詰めだけじゃないところで勝負したいと思ったんです。

どうして任天堂に入ろうと思ったのですか?

自分が働いてる姿がイメージできたからです。任天堂への就職を考えたとき、自分ならこういうことをしたいと思えましたし。それに、最先端の技術にこだわることなく、おもしろければいいという製品作りにも共感していました。

それに、会社に入ると、まずはその会社の考えを理解するところからはじまると思うんですが、任天堂の場合、子どもの頃からゲームに触れてきて、どんなものをつくれば、たくさんの人たちに喜ばれる商品になるのか、自分なりに理解していたつもりですので、その意味でも、働く自分の姿をイメージしやすかったのだと思います。

任天堂で働くことの魅力はどんなところにありますか?

自分が関ってできたものが、多くのお客さんのところに届いて、その声を聞くことができるようなことって、ほかの仕事ではなかなかできないことだと思うんです。しかも国内だけでなく、世界中の何百万人もの人たちに届くと。そんなことって、なかなかできないと思うんですね。
そういったダイナミズムを体験できるのは、任天堂で働くことの魅力だと思います。

ある日のスケジュール

ありがとうございました。

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