東京市営真砂町住宅。文京区本郷4-20。2007(平成17)年2月17日
本郷台地が菊坂の谷で削られて、岬状に北へ延びている部分を通称「右京山」という。東京市は1923(大正12)年から1925年にかけて、その辺りを一戸建て住宅地として開発した。中心に清和公園の緑地を設けて、その公園を囲むかたちで46棟75戸の住宅が建てられた。また1930(昭和5)年には「清和寮」というRC4階建ての独身男性用のアパートを、清和公園向かいに建築した。
この地区は空襲での焼失を免れて、昭和50年頃までは大正時代に形成された住宅地が、住宅そのものも保持されてきたのではないかと思う。goo地図の古い航空写真でも、その一戸一戸が確認できる。うっかりすると空襲で焼き払われた地区に建てられた仮設住宅に見えてしまう。現在では、ぼくは3棟が残っているのを確認しただけだが、改修されて戦後の建築に見えるものもあるかもしれない。
写真の建物は今も残っている1軒で、第3期の大正14年3月に建てられたもの。わりと大きい住居だから2戸分の住宅だろう。大正期の建物とは思わなかったので最近の写真しかない。
鐙坂上へ通じる路地の階段
本郷4-12。1988(昭和63)年3月13日
鐙坂の上に「財務省関東財務局真砂住宅」という4階建てのアパートが2棟建っている。昭和50年頃の建築ではないかと思う。その南側の屋敷はかつては「会計検査院長公邸」だったようだが、その間の路地を入ると清和公園東側の道を見下ろす階段の上に出る。その階段の途中に枝道があって横の家へ通じていた。写真はその脇道とその端から清和公園東側の道へ降りる階段である。現在はここにマンションが建って写真の脇道と階段は消滅した。また、上の路地への階段は現在では昔の倍くらいの幅に広げられて、面白みがなくなった。階段の上に出てしまうと昔のままの狭い路地なので、階段だけ広げても意味がないと思うのだが。
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