ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




横浜赤レンガ1号倉庫。神奈川県横浜市中区新港1。1988(昭和63)年8月6日(5枚とも)

1号倉庫は関東大震災で倒壊した半分は修復されなかったので、全体を見れば2号倉庫との区別は明確である。しかし全体が写っていない写真だと外観が同じだからどちらが何号になるのか判別が難しい。ただ、「2号倉庫」の記事に書いたが、2棟の倉庫は向かい合いに建っている。同じ建物が位置をずらして並んでいるわけではないので、太陽光のあたり具合で判定できる。表側に太陽が当たっていれば2号で、ベランダのある方に当たっていれば1号である。


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外観が2号と同じならわざわざ別の記事として起こすこともないようなものだが、せっかく写真があるので落書きや屋根に生えた草でも鑑賞して頂きたい。



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横浜赤レンガ2号倉庫。神奈川県横浜市中区新港1。1988(昭和63)年8月6日

横浜赤レンガ倉庫は2棟が並んでいる。2号倉庫のほうが先に建っていて、1911(明治44)年のことだ。設計は大蔵省臨時建築部(妻木頼黄)。1号倉庫は1913(大正2)年の完成で、関東大震災の損傷で半分の規模になってしまった。1号・2号は構造などは同じと思うが床の造りは異なるという。向き合う形で建てられていて、向き合った面のプラットホームに沿って貨物線の線路が敷かれていたはずだが撮影時にも残っていたかどうか覚えがない。横浜税関の保税倉庫として建てられ「新港埠頭保税倉庫」といったらしい。「新港埠頭煉瓦倉庫」としている本もある。
所在地の町名がちょっと古い本は「新港町(しんこうちょう)」だが、変更されたらしい。
「みなとみらい21」事業の着工は1983年ということだが、赤レンガ倉庫を中心とした「赤レンガパーク」の完成は2002年4月。撮影時の1988年は横浜博覧会の前年で、まだ大小の倉庫が立ち並んでいた。今考えれば赤レンガ倉庫以外の建物を撮影しておいたほうがよかったかもしれない。1989年には倉庫としての役目は終えたというから、撮影時には一部はまだ倉庫として使われていたのかもしれない。

1988(昭和63)年8月6日



エレベータ塔の付く北側。1991(平成3)年7月28日

1991年に赤レンガ倉庫を見にいったときは、倉庫周辺は立入禁止になっていて建物を簡単な柵で囲ってあった。無視して倉庫のそばに立っていたら警備会社のパトロールカーが回ってきて追い払われてしまった。

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四軒長屋。台東区谷中2-4。1988(昭和63)年11月3日

あかぢ坂下にある四軒長屋。写真左の白いトタン張りの壁を見ると五軒長屋の端を取り壊したようにも見えるが、その駐車場になっている場所には別の家が建っていたようだ。長屋の右に2階建ての家があるが、建て替わる前は山崎ゴム商会の出桁造りの大きな家だった。現在、長屋の右の2軒が取り壊されて二軒長屋になってしまい、横側の白いトタンの壁には錆が浮き出して茶色に変色している。
この長屋は桐谷逸夫・エリザベス夫妻が住む長屋として有名だった。手元に『東京いま・むかし』(日貿出版社、平成8年)という夫妻共著の画集がある。この本にはぼくが写真に撮っている家が数多く載っていてうれしくなる。ぼくは写真を撮るのにほんの数秒しかかからない。撮った家をろくに見ることもしないで次へ移動してしまう。その点、スケッチであっても場所を選び、対象にじっくりと向き合って描く絵はその場所の雰囲気までが写し取られている。実際以上に強調される家の傾きなどは当然写真では表現できない。



1989(平成1)年3月12日

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平屋の民家。台東区谷中2-3。1989(平成1)年9月10日

藍染大通りと藍染川の流路だった区境の通りとの交差点の角に建つ民家。現在は屋根が赤く塗りなおされている。建物の角にショーウインドがあって、商店だった家だ。軒が低いので屋根が見やすい。昔は瓦屋根だったのだろうが、そうすると屋根の重さで押しつぶされたように見えるのではないだろうか。この家を上から見ると、つまり航空写真で見ると意外と建坪が大きい。写真左の朔日会美術研究所のビルよりも大きいのである。
『不思議の町 根津』(森まゆみ著、ちくま文庫、1997年)によると、この場所はあかぢ坂下になり、川には「旭橋・不明(あかづ)門橋」が架かっていた。



鉢植えの草木はやたら増やさないのがこの家の方針のようだ。1990(平成2)年9月16日

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丁子屋向かいの民家。台東区谷中2-3。1989(平成1)年2月26日

藍染大通りのすぐそばにある染物屋の丁子屋は有名なので場所の目印にさせてもらった。その向かいに2軒の庭付きのわりと大きな民家があった。現在は南側にあった民家が取り壊されて駐車場になっている。
上の写真は現存するほうだが、2階は大広間かと思うような6枚のガラス障子や1階玄関脇の丸窓など、戦前の住宅のひとつの例として貴重だ。2階のガラス障子の内側はたぶん廊下のようになっていて、座敷とは襖で仕切られているのではないだろうか。



1枚目の家を南側から撮影したもの。1990(平成2)年5月6日



1枚目の写真の右手に写っている家。1990(平成2)年9月16日

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川崎商店。台東区谷中1-1。1988(昭和63)年8月5日

言問通りの善光寺坂の中間あたり。古い商店が3軒並んでいた。中央の看板建築にしているのが雑貨・タバコの川崎商店。その右の家は下の写真では「表具店」の看板を出している。この2軒は長屋形式の1棟の建物だ。現在は小さなマンションに替わった。




上:川崎商店、坂田表具店
1990(平成2)年5月6日

左:川崎商店隣の民家
1991(平成3)年9月23日

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天眼寺裏の井戸。台東区池之端4-25。1990(平成2)年9月16日

言問通りの善光寺坂の下に天眼寺がある。言問通り沿いは商店などが並んでいて寺はその裏にあるが、山門は言問通りに向いていて、山門の西隣は森田電気店。写真の井戸は天眼寺の裏の、言問通りと平行している路地にある2本の井戸。路地の好きな人は皆このあたりには入り込んでくるようで、ここの井戸もかなり知られていると思う。
左写真の井戸は路地から引っ込んだところにある民家の前にある。右写真の井戸は路地のまん中にあり、そこを通っていくにはほとんど井戸をまたいでいく気分になる。



最近の様子。2007(平成19)年12月1日

写真右奥の塀の中が天眼寺。右手前の民家が取り壊されている。金網のフェンスをすかして1段目左写真の井戸が写っている。1段目右写真の井戸は路地の奥で道幅が狭まる手前に写っているのだが、遠くてよく判らない。
『井戸人』出張所御厩長屋の二つ井戸』で角度を変えた何枚もの写真が見られる。

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山田屋文具店。台東区谷中1-2。1988(昭和63)年8月5日

言問通りの根津銀座商店街を抜けて台東区谷中に入る交差点から東のほうを見ている。善光寺坂の上り口になる。右手に入っている道はかつての藍染川の流路で、文京区と台東区の境だ。
角の山田屋文具店は現在、ビルに建て替わった。



三代目新ふじ。1989(平成1)年2月26日

1枚目の写真の家並みを横から見ている。店は右から、山田屋文具店、三代目新ふじ(そば)、武田屋、松露鮨、野島青果、森田電気店。
現在、新ふじが正面をきれいにして古い建物のままで商売を続けている。森田電気店の建物は建て替わった。その間の家は取り壊されたまま駐車場になっているようだ。


森田電気店
1987(昭和62)年4月18日

この建物は看板建築としては間口が広いし、なんといっても2階の唐破風の庇が独特で目立っていた。『都市徘徊blog>森田電気店』によると、2003年11月に解体されている。

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ペリカン書房、Neo Sitting Room!、大島屋。文京区本郷5-30。2007(平成19)年10月24日(3枚とも)

本郷通りの郁文堂の横を入る路地を落第横丁といっている。昔の話だが、東大生がここの飲食店やビリヤード場に入り浸って落第してしまうのだという。
ペリカン書房は『東京紅団>織田作之助の東京を歩く(戦前編)』に、「ペリカン・ランチ・ルーム」はその裏手の秀英館に下宿していた織田作之助がよく利用していた店としている。その店主が戦後に古書店を開いたのがペリカン書房ということらしい。織田作之助は名前はよく聞くがぼくは読んだことはない。そのうち目に付いたら手に取ってみようかというくらいには思っている。



落第横丁の中ほど。「ゆい」の左は「鳥八」。床屋は「井川理容店」。



落第横丁は本郷通りから入ると突き当たって南へ曲がっている。またすぐ西へ曲がると旅館の間を抜けて胸突坂を下りると菊坂通りの下のほうへ出る。江戸切絵図のままの道筋だ。
写真の家は元は喫茶店か洋食屋だったような構えだが、1986年の住宅地図では「ミッチー」、その右は「川野米店」。

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郁文堂。文京区本郷5-30
上:1988(昭和63)年2月21日
左:2000(平成12)年5月5日

本郷通りの東大正門に近い向かい側に現存するビルである。郁文堂はドイツ語辞典などを出している出版社。1899(明治32)年設立という老舗だという。
建物は昼夜銀行本郷支店として1923(大正12)年に建てられた。ごく小さい建物なのだが銀行建築らしい重厚さを辺りに放っている。入っている出版社もかなり固そうな感じがするので似合っているかもしれない。

―お知らせ―
都合によりブログの更新をしばらく休業します。次の更新は11月16日頃になります。


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