ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




郵船兜町ビル。中央区日本橋兜町3。1986(昭和61)年6月22日

現在、表側は白いパネルで覆ってしまって最近立てられたようなビルに見える。壁面を補修するより安上がりにできるための処置だろう。網を掛けておくのではテナントが入らない。せっかくのクラシックな外観がもったいないが、しかたないか。



郵船兜町ビル北側の入り口。1985(昭和60)年9月8日

テナントの表札には日本郵船の名前はないが、昭和20年代の火保図には日本郵船株式課が入居している。建物名称どおり家主は日本郵船らしい。

郵船兜町ビル裏側。2006(平成18)年9月30日

ビルを鑑賞するなら裏の駐車場からになる。かつての楓川(もみじがわ)から見るかたちになるが、首都高とのわずかな隙間から覗くことになる。


金万証券。日本橋兜町3。左:1985(昭和60)年9月8日、右:1989(平成1)年5月28日

金万証券は1927(昭和2)年、清水組設計施工の建築で、建設時はカサギ商店(日本橋・八重洲・京橋>まちづくり>第6話)。カサギ商店の商売がなんだったのか知りようがないが、外観からは証券会社ではなかったのかもしれない。3階建てだが鉄筋コンクリートである。

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永代
 ●永信商事/2(2009.06.16)

越中島
 ●東京海洋大学1号館/2(2011.04.11)
 ●東京海洋大学先端科学技術研究センター/2(2011.04.13)
 ●東京海洋大学越中島会館/2(2011.04.15)
 ●東京海洋大学第一観測台/2(2011.04.17)
 ●東京海洋大学第二観測台/2(2011.04.18)

清澄
 ●深川図書館/3(2009.12.29)

佐賀
 ●食糧ビル/1(2007.05.06)
 ●村林ビル/1(2007.05.07)
 ●讃岐食品/1(2007.05.08)
 ●平屋の事務所、他/1(2007.05.09)
 ●網中産業、他/1(2007.05.11)
 ●日本救命器具、他/1(2012.11.18)
 ●板塀の住宅/1(2012.11.20)
 ●いながき商店、他/1(2012.11.22)
 ●三井倉庫/2(2012.11.24)

住吉
 ●あそか病院/1(2010.05.19)
 ●東町アパートメント/1(2010.05.20)
 ●住吉共同住宅12・13号館/1(2010.05.24)
 ●住吉共同住宅10・17号館/1(2010.05.26)
 ●住吉共同住宅14・15号館/1(2010.05.28)

福住
 ●大衆食堂みよし/1―御船橋きわの民家(2012.09.30)
 ●江東電設、他/1(2012.10.02)
 ●山丸電気工業所、他/1(2012.10.03)
 ●明光、福住剣友会/1(2012.10.07)
 ●片倉倉庫、東洋ケミカルズ倉庫/2(2012.10.09)

毛利
 ●住吉共同住宅(第1期)/1(2010.05.23)

門前仲町
 ●内職補導所/1(2007.05.16)

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兜橋ビル。中央区日本橋1-20。左:1985(昭和60)年4月14日、右:1987(昭和62)年4月5日

ビルの名称は昭和9年火保図から。同図ではコンクリート4階となっていて写真のビルとは異なるかもしれない。昭和20年代の火保図では「大和証券、コンクリート3階」になっている。増築部分もかなり古く見えるので、戦前の建築としか見えないのだが。
場所は日本橋郵便局の裏、三菱倉庫の向かい。かつて楓川河口に架かっていた兜橋の橋際である。町名変更前は江戸橋1丁目、大震災前は河岸地で本材木町1丁目になる。
撮影時は住宅地図では「三菱地所現場事務所」となっていて、たぶん東証建替えの現場事務所になっていたようだ。

追記:2007.05.11
東村山のヨウタロウ氏からコメントを頂いた。それによると、このビルは関根要太郎の設計になり、百十三銀行という函館に本店を置く地銀の東京支店だった建物という。関根要太郎は多摩の桜ヶ丘公園にある聖跡記念館の設計者である。今も残る江東区佐賀町の村林ビルとが、東京に残る関根要太郎の作品だという。


藍沢ビル。日本橋1-20。左:1986(昭和61)年6月22日。右:同年12月31日

「帝都復興せり!」(松葉一清著、1988年平凡社刊)によると、『昭和8年、萩一郎設計』
細部の装飾はあっさりと排除して、ただの四角い箱みたいだが、1階だけ黒い石張りにして変化を付けている。どういうわけか、いつまででも見ていられる。

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西田書店(自費出版)。神田神保町3-10。1985(昭和60)年2月24日
裏の長屋とともに「江戸東京たてもの園」に移築されている。そこの解説によると、丸二商店という荒物屋として立てられたもの。



富寿印刷。神田神保町3-9。1985(昭和60)年頃
西田書店から共立社印刷所のビルを隔てて並んでいる。右は広田屋商店。



洋風長屋。神田神保町3-4。1987(昭和62)年1月4日
かなり大規模な看板建築の長屋。専修大学の向かい。


タイル張り洋風の看板建築
神田神保町3-10
1986(昭和61)年9月23日
右は能楽書林。

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光人社。千代田区西神田3-5。1992(平成4)年5月4日

前の通りのすぐ左が堀留橋。写真中央の看板建築の左側の看板は「月刊「丸」図書出版/株式会社潮書房/光人社」。倉庫だろうか。



ナベシステムプリンティングセンター。西神田3-6。1988(昭和63)年8月15日

写真中央の四つ角は今までの写真に何回か登場している。こんどは北から南の方向を見た。写真右が岩井理髪店と隣の空き家。

西神田2・3丁目はかつて「西小川町」といった。1872(明治5)年に今川小路3・西小川町1・2が成立し、1934(昭和9)年の区画整理を経て、1967(昭和42)年に西神田3丁目が起立した。

太田屋不動産、飯塚製本所。西神田3-2。1987年頃

堀留橋の通り(専大通りというらしい)の南側。最も多く見かける看板建築の商店長屋の建物だが、柱の上部に飾りを付けたり、店名を入れるプレートを付けたり壁面に色を付けたりして高級感を出している。



下江歯科。西神田3-3。1986(昭和61)年9月23日

これも堀留橋の通りの南側。同じ建物に「下江歯科」「パーマみや」、隣が「囲碁将棋まこと」、路地を隔てて「クリーニング・マサル」。写真右端に大通りを隔てて「山源電気」が写っている。1枚目の写真「光人社」の左の空き地にあった。

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能楽書林。千代田区神田神保町3-6。1986(昭和61)年9月23日

場所は専修大学の向かい、靖国通りの九段下ビルの裏。日本橋川までが神保町になるとは知らなかった。
能楽書林は1907(明治40)年創立の能楽関係を中心とする出版社。
老舗を訪ねて>能楽書林によると写真の建物は昭和6年の建築。現在のビルは平成2年の竣工。同サイトに創業者の丸岡桂が造った人力ヘリコプターの写真が載っていて、これには驚いた。どう考えても浮き上がるとは思えないが、やってみないと判らない?
東京「探見」・文学散歩>神保町に、「正面左の部屋に原民喜が寄宿していた」という記述がある。「夏の花」は昭和24年に能楽書林から発行されている。原はこの建物で執筆したか編集作業をしていたのだろうか。

能楽書林、正面上部と入り口の上部。1987(昭和62)年11月8日

建物は木造2階の看板建築のようにも見えるが、最初から外観どおりの建物として設計されたものだろう。縦長の窓が特徴で、角の正面に額縁のようなショーウインド、社名のレリーフ、トップに能面の飾りと、見所を集中させている。もう一つの見所は建物右側入り口の上の松ノ木のステンドグラス。けっこう力の入った建築である。



能楽書林、東面。1987(昭和62)年11月8日

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東日暮里
 ●柳通り沿いの民家/4―東日暮里4南交差点、民家(2008.06.27)
 ●吉村米店/4(2008.06.30)
 ●柳通り沿いの民家/4(2008.07.03)
 ●音無川曲流部の民家/4(2008.07.05)
 ●三和テント/1―猪瀬塗装工芸社(2009.05.05)
 ●ミノワ薬局/1―明治通り裏の民家(2009.05.07)

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千住
 ●金町屋/5(2012.07.08)
 ●ノックスジャッパン、佐野屋豆腐店/5(2012.07.10)
 ●足立珠算学校、大野商店/5(2012.07.12)
 ●西岡本家、安田精肉店/5(2012.07.13)
 ●板垣家住宅/5(2012.07.15)
 ●鈴木たばこ店、まるせん/5(2012.07.18)
 ●梅の湯中川屋/5(2012.07.20)
 ●かどや/5(2012.08.04)
 ●ハナビシ理容店、なかだ蔵/5(2012.08.05)
 ●ヤマダヤ洋品店蔵造りの家/5(2012.08.07)
 ●横山家住宅/5(2012.08.09)
 ●吉田絵馬屋/5(2012.08.11)
 ●旧石山商店八古屋/5(2012.08.13)
 ●鈴木質店/5(2012.08.15)
 ●金勝堂、竹沢フォット/4(2012.09.17)
 ●増英かまぼこ店、スナック白鳥/3(2012.09.18)
 ●石黒のあめ/3(2012.09.20)
 ●大橋眼科医院/3(2012.09.22)
 ●石鍋商店優文堂書店/3(2012.09.23)
 ●誠商会倉庫、熊倉産業/3(2012.09.28)

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岩井理髪店。千代田区西神田3-9。1988年(昭和63)年1月15日

手前の空き家の右に飯田橋の佳作座のポスターが張ってある。その映画館は3ヵ月後に閉館している。奥の赤いビルが労音会館だろう。


左:西神田3-9。1992(平成4)年5月4日、右:西神田3-5。1988(昭和63)年8月15日

同じ道路に向かいあっている看板建築。左写真のモルタルで洋風に仕上げた家がおもしろい。右写真の角の家は「文共堂ビル」。建物の左の入り口の上にその表記の小さなプレートを貼っている。銅張りの家の左は大阪ビル。



文共堂ビル。西神田3-5。1988(昭和63)年8月15日。上段右写真の建物の裏。

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タイル張り総三階建ての家。西神田3-6。1986(昭和61)年9月23日

堀留橋の通りにあった一見ビル風の家。スクラッチタイルが貼られている。写真中央の家の左側のガラス戸に「筆美」の字がある。Print ShopのFudemiだ。



1枚目と同じ家の玄関。1988(昭和63)8月15日。この構えはおそらくテーラーだったと思える。



五軒長屋。西神田3-6。1988(昭和63)年1月15日

すでに看板がなくなってどんな店が入っていたのか判らないが、住宅地図ではこの商店長屋に「木村製本」「ローライ堂」があった。この日、奥から2軒目の家の玄関前に着物姿の老婦人が椅子だか箱に腰掛けて水道橋西通りの方を見ていた。もしかして最後の住人?


2008.02.13追記
五軒長屋
1988(昭和63)年8月15日

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