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Masashi Hamauzu: The Sounds of Fantasy (Japanese) |
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ドイツ・ミュンヘンのご出身で、幼少期を過ごされたようですね。浜渦さんにとってドイツとはどんな国ですか。
生まれて一年ちょっとで日本に帰国したので当時の記憶はありません。しかし、両親からその間の印象的なことをたくさん聞いていましたし、生家は健在で7年前と4年前に訪れたときに自分の源を確認することができたことで、大切な故郷だと強く感じています。住んでみたいとも思ってます。
ドイツ語も話されますか。
残念ながらほとんど話せません。
ご幼少の頃に音楽に興味を持たれ、ご両親も音楽家ということで音楽をするには素晴らしい環境で過ごされたかと思いますが、音楽以外にも興味をもたれていたことはありますか。それとも、小さい頃から音楽と関わって仕事をしたいと思われていましたか。
音楽以外では絵を描くのが好きで、中学では美術部に入っていました。また音楽の仕事はとても大変だし、才能もなければできないものだと感じていたので、中学生の頃までは音楽以外の仕事をしたいと思っていました。
これまで音楽と強く結びついた人生を送られてきていらっしゃると思います。浜渦さんにとっての音楽の魅力とはなんですか。その他、音楽以外に魅力を感じていらっしゃることはありますか。例えば余暇はどのように過ごされるのがお好きですか。
自分にとって音楽は何か、はっきりは分かりません。ただ音楽はとても幾何学的、数学的な存在であり、解析すればするほど、音もそれを聴く人間も原子と原子の関係に過ぎないものだと普段感じています。しかしそれでも感情から音楽は生まれ、そして興奮したり涙したりすることができます。それを自由に操ることができる人間という生き物は神秘的で、それを実感するときはとても幸福な気持ちになります。失いがたいものであることは間違いないと思います。余暇は音楽から離れますが、自宅の本棚には日本国内の地図帳、北方少数民族のアイヌやウィルタの書籍が並んでいます。
お子様も何か音楽をなさっていますか。もし、そうであればお子様は自然と音楽に興味を持つようになりましたか、それとも浜渦さんから勧められることがありましたか。
娘が二人いますが、遊び程度でピアノをやっています。バイオリンも少しやらせていましたが、最近はやってないですね。最近、長女にFINAL FANTASY XIIIの「閃光」のサビを伴奏してやってバイオリンを弾かせたら、いい感じで弾いていました。耳は僕より遥かにいいですし、もったいないなと思いました。子供は案外忙しくて大変ですが、また続けてほしいなと言っています。いつか一緒に仕事がしたいなと思っています。
浜渦さんが幼少の頃からこれまでどのように音楽を学ばれたかについてお聞かせ願えますか。
子供の頃は父親の指導している合唱団に時々顔を出していたのと、ピアノを少し習っていた程度で、音楽家になるための勉強はきちんとしていなかったと思います。もっとしっかりやっておけばと思うことは多いですね。
ファイナルファンタジーシリーズの作曲は長年にわたり植松伸夫氏によって手掛けられていました。1996年のスクウェア・エニックス入社から十余年、いよいよ浜渦さんがファイナルファンタジーXIIIのコンポーザーを務められることになったときの心境を聞かせていただけますか。
高校の頃にゲーム音楽、とりわけRPGの作曲家になりたいという強い希望があったので、最高峰のRPGを担当できるということで大変感激でした。しかしゲーム音楽をとりまく環境も大きく予想と違っており、プレッシャーの方が大きかったです。
ファイナルファンタジーXIIIの作曲はいつ頃から始められましたか。また、完成までにはどれほどかかりましたか。
ゲームショーなどのイベント用には2006年、2007年に一曲ずつ書いた以外は、ほとんど2008年の秋からです。実働は一年くらいだと思います。
サントラの一部は平野義久氏のオーケストレーションにより、ワルシャワフィルハーモニーで収録されていますが、同行されてみてどのような印象や感想を持ちましたか。
私は平野さんには大きな信頼を寄せています。東欧のオーケストラは立体的なオーケストレーションが合うと思っていて、以前一緒にお仕事をしたことがあった平野さんの技術が合致すると思いました。コンサートホールで収録しましたが、二階の中央席で聴いたときは、あまりの出来の良さに他の席が空席なのがもったいないと思ったほどです。
スクウェア・エニックスではガンハザードに始まり、チョコボの不思議なダンジョン、サガフロンティア2、ファイナルファンタジーX、ダージュ オブ ケルベロス -ファイナルファンタジーVII-等、最近ではファイナルファンタジーXIIIの作曲を手掛けてこられていらっしゃいますね。この14年間で作曲への取り組み方など、どのような点に変化がありましたか。
作曲家として求められていることにどう応えるべきかという部分で一つの結論を持つことができるようになったと思います。自分にしかできない提案が持てるかどうかということが大切で、これは時として伝統を打ち破ることにもつながり、またどこまでリスナーやディレクターに受け入れてもらえるかとの闘いでもあるので大変です。それが徐々にスムーズにできるようになってきたというのは、自分にとって大きなことだと思っています。
具体的にファイナルファンタジーの作曲をどのように進められたのか教えて頂けますか。例えば、まずどのようなことから始められましたか。
2006年のPV曲を書いたのが最初の作業でした。その後二年ほどは、ほとんど作業はしていませんでした。本格的に稼働しはじめる頃に、まずモチーフのストックを作るようにしました。
ファイナルファンタジーの開発チームとはどのように連携を取っていましたか。
基本的にはディレクターの鳥山さんとのやりとりが中心でした。鳥山さんはゲームの全体を常に深く把握し、確実にディレクションしておられ、また音楽にも造詣が深いので、とにかくスムーズに作業が進められました。
『君がいるから』製作のために菅原紗由理さんと一緒に仕事をしてみていかがでしたか。
直接お会いして話したのは一度だけでした。私は大学で声楽を専攻していたので、彼女の声の豊かさに注目しました。そしてそれを引き出すのは自分より彼女のプロデューサー兼アレンジャーのSin氏だろうと思い、作業の多くをお任せしました。
ファイナルファンタジーXIII自体、ゲームとしての仕上がりはいかがですか。浜渦さんのお考えをお聞かせください。
映像、バトルシステムなど様々な要素が、これまでのRPGから大きく進化したものになったと思います。これだけの挑戦が伝統が重視されやすいFFシリーズにおいて見事に成立し、それらが調和したということは、大変な快挙だと思っています。
ファイナルファンタジーXIIIの楽曲の内、8曲が収録されたレコードが発売されたことはちょっとしたサプライズでもありました。このようなレコードはこれまでには発売されていなかったと思いますが、何か特別な意図があったのでしょうか。どのような経緯があったのか、具体的にお聞かせ願えますか。
スクウェア・エニックス社内スタッフの発案で、大変納得できた企画でした。レコードはボタン一つでスキップしたり途中再生することはできませんし、傷がつくと大きなノイズになります。音楽データが自由に扱えるようになった今、じっくりと聴くことができる繊細なものを産み出すのは大変意義があると感じました。
2007年にはスクウェア・エニックスからソロアルバムの『Vielen Dank』がリリースされていますが、このアルバムはどのようなモチベーションが基盤になって発売に至ったのですか。
当時、スクウェア・エニックスの社内スタッフからソロアルバムを作ってみないかと声をかけていただき、自分がソロアルバムを作るならこうなるだろうというのを追求し制作しました。自分の音楽性、ルーツ、当時の心情、ゲームやファンあっての自分など、自分の周りにあるものを全てとりいれたことで、自分の分身のようなアルバムになったと思います。
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