奪え、奥右筆の盾を!
権をめぐる暗闘の渦にいる併右衛門と衛悟。
定信の執念が、瑞紀との仲を引き裂くか!?
復権を狙う松平定信は、奥右筆潰しを画策。
しがない武家の次男柊衛悟に、ありえない新規召し抱えの話が。
併右衛門の一人娘瑞紀との婚約話は消滅してしまうのか。
筆を武器とする奥右筆の虚を衝かれた併右衛門に、幕府転覆を企てる闇の僧兵らも襲いかかる!
人気爆発シリーズ、波瀾の第九巻!<文庫書下ろし>
第九巻 『召抱 (めしかかえ)』
著者:上田秀人
定価:650円(税込)
第一巻 『密封 (みっぷう)』
江戸城の書類決裁に関わる奥右筆は幕政の闇にふれる。第二巻 『国禁 (こっきん)』
飢饉に苦しんだはずの津軽藩から異例の石高上げ願いが。密貿易か。第三巻 『侵蝕 (しんしょく)』
外様薩摩藩からの大奥女中お抱えの届出に、不審を抱いた併右衛門を第四巻 『継承 (けいしょう)』
神君家康の書付発見。駿府からの急報は、江戸城を震撼させた。第五巻 『簒奪 (さんだつ)』
将軍の父でありながら将軍位を望む一橋治済、復権を狙う松平定信。第六巻 『秘闘 (ひとう)』
奥右筆組頭を手駒にしたい定信に反発しつつも、将軍継嗣最大の謎、第七巻 『隠密 (おんみつ)』
一族との縁組を断り、ついに定信と敵対した併右衛門は将軍家斉が第八巻 『刃傷 (にんじょう)』
江戸城中で伊賀者の刺客に斬りつけられた併右衛門は、受けた脇差の鞘が割れ、上田秀人(うえだ・ひでと)
1959年大阪府生まれ。大阪歯科大学卒。
’97年小説CLUB新人賞佳作。歴史知識に裏打ちされた骨太の作風で注目を集める。著作に「織江緋之介見参」「お髷番承り候」(徳間文庫)、「勘定吟味役異聞」(光文社文庫)、「闕所物奉行裏帳合」(中公文庫)、「妾屋昼兵衛女帳面」(幻冬舎時代小説文庫)などのシリーズがある。また『孤闘 立花宗茂』(中央公論新社)で第16回中山義秀文学賞を受賞、講談社創業100周年書き下ろし作品『天主信長 我こそ天下なり』(講談社)も大胆な解釈で評判に。
講談社文庫では、「奥右筆秘帳」シリーズが抜群の読み応えと好評を博し、「この文庫書き下ろし時代小説がすごい!」(宝島社)でもベストシリーズ第一位に輝いた。府下で歯科医院を開業する歯科医でもある。
――そもそも小説を書こうと思いたったきっかけは。
子どもたちが大きくなって、なにか形になるものを見せたくなったんですね。お父ちゃんが歯医者やからといっても、仕事はみせられない。治療に来られた患者さんに口を開けてもらって、「この入れ歯、お父ちゃんがつくったんやで。よくできてるやろ」というわけにもいかないし(笑)。小説だったらなんとかなるんじゃないか、といま考えてみてもすごく甘い考えで、この世界に入ってしまいましたね(笑)。
――いまはそのお子さんも熱心な読者に。
熱心なのは長男ですね。「お父ちゃん、これ一冊で二百人も殺してるで。やりすぎやで」とか「今回は二十六人か、少ないな〜」とかね(笑)。
いまでは強力な外部記憶装置になってくれていて、脇役の名前など尋ねたら、すぐに答を返してくれます。
――「奥右筆秘帳」では「文」と「武」、二人が主役なのが「奥右筆秘帳」の特徴です。老練な奥右筆組頭の立花併右衛門と若い剣士柊衛悟が、補完しながら物語が進んでいきます。
おんなじ主人公側といっても、互いの思惑はまったく違っているんですね。かといって敵に狙われる命がけの状況で、足を引っ張りあうわけにはいかない。協力するうちに人らしい交流が生まれ、ストーリーにも反映してきました。
――衛悟は貧乏旗本の次男坊、厄介叔父という立場にあります。上田さんの作品には、武家特有の考え方が反映されていますね。
家という言葉は、今ではマイホーム、建物の意味になっちゃうんです。一生かかってローンを払っても家を建てることが男の夢とかいうふうに。江戸時代には、藩主や将軍に命じられたら移らないといけません。建物に対する愛着がないかわりに、命がけで家名にこだわるのが武家の矜持であり存在意義でもあるわけです。江戸時代といまのいちばんの差だと思うんです。いくら現代人の感覚に引きつけて時代小説を書くといっても、そこははっきりさせておかないと。だから衛悟は、そこの部分を体現させる存在として使っています。
――時代とともに、われわれが変わっていった、失っていったところかもしれませんね。
そうですね。日曜日に仕事に疲れたおとっつあんが寝転んでいても、奥さんからは「掃除機かけるのに邪魔や」と罵られるのがオチですからね。家長の意味がすっかり変わっています。
時代小説を楽しんでくださるのは、われわれと同世代から上のかたが多いと思うんですよ。日本のいちばんの繁栄を支えてきたときの現役サラリーマンじゃないですか。家庭も顧みずに働いて。そして気がついたら「きみ、六十になったからもういいよ」と言われ、誇りごと失ってしまう。いざ自分の建てた家に帰ってみると、すでに居場所がない。だからせめて物語の中だけでも家長、父権というものを大事にしてきた時代を思っていただけたらな、というのも、すこしばかりあるんですね。
一方で人の欲を体現するキャラクターも必ず、ぼくの場合、出すようにしてます。ちょっとでも出世したい、いいもん着たい、いいもん食べたい、そういう人間らしい欲の部分ですね。
「奥右筆秘帳」の場合は、併右衛門にそれを担わせてます。一人娘にいい家を遺してやりたい。そのために頑張るところもわざと入れています。併右衛門は奥右筆組頭からもう一つ上を狙える位置にいます。お広敷の用人とか、西の丸の留守居役とか。旗本としては上がり役ですが、将軍と直接口をきくことが許される立場です。そこまで上がっておけば、後を継いだ者も、いきなり無役の小普請からということはないですから。彼はそこを目指しているんです。だから娘の婿にも相応の家格を望んでいる。
――実在の人物を登場させる面白さとは何でしょう?「奥右筆」でめだつのは何十人も子をなした将軍家斉でしょうか。聡明かつ孤独な人物として描かれています。
大奥に妻妾が何十人もいて、子も五十数人。オットセイ将軍などと揶揄されたりしていますが、でもそれが本当の姿だったのか。おそらく彼は鬱憤を晴らす場所が大奥にしかなかったのかもしれない。頭の回る人間ならば、自分が飾りであると気づくのは早いだろう、考えを実現してくれる者として、松平定信と気脈を通じていてもおかしくない、そういうふうに考えていったんですね。
たくさん子をつくったおかげで、それまで徳川の親戚でなかった大名たちに子女を無理矢理押し付けることになりますが、じつは緩んでいた徳川体制を一度引き締める効果もあったと考えられるんですよ。
家斉がいなければ、黒船が来た段階で、幕府は雪崩を打って潰れていたかもしれない。名君とは言えないけれど、徳川幕府を一代か二代、延命させた立役者なのかもしれません。
――「奥右筆秘帳」を楽しむにはやはり第一巻の『密封』からですか。
いやデビュー作から全部読んでください(笑)。もちろん『密封』から読んでいただけると奥右筆のことなどよくわかると思うのですが、一応どの巻からでも楽しんでいただけるように書いています。
「奥右筆」では特に、ほとんどのキャラクターがもう勝手に動いてくれますね。書いてるときにも、それまで頭の中になかった人物がパッと浮かんでくるときがあるんです。ここでおれ、出たほうがいいんじゃない?などと囁いてくれたりして(笑)。
(「IN・POCKET」2010年6月号より抜粋)