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2010-05-31
宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
『スーパーマリオブラザーズ』
(任天堂 1985年 ファミコン)
「任天堂」は、今や世界有数の優良企業である。
現代の安定志向の若者たちにとって、任天堂への就職は「勝ち組」を意味するようだ。
就職運動をしている学生が集うスレッドには、そんな任天堂の情報が流れている。
「俺、筑波だったけど、任天堂の二次選考落ちた」
「マジかよ、筑波でもダメなのかよ」
このような大企業ゆえの学歴偏重志向を気にしているのが、任天堂の代表取締役専務である宮本茂だ。
宮本茂は「ゲーム作りに学歴は関係ない」という持論を常々語っている。
宮本茂:
(ゲームの)プランナー(企画担当者)ってほとんど学歴は関係ないですからね。
だから逆に、僕は専門学校からプログラマーを目指すほうが厳しいかなぁと思いますけどね。
物理とか数IIIとか、ま、数IIIまでとはいわないけれども、数IIぐらいまではちゃんとやったとか、
物理をちょっとわかっていないとプログラムか組めないってことが多くなる。
そういう意味では、専門学校というのは、プログラマーを目指すには厳しいと思いますけどね。
プランナーは別に中卒でもほんとうにやれる子はやれる。
武田亨
では、プランナーになるための最低のハードルというのは、宮本さんはどういう部分においているんですか?
宮本茂
基本的には全部にです。
うちはプランナーは取らないんで、デザイナーかプログラマーがプランナーを担当してますね。
一緒に仕事をしているなかで、企画に向いていたら企画のほうに移していく。
だから、いまプランナーをやっているのは、プログラマー系の人とデザイナー系の人と半々ぐらいですね。
もちろん、例外はある。
チュンソフトの中村光一は、高校時代から天才プログラマーと名を知られ、大学二年でみずから会社を立ち上げている。
デザイナーでもプログラマーでもない、糸井重里の企画による「マザー」シリーズには、宮本も大きく関わっている(なお、糸井重里の学歴は法政大学中退)
しかし、外部提携があったとしても、宮本茂のチームには、基本的に「プログラマー」と「デザイナー」、そして上記インタビューでは言及していないが「サウンド担当者」の三種類しかいない。
それで、全年齢を対象とした、世界を相手にするゲームが作れると、彼は確信している。
そんな宮本茂にとって「ゲーム作りに必要なセンス」とはなにか?
今回は、世界でもっとも売れたゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」の制作過程を通じて、その秘密を探ることにしよう。
宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
『ファミリーコンピュータ』
(任天堂)
1983年7月15日、任天堂は「ファミリーコンピュータ」の発売を開始した。
14,800円という価格設定は、当時としては破格の安価だった。
本体およびゲームソフトの大量供給なしには黒字化できない価格であったのだ。
その発売日から、年末まで、任天堂は続けざまにゲームソフトを発売した。
1983年に発売されたゲームソフト9本のラインアップを見れば、その戦略がうかがえる。
発売日(1983年) | タイトル | アーケード稼働年 |
7月15日 | ドンキーコング | 1981年 |
7月15日 | ドンキーコングJr. | 1982年 |
7月15日 | ポパイ | 1982年 |
8月27日 | 五目ならべ 連珠 | ーー |
8月27日 | 麻雀 | 1984年 |
9月9日 | マリオブラザーズ | 1983年 |
11月22日 | ポパイの英語遊び | ーー |
12月7日 | ベースボール | 1984年 |
12月12日 | ドンキーコングJrの算数遊び | ーー |
ゲームセンターで稼働している人気作はもちろんのこと、実質的購入者である親を意識して、教育ソフトやテーブルゲームを用意した任天堂の周到さがうかがえる。
翌1984年には、ハドソンとナムコというサードパーティーからのソフトも発売されるようになり、ファミコンは家庭用ゲーム機シェア一位を確保。
ファミコンは、どんどん一般家庭に浸透することになる。
開発部の宮本茂にとって、1983年は目の回るような忙しさだった。
ファミコンの仕様を決定しただけではなく、アーケード移植作業を複数のソフト掛け持ちで行っていた。
当時、彼は30歳だったが、「マリオ」の生みの親であるという実績は、他の社員を従わせるだけの説得力を持っていた。
*
さて、1983年に発売されたソフトの中で話題を集めたのが、「マリオブラザーズ」や「ベースボール」という、対戦型ゲームだった。
『マリオブラザーズ』
(任天堂 1983年 FC)
『ベースボール』
(任天堂 1983年 FC)
兄弟や友人たちと、これらのゲームがいつでもプレイできることがセールスポイントとなり、家庭に「ファミコン」を購入させるきっかけとなったのだ。
任天堂では、「対戦ゲーム」を強化するべく、1984年には「任天堂VS.システム」というアーケード基板を開発。
ゲームセンターでも「対戦」型ゲームが流行すれば、「ファミコン」の売上にもつながると考えられていた。
しかし、1984年、宮本茂は「対戦」型ゲームに特化する方向性に危惧を抱いていた。
そして、その危惧は、あるアーケードゲームを見たときに、確信に変わる。
そのゲームとは、1984年8月に稼働を開始した、ナムコの横スクロールアクション「パックランド」である。
・『パックランド』(ナムコ1984年アーケード)プレイ動画 ー Youtube
まるでアニメのような美麗なグラフィックは、ファミコンの機能では実現不可能な描画であった。
そして、街や森を探索するというアスレチックというゲーム性。
ゲームの常識だった「背景が黒」という概念をやぶった、空色の背景がもたらすオープンなゲーム画面。
「パックランド」というゲームは、宮本茂には脅威的であり、衝撃的であった。
彼はこう決意するに至る。
「パックランド」に勝るゲームを作らなければ、ファミコンの未来はない、と。
※「パックランド」は、1985年にファミコンに移植されたが、アーケード版のクオリティは再現できていない。
以下、1984年に稼働開始したアーケード版の「パックランド」ゲーム画面を紹介する。
擬人化されたパックマンが主人公
街や森、砂漠をステージにしたアクション
ROUND3はアスレチック面
『パックマン』でおなじみの「パワーエサ」も
「風船」などの隠し要素も満載
ROUND4ごとに家に帰ることでクリア
背景色の変更という演出にも成功
夕方や夜、という時間経過が画面に彩りを添える
『パックランド』(ナムコ 1984年 アーケード)
*
1983年までに宮本茂が関わっていたゲームは、すべて「画面固定型アクションゲーム」である。
ただ、ファミコンには「画面スクロール」できる機能はそなえていた。
アーケードゲームで、この「画面スクロール」を表現した初期作品が、1981年に発表されたコナミの「スクランブル」である。
・『スクランブル』(コナミ1981年アーケード)プレイ動画 ー Youtube
後の「グラディウス」のもととなった、この「スクランブル」は、ゲーム世界に無限の広がりがあることを知らしめた。
宮本は1981年の「ドンキーコング」にて、「スクランブル」と同じ、スクロール型アクションを試みようとした。
だが、その筐体の仕様や、急場しのぎであった開発時間では不可能だった。
以降、宮本はずっと「スクロール型アクション」の可能性を探っていたのである。
84年11月、アーケード版「パックランド」稼働から遅れること三ヶ月、宮本がディレクターを務めたレースゲーム「エキサイトバイク」が発売される。
・『エキサイトバイク』(任天堂1984年FC)スーパープレイ ー Youtube
二種類のアクセルにより、操作になれればなれるほど爽快感が味わえる「エキサイトバイク」は、宮本の理想とするゲーム哲学が反映された作品のひとつだ。
彼はこのゲーム制作を通じて、スクロールアクションの面白さを表現できたと自負した。
その経験をもとに、「パックランド」に勝るゲームを開発しようと試みたのである。
*
宮本茂は「パックランド」を徹底的に研究した。
グラフィックの美麗さは、ファミコンの仕様では実現不可能だ。
ファミコンは、当時の技術からは「時代遅れ」となっていたのである。
だが、それは家庭用ゲーム機であるかぎり、避けることができないことだった。
「時代遅れ」のファミコンでも「ゲームの本質的な面白さ」では、勝負ができるはずだ。
宮本茂は、「パックランド」の欠点を次のように分析した。
『パックランド』の操作案内パネル
上下左右レバーはなく
三つのボタンのみで操作する
(1)ボタン連打による移動は面倒である
「パックランド」は上下左右レバーではなく、ボタン連打で移動のスピードを調整するという操作方法をとっていた。
緩急のついたアクション性を、ボタン連打という手法で実装していたのだ。
しかし、宮本にとっては、ボタン連打はプレイヤーの負担になると感じた。
移動にボタン連打を要することになると、他の操作を行うことができない。
例えば、遠距離攻撃という手段を行うことはできなくなる。
それならば、上下左右キーとは別に、ターボボタンのような「ダッシュボタン」を設定すればよいと考えた。
ダッシュボタンでも、「パックランド」に匹敵する緩急のあるアクションゲームは可能であると、「エキサイトバイク」の経験から宮本は判断した。
『パックランド』のラウンドクリアは
「BREAKE TIME」(休憩)と位置づけられている
(2)ステージクリアの達成感が足りない
「パックランド」のステージ(ラウンド)は、教会が見えた地点で終わる。
その演出が宮本には「あっけなさすぎる」と感じた。
ステージクリアには、もっとわかりやすい目印がないと達成感が得られないはずだ。
それは教会よりも目立たなければならない。
階段のように、ジャンプという操作を要するものであれば、なお良い。
そして、プレイヤーがステージクリアの余韻にひたれるぐらいの演出が必要であると、彼は考えた。
『パックマン』でおなじみのモンスターが
『パックランド』にも登場する
(3)敵の種類に新鮮味がない
「パックランド」の敵キャラは、「パックマン」に登場した4種類+1種類しか登場しない。
バスや飛行機、さらにはUFOに乗るなど、その行動パターンは多彩であったが、宮本には目新しさが感じられなかった。
同じキャラの使い回しは「さらなるステージを目指す動機にはなりにくい」と判断した。
宮本の理想とする「何度もプレイしたくなるゲーム」となるためには、新しい敵キャラがいなければならないはずだ。
ステージを経たあとに登場する新キャラは、プレイヤにさらなる驚きと、クリアへの意欲をもたらすことができるだろう。
プレイヤが飽きてしまうような、敵出現パターンは避けなければならないと、彼は考えた。
ROUND3をクリアすると獲得できる
「妖精の靴」は多段ジャンプを可能にする
(4)パワーアップの見栄えが足りない
「パックランド」には、敵キャラが落とす「子モンスター」を防ぐ「ヘルメット」や、多段ジャンプができる「妖精の靴」というアイテムがあるが、どちらも操作キャラに大幅な外見の変化をもたらすことはない。
宮本はパワーアップには「身長が倍になる」「色が変わる」ぐらいの、誰が見てもわかるぐらいの変化がなければならないと考えた。
わかりやすい外見の変化とそれに似合う効果があれば、パワーアップアイテムを取るべく、プレイヤは努めるのではないだろうか、と。
『パックマン』でも出てきた
「パワーエサ」を取ると無敵状態に
(5)攻撃手段が乏しい
「パックランド」には、「パックマン」でおなじみの「パワーエサ」が用意されている。
このアイテムを取れば、一定期間、敵モンスターはイジケ状態となって、「食べる」ことができる。
いわば、「パワーエサ」は無敵アイテムなのだ。
しかし、「パックランド」では、「パワーエサ」以外に、プレイヤに攻撃手段は用意されていない。
敵がたえまなく遠距離攻撃をしてきても、こちらに反撃することはできない。
それでは、ストレスがたまる一方ではないか。
できれば、近距離攻撃と遠距離攻撃の二種類があった方が良い。
攻撃手段の多様性は、そのまま、ゲームの面白さの多様性につながるはずである、と。
こうして、一つ一つ「パックランド」の「弱点」を分析することで、宮本には新しいゲーム像が見えてきた。
同じ横スクロールの野外アスレチックアクションでありながらも、「パックランド」に勝る面白さを備えたゲーム。
それは、ファミコンでも実現可能であると、彼は結論づけた。
そして、宮本は開発チームに断言する。
「新しいゲームは、パックランドと同じ、8×4の32ステージなければならない」
これには開発者は大いに反発した。
32ステージともなれば、クリアには1時間以上を要する。そこまで人間の集中力が持続するはずがない。
ステージ数の多さは、プレイヤーの意欲を損なう結果になるだけではないかと。
宮本は強弁する。クリアするために、32ステージをすべて通過する必要はない。
たとえば、ワープゾーンを作ることで、クリア自体はその四分の一の8ステージクリアで可能とする。
開発スタッフは言う。ならば、5×4の20ステージで良いではないか、と。
それでも、宮本はかたくなに32ステージにこだわった。
「パックランド」に勝つためには、全32ステージでなければならない、という理由だけで。
そんな宮本の主張のおかげで、新作プロジェクトは予定よりも大幅に遅れることになる。
*
宮本茂は急ぐことはないと考えた。焦ったところで、ファミコンの仕様は変わらない。
日進月歩で進化するアーケード基板よりも「面白さ」で勝るためには、様々な試行錯誤を経なければならないはずである、と。
しかし、会社は待ってくれなかった。宮本はあくまでも、任天堂の社員にすぎないのだ。
そこで、彼はあるアーケードゲームの移植を担当することになる。
アイレムが1984年に発表していた「スパルタンX」というゲームだった。
・『スパルタンX』(アイレム1984年アーケード)プレイ動画 ー Youtube
グラフィック仕様で劣るファミコンで、この横スクロールアクションをどのように移植するか。
宮本茂の掲げた目標は、「わかりやすさ」と「爽快感」というものだった。
ゲームのキャラクターを写実的にする必要はない。それよりも、手になじむ操作性を追求したほうがいい。
敵をまとめて倒す爽快感に、宮本は徹底的にこだわった。
また、ゲームの背景色は、あえて「青色」にこだわった。
それまで、ゲームの背景が黒だったのは、何よりも「わかりやすい」からである。
少ない色数でも、黒の背景色ならば、見ばえがいい。
しかし、今後のゲーム展開を考えるうえで、背景色のバリエーションは豊かにならなければならない。
背景が黒でなくても「わかりやすい」ゲームを、宮本は「スパルタンX」で目指した。
「スパルタンX」は、任天堂にしては非常に珍しい他社アーケードの移植作であったが、結果は成功する。
一見すれば、そのゲーム性は同じように映るだろう。だが、実際にプレイしてみれば、その操作性が大きく異なることに気づくはずだ。
・『スパルタンX』(任天堂1985年FC) ー Youtube
「スパルタンX」は原作のアーケードゲームを知らないユーザにも支持された。
宮本はみずからのアクションゲームのコンセプトデザインに自信を深めた。
そして、その三ヶ月後、ついに、全32ステージという、当時からすれば途方もないスケールの、ファミコン「オリジナル」ゲームが発売されることになった。
*
1985年9月13日、「スーパーマリオブラザーズ」は発売された。
全32面の多彩なステージによるゲーム画面は、プレイする者だけではなく、雑誌で画像を見ただけの者をもひきつけた。
基本となる地上ステージ
地下ステージ
アスレチックワールド
海の中
雲の上
夜の野外ステージ
そして、ボスが待ち受ける城
やがて、攻略情報が流布し、ワープゾーンを使えば、8ステージだけを通過すれば、ゲームクリアすることができる事実が広まった。
しかし「スーパーマリオブラザーズ」はクリアするだけで満たされるゲームではなかった。
それぞれのステージには、様々な仕掛けがあった。コインをすべて取るためにはどうするか。より早いタイムでゴールするにはどの経路を通ればいいか。
面白さの多様性が、このゲームにはあったのだ。
クリア画面を見ただけで、「スーパーマリオブラザーズ」の魅力は語ることはできない。
それは、最終面の難易度を高くして、限られた者しかエンディングを見ることができない、これまでのゲーム性とは異なっていた。
「スーパーマリオブラザーズ」は、難しさの多様性を実現することができたのだ。
中には、こんなことを言う者もいた。
「なぜ、フラワーをとれば、ファイアーマリオになるのか?」
「なぜ、ドクロの旗をジャンプして降ろす必要があるのか?」
「なぜ、水中キャラのゲッソーが空中浮遊しているのか?」
などなど。
宮本はこう応えるだろう。
ゲームにとって、重要なのは「わかりやすさ」と「親しみやすさ」と「意外性」である。
こちらがルールに則っているならば、プレイする子供たちも、ゲームの楽しさの中で、自然とそれらのルールを覚えてくれるはずだ。
何よりも、ゲームに欠かせないのは、操作キャラの動きに共感できることである。
プレイしたあとも、夢の中で、そのゲーム世界が出てくるような。
彼はそんな世界を「スーパーマリオブラザーズ」で実現したのだ。
・『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂1985年FC)全面クリア動画 ー ニコニコ動画
*
『Nintendo Entertainment System』
(NES)
1985年は「ファミコン」が世界進出を果たした年である。
北米では「アタリショック」という現象が吹き荒れていた。
1982年、「アタリ」社のテレビゲーム「Atari 2600」は、北米で1400万台というシェアを獲得していた。
しかし、サードパーティだけでなく、アタリ社自身による質の悪いゲームソフトの乱発が、ユーザーの不信感をあおり、買い控えを招くことになった。
1982年のクリスマス商戦にて「Atari 2600」関連商品は、セールスに失敗。過剰在庫が発生する。
これにより、ゲーム業界は市場崩壊を果たし、多くの会社が再起不能なほどの損失を被った。
そんなテレビゲーム氷河期に「ファミコン」は進出した。
「Nintendo Entertainment System」(略称「NES」)と名づけられた、世界向けハードは、名称と外見こそ違え、機能は「ファミコン」と同じだった。
この「NES」には、やがて、「スーパーマリオブラザーズ」が同封されることになる。
「NES」、そして「NINTENDO」という名は、「スーパーマリオブラザーズ」というキラーソフトとともに、世界中を席巻する。
やがて、任天堂は、世界一のシェアをほこるゲーム会社として君臨することになったのだ。
現在、この「スーパーマリオ」をプレイした世代が、30代・40代という、社会に影響を与える年齢になっている。
彼らは日本のゲームに影響を受けたことを広言し、その魅力を仲間たちと共感しようと努めている。
「ジャパンブーム」をもたらしたのは、この「スーパーマリオ」が大きな要因の一つであった。
そんな彼らは、日本のゲームが主流となるきっかけとなった「スーパーマリオ」というゲームを作った宮本茂のことを知りたがった。
しかし、彼はきわめて単純な動機で、このゲームを作ったのだ。
宮本茂は、「スーパーマリオブラザーズ」の世界的ヒットは「予想外」であったと語る。
彼の目には世界市場は見えていなかった。
ただ、彼は1984年にアーケード稼働した「パックランド」で受けた衝撃に勝るものを、ファミコンオリジナルソフトとして作りたいだけだったのだ。
そんな彼一個人の感性が、世界に認められただけのことである。
自分の感性を貫くことは難しい。
「スーパーマリオ」のコンセプトに、開発スタッフは何度も反発することになった。
そのために「スパルタンX」の移植作業をすることにもなった。
ただ、それらの経験を糧に替えて、宮本は自分の感性が信じるゲームを作り上げたのだ。
ファミリコンピュータ
ディスクシステム
(1986年)
そして、宮本は「スーパーマリオ」の成功に安住することは許されなかった。
任天堂は「ファミコン」の限界を乗りこえるべく、新たなハードを制作していたからである。
そのハードの名は「ディスクシステム」
1986年2月に発売される、その「ディスクシステム」の第一弾ソフトを作るべく、宮本茂はプロジェクトを立ち上げていた。
それは「スーパーマリオ」の二番煎じではない。
彼は、そこで、まったく新しいゲームを作ろうとしていた。
・宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
☞宮本茂のゲーム哲学(3) RPGブームに対する二つの回答「ゼルダ」と「リンク」(更新日未定)
☞堀井雄二のゲームデザイン(1) 最初だからこそできた「最大の禁じ手」
【関連動画】
選手名が設定されておらず、バッターの左右もランダムという、現在の「パワプロ」に比べれば、あまりにも貧弱なゲーム性である「ベースボール」。
しかし、当時としては画期的だったのだろう、なんと235万本もの売上を記録している。
ファミコン移植は「スーパーマリオブラザーズ」に二ヶ月遅れてしまった「パックランド」
アーケード版の美麗なグラフィックは再現することはできなかったため、ファミコンユーザには見向きもされず、その売上は低迷した。
ナムコならではの隠し要素が満載であったこの「パックランド」を、「ロースコア人」としてニコ動では有名なプレイヤが、丁寧に解説している。
あまりにも上手なので、「パックランド」の操作性が、あまり伝わっていないのだけれども。
ファミコン版「スパルタンX」(任天堂 1985年)については、「ファミコンロッキー」というマンガで「24周目にヒロインが襲ってくる」という裏技(デマ)が紹介され、話題を呼んだ。
その検証動画であるが、目を見張るのは、24周するための「もっとも安全な」攻略方法の徹底ぶり。
TAS動画ではわからない、プレイヤレベルの高さがうかがえる内容である。
上の動画と同じ作成者による、「スーパーマリオブラザーズ」の裏技紹介。
注目すべきは、後半の「コインなしクリア」だろう。紹介した裏技をふんだんに生かして、コインを一枚も取らずにクリアすることに成功している。
【参考書籍】
- 作者: 武田亨
- 出版社/メーカー: ティーツー出版
- 発売日: 2000/02
- メディア: 単行本
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