2009-01-21
■[日々] 登美彦氏、ぬくまる。
登美彦氏の小型化した娘は、その小ささにものを言わせ、日本全国津津浦々へもぐりこもうとしているらしい。
「警戒せよ。知らぬうちに書棚にもぐりこまれている危険がある!」
登美彦氏は警告している。
そして、さらにこう言っている。
「増刷御礼」
ところでお話変わって。
登美彦氏はつねづね、仕事中に下半身が寒いと思っていた。
だからこそ、椅子の上に足を引っ張りあげたりした。
椅子の上に体育座りをしてキーボードを叩く姿は、怠け者のE.T.のように見えたという。
しかし今や、登美彦氏は下半身の寒さに震えることはない。
誕生日プレゼントとして、妹が「あったかい布」をくれたからである。
兄が三十路街道を無事歩き通せるように、
彼女はその「あったかい布」をもたらした。
これが妹の愛である。
その「あったかい布」は、あまりにもあったかい。
したがって登美彦氏は、その布にくるまってみたりすることも厭わない。
そしてソファに座ってジッとしてみる。
そうすると療養中の患者に見える。
「お兄ちゃん、誕生日プレゼント買ったげる。なにがほしい?」
「英国の療養中の患者がつかっているような布」
「なにそれ?」
「シャーロック・ホームズが療養中にかぶってたみたいなやつ」
「ふうん」
そういうやりとりがあった。
だから、しょうがない。
「療養!療養!」
登美彦氏はそう言いながら、あったかい布にくるまり、毛玉の出てくるお話を書いている。
「ありがとう、妹よ!」
2009-01-09
■[日々] 登美彦氏、「あぶう」と言う。
森見登美彦氏は「あぶう!」と言ってみた。
日誌を更新するためである。
なぜかというと、いつまでもいつまでも、
「結婚した」
という日誌がてっぺんにあるのが照れくさい。
そして、たいへん大勢の人が祝ったり呪ったりしてくれるのが、
なんだか照れくさいぢゃないか。
「祝ったり呪ったりしてくれる方々、ありがとう!」
登美彦氏は言っている。「ごきげんよう!」
ちなみに、偉大なる万城目学氏が登美彦氏に語ったところによると、
「自分の妻についてあれこれ書くなんて、そんなことはできない」
ということである。
「森見さんだって書かないでしょう。書かないですよね?書かないでしょう?」
と万城目氏は念を押すのであった。
しかし、
「書かないでしょう?」
と言われると、
書きたくなるのが人情だ。
なにしろ登美彦氏は、
頭から尻まで「竹」のことしか書いてない本を書いた。
頭から尻まで「妻」のことしか書いてない本を書くことも、理論的には可能である。
頭から尻まで「竹」と「妻」のことしか書いてない本を書くことさえ可能だ。
しかし「竹」ですら誰が読んでくれるか分からない冒険だった。
「妻」となると大冒険である。
そんなことはお天道様が許しても、出版社が許さない。
したがって賢明なる登美彦氏は、
「できるだけ家庭を仕事に持ち込まない主義でいく」
と述べている。
とはいえ。
登美彦氏は幸せになるためには、結婚さえ厭わない男である。
つまり、特定の主義にこだわらない主義である。
「一寸先は闇です」
登美彦氏は言っている。
2009-01-06
■[日々] 登美彦氏、かぐや姫を迎える。
竹林はざわざわと揺れ続けている。
締切次郎は、登美彦氏のズボンの裾を引っ張っている。
「お願いします!『太郎』は、マジでやばい」
「ええい、かまわぬ。知ったことか!」
「太郎が来たら、それこそ何もかも、容赦なく締め切られてしまうのですよ。僕なんざあ、かなわねえ」
「じょうとうだ。太郎を呼び出して、おまえを蹴散らしてやる」
「分かんない人ですね!」
竹を切る腕におぼえあり。
登美彦氏はギコギコやりだした。
竹から発する橙色の光の中で、細かい切り屑がふわふわと舞った。
半ばまで切ったところで、どこからか「人生の柱時計」が時を告げる音が聞こえた。
ぼーんぼーんぼーんぼーん…
えんえんと響いて鳴りやまず、ついに三十回を数えた。
「おや!」
登美彦氏は手を止めた。
「どうやら俺は三十路に入ったらしいぞ」
「これであなたも青春を失った」
「なんのこれしき、まだまだ!」
登美彦氏はさらにノコギリを動かす。
光り輝く竹から現れたのは、一人の女人であった。
たいへん小さい。
招き猫ぐらいである。
猫に似ている。
しかし招き猫よりは、奥ゆかしい感じである。
彼女はぺこりと頭を下げた。「こんにちは」
「これはどうも、こんにちは。あなたはずいぶん小さいですね!」
登美彦氏は言った。「奇遇です。つい最近、娘が小型化したばかり」
「あら、もうお子さんが?」
「いや。独身です。独身貴族です」
「では娘さんというのは?」
「それは本です。私の書いた本です」
「ではあなたは、いわゆる『小説家』という種族?」
「小説家モドキかもしれませんが。それで、あなたはだれ?」
「かぐや姫モドキです」
「かぐや姫ではないわけですか」
「残念ですけど、そうなのです。でも月から来ました。これはほんとう」
「じゃあ、月に帰らんといかんわけだ」
「べつに」
「そうなんですか?」
「ええ、帰っても帰らなくっても」
「ではいかがです、お嬢さん、ワタクシめと散歩などは?地球の都を案内して進ぜましょう」
「宜しくお願い致します」
というわけで。
登美彦氏はかぐや姫モドキを連れて、京都の町をくるくる歩いた。
かぐや姫モドキは地球の景色にまだ慣れないのか、街角の喫茶店をじいっと覗き込んで通行人に怪しまれたり、猫の子を追いかけて車に轢かれそうになったりして目が離せないものの、おおむね上機嫌でふわふわしていた。
「なるほど、これがこの星の都ですか!」
「そうです。スバらしいでしょう」
「五条通というものはとても広いものですね」
登美彦氏は上機嫌である。
街角のポストや電柱に隠れながら、締切次郎がついてきた。
「おい、こら!」
登美彦氏は振り向いて締切次郎を叱った。「いつまでついてくる?」
「そんな意地悪を言うものではありません」
かぐや姫モドキは言った。「ほら、あんなにつぶらな瞳をして。よっぽどあなたのことが好きなんだわ」
「そんなわけがあるものですか。あなたはまだ地球のことをご存じないからな…」
「おいで、おいで」
締切次郎はぽてぽてと走ってきて、かぐや姫モドキに抱き上げられた。
そして忌々しい頬をふくらませた。
「そいつを甘やかしても、ろくなことはないですよ」
登美彦氏は先に立ってずんずん歩いた。
「あんなこと言ってる」
かぐや姫モドキは抱いた締切次郎にぷつぷつ言った。「本当は好きなくせに」
登美彦氏はムッとして振り向いた。
「なんでそんなことが分かるんです」
「だって分かるんですもん」
「ふん。ちがうというのに」
「うふふ」
登美彦氏がふたたび歩きだすと、かぐや姫モドキはとことこと追いかけてきた。
二人はぷらぷらと西洞院通を歩いていく。
登美彦氏はそこで「独身貴族を辞任しよう!」と思い立った。
「なにしろ俺の人生の古時計は三十年を刻んだのだし、しかも竹林でかぐや姫モドキを見つけてしまった。彼女を地球に迎え入れた責任というものがある。ここはひとつ、思い切ってやってみるべきではなかろうか」
そこで登美彦氏は「しかし」と迷う。
「相手は了解してくれるだろうか?」
「結婚しますか?」
「結婚って何です」
「あれです。夫婦ということになって、一緒に暮らすというやつ」
「ううん、どうかしらん?」
「ときどき、ベーコンエッグを作ってあげます。玉子ごはんも」
「うーん」
「酒も飲ませる」
「それはたいへんいい感じ。月には帰らなくたってよいのだし、月にはお酒がない」
「それなら結婚しますか?」
「あい」
「どうします?僕は『こんな飯が喰えるか!』とちゃぶ台をひっくり返すかもしれない」
「ドメスティック・バイオレンス!それなら、ちゃぶ台は接着剤で床にくっつけておきます」
「なるほど。それなら安心だ」
というわけで読者諸賢に御報告である。
森見登美彦氏は、二○○九年一月六日(生誕三十周年記念祭日)をもって独身貴族の地位を引責辞任し、ひよこ豆のように小さな嫁を迎え、ひよこ豆のように小さな家庭を作ることになった。
『太陽の塔』で登美彦氏を発見した古株の読者は登美彦氏を「裏切り者」と呼び、『夜は短し歩けよ乙女』によってたぶらかした麗しき乙女たちもそっぽを向くかもしれない。「登美彦氏の嫁になり隊」の人たちもサヨウナラ。そうなると、誰よりも哀しむのは出版社である。出版社の涙に濡れた道を、登美彦氏はてくてく歩いていく。そのかわり、もはや一人ではない。
最後に登美彦氏の言葉を伝えて、この報告を終わる。
「抜け駆け御免。ご意見無用」
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2009-01-05
■[日々] 登美彦氏、締切次郎を蹴散らして走る。
猥褻なまでに潤んだ瞳でおのれを見上げる締切次郎を見つめ、
森見登美彦氏は負けじと瞳を潤ませた。
「仕事、始めない!」
登美彦氏は叫んだ。
「いやいや、仕事始めなんですよ」
締切次郎は猫なで声をだす。「そろそろ始めないと、あれもこれも…」
「黙れ、次郎」
登美彦氏は精一杯恐ろしい顔をした。「太郎に言いつけるぞ!」
「あ!」
締切次郎はぷるぷるの頬をこわばらせた。
竹の切り株に抱きつくようにして「いやいや」をした。
潤んだ瞳がますます潤む。
「それは言わない約束なのに!」
「そんな約束をいつしたか、何時何分何曜日!?」
「そんな森見さんってば、しどい。小学生じゃないんだから」
「うるさい!」
登美彦氏は薄暗い竹林を走り出す。
すかさず締切次郎は登美彦氏の右脚に飛びついた。「逃げたってムダ!」「あとで自分が泣く癖に!」と不愉快きわまる正論を叫びながら、締切次郎は全体重をかけて登美彦氏の逃亡を阻止せんとする。
「この!この!」
重い脚をぶんぶん振るようにしながら登美彦氏が飛び跳ねるたび、
「あふん!あふん!」
締切次郎は不必要に艶めかしいうめき声をあげ、
登美彦氏のいらだちに拍車をかけた。
「この!この!」
「あふん!あふん!」
「そんな声をどこから出してる!」
二人はそのままくんずほぐれつ、竹林の奥深くへ迷い込む。
ついに次郎の重みに耐えかねた登美彦氏はどっかりと座り込んだ。ころころと転がる締切次郎を捕獲して、そのほっぺたを「ぎう!」と渾身の力で押しつぶした。「ふひ!」と締切次郎が泣き声を出す。
「おまえと馴れ合うつもりはない!」
「ほんはほほひっへ!(=そんなこと言って!)」
締切次郎は負けじと叫ぶ。
「ほんほうはふひはふへひ!(=本当は好きなくせに!)」
「おまえなんか好きなものか!しかもなぜこんなにほっぺたがぺたぺたするんだ!」
そのとき、二人のかたわらにある一本の竹が黄金色に光りだした。
登美彦氏はギョッとした。
「また締切次郎か!」と思ったのである。
登美彦氏は光り輝く竹を指さして締切次郎に訊ねた。
「あれはおまえか?」
締切次郎はぷるんぷるんと首を振った。「知んない」
「じゃあ、ひょっとして『太郎』か?」
二人は顔を見合わせた。
ドッと強い風が吹き、竹林が不気味にざわざわする。
締切次郎は唇をすぼめるようにした。「まさか…」
「やめて!やめて!それだけは堪忍して!」
締切次郎が叫ぶのを無視し、登美彦氏は竹に歩み寄った。
ホームセンターで買ったノコギリが、竹の光をうけてキラリと光った。