消毒しましょ! RSSフィード

2009-02-06

戯言.COMはてなを代表する大馬鹿者の経済論議w


hrkt0115311さんのエントリで同書の存在を知り、一気に読んだ。


これは酷いコンボwww バカが紹介した本を別のバカが読んだと言うなら、そんなものはきっとバカ本に違いないw 自らの矛盾に気付くこともなく、だらだらと己に都合のよい夢想を語っては悦に入っている大馬鹿者のやっていることなど所詮は現実逃避に他ならない。しつこいまでのアマゾンへのリンク張りも下劣としか言い様がない。


だけれども、今私たちが体験している未曾有の経済危機はエンデが予言した危機であるように感じられるし、仮にこの危機をどうにか回避する事が出来たとしても、いつの日か大量生産・大量消費によって支えられてきた経済が崩壊するのではないだろうか、と思えてならない。


のっけからバカ丸出しな訳だw 「今私たちが体験している未曾有の経済危機」は金融恐慌に端を発するものであり、「大量生産・大量消費によって支えられてきた」こととは関係ない。そんな風に「思えてならない」時点で既にダメダメであるw その本には「お金に対する見方を少し変えるきっかけとなりそうな話が幾つか掲載されている」らしいが、このうちの「病気に罹ったときには支払わず、健康である時に支払うというやりかた」など保険制度に他ならず、こんなんで我々の「お金に対する見方」が変わるわけがない。


ある30〜40人ぐらいのグループが、ドイツから舞台公演のために劇団を呼んだとしましょう。そのためには、まず「お金」が必要です。社会三層化構造の考えでは、「お金」はそれぞれが出せる金額、出したい金額で出資します。それはまさに「友愛」の問題です。


なんなんだよ、「社会三層化構造」ってのわwww 今だって発起人が株式会社を設立する時には普通に「それぞれが出せる金額、出したい金額」を出資してるじゃねえか。何だってこれが「友愛」なんぞの問題となるのだ!? ボランティアに勤しむオ眼々キラキラの勘違い野郎の顔が眼に浮かぶようで実にキモチワリィw


誰がいくら出したかはわかりません。それから、話し合いをします。意見を言う権利は誰にでもあります。通常の社会ですと、「お金」を多く出した人が大きな発言権を持ちますが、社会三層化構造では、話し合いは出資の多い少ないに関わらず、「平等」な立場でするという考えです。そして、実行する段階に置いては、それぞれの得意分野を生かして「精神における自由」を尊重する、という考え方です。まとめると、経済における「友愛」、法における「平等」、文化における「自由」です。


帳簿閲覧権はあるが規模が大きくなるにつれ全ての株主を把握するのは事実上不可能となるから、「誰がいくら出したかはわか」らない点も現実と同じ。株主総会「話し合いを」するから、これも同じ。勿論「意見を言う権利は誰にでも」ある。「発言権」を議決権と言い直せば、これに関しては株主平等の原則に相違するが、LLPなら「出資の多い少ないに関わらず」「話し合い」が行われるので、「通常の社会」においても十分に同様の出資形態は存在する。こういった現実を完全に無視して(知らねえんだろどうせwww)「友愛」だの「平等」だの「自由」だのと嘘臭い台詞を吐くキモチワルサはどうだ。バカにも程がある。


このシステムが良いところは「多くのカネを払った事を理由に幅をきかせようとする輩はロクなもんじゃない」「お金を払っていない人が良いアイデアを持っていないとは言えない」「自己申告を参考にして適材適所で人を使っても成果って出るもんだよね」ということ。


戯けたエントリを上げて「幅をきかせようとする輩」こそ「ロクなもんじゃない」w 集団が形成されたならばリーダー(大きな発言権)が必要となってくるのは当たり前で、別にそれはカネとは関係がない。関係がないからこそリーダーの決め方のひとつにカネを使うことも出来るというだけの話であり、徒に金持ちを否定するのは貧乏人の僻みに過ぎない。「お金を払っていない人が良いアイデアを持っていないとは言えない」のも当たり前の話であり、「適材適所で人を使っても成果」を出すのはリーダーの責務に過ぎない。つまり、この文章は何も語っておらず、そこにあるのは現実への恨みつらみと、お花畑型の理想を掲げたバカの戯言で、まったく眼を背けたくなるようなさもしさ、卑しさ、負け犬根性である。


地域通貨、と言っても地元の商店街を活性化させる為のもの、という概念ではなく、アルゼンチンでRGTと呼ばれている地域通貨のようにバーター取引の仲介役としての貨幣としての役割を指し示しています。


当たり前ではないか。それが「地域通貨」であるなしに関わらず、貨幣の役割が「バーター取引の仲介役」でなくてなんだと言うのだ。


RGTのような地域通貨がどのようなものであるのかについては著者の廣多裕之さんのウエブサイトに詳細がありますので、そちらをご覧になっていただければと思いますが、http://www3.plala.or.jp/mig/rgtinjapan-jp.html極めて簡単に言ってしまうと、趣旨に賛同する会員を募り、定期的にバザーを開催し、自分の生産物や労働力を「販売」することによって会の中だけで流通する地域通貨を手にする事によって別の誰かが販売している生産物や労働力を入手する、という事を目的としています。


単にコミュニティの説明をしているだけで、全く「地域通貨がどのようなものであるのか」の説明になっていない。書いている途中で自分が何を言わんとしていたかを忘れちまってる。そのコミュニティとやらも、やっていることは普通の社会と何ら変わるところがない。「地域」という言葉を外せば国家の中で日々行われている経済活動の描写そのものだ。こんなものは所詮、経済の規模と多様性を「会の中だけ」に閉じ込めることによって不便さが増した幼稚園児の買い物ごっこだ。


大体これ誰が紙幣を発行すんの? 誰が流通量を調節すんの!? そういったことに言及しなけりゃ、「地域通貨」を取り上げる意味がまるっきりないだろうが。ふざけた野郎だよホント。毎度毎度利いた風なこと言って自己満足するためだけにエントリ上げてやがる。人間の芯の部分が腐ってるわ。


私は現時点でこうした手法で開催されている地域通貨を用いたバザーを覗いていないのですが、農作物や魚介類といった食べ物に対するニーズはあっても労働力としてのニーズは少ないのかな、と感じたのですが私には農作物や魚介類を提供する術がありませんので「赤字」になりそうだなあ、という事です。


「覗い」たわけでもないのに、何故「農作物や魚介類といった食べ物に対するニーズはあっても労働力としてのニーズは少ない」などということが分かるのか。要するに、以前にもやっていた原始共産主義への回帰妄想であろう。


貨幣を生産物の交換手段のみに使用するという発想自体は非常に優れていると思うのですが、そうしたバザーにおける需要供給バランスからみてその市場に必要な物資の中心は食品であり、知的生産物である書籍はその下、バザー内に於ける労働力は書籍より更に下、CDのような娯楽に該当する物品は最下層、という位置付けになると思うのですね。


やはりバカだから自分が何を書いたのかすら把握していない。つい2つ前のパラグラフで「生産物や労働力を『販売』する」と自ら書いているではないか。それが、ちょっと時間が経っただけで「貨幣を生産物の交換手段のみに使用する」に変わっちまっている。頭に浮かんだ妄想を脈絡もなくふらふらと書き散らかしては悦に入っているだけであることが、これによって誰の眼にもハッキリする。「生産物」ヒエラルキーにしても何故そのようになるのかの理由は全く書かれていない。要するに、何かを論じたフリをしていながらその実、自分の妄想を自堕落にだらだら書き綴っているだけだ。


「必要な物資の中心」「食品」である社会は、経済の発展過程においてはかなり未熟で、そんなコミュニティに属せば今より不便となることだけは間違いない。そして、そんなものを夢見る奴がおしなべてバカであることもまた間違いない。そのような社会ではPCやネットは、とてもなく高価なものになるから、こおゆうバカがバカを撒き散らすこともなくなるのが唯一の利点かw


これは日本国内に於ける労働人口の構成比率から考えても、あるいは生きていく為に必要なものを交換する手段として貨幣を捉えた場合に「何を優先して購入するか」を自分なりに考えた結果辿り着いたものではありますが、腹が減っているのにCDを買う人はあまりいなくて、食べ物が最優先になるだろうと。


「腹が減っているのにCDを買う人はあまりいな」いなんてことは、態々「日本国内に於ける労働人口の構成比率」「生きていく為に必要なものを交換する手段として貨幣を捉え」たりせずとも、小学生にだって分かる事だ。こういう詰まらない箔付けをしないと何かを語れない輩のいじましさ愚かさには限界がない。


あくまでも勘ではありますが、そうしたバザーでは食品7対それ以外の製品2対労働力1程度の割合で流通するのではないでしょうか。


ここでは労働市場が他と一緒くたにされてしまっているのか。では生産活動を組織的に行うのは精々農家とか家庭内工業くらいのものか。要するに中世に逆戻りか。


直感ですが食品の流通比率が5割を下回っているにも関わらず地域通貨が上手く行っているのだとしたらそれはコミットしている人たちが「生きて」行くために必要不可欠なモノやサービスを手に入れる為のものではなく、なにか別なもの、例えばコミュニティ内の相互扶助の関係性を円滑にするなどの為に用いられているのではないかと思います。


根本的且つ絶望的にものを考えるということが出来ないから、あれこれ言う割には結局「なにか別なもの」「相互扶助」「関係性を円滑にする」などという抽象的な結論にしか至ることが出来ない。「上手く行っているのだとしたらそれは」大規模な生産活動が行われていないからに決まってる。すなわち資本が集約される以前の段階の社会だから、通貨の重要性が低いだけの話だ。少なくとも、このバカが語る根拠の怪しい諸々の条件から判断するならばそういうことになる。


地域通貨が流通するバザー内のみで自給自足をしたかったら農業か漁業を選択する以外の道はないと思います。


「自給自足をしたかったら」「地域通貨が流通するバザー内のみ」に限らず、どこでだって「農業か漁業を選択する以外の道はない」に決まってるだろwww 「地域通貨」なんか全然関係ないだろw 自分の信奉するテーマに完全に囚われてしまい、当たり前の常識さえ失ってしまっていることがよく分かる。こおゆうアホが偉そうに経済だの社会を語って自己満足に浸り、それだけならまだマシなのだが、更になるバカがブクマで一所懸命賞賛したりするキチガイ集団がはてなだ。


と著者は書いているのですが、幾ら個人経営であるとはいえ、パンを焼くにはパン焼き窯というインフラが必要であり、一定程度でメンテナンスが必要となるという事が見落とされている。ような気がする。


別に誰も「見落と」したりなんかしていない。ちゃんと「経費を差し引いた残りで生活をやってゆく」と書いてあるではないか。そこには「焼き窯」「メンテナンス」だって含まれているに決まっている。バカはこうやって勝手にありもしない問題を設定しては更にバカな論を紡いでいく。そもそも「焼き窯」「インフラ」なんかじゃねえだろwww ただの什器備品だろwww バカは世の中の当たり前の事象すら満足に把握できないのであり、まずは地に足をつけることから努力すべきところ自堕落にもそれを放棄し、足元がグラグラな中で虚栄心に駆られてエラソーなことばかり吹聴するから、こおゆうバカをほざくのである。


そうしたインフラ整備や経営を安定化させる為のレバレッジとしての借入を地域通貨はあまり容認していないように感じられ、少なくとも現時点に於ける日本の経済や生産の実情にはそぐわない、やったとしても農作物が中心の取引となり、農作物を生産していない人たちはコミットしにくいのではないだろうか、と思いました。


ほらwまた「レバレッジ」なんて言い出しているw 聞きかじったカタカナを意味も分からずに使って悦に入っているこのどおおおしよおもない愚かさはどうだ。品性下劣、軽佻浮薄、夜郎自大の自家撞着である。要は金融機関の不存在を言いたいらしいのだが、本には「借金があればそれに利子を付けて返さなければいけない」と書いてあるらしいから、「あまり容認していない」のかどうかはよく分からない。いずれにせよ、「地域通貨」だろうが国家が管理する通貨だろうが中央銀行や金融機関の存在は不可欠であり、そうでないなら、そんな経済はやはりおままごとだ。「インフラ」wや「レバレッジ」wの効かない社会であるなら、「農作物を生産してい」る人にとっても「営繕費」その他を賄うことは難しいに決まっているから、そんなことが「農作物が中心の取引と」なる理由とならないことは火を見るよりも明らかである。


インターネットも地位や肩書きとは無関係にフラットな発言が出来るという意味においては近いかもしれません。


「地位や肩書き」に加えてバカにも「フラットな発言が出来る」ようになったお陰でお前のような勘違い野郎が悦に言っていられるのだと言うことに早く気付けヴォケ。

君に届けやコラ!



やっぱり「君届」は今の少女漫画界で一歩抜けてる存在だと思う。

2006、2007年と大きな注目を集めたせいか、

やはり2008年はやや失速気味に見られてしまった感がある。

それもそのハズだ。注目を集めた分だけ、ハードルが高くなってるから。

そのハードルを取り除いて改めて見てみると、やはりこの作品の質はズバ抜けてる。


いいや! この作品は明らかに行き詰っている。野暮を承知で誰もが気づいていることを敢えて口にするが、風早やちづ、やのちんらによって貞子が周囲の理解を得、呪縛が解かれていくに連れてこの作品は本来のテーマを見失い、どこへ行けばよいのか分からなくなっている。作者が自ら告白しているように、元々は単発の読みきりとして着想されたものであるから、それは力不足などではなく必然なのだ。風早を思う猛禽は既に登場させてしまったので、仕方なく一見ちゃらけた風早のライバルに当たるキャラを出して来たが、残念ながらあまり成功しているとは思えない。出産準備を契機として休載入りしたようだが、むしろそれを目的として無理やり妊娠したのではないかという疑念さえ浮かんだほどだ(すいませんすいません)。


既にこの作品は十分に成功している。この先、更なる飛躍を遂げることが出来たなら心から拍手喝采を送りたいところではあるが、それは大変困難な道のりであると勝手に思う。貞子の行動に涙しつつ、「ふっ。風早って、まるでオレをモデルにしたかのようじゃねえか」と呟いたところ、隣の女に「アンタはどー見たってピン!」と喝破されたオレが言うのだから間違いないwww 



つーか、まずは無事に元気な赤ちゃんをご出産ください。

2009-02-05

「最終定理」とやらについて


この増田が比較している物はモテの苦労と非モテの苦労、ではない。この増田の過去のトラウマと現在の苦労なのだw。


オレの真似をしてこんな台詞を吐いているが、いちいち言っていることがおかしいわけだw


不細工/イケメン対立とモテ/非モテ対立を混同しちゃってるのが意図的なのか、この増田も混乱しちゃってんのかは判んないんだけどもさ(´∀`)


一般的には「不細工=非モテ」であり、「イケメン=モテ」であるから同じことだ。「混同しちゃってる」と言うなら、まずは両者の違いを明確にしなければ話が始まらない。


もともと非モテが頑張ってモテに成りましたって設定ならそれはモテの苦労を厭う訳無いよね。だって多分何よりもモテになりたくて色々捨てる事が出来た人なんだから。


そんなことはない。地位が向上したり環境が好転しようが何時だって苦労はそれなりにある。それが贅沢な悩みと他人から言われたりすることもあるというだけの話だ。


この増田が比較している物はモテの苦労と非モテの苦労、ではない。この増田の過去のトラウマと現在の苦労なのだw。この「結論」からは、この増田は相当にモテないコンプレックス強かったのね。て事しか判らない。


ここでも同義反復が繰り返されている。「過去のトラウマ」「非モテの苦労」であるし、「現在の苦労」「モテの苦労」だ。自分の書いたものをよく読んでみろ。「A=A」と言っているだけだ。オレのマネをしたければ、個々の事象を正確に把握した上で矛盾点を発見し、更にはその原因を抉り出さなければならない。


増田が言っていたのは、モテるようになっても相変わらず嫌なことはあるけど、非モテの時よりゃずっとマシというだけの話で、別に何かが対立しているわけではない。タイトルに「最終定理」というネタを持ってきたのも、ちょいとインパクトを強めようとしたに過ぎず、そんなものに態々釣られて直感型のpbhが苦手な理屈を捏ね回すこともあるまい。


むしろ注目すべきは以下の部分だ。


ブサイク・非モテたちよ、美人・イケメンに騙されるな。奴らはそうやって、君らから何もかも、最後の同情余地さえも、奪おうとしているのだ。


「それでも、あの暗黒時代のつらさよりは何倍もマシ」と言って「最後の同情余地さえも、奪おうとしている」のは増田本人であり、それは恰も苛められていたヤツがその状態を抜け出すと今度は自分がイジメっ子になるが如く、あるいは列強に無理やり開国させられた日本が韓国を併合したが如く繰り返される人間の業であり、それこそが「最終定理」である。

2009-02-04

La prière d'une vierge


残念ながら乙女同士の会話というものは かようにして歩み寄ること無く発展することも帰結も見出すことも無く ただ子宮の命ずるままに己の生存を旨として ずるずるとおのおのがおのおの語りに終止するものなのです。


オイオイオイw そりゃまだ若くて綺麗なアンタはいいだろうけどよお、人間五十年下天のうちをくらぶれば夢幻の如くその半生を美の追求に捧げ、ギャラリーフェイクに作品を展示されたこともあるという、酸いも甘いも噛み分けた大野さんに「乙女」は失礼というものだろうぜwww


D

2009-02-03

書き直したことを後悔させてやるwww


「見てろ……おれが、生まれてきたことを後悔させてやる」


あー。これは「おれが、」が余計だね。ちゃんと読点が振ってあるから良いんだけど、恰も「おれが生まれてきたことを、お前に後悔させてやる」みたいになっちまってて間抜けw ちっとも恐くないw 「見てろ」もいらないかもねw


オレはいつも、エントリ上げた事を後悔させてやるつもりでdisってるけどねw





ってオイwww 今見返したらしっかり訂正されてやがるwww 腹いせにRSSに残った原文を載せてやるわwww


よく犯罪映画の決め台詞に、「見てろ……おれが、生まれてきたことを後悔させてやる」というのがある。これは怖い。けど、なかなかかっこ良くもある。


そこで、似たようなコンセプトの決め台詞を考えてみた。これは、例えば男が愛する女性に言ったりすると良い。あるいは、父が息子に言うのでも良いな。何かで傷ついた子供に、たまたま知り合った他人の大人が言うのでも良い。先生が、心に深い傷を負った生徒に言ったりしたら最高だ。


「見てろ……おれが、生まれてきたことを感謝させてやる」


ああこれは、いつか何かの機会で使いたいなあ。実際に、現実世界で誰かに言ってみるのも良いかも知れないね。

アルファブロガーという存在の耐えられない軽さ


GDPを一日で倍にする方法(の耐えられない軽さ)


下らねえ。国民経済計算の解説書に必ず出てくる「専業主婦の労働はGDPに含まれませんよお」という話をひっくり返したついでに昨年5月ちょっと話題となったこれの元ネタを持ち出してきただけ。ま、従来は嫁が面倒を見ていた死にぞこないの下の世話を元ディスコ屋が引き受ければ、それだってGDPに含まれるんだから、別に間違っちゃいないけどよお。

バカの戯言に見る「何故、日本のIT業界は重層的な階層構造をとっているのか?」


話題の本をあれこれ読み漁っては、果てしなくどーーーーでもいい感想文を垂れ流して悦に入っているバカがはてなには掃いて捨てるほどいるが、所詮バカがバカに過ぎないことは自明であり、ものを考えることの出来ないヤツが考えたフリだけしてあれこれ語るのは時間の無駄以外の何物でもない。バカの言説は理路がとっ散らかっているのがその特徴で、それこそがバカのバカたる所以であるといってしまえばそれまでだが、時折そこから別の本音が見えてくるのがオモロカシイ。今回、IT業界の構造など何ひとつ知らなくともバカの戯言から隠された真実が見えたので御報告申し上げる次第であるw


この原因は、結局のところ最終的にサービスを受ける企業側にきちんと下請けを評価する能力とノウハウがないことが一因としてあげられる。担当者が無能とかそういう単純な議論ではなく、流動性を保つためにそういうことができる機能を外だしせざるをえなかったというのが実情だろう。


ド阿呆ッ!! じゃあ、お前は今脚をつけている床にどんな建材が使用されているのか、どんな工法によって敷設されたのか、どのメーカーが質の良い素材を最もリーズナブルな価格で提供するのか、どの業者が腕の良い職人を何人揃えていて最高の作業を行っているのか熟知してるのか!? それが食品であったならば、どこの産地でどのような飼料を用いどのような飼育・栽培方法で育てられたものが、どのような流通過程を経て届けられているのか、原材料ひとつひとつについて全て把握した上で購入しているのか!? そんなこと、いちいち消費者が確認できる訳ねーじゃねーかっ!! 何故、ITに限ってこんな馬鹿げた無理難題を「最終的にサービスを受ける企業側」に要求するんだ!? 図々しいんだよバカ!!


世の中を舐めきった大馬鹿IT屋ならではの「きちんと下請けを評価する能力とノウハウがない」などという、そら恐ろしいまでに甘ったれた戯言こそが、「何故、日本のIT業界は重層的な階層構造をとっているのか?」に対する解答に他ならないのだが、バカだから書いた本人は全くそれに気付いていない。この糞下らない戯言が本当は何を言っているのかと言えば、それは「実際にプログラム書いてるのは俺達なんだから、お客が直接指名してくれたらなあ」という手前勝手な愚痴である。本来なら広告宣伝並びに営業攻勢をかけて積極的に自社の優位性をアピールすべきところ、そおゆうのは苦手で、時折ネトゲに興じながらモニタに向かってこちょこちょキーボードを叩いている方が好きだから、何もしなくとも相手が自分を見つけてくれないかなあ、などという都合のいい夢想に耽っているだけの話である(こおゆう連中は恋愛等についても同様の態度を取る)。


要するに、最終顧客と対峙するのは嫌だから話の通じやすい同業に頼っているというだけの話に過ぎず、だから「5次以上に及ぶ」「下請け構造」が出来上がるのである。最初から「最終的にサービスを受ける企業」を回って仕事を取って来さえすれば、こんな文句を垂れる必要はない。まさにそれをやっているのが一次受注者であり、評価能力のない顧客のために、資本を増やして会社の図体を大きくしてみたり、タレントを使ったTVCMを流して高感度を上げてみたりして信用力を強化しているのだ。まさに語るに落ちるというやつである。答えは既に出ているのに、それを認めたくないからあーだこーだ別の話ばかり持ち出して必死に自分で自分を誤魔化しているのは、ひたすらみっともない。


重層的な階層構造が存在するということは各階層にマージンがおちているということに他ならない。十分な競争原理が働いていれば、自ずと間にはいって薄いマージンをとっているだけの業者は淘汰されていくはずだが、その淘汰のメカニズムが働いていないため、統廃合がおこらずに緩やかに階層が維持されているとみることができる。


上記は最初の引用箇所の直前に位置するパラグラフである。両者の内容を手短に纏めると、「薄いマージンをとっているだけの業者」「淘汰」されない原因として、先程の「最終的にサービスを受ける企業側にきちんと下請けを評価する能力とノウハウがないことが」挙げられていたのであるが、読めば分かる通りこれは理由に何にもなっていない。通常、顧客から下請までは見えないし、そもそも「マージン」が薄かろうが厚かろうが必要ならばその「業者」存在価値があることは明らかで、「淘汰」されることなどないに決まっているからだ。要するにこれも、「実際にコード書いてんのはオレたちなんだから、上前ハネてるだけの連中など消えちまえよ」という身勝手な願望である。このバカは、そういった連中がいなくなったら、今度は自分達が仕事を取ってこなくてはならなくなることをすっかり忘れている。

2009-01-29

Possibly drunk japanese guy rambles over Mario Land (in English)


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