はてなダイアリーキーワード: 一般人とは
単純なことです。
オタクや非モテの男性は、現実の女性との接触頻度が極端に低い。
もちろん、女友達が少ないから。
その代わり、2次元3次元問わず、美少女キャラや美形タレントや
ていうか、毎日観てる。
結構可愛い子が多いわけです(ひどいのもいるけど)。
つまりオタクや非モテは、一般人よりもより長い時間、平均よりも
経験で言えばリア充にまるでかなわないけど、今までに見た美少女の
そりゃ、面食いになるよ。
アイドルや風俗なんて、基本は顔やスタイルしか選ぶ基準が無いんだし。
そうなると、自分の身体も肥えてるけど、それ以上に目が肥えちゃって、
自分に見合ったレベルの女の子には本気で惚れられなくなってしまう。
ただでさえオタクや非モテなんだから、本気で惚れないと、まともな恋愛や
自分を変える努力なんて出来ないわけで。
これが、まさにオタク&非モテの童貞(素人童貞)スパイラルになるわけです。
顔で選ばず、女の子の友達をたくさん作ろう!
(つうか、顔かたちで選んでる身分か!!!)
見たよ。「何を持って安全というか」だけど、ここでの比較軸は
でも、俺自身が一番怖いと思うのは"幻覚妄想"。
大麻によって引き起こされる幻覚や妄想のほとんどは、本人に被害を与えるような内容のものである。主に幻聴で、何かを命令されたり、本人の行動に逐一干渉するような場合もある。
http://www.dapc.or.jp/data/taima/3-2.htm
この症状がアルコールとの決定的な違いだと思う。
ただ泣き叫んだり、喚いたりするなら避けようもあるんだが、「身に危険を感じたから」という理由でいきなりグサッとやられると、もうこれは逃げようがない。
「本当の恋愛」という言説には興味がないが、
モテや一般人に非難されない恋愛観(それが「本当の恋愛」「正しい恋愛」と呼ばれるにすぎないのかもしれない)はどのようなものかは知りたい。非モテ的に。
まあ、どのくらいの数の高岡信者がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「達人ではまったくないんだが、しかし自分の極意趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない極意の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、信者の都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、極意のことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に極意を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、金銭的に過大な負担を伴う高岡英夫直接指導の講座は避けたい。
できれば専門指導員の講座にとどめたい。
あと、いくら極意的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
極意知識はいわゆる「ラジオ体操」的なものを除けば、フィットネスでピラティス程度は体験している
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「スティフルクラムの解体」を濃縮しきっていて、「フリーフルクラムの世界」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも自由だし。
ただ、ここで極意トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、信者側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「信者が考える一般人に受け入れられそうな極意(そう信者が思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「高岡信者としてはこの二つは普遍的な極意だと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の武術系極意の達人が持ってる体捌きへの憧憬と、高岡英夫のバイオメカニクス的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも高岡英夫な
の二つをはじめとして、信者好きのするネタをメソッドにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「中国武術のタントウ功だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の鍛錬がその後続いていないこと、これが日本では大人気になったこと、
日本なら太気拳になって、それが中国に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非達人彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり極意は武術のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ベスト」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このメソッドにかける高岡の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削って裏側だけにして、それでも天地の果てに達する、っていうストラクチャーのスケールが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも極意的だなあと思えてしまうから。
ウォールの大きさを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ベストや丹田だったらきっちり身体内に収まってしまうだろうとも思う。
なのに、意識操作で脳疲労を起こしながら巨大な身体意識を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の身体意識を形作ってきたものが捨てられない達人」としては、たとえ高岡英夫がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。メソッド自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で呼吸法をやったことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ゆるよりも前の段階で、高岡のカリキュラムとか身体操作技法とかはこのメソッドで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのメソッドが高岡英夫直接指導でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく極意好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるゆる体操でしか高岡英夫を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
身体の「ゆるみ」あるいは「重みづくり」を達人として教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「意識操作が他人の感覚を巻き込む」的な感覚が達人には共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ極意第一教程最終講座は質重量体操法以外ではあり得なかったとも思う。
「巻き込まれた」という達人の感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「達人の気分」の
源は質重量体操法にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう戦前の携行術をこういうかたちで講座化して、それが非達人に受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にゆる体操を選んだ。
基礎ゆるから始まってゆる体操で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ゆる教会以降のゆるゆる棒時代の先駆けと
なったメソッドでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいメソッドがありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
いぇい
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
ということでFA?
なぜ、誰か一人 一カ所 だれか悪い元締めの責任とするのかわからない。
配分、比率の問題はあるけど、 ボッコしたいじょう、一般人にも マスコミにも、 えん罪を起こした警察にも罪はあるでしょ。
警察が悪いから、マスコミわるくない。 マスコミがわるいから、一般人悪くないという理論は成り立たないのに
おれ悪くないという一般人の思考が嫌い。という事。
えん罪どうのこくのじゃなくて、一般人の思考についてのみ言いたいのであって、松本サリン事件はあくまでも一例。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
まさに、無実。マスコミ報道により悪意が広がり、引っ越しまでした。
一人一人の悪意は小さくても、集合になれば大きな悪意になる。
にもかかわらず、私は関係ないちょっとしたことだけ。と一人一人は『逃げる』。
イジメとまったく同じ構図。
たいていの場合、いじめる側はそんなつもりはなかった。そんなに気にしているとはおもわなかったとほざく。
しかし、考えればわかること。
考え無しの無作為。思考停止の方が罪が重くなるようにならないかと常々思う。
一般人(?)の接し方
嫌いな人 = よってたかって袋だたき
気に食わない人 = よってたかって袋だたき
マスゴミの扇動でいろんなひとがフルボッコにされているのをみると。
悪い人、気にくわない人ならば、フルボッコにしてもよいと考えているのが一般人。
そういう普通にフルボッコできる人を一般人として、そのフルボッコできるひとと同じ対応をしたほうがいいよ
というのはわかるけど、フルボッコを平気できる人と同じ対応をすると言うのは、心が痛い。
悪いところをマネしないで、良いところをだけをマネするというのが正しいのかもしれないけれど、
フルボッコできるという悪いところを見てしまうと、良いところと言われているのが本当に良いところかどうか疑問だよ。
やっべ、このエントリ見たら「ソウルイーター」のクロナ萌えが蘇ってきた……
「一般人となんて、どう接したらいいかわからないよ…」
人と接する恐怖ってのは確かに俺にもある。
だけど、こっちが好意的に接している限り、なかなか怖がっているようにはならないもんだから大丈夫だよ!
自戒を込めて。
そうそう。
も一つ。
http://anond.hatelabo.jp/20080906153913
叩かれそうだけど、それをしている人にとってはそれが普通なので。
小難しい智恵でもなんでもない。
なんかそういう話たまに聞くけど、みんな頭いいんだなって思う。
これが培われてきた経験なのかなあ。
長いこと高専行きながら自宅で半ひきこもり生活だったんで、こういう一般人の方たちの中でうまくやっていける自信が全然つかないよ…。
付き合いの少ない増田が、付き合いが多いように見える友人に聞いてみたり自分なりに分析した結果を書いてみようと思う。
相手 | 増田の接し方 | 一般人(?)の接し方 |
---|---|---|
嫌いな人 | 拒絶・回避 | 社交辞令モード 隙を見せないようにより注意深く |
気に食わない人 | 拒絶・回避 | 社交辞令モード |
普通の人 | よってこない限り干渉しない | 最初は好意的で様子をうかがう |
知人 | 当たり障りない | 好意的 |
好意的 | (好意的だろうと知人扱いになってしまう) | 友人扱い |
友人 | (友人の分類なし) | 親友扱い |
親友 | べったり(友人=親友) | 大親友 |
増田の場合、嫌いな人、友人、それ以外の三区分。
一般人はもう少し細かく分かれてるようだ。
「あの人と仲良いよね」と聞くと「いや、そんなに」と答えられた。
「自分が不快に思ってる人にそれを悟られたら負け」という友人も居る。
黒いのかそれが普通なのかわからないが、大変だよなぁ…とみてて思うことはしばしば。
追記:
一面だけ見て黒いと書くと微妙なので追記。
という意見もありました。
追記2:
増田の場合の対策を友人に聞いてみたけど、
(顔見知りで好意的=友人という認識でも問題ないし、友人にも段階があるからあんまり当たり障りなく接しなくていい)
とのことです。
ちなみに、
以外は別に平気らしいです。こうゆう人はそもそも自分に害さえなければ(言いたいことはあるにせよ)NGまで行く人はあんまり居ないそうな。参考までに。
まあ、どのくらいの数のボクオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないボクシングの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ボクシングのことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にボクシングを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、WOWOWやリングジャパンのビデオでしか見られないボクサーは避けたい。
あと、いくらボクサー的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
空手好きが『船越義珍』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ボクシング知識はいわゆる「亀田」的なものを除けば、タイソン、ガッツ程度は知っている
格闘技への理解度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「辰吉以前」を濃縮しきっていて、「辰吉以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。一応、本人的にはまだ現役だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なボクサーについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなボクサー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ボクオタとしてはこの二人は“アスリート”として優れてる思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボク漫オタが持ってるソビエト科学的トレーニングへの憧憬と、クロスカウンターへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも協栄的な
をはじめとして、オタ好きのするキャラをキャリアにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶん川島のスリッピングアウェー見た彼女は「この人、たくさん殴られて痛そう」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のボクサーがその後続いていないこと、ブエノ戦で大熊アナが実況中に泣いちゃったこと、
アメリカならスーパースターになって、ジュニア・ジョーンズやタピアなんかとビッグマッチが組まれてもおかしくないのに、
日本国内でこういうのが評価されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「ボクサーって女のコより軽いんだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「井岡弘樹」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、八尋のいかにも軽量級って体格が好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも108ポンド、っていうウェイトが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「自分の非力を補う」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
八尋のボクシングを俺自身は弱いとは思わないし、ガメスともよく戦ったと思うけれど、一方でこれが
ロペスやカルバハルと当たってたらきっちり失神してしまうだろうとも思う。
なのに、ろくにメシ食わないでジュニアフライのウェイトを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ八尋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。小見山戦の右アッパーと合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナオト見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
『はじめの一歩』よりも前の段階で、ボクシングの逆転劇とかカウンターの美学とかはこのボクサーで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのボクサーが後楽園ホールをこの時代に熱狂させていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくボクシング好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる亀田でしかボクシングを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
吉野の「天賦」あるいは「K-1進出の先鞭」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「ボクシングは壮絶であるべき」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ「鼻の骨を耳の後ろに移植して戦い続ける」というエピソードは吉野以外にはありえなかったと思う。
「ボクサー=壮絶にストイックな生き物」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「壮絶な気分」の
源は吉野にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に左一本でのノックアウトを楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうギミック風味のボクシングを「兄弟対決」なんて演出で見せて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に鬼塚を選んだ。
辰吉から始まって鬼塚で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、先代逝去以降の協栄疑惑の先駆けと
なったボクサーでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいボクサーがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
…
まあ、どのくらいの数のミスオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「ミスオタではまったくないんだが、しかし自分の探偵小説趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない日本の古典探偵小説の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、戦前と戦後の日本の探偵小説のことを紹介するために読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う三大奇書は避けたい。
できれば短編、長くても中編程度の分量にとどめたい。
あと、いくら戦後を含むといっても高度経済成長期の雰囲気を醸し出す作品は避けたい。
古典SF好きが筒井康隆は外せないと言っても、それはちょっと現役だし、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる「少年探偵団」的なものを除けば、シャーロック・ホームズ程度は読んでいる。犯人当ては苦手だが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「本陣以前」を濃縮しきっていて、「本陣以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも丁度いいし。ただ、ここで探偵小説批評トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このプロットの複雑な作品について、どれだけさらりと、ネタバレにならず単調すぎず、それでいて必要最小限の宣伝惹句を彼女に伝えられるかということは、ミスオタの「編者解説&訳者あとがき能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ミスオタが考える一般人に受け入れられそうな探偵小説(そうミスオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「ミスオタとしてはこの二つは“文学”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFオタが持ってる科学への憧憬と、新青年監修のミスオタ的な本格トリックへのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも海野的な
を中心として、昭和の香りのするとぼけた世界観を作り上げているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「八○屋○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。大阪圭吉が戦死したこと、彼の作品が戦前の推理小説としては破格の完成度を持っていること。戦後なら実写テレビドラマになって、それがお茶の間を賑わしてもおかしくはなさそうなのに、死んでからはその存在すら忘れられてしまったこと、なんかを非ミスオタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり本格探偵小説は男性読者のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『牧師館の殺人』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける水谷準の思いが好きだから。
断腸の思いで女流探偵キャラを作って、彼女が車椅子の障害者、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「社会的弱者」への視線がいかにも新青年的な左翼だなあと思えてしまうから。
カナカナ姫の性格を俺自身は詮索好きとは思わないし、限りなく魅力的とは思うけれど、一方でこれが乱歩や正史だったらきっちり狂人にしてしまうだろうとも思う。
今の若年層で岡本綺堂を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。乱歩よりも前の段階で、探偵小説の技法とかは捕物帳で基礎を築いていたとも言えて、こういうクオリティの作品が雑誌連載でこの時代に載っていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく探偵小説好きとしては不思議に誇らしいし、岡っぴきといえば銭形平次くらいしか知らない彼女には読ませてあげたいなと思う。
夢野の「近代の文学は総て探偵小説である」という思想をミスオタとして伝えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「狂気と近親相姦」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ最近の妹萌えブームは『瓶詰地獄』以外ではあり得なかったとも思う。
「社会から逸脱して虚構的性愛を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は『瓶詰地獄』にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。こういうゴシック風味の殺人事件をこういうかたちで密室化して、それが非ミスオタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に神津恭介を選んだ。
密室から始まって密室で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、戦後の社会派ミステリの先駆けとなった作家の処女作でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの幻影城は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
最近はコスプレするオタクの方も多く(都市部だけかもしれんけど)、オタクの交友グループには結構な割合でコスプレイヤーがいるんだわ。
コスプレする人は衣装に気を使うだけあって普段も結構おしゃれな恰好している人が多いし、コスプレしてると男が寄ってくるので彼氏もいる(しかも結構イケメンV系彼氏が多い)。
で、そういうコスプレする人の周りにいる女の子がそれを見て変な方向に走るわけですよ。本人はオシャレしているつもりなんですが、えーそんな服今でも売ってるんすかどこで買えるんすか(心の声)的な恰好だったり。いや、コスプレの人は分かっていて場所をわきまえてそんな恰好をしているわけで、それをさりげなく普通の恰好に混ぜるからオシャレなのですが、それを見た非コスプレイヤーの方は表面を見てどこのアニメに出てくる一般人ですか的な痛々しい恰好ド直球だったり、お前年齢を考えろとツッコミたくなるような恰好をされるわけですよ。
ということで、むしろ「自分は一般人です><」とか言っている人の方が危険です。彼女らの「一般人になりたい」オーラはヤバいです(何が危険・ヤバいんだかよく分からんが)。
そしてむしろガチな人ほど「私オタクなんでオシャレなんて分かりませんー」的な雰囲気を出しつつも定番的な恰好で無難にまとめているパターンが多いです。ガチな腐女子の人はライトなオタクグループにはあまり混ざらない→むしろオタクを隠してリアルに一般人と同化→周囲から学んで無難な恰好、的な感じとわたくしは推定しております。
はてなブックマークのコメント一覧非表示機能について - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど
みんな知ってる記事だよね。
ブコメでもちらほら批判されてるけど、
なんてのはとんでもない糞仕様。
こんなWeb標準違反をユーザーに強いるのはバカでアホ。低脳でワーキングプア、と言いたいところだけど、何気に月収100万だったりするからワーキングプアは違いますねごめんなさい。
この仕様が糞だと判別するのは刺身にタンポポ乗せるよりも容易なので、要するにはてなは解ってて直せないんです。
ここで糞仕様と言ってるのは meta で判別する仕様とか body 内の meta を拾っちゃう仕様とか、ではなく、はてダの仕様のクソさを言ってます。
これまた至る所で指摘されてるけど、普通なら、日記の編集フォームに一つ「ブクマページでブコメを表示する」というチェックボックスを付ける。チェックが off なら head に件の meta を入れる。
こんだけあちこちで言われてるアイディアですから、当然スタッフは思いついたでしょう。さすがにそこまで馬鹿じゃないでしょう。
でも実装しませんでした。実装できないんです。
なぜ実装できないか。それは、フォームを増やすと記憶すべきテーブルが変わっちゃうからです。各日記毎に1つ、 BOOL 型を余分に記憶しなきゃいけないからです。
その程度の変更、大した事無いような気がします。でもはてな的にはできません。
はてなは何故か、はてダの個別記事の記憶の仕方を変更できません。実はこれは今回が初めてじゃありません。
はてダには日記モードの他に「ブログモード」などという名前に偽りのあるモードがあります。このモードにすると、日付ではなく個別の記事単位での表示も可能になります。一日に複数の記事を投稿できます。
でも、何故か、編集は日付単位でしかできません。「見出し記法」なる抜け道で、擬似的にブログを実現してるに過ぎません。だからコメントとかトラバはまともに管理できない。
なぜ記事毎の編集にできないか。日付で管理するはてな「ダイアリー」のシステムを変更できないからです。
はてダはトラックバックは実装してます。なぜならトラバは送りっ放しで良いから、何も記憶しなくていいからです。
でも、少なくないブログエンジンは、トラバの送り先も記憶します。「あれ?送ってないっけ?」とか勘違いしないで済みます。
なぜはてダはトラバの送り先を記憶しないか。記憶できるようにするには、各記事毎に新たなテーブルを用意することになるからです。
記事をカテゴリー(っつーかタグ)毎に分ける機能も、ちゃんとは実装されてません。はてな記法と検索で誤摩化してます。
記事毎にカテゴリーを記憶するにはデータベースを弄らなきゃいけないからです。
◯◯記法の多彩さであたかも凄い事をやってるかのように見せかけてますが、実際には、◯◯記法はデータを読み込んで吐き出すところにフックするだけです。
小手先の技術が巧みなのは認めましょう。
でも、小手先の技術ですべてを実現せざるを得ないから、こうやって筋の悪い仕様があちこちに出てくる。
なるほど、今は過渡期なんですねー。
って事はこれから未知のジャンルのゲームが出てくるのでしょうか?
今回数年ぶりにゲームを買ってみたのも何かしら自分にとって響いてくるものがあったんでしょうね。
何年後になるか分かりませんが、気になったゲームがあったら手を伸ばしてみるかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20080901234049
>こういう、多勢を占めて目立ってきた考え方に対して、
ちょうど、この点も疑問に思ってたのだけど、
「マスコミ不要」と思っている人が、ネット上では本当に多数派のかな?
・既存のマスゴミふざけるな。もうしね
というのは、たしかにネットのあちこちで良く目にする意見だし、多くの人が思っていると思う。
そこから更に踏み込むと、
1.マスコミ自体がもう不要だろ
→ CGMのような仕組みで完全に代替可能じゃね?
2.既存のマスコミには歴史上から退場してもらうとして その代わりにまともなマスコミが必要だろ
→ 一次ソースを一般人の自主的な情報発信だけに頼るのは無理があんじゃね?
3.よく分かんね
→ マスコミがなくなると困るのかな。分からんわ。
の3通りの態度が一般的かな。
その中で、1のような考え方。
つまり「マスコミは完全に不要」って意見の人は本当に多いの?って疑問に思っている。
個人的には、多数派と言えるまで多くはないんじゃないかな、となんとなく思っているのだけど、実際のところはどうなんだろう?
調査結果なりがあれば教えてもらえると嬉しい。
サヨクな方々が、現実には即さない理想論ばかり言っていて、現実に悪影響を及ぼしそうなので、キッチリ言っておく。
お前らが図書館に行くホームレスをかばうのは、ホームレス全体の為に、よくない。やめろ。迷惑だ。
どういう事か説明する。
ホームレスが全員臭いかというと、そうでもない。水道が使える場所の近くで住んで、毎日からだ洗って、洗濯して臭くないようにしてるホームレスもいる。
そりゃ、ホームレスだって人間なんだ。常識ぐらいあるし、臭いのは嫌だ。
ホームレスは一人じゃ生活できない。だからまとまって住居を作ったり、助け合ったり、商売したりする。まとまって暮らすなら、臭いままじゃいられない。仲間に匂いで迷惑をかけるから。そしてどんな行為が一般人に迷惑をかけるか判ってる。そりゃそうだ、ホームレスったってキチガイじゃない。サヨクがよく使う「いつ自分がホームレスになるか判らない」という言葉は、本当に想像力が無い人間の言葉だ。自分がホームレスになった時、臭いままで一般人が多く集まる部屋へ行くかどうか、という話。いくらホームレスになっても、他人に迷惑がかかるかどうかなど、普通は判断できる。
だから実を言うと、図書館にいるホームレスの中には、ホームレスと気が付かれない人もいっぱいいる。図書館に行く「常識あるホームレス」は「普通の場所に出かける服」も押さえてあるのだ。
ところが、たまーに「おかしなホームレス」が出る。
臭くてかまわない、というヤツだ。服も洗濯しないし、体も洗わない。他のホームレスにも悪態をつく。
挙句の果てに、臭いまま公共の場所へ行く。
すると、一般人が騒ぐ。そして最終的にはホームレス狩り(不良少年によるものではない、判るよね?)が行われ、地域のホームレスが追い出される。
つまり、一部の「常識の無いホームレス」が原因で、普通の(?)善良なるホームレスにすごい迷惑が行ってるという話。
だから、殆どのホームレスは「臭いのが図書館なんて行くなよ!」と思ってるし、図書館なんて行くホームレスは、ホームレス達からも嫌がられる存在だ。
そしてそういったホームレスほど先に死ぬ。そりゃそうだ。洗濯しない、体を洗わない、他のホームレスとつるまない。そりゃ早く病気になって死ぬよ。
つまり、本当に誰からも嫌われる、ロクでもない、しょーもない存在なのだ。
それをかばう事はつまり、ホームレスへの弾圧を強めてる事になる。
一部の悪行をするホームレスは、ホームレスの為にも、図書館から追い出し、しかるべき施設へ入れる。図書館を利用してもいいんだ!なんて流れはホームレス弾圧にしかならん。
それをしないでやれ人権だとか、ズレてるとしか思えない。理想とやらを追いかける為ならホームレスを犠牲にしてもいい、と言ってるとしか思えない。