はてなダイアリーキーワード: 大企業とは
小学校、中学校、高校、(大学)、会社と、普通の組織の中で生きてきた。
小学校、中学校は、適当に勉強して、トップクラスの成績だった。トップも取ったことがある。
高校は、進学校を選らんだ。けど、地元2番手。自信が無かった。落ちるのが怖かったから2番手の高校へ進学した。
高校でも、そこそこ勉強して、トップクラスの成績。ここでもトップを何度か取ったこともある。
大学は、地方国立。センター試験で失敗した。浪人するのは嫌だったから進学した。
大学では、トップとかそういう概念があまりなく、それなりに勉強して卒業した。
そして、今社会人だ。地元に戻りたかったので地元の企業に就職した。大企業でもないし、有名企業でもない。地元で少し名が知れている程度。
それなりに勉強もして、真面目に働いている。そうしたら、同期の中で一番の評価を得た。あっさりと。もっている力は出し切っていないような気がする。
こうやって振り返ると、挫折という挫折はしていない。する人生を避けてきたのであろうか。
自分と同年代で、自分よりもずば抜けて優秀な人の近くにいたことがない。
これに最近気付いた。これでいいのか。このままでいいのか。
このような環境にいることは、心地が良い。それなりにやっていれば、周りから評価される。そりゃ、少しのプレッシャーはある。成績が落ちると、「らしくないじゃん」と言われる。けど、トップはトップ。多少いばれる。
だが、私は周りに自分よりも優秀な人がたくさんいて、刺激的な事をしたい。ただ普通にやっているだけでトップの世界は充分な気がする。
そう思ったとき、転職を考えた。まだ、転職するには早い。なんせ、まだ2年目だ。今の会社でも学べる事はたくさんある。
3年を終えたあと、転職をするのだろうか。それとも、居心地の良い環境で、それなりに過ごすのだろうか。はたまた、考えが変わっているのだろうか。
大企業に行けば、刺激的な職場が待っているのだろうか。(それよりも、そこに転職出来るかが大問題だが)
周りに優秀な人がいる所で生活をしたい。今の状態から、そういった職場へ移れるのだろうか。
自分がトップでない場所へ行きたい。
こう考える一番の理由は、一番の評価をもらったのにもかかわらず、給料の面では大して差が付けられていないからだ。
女だらけの職業もあれば、それ以前に同僚が少なく若者は自分一人だけ、と言う職業もあるよね。
全体では大企業でも自分の部署には数人しか居ない(で、他の部署とは殆ど交流がない)と言うのもよくある。
実のところこのパターンがどれだけあるのかが気になる。
美容院とかお菓子屋でもそれなりに男の客もいれば男の店員もいるし
男性陣と年代が合わないってのはわからないでもないが
対外的な接触が皆無なわけでもあるまい
他の部との接触が無くても同期入社のメンツと飲みに行ったりしない?
ちょっと、想像が付かないんだけど
女だらけの職業もあれば、それ以前に同僚が少なく若者は自分一人だけ、と言う職業もあるよね。
全体では大企業でも自分の部署には数人しか居ない(で、他の部署とは殆ど交流がない)と言うのもよくある。
寿退職する人がいるぶんだけ、大概はところでは男の方が多いでしょ
戦時中「非国民はくたばれ!日本国民は大日本帝国のために戦って死ね!」
現在「ニートはくたばれ!グローバル経済戦争の役に立たない貧乏人は死ね!」
戦時中「空襲時にバケツリレーで消火できないのは根性が足りないからだ!全ては大和魂だ!」
現在「正社員になれないのは努力が足りないからだ!全てはコミュニケーション能力だ!」
現在「にっくき北朝鮮の惨状を見ろ!それに比べたら日本はまだ恵まれている!」
戦時中「パイロットが足りん!若者をかき集めて短期間で養成しろ!練度など低くて構わん!」
現在「即戦力が足りん!外国人労働者をかき集めろ!育成に手間のかかる氷河期世代は要らん!」
戦時中「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ!欲しがりません勝つまでは!」
現在「甘えるな!国際競争に勝つためには長時間労働が必要なのだ!過労死など自己責任だ!」
戦時中「我ガ軍ハ敵空母10隻撃沈。敵航空機100機ヲ撃墜ス。我ガ軍ノ損害ハ非常ニ軽微ナリ」
現在「景気は着実に回復している。現在のわが国は『いざなぎ超え』の空前の好景気である」
オイオーイ、悪気は多分ないんだろうけどそういう書き方やめてくれよ。
なんか「子供よくもてるな」って言った派跋は「学生時勉強してなくてフリーターを選んだような奴ら」って勝手に括ってる感じに見えるよそれじゃ。
高校の時勉強してたら「なんで勉強とかすんの?」的な事をお前が言われたらしい件・大学の時勉強してたら「なんで勉強とかすんの?」的な事をお前が言われたらしい件・企業はいったら「なんで就職してんだよw」的な事をお前が言われたらしい件と、今回の子供云々は全くの無関係なんだからさ。勝手に突然無関係な案件持ち出してきた挙句、「勉強もせず子供も作らずで」とかまとめられても困るよ。ていうか俺勉強してるしさ。失礼でしょ。そういう意図はなかったんだろうけど。君の旧友のいざこざと、現在の俺とのやりとりを混同せんといて。
あと俺は多分君ほど「人生で大きな事を成し遂げる」ことに拘ってないからだと思う。
大きなことできないし、できないし、ってさっきからよく出てきてるけど、君は要するに、「自分の能力じゃ大きなことなんてとても無理。だから子育てと言う大事を成し遂げたい」つーことなんだよね?俺、そもそも別に人生で何かヤマあてるぜ!とか思ってないからなあ。(まあ思ったにせよ子育てには向かわないだろうけど。つーか母親ならまだしも父親じゃ成し遂げるつってもね…ほとんど金を入れるくらいのもんじゃん?育てたってより金を投資したって感じじゃん?大企業に勤めてるなら忙しくて尚更そうなっちゃうっしょ。それなら別に普通に生きてるだけでそもそも税等で間接的に日本の子供に投資してることになるんだしそう変わらないっつーか…特に俺は子供関係の仕事につこうと思ってるから尚更)
本当すごいと思うよ。よく今の日本で作れる気になるよ。自分なんかどれだけ福祉整ってても嫌だと思うくらいなのにさ。でも君みたいな人って本当にいるんだな。なんか安心できるよ。みんな自分みたいだったら誰も子供作らないもんなあ。自分からしてみりゃ、わざわざ苦労を背負ってくれてありがたやありがたや、って感じ。いや厭味とかじゃなくマジで。
10年前に大企業に入ったときもフリータを選んだ友達にそういわれたよ。
今は子供か。
むしろ大学で勉強もせず子供も育てずで、いったい何が楽しいのかさっぱりこっちにはわかんないけどな。
自由があってなにかできるのならいいけど俺には特になにか大きなことができそうな気がしないからさ。
「日本の高等教育は、東大、もっと具体的に言えば、その法学部を頂点とするヒエラルキーを形成する。東大ブランドが、どれほど尊重されるかは語りつくせない。過去一世紀に渡り、東大法学部は日本のトップ管理者のほとんどを、〔聖選〕してきた。その卒業証書は実質上、日本の支配階級へのパスポートである。官庁も大企業も就職試験は誰でも受けられることになっている。しかし実際には、慣例どおりの人数割り制に従って、新卒者が採用される。中堅企業は、東大法学部の卒業生を採用しようとは夢にも思わないであろうし、、また同じ意味で、中央大学の卒業生が経済界のトップにのし上がることは非常に少なく、政府の要職につくことはほぼ皆無であろう。(中略)日本人が永遠に〈システム〉の政治的監督下に置かれなければならない理論的必然性はなにもない。理想的には、どうすればよいのであろう?手始めに東大を廃校にする必要があるだろう。」
これは極めて行き過ぎたケースだろうね。
サイトで恒常的に大量の画像を公開してたのに加えて、映画のアップロードだし。
まして相手が大企業だしね。
やっぱりこれぐらいの条件が集まって初めて事に至るのかね。
1)増田が致命的に家事に向いてなくて苦しんでるのはよく分かったけど、家事は楽だよ。仕事と違って自分なりに手抜きできるしね(増田は完璧主義?)。でも育児は大変。それは確かにそう。
2)男女で「思い立ったらすぐなれる」の意味がすれ違ってることが多い。
男「大企業正社員のキモオタとなら、すぐ結婚して専業主婦になれるじゃん」
みたいな。
男は「すぐ」を「専業主婦を可能にする経済的条件以外目をつぶれば簡単に相手が見つかる」みたいな意味で言ってるけど、女はそんな相手と結婚するのは絶対嫌で、自分の思う理想の相手像+専業主婦可能な経済力の男を探さなきゃとなるから「そんなのすぐ見つかるわけないじゃん」と。
で、それを聞いた男側が、贅沢言わなきゃすぐなれるものをあれこれワガママ言って難しいとか言ってんだからまったく女どもはお高くとまって大層なご身分だよ…みたいに返して、余計に場が荒れると。
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 shift-jis
専門・管理職としてくくられる上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六??五五年生まれ)と第四コーホート(五六??六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20080406221241
もう十年近く前になるが、俺も君と全く同じようなことを考えた。しかし今となってはかなり辛い思い出だ。
俺は俺なりに努力もした。だが、結局は当初思い描いた道は断念し、ごく平凡な京大生の進路をたどった。
そうなった経緯をいまここで語るつもりはない。君と俺とは違う人間であり、君が俺と同じことを考えているとは思わないからだ。
ただし、このことだけは覚えておいてほしい。君の同級生や先輩は、少なくとも入学式の時点までには君と同程度の努力を積み重ねた人間だ。少なくとも潜在的には君と同程度の能力を持っている。つまりは、たかだか一週間で勝利宣言をできると思っていると、足元をすくわれかねないということは覚悟しておいた方がいい。
実際のところ、「パラダイス」というのは半ばは自嘲であり、半ばは自慢だ。高校生と大学生は余りにも世界が異なり、自分の理想通りものごとを運ぶことがいかに難しくて非現実的か、自分の理想として描いた夢がいかに陳腐で貧しいか、それを何度も挫折しつつ学び、そして自分のやり方を確立していく過程でもある。そして、それに挫折して自堕落に陥ってしまった人は自分の境遇を自嘲して「パラダイス」と呼ぶだろうし、自分の道を見つけた人は心底からその環境を「パラダイス」と呼べたりするのだ。
本当のことを言うと、多くの人が「パラダイス」という言葉を使うときには、そのニュアンスが何らかの比率で入り混じっている。それが読み取れないということは、君もまだまだ人を見る目が甘いというか、どこかで自分の優秀さに慢心しているということだろう。
一度、「遊び半分で」適当に過ごしているような人と話し込んでみるといいよ。そういう人たちの中には少なからぬ比率で、セミプロ級のレベルの趣味だとか珍しい体験だとかを持っている人がいるし、そんな人でなくとも、本棚の中身は量はともかく質の点で非常に充実しているものだ。
要するに、馬鹿に見える彼らも、君と同じぐらいの頭の中身は持っている。彼らは彼らなりに真面目に考えて生きた結果がそういう行動に表れているのだ。君にはそれが、偏っていて愚かであるように見えるかも知れない。しかし、見る人が見れば君の価値観も偏っていて愚かであるかもしれないということは自覚しておいた方がいい。
ちなみにそんなエラそうな説教をしている俺が現在何をしているかというと、誰でも知ってる大企業の研究所に勤めている。京大理系の平凡な卒業生の就職先というとそんなところ。これが堕落なのか努力の結実なのかの判断は君に任せる。
もっと単純に言うと「マイナー作品に金が流れることで、市場は以前よりも多くの作品で溢れかえる」という事です。同人、商業市場どちらにおいてもです。
具体的な根拠は無いですし、風が吹けば桶屋が儲かる的な話なので、「まあそんな考え方もあるか」位に読んでもらえると幸いです。
まず、前提としてP2Pファイル共有が有っても無くても個々の消費者の可処分所得は変わりません。また、仮定としてファイル共有があってもなくても同じようにコンテンツの消費額もほぼ変わらないと仮定します。タダで済ませた分を食費にする人はそんなに多くないでしょう。最初から無くても生きていけるコンテンツを、食費を削ってまで買わない。
さて、問題はこの限られたパイの配分です。
P2Pファイル共有が無かった場合、人気のある作品を(友人間の貸し借りはあるかもしれませんが)多くの人が買うことになり、マイナーな作品に流れるお金はそれらの「おこぼれ」になります。結果として人気のある作品にばかりお金が流れます。
逆にP2Pファイル共有が社会により深く浸透した場合。やはり人気のある作品は沢山売れるのですが、ある一定数以上売れるとP2Pファイル共有にコンテンツが流れはじめ、それ以降はあまり売れなくなります。その結果その分のお金は今まで買っていなかったマイナー作品へ流れ始め、打ち切られる、あるいは絶版になっていたような作品も市場で生き残れるようになるでしょう。したがって、市場で生き残る作品の数はP2Pファイル共有が無かった時に比べ増えると思われます。
ですから、人気作品の売り上げは下がる一方、マイナー作品の売り上げは地味に上がっているのではないでしょうか。個々のマイナー作家の収入増はそれほど大きくないはずで、大きな減収のあるだろう前者よりも「目立ちにくい」かもしれませんが。
もちろん、この結果が「良い」かどうかは人によるとは思います。ある意味社会主義的なこのシステムでは、人気のある作品を作っても消費されている分の収入は得られない(*1)訳で、市場経済的な考え方が深く根付いている現在の日本では「悪い」と思う人も多いかもしれません。また、人気作品やそれらを生み出す事が出来る大企業の方が社会的な声は大きく、そうした意見はさらに強調されているでしょう。
ですが私は、そういった人気作品だけが生き残る社会よりも、もっとマイナーな、ほかの人から見れば駄作であるような、そんな作品も含めて市場がにぎわっている社会の方が好きです。そっちの方が豊かな社会だと、私は思います。
「P2Pやニコニコ動画の違法アップロードは作品の宣伝になる」みたいな話はよく聞き、これはおそらく「涼宮ハルヒの憂鬱」に関する記事が大本だと思いますが、著作権関連の議論ではそれこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」のようなメジャー作品の話題ばかりだと思ったので書いた次第です。
法律的にどうのとか、道徳的にどうのと言った話題はこの話題と関係ないので勘弁してください。あくまで市場がどうなるかという話です。
*1:それでも人気の無い作品に比べれば格段に多いのは間違いないのですが。
大作が売れない分マイナー作品は売れやすくなるのではという話。 たしかにそういう話題って見たこと無いな…いつもヘッドの話ばっかり。 音楽の保証金制度とかを見る限り、本当に同人やインディーズに流れるかも
やはり売れている作品の方が話題になりやすいですし、減収額も大きいですからね。
保証金制度は大多数の人間が知らないので今のところあまり影響は無いと思いますが・・・。
「マイナーな作品はファイル共有で済まされて売り上げがより落ち込んでいる」みたいな話も聞きますが
マイナー作品は現在手に入れにくいですからね。「Amazonで送料掛けて買う位なら、頑張ってファイル共有で落とすか」となってもおかしくないかもしれません。
今後ネットのダウンロード販売等が普及しマイナーもメジャーも同じくらい買いやすくなれば、この話も説得力を持ってくるかもしれません。この場合、「メジャー作品はファイル共有で済ませて、ファイル共有で流れていないマイナー作品は買う」という判断が一番合理的だからです。
今一番この話が成り立っているのは、コミケだと思います。コミケの場合、一般とは違って人気作品の方が手に入れにくいからです。壁サークルの(ほかに比べ高い)作品に二時間ならんで作品を買うくらいなら、壁サークルの作品はファイル共有で済ませて、人気の無いサークルの(壁に比べれば安めの)作品を沢山買う方が効率的に思えます。
ライセンス:GFDL
この考え方もどうかと思うよ。
だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。
儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。
それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。
それを言うなら納税者だって一律に日本人と断じていいものでもない。
税金は日本人が平等に負担してるものじゃなくて大企業や金持ちが多めに負担してるわけで。
インフレとかで借金の実質負担を減らせば、税負担の収入はないが資産を多くもつ人が損する。それを防ぐためには増税しないといけない。
要するに財政再建先送りするほうが収入少なく資産の多い老人(とその子孫)が損しやすく資産のない人が得するわけ。子供たちのために増税で財政再建しようとか言うのは大間違い。
それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。
貸してるという考え方がよくないよ。
金利をつけて返すことを前提に政府が国債を「売ってる」わけじゃない。
みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。
だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。
国債償還というのが具体的にどういう状態にすることかを考えないと。
たとえば、国債を一億円もってる人に償還する場合普通は預金に一億円振り込むことになるが、その場合銀行が国債を代わりに持つことになるだけで国債残高を減らす必要性はまったくない。じゃあ現金で返した場合はどうなるかというとこれは日本銀行が一億円分の国債を持つことになる。預金というのは民間銀行にとっては借金であり、現金というのは中央銀行にとっての借金。そして銀行は負債だけを持つことはなくて必ず資産もおなじだけ持ってバランスさせる。
結局国債償還しても貸し手が変わるだけであって残高を減らす必要性はない。
本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。
これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。
投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。
この10年日本が投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。
これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!
でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。
逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済的価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。
これは使い道の問題であって財源の調達方法の問題じゃないでしょ。
財政赤字を問題視する人は歳入の問題と歳出を混同しすぎだと思う。
所得税や消費税財源にして不要なインフラ整備してもランニングコストは発生するでしょ。
利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。
この10年でさ、10年後に日本が先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?
そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。
いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?
ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??
デフレでも財政再建して失業や倒産増やしてたら育つ産業も育たなくなって将来の子供は困るだろうね。
国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。
そうすると資産の目減りは避けられない。
ローンを組んでいればインフレはラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。
年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。
結果国民はものすごく困窮することになる。
インフレのほうが失業率は下がりやすいし、企業の投資もやりやすいので生活水準や生産性はあがりやすい。
80年代のよう座成長が無理だとしてもデフレを続ければさらにひどいことになる。
実際2000年前後のデフレ真っ盛りの時期と今じゃ明らかに今のほうが失業率や求人倍率マシになってるし。
賃金上がりにくいのはたぶん失業率下がりきってないから。数%のインフレにしたら失業率は2%台になって賃金が本格的に上がってくだろうと思うんだけど。
今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))
だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。
国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。
無理に国債残高減らそうとするほうがえらいことになる。これは橋本や小泉で経験済みのこと。
上に書いたように社会全体では常に円の現金預金を持ってるだれかが日本国債の貸し手になるからデフォルトは杞憂。
貨幣を使った売り買いというのは社会全体とのモノや労働力の貸し借り。
国債を返すというのは貸し手を別の人に変えるだけのこと。
国債を返してほしいならさっさと金をつかってほしいものでも買えということ。
現金や預金で持てば間接的に貸すことになって銀行とかに利息ピンはねされるだけ。
国債を減らし続けたらやってけないが、予算の無駄遣い減らしながらどんどん国債依存度上げて減税すればやってけるんじゃないかなと。