演繹(えんえき)的思考の場合、ある法則や事実から次に起こり得ることを推定します。ニュートンの法則があるからりんごが落ちる、 と考えます。ところが実社会ではこの推論が正しくないことがしばしばです。たいていはりんごが落ちる前に出荷されてしまうからです。
帰納的思考は逆の思考過程をたどります。すでに起きている事実から根本的な法則や事実を導き出します。なぜりんごは落ちるのかを考え、それは地球という物体とりんごという物体が引き合うためだという法則にたどり着きます。
ところがこうした説明はすでに知っていることなので分かりやすいのですが、実生活に応用しようとするとなかなか上手く行きません。前提となる法則が正しいかどうかも怪しい所です。
旬の秋刀魚は美味しい。→美味しい物を食べれば幸せになれるはず。こう演繹的推論を行なったのにしばしば不幸な晩御飯になることがあります。そこで今度は帰納的思考によってその原因を探ります。
なぜ今日の晩御飯は不幸だったのか? → 秋刀魚がまずかったから。 →なぜまずかったのか? → 中まで火が通っていなかったから。
そこでまたこりずに演繹的推論を行ないます。
今度は焼き加減に気を付けるから秋刀魚は美味しい →明日の晩御飯は幸せそのもの
この演繹的思考と帰納的思考の繰り返しによって、美味なる秋刀魚にたどり着くという事でしょうか?ただし、この期待でさえ、演繹的推論なのです。
-2001/7/12
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