ゆうべ久しぶりにテレビを見ていたら弘前大学の二次試験に実際に出題されたというこの質問にたいしてちょっとだけ議論がありました。この質問に対するいろいろな分野の人が答えていましたが、議論が発展しなかったのが残念です。そこで自分ならどう答えるだろうかと考えてみました。
おそらく人間は人を殺してはいけないと言うことを本能的に知っているという気がします。理想を求めるのが人間で殺人はその意思に反することです。ところがその理想通りにいかないのも人間です。過失で人を殺してしまうこともあります。あるいは仕事で殺すこともあるでしょう。法を破って殺人を犯した場合はもちろん、法に従って任務として殺人に至った場合でも良心の呵責から逃れるのはむずかしいと思います。たとえ完全犯罪に成功して法の網を逃れてもその罪の意識が消えないことは自分自身が良く知っているところです。
ところがそうした崇高な精神と同時に生き延びるためにあらゆる場面で何らかの生き物を殺しながら生きているのも事実です。かつて戦国時代に日本国内で合戦が行われたのは生き延びるためでしょう。これは敵を理解できないから力によって統一したことが原因だと考えます。時代を経ると国と国との戦いになりますた。このときも敵は同じ人間ではないと考えたがっていたようです。最近は戦争映画も敵を探すのに四苦八苦しています。生き延びるために存在し続ける闘争本能のはけ口は敵に向かい、その殺しても良いと思える敵は地球上には存在しないため宇宙に向かいます。
ところがその宇宙人ともコミュニケーションが可能になってくると殺すことはむずかしくなります。敵も自分たちと同じく子供や親を持っていて苦労しているという共通の価値観があるということが分かってくると人間としての意志が人殺しを許さなくなると思います。しかし、自分たちは自分自身を含むより身近な人達を守るためにそれ以外の人達を殺さなければいけない立場に追いやられることもあるでしょう。正当防衛がそうですが、たとえ無罪になっても気持ちの上で納得できるかどうかは別の問題だと思います。
こころの鬼が人を殺したがり、それを崇高な精神が止めさせようとする。人間はその両方を持っているから厄介だし、殺人とまではいかなくても常にその両者は闘っていると思います。敢えてタイトルの質問に答えようとすると「殺人は人間の崇高な意志に反するから」というのが自分の答えです。
-2001/4/24
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